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第七章「森林都市フォレスティ」

 夕方の薄闇が静かに森の奥へ広がり始めたころ、乗り合い馬車は小川の近くで止まった。荒れた道をなんとか抜け、ガウディが馬を繋ぎながら皆に声をかける。


「ここで今夜は野営だ。暗くなる前に準備しちまおう」


 すると待ってましたと言わんばかりに、女冒険者のジェニーが弓矢をひっつかんで飛び出していった。


「よっしゃー、ちょっと獲物獲ってくるぜ!」


 勢いよく森の中へ消えていくジェニーを、リーダーのマルクスは苦笑いしながら見送る。ジェニーは普段から元気いっぱいで、獲物を仕留めてこそ腕が鳴ると豪語していた。


 一方でマルクスは、ルナに目を向けてこう言った。


「じゃあ俺たちは魚でも捕まえるか。ルナ、魚取りのコツを教えてやるよ」


「よろしくお願いします、マルクスさん!」


「わふ(おさかな、よろしく!)」


 隣でハクも尻尾を振って大はしゃぎ。マルクスが他の冒険者仲間に「テントや焚き火の準備を頼む」と声をかけると、彼らは「おう、任せとけ」と鍋や薪を取り出し、さっそく野営用の支度を始めた。


 ルナたちはマルクスを先頭に、小川のほうへと足を向ける。周囲には草木が生い茂り、少し先に行くとぱっと視界が開けて、清らかな水が流れるせせらぎが見えた。夕日が川面を照らしてキラキラ反射しており、思わずルナは「わあ」と声を上げる。


「けっこう澄んだ水じゃないか。魚も多そうだ」


 マルクスが川岸でしゃがみ込みながら、足跡や水の流れを念入りに観察する。手元の袋から簡易的な投げ網や、長めの紐付きの仕掛けなどを取り出しはじめた。


「まずは投げ網だな。小ぶりの網を広げて川面にそっと投げ、流れに乗せて魚の通り道をふさぐんだ。魚が跳ね回って網に入る瞬間が楽しいぞ。あとで、足場がいい場所があれば素潜りで掴み取りも教えてやるよ」


「投げ網……楽しそうですね。でも、投げるの難しくないですか?」


「慣れだよ慣れ。何度か失敗すればコツが掴めるさ」


 マルクスはそう言うと、まずは自分で手本を見せるように網を構え、川面へそっと投げ込む。弧を描いて広がった網は、見事に水中へ沈んでいく。小さな波紋が広がり、しばらくしてマルクスがぐいっと紐を引くと、バシャッという水音とともに何尾か小さな魚が網にかかっていた。


「すごい……! あんなにすぐ捕まるんですね」


「運もあるが、ここは流れがゆるやかで魚も集まりやすいんだろう。ほら、ルナもやってみな。ハクは……川には入らないほうがいいかな?」


 ハクは川のほうに興味津々のようすで前足を水際に突っ込もうとしているが、いきなり飛び込むには流れがある程度速い。ルナが「溺れないでね」とたしなめると、ハクはちょっと残念そうに鼻を鳴らした。


 ルナもマルクスに教わったとおり、網を両手でうまく持ち、川面へ向かって投げる。最初は思うように広がらず、水面にドボンと重たい音を立てて沈むだけ。マルクスが「焦らない焦らない」と笑いながら、投げ方のコツを丁寧に教えてくれる。


「腕全体で振るんじゃなく、指先で最後まで網を支える感覚だ。離すタイミングをもうちょっと遅らせて……そうそう、今だ!」


 ルナがタイミングを合わせて投げると、網はさっきより綺麗に広がり、水中へ丸く沈んでいく。思わず「やった!」と声を上げながら、慎重に引き上げると、小さな魚が二匹引っかかっていた。


「わぁ……捕れた捕れた! 嬉しい……!」


「ナイスだ。こんくらいのサイズでも何匹か合わせれば十分食える。スープにもなるし、塩焼きもいけるぞ」


 達成感に頬を緩ませるルナと、その傍らで「わふわふ」と興奮気味なハク。二匹の魚がピチピチ跳ねるのに驚いて、ハクが鼻先をクンクンさせているのがおかしくて、ルナは笑ってしまう。夕方の穏やかな光の中、こうして一人と一匹は魚取りを楽しみ、マルクスの経験談を聞きながら徐々にコツを掴んでいく。


 しばらくすると、網を引き上げるたびに一、二尾は確実にかかってくるようになり、手頃なサイズの魚がバスケットに溜まっていく。マルクスが何匹か掴み取ったり、途中で「今日はこれくらいにしとくか?」と提案してくれる。そのくらいすでに十分な量になっていた。


「さて、これだけあればみんなで宴会できるな。ジェニーが獲物を仕留めてくれば、さらに豪華だ。やっぱり旅といえば、こういう野営が醍醐味だな」


「そうですね……。あ、私も川魚料理は作ったことがあるので、お手伝いしますよ。マジックバッグに塩も残ってます」


 ルナはそう申し出ると、マルクスが「おお、ありがたい」と微笑んで答える。焚き火やテントの準備は他のメンバーが進めているはずだから、戻って魚をさばき、塩焼きか煮込みスープで宴会にするのも悪くないだろう。ルナとしては、ハクにも少し味見してもらおうかと考えつつ、獣が食べても大丈夫そうな味付けを考えていた。


「よし、戻ろうか、ルナ、ハク。仲間たちが待ってる」


「はい、マルクスさん。本当にありがとうございました。網投げ楽しかったです!」


「わふ(おさかな、いっぱい!)」


 バスケットいっぱいの魚を手に、ルナたちは夕暮れの小川をあとにする。森の中にオレンジの光が差し込み、風が少し肌寒さを運んでくる頃には、マルクスとルナ、ハクの三人が笑顔で野営地へ帰還。焚き火が少しずつ大きくなり始め、また一つ、旅の中の思い出が増えていくのだった。


 夕暮れの野営地に戻ると、あたりでは仲間たちがそれぞれの仕事を進めていた。冒険者パーティーの数人が焚き火の準備をしながら、明かり用の薪を集めたり、段取りをしていた。

 一方、母親と子どもは少し所在なさそうに立っており、行商人見習いの青年は、ぎこちなくテントの骨組みに悪戦苦闘している。ガウディが「そこはもう少し引っ張って張るんだよ」と優しく指導しているのを見かけ、ルナは思わず微笑んだ。


「よし、この小魚たちをさばくか」

 ふと見ると、あの親子がどこにも手を貸せずに困った様子だった。そこでルナは声をかける。


「よかったら、一緒に魚の下処理をしてみませんか? お子さんには、ハクの面倒を見ていてもらえば大丈夫です」


 その提案に母親は少し驚きながらも、「いいの? でも私、あまり慣れてなくて……」と遠慮がちに答えた。子どもはハクを見つけて「わんわん!」と大喜び。鼻をひくつかせるハクもまんざらでもない様子だ。ルナは「大丈夫です。かんたんですよ」と返事し、魚のさばき方を手際よく示し始める。


「この川魚、“いわな”に似てる気がします。軽くウロコを取って、滑りを落とし、お腹の物を出すだけ……。やってみましょうか」

「わあ、ルナちゃん詳しいのね。助かるわ~。私、こういうの苦手で……」


 母親がぎこちなく包丁を持って魚をつかむ。ルナは丁寧に手本を見せ、「そうそう、ここを切り込み入れて……中をぐっと出します。匂いがあるから、ちゃんと流してあげてください」とフォローする。子どもはそれを横目に、ハクと一緒に遊んでいるようだ。転がしてあるボールのような小石でハクがちょこちょこ動くのが微笑ましい。


「ふふ、ルナちゃんすごいわね、ちゃんとさばけてる。感心しちゃう」


 母親に褒められ、ルナはちょっとだけ胸を張った。前世の記憶や、逃亡中に食糧確保で学んだ経験がこうして役立つのは嬉しいものだ。手の大きさに合わせて包丁を扱うコツなどもアドバイスしつつ、次々に魚を下処理していく。


「さて、この大きさなら串に刺して塩をまぶして炙り焼きがいいですね。シンプルだけど一番おいしいと思います」

「おお、それで頼むよ、ルナ」


 いつの間にか隣に来ていたマルクスが、すでに機嫌良くなにか瓶を手に飲んでいる。それを見たルナは「おや、何飲んでるんだろう?」と不思議に思うと、マルクスがちょっと照れくさそうに口を拭う。


「いや、あれだ。旅の疲れを癒やす一杯ってやつだ。まだ誰にも言うなよ……」


 しかし、そのまま何事もなく済むわけもなく。ちょうどそのとき、ツノウサギを抱えて戻ってきたジェニーが、半ば呆れたような顔でマルクスを見下ろしていた。


「あー、隊長! 何始めちゃってんですか!? こっちは獲物抱えて戻ってきたってのに、もう飲んでるとか……」


 その勢いに押されて、マルクスは思わず目を泳がせる。

「い、いや、これには深ーいわけが……あれだ……その……」

 ごまかそうとする言葉がうまく出てこないらしく、ボソボソと声を濁すだけ。


「はあ、もう……仕方ないですね。ツノウサギ仕留めてきたから、これも料理に使ってくださいよ」

 ジェニーがずいっとウサギを差し出し、ルナの方へ向き直る。


「魚もいいけど、肉も加えれば豪華になるでしょ? あたしも酒好きだから隊長のこと言えないけどさー……まったくもう」


 ジェニーは口調こそ強いが、表情はまんざらでもなさそうだ。マルクスの腕前や彼への信頼があるからこそ、こうして気兼ねなく叱れるのだろう。

 一連のやりとりに、ルナは思わず吹き出しそうになる。周囲ではほかの冒険者や旅人たちが焚き火を起こし、早くも串焼きや鍋料理の準備が進んでいる。商人見習いの青年は相変わらずテント設営に手間取っているが、ガウディがそばで「やれやれ……」と手助けしているところ。


 こうしてにぎやかな夕暮れの野営地。ルナは「さて、まずは魚を串に刺して塩振らなくちゃ」と気持ちを切り替える。一緒に下ごしらえをした母親も「じゃあ私、焚き火のほう持ってくわ」と笑顔で手伝いに回ってくれる。ハクは火が苦手なのか、ちょっと距離を置いて尻尾を振っている。


「うん、じゃあ私はこっちで焼き始めますね。ジェニーさんはウサギの肉、どう調理します?」

「とりあえず血抜きしてさばいちゃって。あたしの仲間たちに協力してもらうから、いい感じに仕上げてもらおうかな」


 そんなふうに手を分担し合いながら、賑やかな“キャンプ飯”の準備が進んでいく。うろたえながらも酒を楽しむマルクスや、罠を仕掛けに行ったジェニーが戻ってきた喜び、母子のほのぼの具合、そして静かに力仕事をしているガウディたち。乗り合い馬車ならではの即席メンバーが、今夜はまるで一つのパーティーのように宿を構え、共に食卓を囲む。

 川魚の塩焼きとウサギ肉のローストが、闇に沈む森の空気を香ばしい匂いで包み始めるころ、いよいよキャンプの夜は最高潮を迎えようとしていた。


 ◆◆◆


 夜の闇が深まり、焚き火の明かりが野営地を照らす頃合いになったころ、ルナはようやく「自分のテントをまだ張っていなかった」と気づいた。みんながわいわいと談笑している間、ハクと一緒に荷物を置かせてもらっていたが、新しく買ったテントを広げるのは初めて。ちょっとワクワクしながら、マジックバックからテントの骨組みや布を取り出す。


「よし……。ハク、これが私たちの新しい家だよ。広いからゆったり寝られるはず」


「わふ(ハクもうれしい!)」


 ハクが鼻をひくつかせながら布をくんくん匂いを嗅いでいるのが可愛い。ルナは骨組みのジョイントを一つひとつ組み立て、テントを張り巡らせていく。慣れない手順もあるが、しっかりした素材のため意外と扱いやすい。近くを見渡すと、ガウディや冒険者たちは酒盛りに突入しているようで、楽しそうに杯を交わしている。商人見習いの青年も「おれも飲みたいっす!」と騒いでおり、ちょっとした宴会になっているようだ。


 ルナがテントを張り終え、「ふう、結構大きい……」と一息ついたとき、ふと周囲を見回して気づく。皆それぞれテントを持ってきているのに、あの親子の姿が見当たらない。冒険者パーティー用の大きめのテントや、ガウディ用のテント、商人見習いの一人用テント。けれど、母親と子どものテントは見当たらない。


「……あれ? もしかして、テントを持ってらっしゃらないのかな」


 少し離れたところを見ると、母親と子どもが遠慮がちに寄り添っている。ルナが駆け寄って声をかけると、母親は気まずそうに頭を下げた。


「すみません……実は、テントを買えるようなお金もなくて……あちこち乗り合い馬車を使いながら移動しているんです。いつもは室内や簡易的な小屋を借りられる場所で泊まるようにしているんだけど、今日はどうにも……」


 その言葉に、ルナはすぐに「大丈夫、私がなんとかできる」と思い至った。自分の新しいテントは、ハクが大きく成長しても入れるようにわざわざ大きめのものを選んである。ハクと2人(?)で寝るには十分なスペースがあるし、むしろ余裕があるくらいだ。


「よかったら、一緒に使いませんか? このテント、ハクが将来すっごくおっきくなっても平気なように選んだんですよ。まだ余裕ありますから」


「え……でも、悪いわ……。親子二人分だから狭くないかしら……?」


「大丈夫ですよ。全然狭くないです。ね、ハクも一緒に寝るのは慣れてますから。むしろ助かります」


 母親は申し訳なさそうにしながらも、子どもが「おねえちゃん、ありがとう!」と元気に言うのを受けてほっと微笑んでいる。


「ごめんなさいね、ルナちゃん。本当に助かります……」


「どういたしまして。あと、夜は結構冷えますから、毛布があれば使ってくださいね」


 そう言ってルナはテントの奥を示しながら、母子が遠慮なく入れるよう声をかける。子どもは「わーい!」と嬉しそうに駆け出し、さっそくハクをなでながらテントの中を探検している。微笑ましい光景にルナも笑顔が漏れる。


 その頃には、近くの焚き火のまわりでマルクスやジェニーら冒険者たち、それからガウディと商人見習いの青年が盛大に酒盛りを始めていた。賑やかな笑い声と、時折「うおー、飲むぞー!」みたいな叫びが聞こえる。


「あの調子だと、夜遅くまで盛り上がりそうだね。私たちは先に休もうか」


 ルナが母子に声をかけると、「じゃあお先に失礼します」と母親もテントに入り、子どもが「おやすみなさーい」と手を振る。ハクは「わふ!」と一声返し、やや興奮気味にルナの寝床へ向かって尻尾を振っている。


「うん、私たちも早めに寝よう。明日も移動があるし……。おやすみなさい、また明日」


 こうして、一人と一匹、そして母子は新しいテントに宿を取ることになった。広めのスペースでわいわい賑やかに眠りにつくのは、まるで小さな合宿のような温かさがある。外では冒険者たちの笑い声が夜空に溶けていくが、テントの中は不思議と落ち着いたぬくもりに包まれていた。夜が深まり、皆がそれぞれの一日を振り返りながら、また次の朝への期待を胸に抱く。そんな穏やかな野営の夜が更けていくのだった。


 ◆◆◆


 森林の隙間から射し込む強烈な朝日の下、野営地はゆるやかに目覚めのときを迎えた。テントを出ると、すでに冒険者たちがそれぞれの仕事をきびきびと始めているのが目に入る。ジェニーはまるで酒など飲んでいなかったかのような元気さで早朝から作業をこなし、ガウディは愛馬の手入れに余念がない。その姿からは、酒盛りの最中であっても決して意識を手放さない冒険者たちの“危機感”が感じられ、ルナは密かに感心する。


 テントに一緒に泊まっていた親子とハクを起こさないよう、静かに抜け出してきたルナも、さっそく朝食の支度を始めた。マジックバックから小麦粉、卵、ミルクを取り出し、混ぜ合わせていく。前世の記憶をフルに活かす形だが、ここまで本格的な料理を披露するのは少し気恥ずかしい。それでも、昨日の焚き火の残り火を復活させてくれたマルクスのおかげで、手早く温めたスキレットにバターを落としてパンケーキを焼き始める。


 じゅう、と溶かしたバターに生地を流し込む音とともに、甘い香りが辺りに広がる。フワリときつね色に焼き上がったパンケーキは、普段の野営食とは明らかに違う目新しさを放っていた。さらにマルクスたち冒険者には、芋の皮をむいてもらい鍋に入れて、潰したところへミルクを注いでポタージュを作ってもらう。これもルナが前世の記憶を活かして教えたレシピだ。


 準備が整ったところで、ルナはハクに念話を送る。


「(ハク、親子を起こして連れてきて)」


「(わかった、連れてく)」


 ハクは嬉しそうにテントへ向かい、親子を呼んでくる。その間にもパンケーキは次々に焼き上がっていき、立ち込める香ばしい香りに眠っていた人々の食欲を刺激する。


 やがて、親子とハクが戻ってきた。続いて一番遅れてやってきたのは見習い商人の青年。どうにも朝が弱いのか、ぐずぐずとしていたようだ。商人を志すには時間管理が甘いんじゃないかと、ルナは少し心配になる。


「なんだ、これは……? パンか?」


「こんなふっくらしたの、見たことないぞ」


 パンケーキを見た冒険者たちは興味津々。ジェニーなどは「うわ、甘い匂い!」と目を輝かせている。ルナは「日持ちはしないですけど、意外と簡単に作れますよ」と言い、仕上げに蜂蜜をかけて回った。


「うわあ……このとろとろの甘い液体って、まさか蜂蜜か? こんな贅沢な……」


「王様のご馳走だな、こりゃ」


「トッピング次第でいろいろ味が変わるから、飽きずに食べられますよ。お菓子にもなるし、朝ごはんにもなるし」


 母親と子ども、そしてジェニーは特に目を輝かせ、何枚もおかわりを求める。芋を潰して作ったポタージュも好評で、パンケーキと合わせて皆の空腹を満たしていく。見習い商人やガウディも「こんなものが旅先で食えるのか」と感嘆の声を漏らしている。


「にしても、ルナって本当にいろんなことを知ってるんだな」


 パンケーキを頬張りながら、マルクスがしみじみと口にする。ルナは少し照れながらも、背伸びをするように答えた。


「小さい頃は生まれが貧しくて、まともな食事ができなかったんです。よく空想で“こんな料理が食べたい”って想像していて……。家出したときも食べ物がなくて苦しかったぶん、頭の中でいろんなレシピを考えるようになっちゃったんです」


 その淡々とした語りに、周囲は一瞬言葉を失う。貧しさゆえ口減らしで奴隷商に売られかけ、逃げ出して旅を始めた――笑い話のように話しているが、その背景がどれほど過酷だったか、想像するだけでも胸が締めつけられるようだ。


「そりゃ……ずいぶん苦労したんだなあ」


「そうなんだ……奴隷商に、か……」


 ジェニーもマルクスも、どう返すべきか言葉を探しているようだった。ルナは「今は大丈夫ですから」とにこりと微笑む。


「旅の途中でいろんな人に助けられたおかげで、私も冒険者登録ができたし、こうしてお金も稼げるようになりました。それに今はハクもいるし」


「わふ!(いまは楽しい!)」


 子どもも「おねえちゃん、すごーい」と無邪気に言い、ジェニーや母親も複雑な表情ながら「生きてるって、本当にいろいろあるんだなあ……」としみじみ呟いている。焚き火のはぜる音と、朝の森林の清々しい空気の中、ルナの作ったパンケーキの香りがみんなを包み込む。


 こうして朝食も無事に終わり、乗り合い馬車一行はまたそれぞれの荷物をまとめ始めた。強烈な朝日に照らされる森の野営地を片付けながら、ルナは「今日も一日、がんばろう」と心を新たにする。日が高くなれば再び馬車に揺られて、フォレスティの街へと進んでいくだろう。


 ただの旅――と装いながらも、“秘密の依頼”が心の奥底にあるルナは、ハクのぬくもりを感じながらほんの少しだけ気が引き締まるのを覚えた。朝のあたたかな時間にあふれるみんなの笑顔を噛みしめつつ、新しい一日が動き出す。


 ◆◆◆


「出発するよー!」というガウディの掛け声とともに、馬車は再び森林の中へ進み出す。

 この二日ほど一緒に行動してきた乗客たちとの間にも、ほどよい連帯感が生まれており、馬車の揺れにもそれぞれが慣れてきたようだ。特に母親と子どもは最初こそ乗り物酔い気味だったが、今日は落ち着いた表情で座席に身体を預けている。


 揺られる馬車の中、ふと母親がルナの隣に座りなおして話しはじめた。どうやら昨日は遠慮していたのか、今日はもう少し打ち解けた様子だ。


「実はね、三年前に夫がフォレスティに職を探しに行ったの。私たちは生活の目処が立たなくて……。しばらく音沙汰がなかったんだけど、つい先月、ようやく手紙が届いたのよ。『こっちで安定した仕事を見つけたから、君たちも来て欲しい』って」


 その声には、ほっとしたような安堵と、僅かな緊張が入り混じっているように感じられる。ルナは「それは良かったですね」と微笑みながら相槌を打つ。子どもは隣に寄り添いつつ、ハクを撫でていて、ご機嫌そうだ。


「フォレスティって、木がたくさんあって、木工が盛んだと聞きましたけど……ご主人はどんなお仕事をされるんですか?」


「ええ、どうやら森で木を切り倒して皮を剥いで……製材までする仕事らしいの。最初は力仕事で大変だったみたいだけど、木が豊富だから仕事が安定していて、それなりに稼げるみたい。私たちも一緒に暮らせる家を見つけたって言ってたわ」


 その言葉に、ルナは自然と笑みを浮かべる。確かにフォレスティは木が豊富な街として有名だと、ガウディやマルクスたちも話していた。木工品や建材が盛んに取り引きされるなら、家族で過ごすには十分な収入も得られるはずだ。


「そうなんですね。きっとご主人、頑張ってらっしゃるんですね。お子さんも、きっと広いお家で走り回れるでしょうし」


「うふふ、そうだといいんだけど……。実は私、一人でやっていけるか不安で。ご飯のことや、いろいろ……。でもルナちゃんとハクみたいに、どんな道中でも強く生きていける人がいるんだと思うと、私も頑張れる気がして。ありがとうね」


 母親の柔らかい笑顔を受けて、ルナは恥ずかしそうに目を伏せる。自分ではまだまだ冒険者の駆け出しだし、逃げてばかりの過去もある。それでも、この世界で出会ったさまざまな人々に助けられながら、少しずつ前へ進んできたのは確かだ。


「私も、皆さんに支えてもらって生きてきたんですよ。ほら、ハクだって一人じゃここまで育てられなかったですし」


「わふ(ボクも助けられてる)」とでも言いたげに、ハクが小さく鳴いて尻尾を振る。子どもは「ハク、可愛いねー!」とさらに抱きつくように撫でている。その姿が微笑ましく、母親も「ほんと愛らしいわね」と優しい目を向ける。 


 馬車がまた少し揺れると、ガウディの声が前方から飛んできた。「この先の坂道、ちょいと急だから揺れるぜー! しっかり座ってろよー!」 一同が姿勢を正し、母親も子どもをしっかり抱き寄せる。ルナはハクを自分の脚の上に座らせ、もう一度背を伸ばした。 


(フォレスティか……。私の最終目的はもっと先の国境を越えた魔導都市ミスティリアだけど、こうしていろんな人に出会い、それぞれの目的を抱えながら移動してるんだな)


 何気ない対話の中で、乗り合い馬車という“旅の交差点”の魅力をルナは再認識する。各々が別の事情や夢を抱いて同じ時間を共有し、やがてまたそれぞれの道へ散っていく――その儚さや温かさが、どこか心地よい。


 坂道を乗り越え、馬車が再び平坦な森の道へと入る。日はやや傾きかけているが、もう少し進めばフォレスティへ至るはずだ。果たしてどんな街が待っているのか。母親はもちろん、ジェニーやマルクスたちも、それぞれの期待と不安を抱えているだろう。 


(私も、見習い商人さんも、今回の旅でまた成長できたらいいな。ハクと一緒に、いろんな場所を見て、いろんな人に出会って――)


 そんな思いを巡らせていると、母親が「ねえ、ルナちゃんはこれからフォレスティに着いたら、何をするの?」と興味深げに問いかける。ルナは「秘密の依頼がある」とは言えないので、笑って「ちょっとした用事があるんです」と返す。母親も「そっか、旅が長いものね」とそれ以上は深く突っ込まなかった。


 こうして馬車は森を抜けかけ、夕方前にはフォレスティへ到着することになりそうだ。周囲の木々が少しずつ人の手が入ったような整理された景観に変わり始め、どこからか伐採の音が聞こえたりもしてくる。もうすぐ街へ着くだろう。母子は期待に胸を弾ませ、ルナは“ちょっとした用事”の先にある使命を、ハクと共に改めて心に刻むのだった。


 ◆◆◆


 しばらく森の中を走り続け、馬車が開けた道に出たころ、冒険者パーティーのリーダーであるマルクスがルナの隣で話し始めた。彼らの目的地も、どうやら「フォレスティ」であるらしい。


「俺たちはフォレスティをしばらく拠点にする予定なんだ。あそこは森が豊富なだけに魔物が街に近づきやすくてな。一般人の被害も出やすいから、依頼が多いってわけだ。俺たちはCランクの冒険者だし、中堅どころの実力でちょうど請け負いやすい」


 マルクスいわく、フォレスティ周辺では森に潜む魔物が時折街へ侵入し、家畜や作物を荒らしたり、通行人を襲ったりする事例が後を絶たないという。冒険者が警戒態勢を維持しつつ定期的に討伐を行い、被害を最小限に抑えているのだそうだ。ジェニーやほかの仲間も「しっかり稼いで、次の大きな依頼に備えたい」と意気込んでいる。


 そうこうしているうちに、ガウディが御者台で後ろを振り返り、「フォレスティに着いたら俺たちは二日後の朝に出発する予定だから、その便に乗りたいやつは言っておけよー!」と告げる。どうやら「ガウディ便」は複数の街を定期的に行き来しているらしく、次の行き先へは二日後に出るらしい。


 ルナも当然、次の旅程でガウディ便を使おうと思っていたので、「それまでフォレスティに二日間滞在することになるんですね」と声をかける。ガウディは「おう、しっかり空き席取っておいてやるよ」と気のいい笑顔を見せた。


 同乗している母子も「夫に会うのが目的だから、もし家が見つかったらそこで落ち着くかもしれないけれど、それまでは二日間ゆっくりできるのね……」と少し安心した表情を浮かべる。行商人見習いの青年は「おれも先輩に紹介したい品があるし、二日あればあちこち見て回れそうだ」と、こちらもワクワクしているようだ。


「フォレスティで二日か……。観光者としてのんびり回ってもいいかもしれないね、ハク。街の近くの森もきっときれいだろうし」


「わふ!」


 いつの間にか馬車の振動にもすっかり慣れたハクが尻尾を振り、嬉しそうに返事する。ルナ自身も次の旅路まで小休止がてら、木工が盛んな街の雰囲気を味わいたいところだ。なにせ本来の使命は“ミスティリアまで行って魔石を受け取る”ことだが、時間にはあまり制限がない。むしろ「確実に持ち帰る」ことが最優先だからこそ、焦らずに動くほうが都合がいい。


「よーし、じゃあフォレスティに着いたら、それぞれ宿を探さないとな。俺たち冒険者は拠点を決めたいが……ルナも宿どうする? 家族連れの宿屋があるはずだし、町はずれの安宿も選べるが」


 マルクスが訪ねてくるので、ルナは少し思案する。できるだけ人目を引かないようにしながらも、安全を確保できる場所がいい。と同時に、少し余裕をもった滞在がしたいところだ。おそらく冒険者ギルドもあるだろうし、そこへ行けば地図や情報を手に入れられそうだ。


「そうですね……まずギルドで情報収集して、それから宿を決めようと思います。ハクも一緒ですし、あまり狭い部屋は避けたいんですよね」


「なるほどな。じゃあ俺たちもギルドへ向かうし、一緒に行くか。気に入った宿が見つからなきゃ、また声かけてくれりゃアドバイスするぜ」


 そんなやり取りをしているうちに、前方に少しずつ人の気配が増えてきた。大きな丸太を運ぶ労働者の姿、製材所とおぼしき建物から立ち上る木くずや粉塵。地面には堅いウッドチップが敷き詰められている場所もあり、森林都市フォレスティの片鱗が見えてきた。


 やがて乗り合い馬車は町外れの門に近づき、門番とのやり取りが始まる。冒険者や旅人の出入りは比較的自由なようだが、荷物検査やギルド証明の提示など最低限の手続きは必要らしく、ガウディやマルクスがテキパキと対応している。親子は「手紙があるんです」と夫の名を出すと、門番も心当たりがあるのか、「はいはい、どうぞ」と笑って通してくれた。


「よし、みんなフォレスティへようこそ! 降りるやつは降りてくれー!」


 ガウディの声が響くと、乗客たちが次々に荷物を背負い降りていく。ルナもマジックバックを担ぎ、ハクと共に石造りの門をくぐり抜ける。雑踏とまではいかないが、周囲には木工品や材木を扱う商人の姿、木製の屋台で調理をする人々などがあちこちに見受けられ、初めての景色が広がっている。


(ここがフォレスティ……木の匂いがほんとに豊富。建物にも木材が多用されているみたい。いい街だなあ)


 ルナはそんな印象を抱きながら、二日間だけのフォレスティ滞在を楽しもうと思った。ハクも「わふ!」と尻尾を振り、広がる未知の環境に興味津々のようだ。親子とは「また後でね」と軽く挨拶し、マルクスたち冒険者とは「んじゃ、宿探しに行くか」と声を掛け合って街道を歩き始める。


 これからしばらく、フォレスティの街で一休み――そして、二日後にはガウディ便でまた先へ進む。その間にきっと、木工が盛んなこの街の風情や人々との交流が、ルナとハクに新たな出会いや経験をもたらすことだろう。


 フォレスティの街に足を踏み入れたルナとハク、そしてマルクスたち。大通りを少し進むだけで、すぐに豊かな香りが二人を包み込む。森林周辺で盛んに行われる狩猟のおかげか、肉の種類がとても多く、それらがずらりと並べられた屋台からは香ばしい煙が立ちのぼっていた。さらに、焼ききのこの屋台も豊富で、複数種のきのこを串に刺して醤油や塩で炙る姿がそこかしこに見られる。


「わふわふ!(おにくいっぱい、おにくいろいろ!)」


 ハクが我慢できないとばかりに鳴き声をあげ、鼻をひくつかせる。よほど強烈な匂いに惹かれたのだろう。ルナもその香りに思わず唾を飲み込みつつ、手綱を引くようにハクをなだめる。


「ハク、まだガマンだよ。先にギルド行って用事を済ませてから、たくさん食べよう?」


「わふーん(たべるー)」


 リーダーのマルクスも横で笑いながら、「フォレスティはとにかく肉がうまいんだよ。狩りの盛んな土地だから新鮮な肉が出回ってるし、何を食ってもうまい。おまけに酒が進む進む!」と熱弁を振る。話している間にも、マルクスの視線が路地の屋台に吸い寄せられていくのがわかり、ジェニーが「隊長はルナに何を教えるつもりっすか」と呆れ顔で突っ込みを入れる。もっとも、ジェニー自身も顔に出さないだけで、お腹はかなりスタンバイできていそうだ。


 馬車を降りてからわずかな移動時間なのに、街の香りだけで食欲が増していく。ルナは「うしろ髪を引かれるような思いって、こういうことかも」と苦笑いしつつも、まずは冒険者ギルドで最低限の情報を得てからにしようと、ハクのリードを持ったまま先を急ぐ。


 ギルドは街の中央区画、木造の建物が多い中にあって比較的しっかりした石作りの基礎を持った大きな建物らしい。道沿いには木製の看板が連なり、人や荷馬車が行き交っていて活気にあふれている。そのにぎやかさにワクワクしつつ、ルナは「うしろがみ、ほんとに引かれるなあ」とハクにそっと笑いかけた。


「行こう、ハク。ここで食べ歩き始めたら終わらなくなっちゃうからね」


「わふ!」


 そうして一行は、香りの誘惑に背を向けながらギルドの扉へ向かう。街に入り込む夕陽のオレンジ色が、美味しそうな匂いを一層引き立てているようで、ルナとハクはいつにも増して早足になっていた。ギルドでの用事を済ませたら、思いっきりフォレスティの美食を堪能しよう――そんな期待に胸を弾ませながら。


 フォレスティの冒険者ギルドは、木造の町並みの中にあって石造りの基礎をもつ、ひときわ目立つ建物だ。大きな扉を前に、リーダーのマルクスがルナに言葉をかける。


「ルナは依頼を受けるのか?」


「はい、一応薬草採取があればやりたいと思います。このあたりで採れる薬草は、私もいくつかわかりますし」


 さらっと答えるルナに、マルクスが感心したように笑う。


「やっぱり、しっかりしてるなー。まるで大人みたいだ」


 もっとも、そのやり取りを周りが聞けば「どう見ても七歳そこそこの子じゃないか」と不思議に思うだろう。ルナ本人は、態度や会話で少し年上に見せかけているつもりだが、実際には小柄な体格と幼い顔立ちが否応なしに目立つ。周囲の冒険者たちはむしろ「子ども相手に荒っぽい態度は控えよう」と気を遣い、見て見ぬふりをしているのが実情かもしれない。


「とにかく、ギルドに入ったら俺らと一緒に行動しろ。あんまり離れるなよ。同じパーティーだと思わせとけば、余計なトラブルを避けられるからな」


「はい、よろしくお願いします、隊長さん」


 ルナはマルクスに礼を言い、ハクを抱えるようにしながら扉を押し開ける。すると、中からはどこのギルドも変わらない、熱気と鋭い視線が一気に溢れ出してきた。

 そこには屈強な冒険者や、狩猟帰りとおぼしき者たちがちらほらといて、新入りが入ってくるときには必ずと言っていいほど注がれる“猛者たちの眼光”が向けられる。特に、こんなに幼く見える少女が一人で入ってきたら、好奇の視線は避けられないだろう。


 だが、今回はマルクスたちが共にいる。パーティーの一員と見なされれば、洗礼を受けることはまずない。ルナもぎこちなくも周囲に目を走らせながら、胸の奥で安堵の息をついた。


「ありがとう、ハク。……ほんとに、一人だったら怖かったかも」


「わふ(ぼくいるからだいじょうぶ)」


 ハクがルナの腕の中で、小さく鼻を鳴らす。マルクスが「よし、カウンター行こうか」とうながし、ジェニーや他の仲間も続く。旅の汚れを拭いきれない装備とはいえ、Cランク冒険者パーティーともなればギルド内で無視できない存在感があるらしく、周囲の視線はすぐにそちらへ移った。


「へえ、こんな森の中でもギルドは賑わってるんだなあ」


 ルナが小声で漏らすと、マルクスが「森の魔物が活発なんだから、依頼も多い分、冒険者も多いってわけだ」と軽く肩をすくめる。ジェニーはその光景を見て「早く依頼板を確認しに行きたいっすね」と意気込みを見せ、さっそく掲示板のほうへ向かおうとする。


 一方のルナも薬草採取の依頼が気になる。日々の糧を得るのにも役立つし、自分の経験と知識が役立てられるなら願ってもない機会だ。

 (採取依頼があれば、ちゃんと提出して報酬をもらわなきゃ。次の街に行く旅費だってコツコツ貯めたいし……)


 そう考えながら、ルナは改めて周囲を見回して心を落ち着かせる。ハクを抱えているため、あまり大股で歩くことはできないが、Cランクの仲間がそばにいてくれる心強さで、変な絡まれ方はしなくて済みそうだ。


「よし、依頼を見てみよう。ハク、ちゃんと大人しくしててね」


「わふ!」


 そう、まずは掲示板。薬草採取の依頼があるなら、それを受けて街と森の様子を知る足がかりにもなる。ルナは胸の高揚を抑えつつ、冒険者パーティーとともに木造の床を踏みしめ、フォレスティ冒険者ギルドの熱気溢れる空気の中へ足を進めるのだった。


 ギルドの掲示板にはさまざまな依頼が貼り出されていて、ルナは興味深そうに目を走らせる。駆け出しの新人から熟練の冒険者まで、ランクごとに受けられる依頼が並ぶ中で、特に目を引いたのがこう書かれた一枚だった。


「薬草採取 期間常時 見習い木工士の傷薬の原料

十束単位で銅貨8枚の報酬。Fランクまで応対。」


 ルナは思わず「これ、ちょうどいいかも……」と呟く。Fランク相当の仕事だからこそ、自分にも無理なくこなせるはずだし、森のなかで魔石や他の薬草を見つける手もある。根を張る植物をじっくり探すのは嫌いじゃないし、移動の合間に採集して、余裕を持って換金できるなら旅費も浮く。


「見習い用の依頼っぽいけど、私には問題ないですね。傷薬の原料ならそんなにレア種でもないはずだし、やってみようかな」


 そう言って、さっそくマルクスたちに顔を上げる。するとリーダーのマルクスが掲示板をのぞき込み、「なるほど。報酬は多くはないけど、長期でコツコツ採集できるなら悪くないな」と頷いた。


「俺たちはCランク依頼の『ボアウルフ』退治になりそうだ。どうやら猪突猛進タイプの大きな狼みたいな魔物がこの周辺の森で出没してるらしくてな。酒場でも噂になってたんだが、被害がけっこう出てるらしい」


 そう言って、マルクスたちパーティーは別の依頼書を手に取っている。彼らはCランク相当の魔物討伐の仕事をメインでこなしているようだ。

 ルナは「気をつけてくださいね」と軽く頭を下げ、ハクを腕に抱えたままカウンターへと足を運ぶ。


「すみません、この薬草採取の依頼を受けたいんですが……」


 受付にいる壮年の女性職員に向かってルナが依頼書を示すと、女性は一瞬「こんな子どもが……」という顔をしかけるが、すぐに冒険者登録証を確認しつつにこりと微笑む。


「Fランクなら大丈夫よ。ここにサインをして、採集で集めた薬草は今後随時ギルドへ持ってきてちょうだい。納品チェックのあと報酬を支払うから」


 ルナは躊躇なくサインをし、女性に登録証を確認してもらう。隣ではマルクスが別の受付でボアウルフ討伐依頼を申し込んでおり、ジェニーたちが後ろで控えている。カウンターからは、「さすがCランク冒険者、助かるよ」なんて声が聞こえてくる。


「よし、これで受付完了だね。ルナもこっち、終わったら帰るぞー」


 マルクスが紙をしまいながら声をかけてくる。ルナは「はい、いま行きます」と答え、受付の職員にお礼を言ってカウンターをあとにした。職員がちらりとハクを見て「気をつけて」と声をかけてくれるが、ルナは「大丈夫です。何かあれば相談します」と返す。


 こうして、ルナとハク、そしてマルクスたちのギルドでの受付は完了。それぞれが受注した依頼で、しばらくフォレスティの街と周辺の森に滞在することになる。ルナは薬草採集で小銭を稼ぎつつ、観光者として街を見回る時間もありそうだ。ハクも新しい場所を楽しみにしているようで、嬉しそうに尻尾を揺らしている。


 森の奥には、さまざまな魔物や珍しい薬草が待ち受けているだろう。ときに危険もあるかもしれないが、いまのルナには「無理せず、焦らず、確実に」という目標がはっきりしている。秘密の依頼を果たすまで、まだ道のりは長い――だが、その合間にも確かな暮らしと収入が得られるなら、旅の安定感は増すはずだ。


(よし、まずは街に馴染んでから、森で採集しよう。ガウディ便が出るまで二日あるし、ハクと一緒に安全な範囲でいろいろ探索できそう)


 そんな思いを胸に、ルナは冒険者ギルドの扉を再び開け放ち、外の陽光へと足を踏み出した。空にはまだ高い太陽が浮かんでおり、街中からは肉やきのこの香ばしい匂いが漂ってくる。思いきり深呼吸をして、ルナは「さあ、行こう」とハクに笑いかけるのだった。

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