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第42話 脳を焼かれた青年と、心を奪われた根黒マンサ 後編

 頭の中で響く声に従って目をつむると、白い空間にいた。

 その中央では、イスに座った少年がテレビを見ている。

 いや、真っ白でどれだけ広いかもわからないのだから、中央がわかるはずがないのだけど、青年はそこが中央なのだと直感していた。



『やあ、久しぶりだね』

「お前は一体誰なんですか?」

『ボクは君だよ』

「……それにしては、随分見た目が違うようですが」



 少年は銀髪に青い瞳。それに、年上を魅了するような可愛らしい顔立ちをしていた。

 自分とは似ても似つかない、と青年はいぶかしんだ。



『冗談冗談。ボクの名前はジョシュア』



 ジョシュア。

 その単語を聞いても、青年の頭にはハテナマークが浮かぶだけだった。



「いや、名前だけ言われても……」

『ははは。確かにそうだね。じゃあ、こう言えばわかるかな?』



 少年——ジョシュアはわざとらしく、椅子の上で足を組んで、不遜な態度を取った。

 まるで名探偵のように。



『君が根黒マンサと呼んでいる少女。その弟だよ』

「……根黒、マンサの」



 弟。

 青年は根黒マンサに弟がいることすらも聞かされていなかった。

 だけど、彼女の弟と聞くだけで、心がざわめいた。



『思い出してきた?』



 首を横に振る青年。



「もっと聞かせてください。思い出せるかもしれません」

『そうかい? では、ちょっとだけ昔話を聞かせて進ぜよう』



 咳ばらいをした後、まるで村の長老のような語り口で、ジョシュアは物語を紡いでいく。



『ボクが住んでいた世界は、10柱の神によって作られたと言われてのぅ。そのうちの1柱が自分を模して人間を創造したという伝説が――』

「いや、世界創生そこからします!? 普通!?!?」

『ジョークだよ。相変わらず、君はいいツッコミをくれるね』

「……やめてください。こっちは真剣なんです」

『それを君が言うかい?』

「過去の自分はどうか知りませんけど、今のオレは真面目に生真面目ですよ」

『いいね。調子が出てきたみたいだ』



 少年の安心して緩んだ頬を見て、青年は複雑そうに眉を曲げた。



「オレってそんなに変わっていないんですか?」

『あんまり変わってないね。記憶喪失でも変わんないんだから、君の自我は相当強いようだ。さすが自称・名助手』

「……やめてください」



 青年が顔を背けると、ジョシュアは楽しそうに笑った。



『じゃあ、ボクの生い立ちから話そうか』

「親のセックスから語らないでくださいよ」

『残念。親の顔も名前も知らないかね』

「なら、オレとおそろいですね。なにせ記憶喪失ですから」

『へへへ。間違いない』



 なぜか嬉しそうな笑みを浮かべた後、ジョシュアは虚空を見ながら語り出す。



『ボクは、鳥のモンスターにさらわれた子供だったんだよ。赤ちゃんの時にお姉ちゃんに拾われたんだ』

「ん? 鳥? モンスター?」

『あー。そこから説明しないといけないのか。ボクとお姉ちゃんは異世界人なんだよ。現代転移ってやつ』

「はあ!?」

『ここはあんまり疑問に思わないで受け入れてくれると助かるよ』

「……まあ、なんとなく飲み込めます」



(あんな美少女は、この世のものとは思えないもんなぁ)



 青年は自分の心に賛同するように、何回も頷いた。

 その様子を見て、ジョシュアは話を続ける。



『あの時は楽しかったなぁ。お姉ちゃんとパパやママたちと暮らす日々。なにもない森の中だけど、色んなモンスターがいたし、意外と退屈することがなかった』

「野生児だったんですか」

『うーん。下手な野生児よりはいい教育は受けていたかもね。パパとママ達って、元勇者とか元お姫様の幽霊だったし』

「はあ!?」



 勇者。お姫様。青年の驚愕する言葉が次々飛んでくる。



『住んでいた森って魔王城の近くにあって、魔王に挑んで返り討ちにあった彼らの墓標があったんだよね』

「……つまり、幽霊から英才教育を受けていたんだですか」

『そうそう。おかげで、色々と詳しくなれたし、強くもなれた。穏やかな日々だったよ』



 ジョシュアの目つきが変わった。

 郷愁に浸るのではなく、何かを追い求めるギラギラとした目つきに。



『でもある日、勇者パーティーと出会って、外の世界を知ってしまった』

「……勇者パーティー」

『彼らは色んなことを教えてくれた。この世界が今どうなっているのか。どんな素敵な場所があるのか。冒険の数々。聞くたびに心が躍って、抑えが効かなくなった!』



 当時のことを思い出したのか、ジョシュアはクルリと回った。



『それで、魔法学校に通うことになったんだけど、彼女に出会っちゃったんだよね。サモエド・サモナ』

「誰ですか?」

『君の記憶が消える原因を作った張本人だよ。金髪巨乳の召喚士』

「巨乳って情報は重要なんですか?」

『重要だよ。ボクはあの巨乳に篭絡ろうらくされたんだから』



 青年が「なんだですかそれ」と笑うと、ジョシュアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。



『サモエド・サモナはかなり独占欲が強くてね。ボクを無理やり自分のものにしようとしてきたんだ。そしてある日、独善的な行動に出た』

「…………」



 ジョシュアの顔は、とても冷たかった。

 その冷たさが、内に秘めた怒りを色濃く表している。



『ボクと一緒に異世界に飛ぼうとしたんだ。もちろん、ボクも抵抗しようとした。でも、彼女の召喚士としての力は本物で、到底太刀打ちできなかった』

「……それで」



 突然、ジョシュアの顔がパァッと明るくなった。

 まるで、全部がどうでもよくなったみたいに。



『結論。彼女の異世界転移は不完全だった。ボクの魂と体が分離してしまったんだよ。術者本人は平気だったみたいだけどね』

「……魂、ですか」

『そう。魂だけになったボクは、消える定めだった。誰かの体に入れば助かる可能性はあったけどね。そんな時、現れたんだ』



 ジョシュアの青い瞳が、青年の黒い瞳を見据える。

 愛おしくも、真摯な眼差しで。



『君が現れたんだ。助けての声が聞こえたって』

「…………」

『あの時のことは今でも鮮明に思い出せる。君はふたつ返事でボクを助けて、受け入れてくれた。純粋な瞳で、』

『君は、僕の勇者。いいや、ヒーローなんだよ。手島京助』



 青年の頭の中に、靄が生まれた。

 それは徐々に形になっていき、記憶となって鮮明な形を帯びていく。


 そうだ。

 思い出してきた。


 小さい頃に、そんなことがあった。


 いや、それだけじゃない。


 根黒マンサ――いや、探偵さんとの出会い。

 父親との再会。

 一ノ瀬いちごと、画家の悲惨な事件。

 西空無礼先生が仕掛けた、残酷なロマンの物語。


 そして、探偵さんに拒絶されて、それでも追いかけて、告白したあの日。


 全部全部、よみがえっていく。



『もう大丈夫みたいだね』

「……はい」

『感謝してよね。ボクが色々と手を尽くさなかったら、本当に記憶が無くなっていたんだから』

「ありがとうございます」

『へへへ。意外と照れくさいな』



 2人は顔を見合わせて、一緒にハニカんだ。



「そういえばオレの体って、今どうなっているんですか?」

『君が困るようにはなっていないよ』

「たしかにそうですね。オレは彼女のことが大好きで愛していて、もう一生離れる気はありませんから」

『ヒューヒュー、熱いね』



 茶化していたジョシュアが突然、明後日の方向を向いた。



『あ、お姉ちゃんが来たみたいだ。現実の方で』



 探偵さんが帰ってきた。

 そう思うだけで、助手は顔が強張ってしまう。



『怖いのかい?』

「よくわかんないですよ。オレはずっと、自分が本当は何をしたいのかも」

『ビッグになりたい、なんて適当なことを考えていたしね』

「……本当、自分が嫌になりますよ」



 ジョシュアは勇気付けるように微笑んだ。



『大丈夫。君はもう、素晴らしいロマンにたどり着いているじゃないか』

「だけど、とても普遍的なことですよ。あまりにもちっぽけすぎる」

『何を言うんだい? 夢に大きいも小さいもない。どんな夢でも素晴らしいものだ』

「本当に思っていますか?」

『夢を大きくする人は、自分に自信がないだけだよ。夢とは幻だ。虚像だ。虚栄だ。君にはもう、そんなものは必要ない』



 突然助手の背後に回ったかと思うと、ジョシュアは思い切り彼の背中を蹴飛ばした。



『だってボクなんか、外の世界を知りたい! って飛び出したら、こんな目に遭っているんだよ? 今は魂だけさっ!』

「確かにそうですね。いい先生です」

『ああ。存分に反面教師にしてくれ。ボクみたいにならないように必死に学んで、そして、お姉ちゃんを笑顔にしてくれ』

「もちろんです」



 助手が頷くと、ジョシュアは「いい顔だ」と太鼓判を押した。



『ちゃんと、ボクの代わりに言ってきてよね』

「ばっちりと、かっこよく決めてきてやりますよ」



 拳と拳を突き合わせる。

 それだけで、心の中から熱が湧き上がってくる。



『いってらっしゃい、ボクのヒーロー』



 次の瞬間、光に包まれた。

 徐々に光が収束していき、うす暗いオフィスに戻ってきた。


 瞼を開けると、銀髪が目に入った。


 銀髪の少女は――根黒マンサは――いや、探偵は助手の顔を見るなり固まって、手に持っていたレジ袋を落とした。


 中身が飛び出して、床に散乱する。

 もやし。

 野菜ジュース。

 カップラーメン。

 ケーキ。

 その他にも、いっぱいある。


 ずっとずっと、探偵は買い物をしてこなかった。助手に任せていた。

 人と話すのは大変だし、常識がわからないから、と。

 それが今、ちゃんと買い物をしてきた。

 レシートもある。


 ガサツで、非常識で、不思議で、甘えたがりで、とてもかわいらしいのに。


 一体、彼女はどれだけ苦労しただろうか。

 どれだけの覚悟で買い物かごを握っていたのだろうか。


 考えるだけで、体がぽかぽかと温かくなってくる。


 ああ。

 なんて言えばいいんだろう。


 彼女の涙を見るだけで、ハチミツでできた濁流のような想いがこみ上げてきてしまう。


 愛してる。

 大好き。

 ありがとう。

 一生幸せにします。

 一緒にいたい。

 抱きしめたい。

 頭を撫でたい。

 キスしたい。

 結婚したい。



 考えれば考えるほど、言葉と感情の迷宮に阻まれ、迷子になっていく。


 何を言えばいいのか、わからなくなってしまう。




「おか、えり」




 まるですべてを包み込むみたいな、優しい声音。

 それなのに、涙のように揺れていた。


 彼女の言葉が鼓膜を揺らした瞬間、世界が弾けたように輝いた。


 道が、照らされていく。

 さっきまで混沌とした思考がクリアになって、ひとつのことしか考えられなくなっていく。


 ああ、そうか。


 ただ、いつもみたいに口にすればいいんだ。


 一音一音、意識する必要もない。

 オレの口が勝手に紡いでくれる。


 この言葉のためなら、オレは何度だってよみがえれる。




「ただいま」




 この人に、この言葉を毎日投げかけたい。



 きっと、それがオレの全てなんだ。

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