ジニタリアの冬は厳しい。
赤やオレンジの美しい屋根を持つ家々も、今は一様に白い雪に覆われ、窓の外の景色を
ゴシック様式を模した部屋の中、アーヴィング・バラシュはアンティーク調のデスクに座り、PCの中の人物と重要な会談を行っていた。
通話の相手は、主に欧州で幅を利かせている傭兵派遣会社のスポークスマンである。バラシュはその男に向かって物憂げに言った。
「……これまで以上のビジネスチャンスが目の前に差し出されているというのに、なんともったいない。欧州最強の傭兵集団ともあろうあなた方が、命惜しさに逃げ出すとは」
画面の男は視線に反感を込め、
「我々のビジネスは死ぬことではない。勝利をもたらすことです。その見込みが無くなった時が仕事の引き際なのです。いつも戦地に赴かず、暖炉の前でスコッチを片手に試合を観戦しているあなたに、我々の仕事の引き際をどうこう言われる筋合いはないですね」
「私はあなた方のために言っているのですよ。今ここで引けば今まで築き上げてきた名声に大きな傷がつくでしょう。世界に名だたる傭兵達が、たった一人の日本人の小僧を恐れて逃げ出したのか、と」
スポークスマンは机の上で組んだ指に目を落とした。
「……うちの社員に一度会ってみれば、その認識も改まるでしょう。未だにPTSDから抜け出せない者も多くいます。彼らは口々に言うのですよ。『あの国には、地獄の
バラシュは鼻を鳴らした。
「それはそれは。しかしその
「それが却って恐ろしいのです。死体を見るまでは眠ることもできない、とうちの社員も言っています」
「まったく恐ろしいですな、集団幻覚という奴は」
「……とにかく、我々は手を引きます。あなたも当分、あの国には手を出さぬ方がよいでしょう。羊の皮を被った狼に襲われたくなければね」
「どうぞご自由に。取引相手は他にも大勢います。あなた方はすぐに後悔することになるでしょうな」
スポークスマンは躊躇なく通話を切った。
バラシュは椅子から立ち上がり、憤懣を抑えながら窓の外を見た。
――手を出すなだと? 馬鹿馬鹿しい。こちらが何をしようが国外にいさえすれば、あの国はどういう報復もできまい。搾り取れるだけ搾り取ってやればいいのだ……
バラシュは手に入れた情報のことを思い浮かべ、心中でほくそ笑んだ。
――あの
VGA手術――人工的にマーダーゲノムを産み出す技術。金沢はその詳細を送る前に死んだが、その存在を知れただけで大きすぎる収穫だ。遺伝子研が壊滅し、日本から研究者が流出している今、彼らを囲い込めば技術の復元は可能だろう。それを欲しがる国や企業は世界中にある。上手くいけば今までとは比較にならないほど莫大な富が手に入る。
あるいは金沢の遺志をこちらが拾ってやるのも悪くない。あのローニンに匹敵する強力なゲノムを受け継ぐ人間を世界各地から探し出し、大規模に繁殖させてやれば……
もしそれが漏れたとしても、いつもの手を使えば世界は簡単に騙せる。ただ動画を配信すればいい。私は日本が国ぐるみで行っている極悪非道の人体実験を告発するための証拠を手に入れたのだ、と。
まったく素晴らしい。あの国からは世界が最も欲しがっている三つの品全てが搾り取れる。すなわち金、戦力、そして正義だ。
愉悦を抑えきれず、バラシュは喉を鳴らして笑った。
雪の降る窓の景色を眺めているうち、クララ・プロシュタヌのことを思い浮かべた。あの娘が生き残ったとは意外だった。神経ガスかローニンにやられていればよかったものを。まあいい、いずれどこかで始末をつける。支援者を募る必要もなくなった今、飾り物の騎士は用済みだ。
バラシュは窓から離れ、ドアへと歩いた。
異形の子らよ、踊りたまえよ――我々『神の子供達』のために。
取っ手を掴み、ドアを押し開けた。
――部屋の外は、地獄だった。
肌が焦げそうなほどの高温。ドアを守っていたはずの戦闘員の姿はなく、代わりに赤とピンクの奇妙なオブジェが廊下に点々と転がっている。
その肉塊と血痕の続く先、廊下の奥に――
――いた。
あちこちに縫い跡のある深緑色の軍服。その上から黒のロングコート。腰には機械製の鞘と
――笑っていた。
柔らかく、優しく、愛に満ち溢れた笑顔で、こっちを見ていた。
恐るべき人斬りは赤黒い炎を発する刀を右手に一歩一歩近づく。
バラシュの身体から全ての力が失われ、根が生えたようにその場から動けなくなる。
震える両眼に映る二本差しの人斬りの姿が、徐々に大きくなる。
乾ききった唇を開き、バラシュは生涯最後となる言葉を吐いた。
「……マザーファッカーめ…………」
〽狭い日本が地獄なら、広い世界はなお地獄
裁かれざりし罪人よ、次は我かと恐れ泣け
地獄の窯の蓋開き、蜘蛛糸垂らす釈迦もなし
八大地獄を股にかけ、
二重螺旋の
桜散りゆき葉桜