目を覚ますと、部屋の中にはすでに光が差していた。カーテンの隙間から漏れる朝日が床を照らし、窓際に積まれた本の影が斜めに伸びている。三崎晴翔はベッドの中でゆっくりと身体を起こし、ぼんやりとした頭で枕元のスマートフォンを手に取った。画面には、通知の数字が赤く点滅している。LINEが47件、Twitterが89件、Instagram、メール、ニュースアプリに至るまで、未読の洪水だった。
「……何だよ、これ」
つぶやきながらLINEを開くと、目に飛び込んできたのは同じ文言の繰り返しだった。
「え?ほんとに亡くなったの……?」
「マジで昨日会ったばかりだったのに」
「誰かデマだって言ってくれ」
「信じられない。三崎くんのこと、忘れないよ」
一瞬、悪質なデマか、あるいは同姓同名の誰かの話だと思った。だが、次に開いたTwitterで、その仮定はあっさりと崩された。
固定ツイートにされていたのは、スーツ姿の自分が祭壇の中央に飾られている葬儀の写真だった。背景には花輪が並び、遺影となった自分の写真が笑顔で微笑んでいる。しかもその写真は、自分が大学三年の夏、ゼミの合宿で撮られたものだった。覚えがある。シャツの第二ボタンが外れていて、少し日焼けしていたころの顔だ。
スマホを持つ手が震える。画面をスクロールすると、参列者の様子、手を合わせる人、出棺の様子を撮ったらしい動画までもが投稿されていた。タグには《#三崎晴翔》《#大学生葬儀》《#早すぎた別れ》《#RIP》などが並び、数万件のリツイートがついていた。
どうして、こんなものが?
そもそも、自分は——死んでいない。こうして息をして、朝を迎えている。葬儀など行われているはずがない。
Instagramでは、自分のアカウントが“追悼モード”に設定されていた。誰かが申請しない限りこれは起こらないはずだ。プロフィール欄には「1998–2025」という年号が加えられ、「静かに眠ってください」とのメッセージが表示されていた。
動揺のあまり、手元が狂いスマホを落としかける。深く息を吸おうとしたが、喉がひりつくように痛んだ。これは夢か?幻覚か?とにかく現実ではないと思いたかった。
次に開いたのはYouTubeだった。トップページに表示されていた関連動画の中に、見覚えのある顔があった。自分の中学時代の友人が、いかにも涙ぐんでいるふりをしながら喋っていた。
「……三崎のやつさ、あいつ、昔からどこか影があったんだよね。たぶん……辛かったんじゃないかなって、今なら思うんだ」
再生を止める前に、動画下のコメント欄が目に入る。
「本人が見たら泣くわ」 「死者ビジネスかよ。最低」 「誰?ガチの友達なん?」 「遺書とかないの?」
晴翔は吐き気を堪えながらスマホを置いた。血の気が引いていくのがわかる。思わず立ち上がり、部屋を出て洗面所へ向かった。鏡の前に立ち、改めて自分の顔を確認する。
確かに、鏡の中には自分がいた。目の下にクマができているが、血色は悪くない。死んだ人間の顔ではない。
スマホが振動し、通知が届いた。大学からの公式連絡だった。
「本日、本学学生に関する訃報がSNS上で急速に拡散されています。大学としては情報の正確性を確認中ですが、現段階ではコメントを控えさせていただきます。」
訃報、と明記されている。大学までが“死んだ”と信じて動いている。何かのバグでもハッキングでもない。この現象は世界そのものが、自分の死を既成事実として動かしていることを示していた。
それでも、自分は生きている。
そのギャップが晴翔の理性をぐらつかせる。記憶を探るように、葬儀の写真をもう一度開く。そこには、彼の父親が深く頭を下げている姿も写っていた。スーツの背中が丸くなっている。母はその横で泣いている。妹もいた。三人とも、本当に失ったような表情だった。
「どういうことだ……」
呟いた声はかすれていた。
そのとき、ベッドの上に放置していたスマホが再び鳴った。着信。相手は“非通知”。迷った末に出ると、ノイズ混じりの声が耳に入ってきた。
「……お前は、もう一度、やり直すんだよ」
「……誰?」
「死ぬことになってるんだろ、今日。そうだろ。だけど、お前だけは戻れる。今日が、始まりなんだ」
一方的に告げられたその言葉の意味を考える間もなく、通話は切れた。着信履歴には何も残っていない。電話をかけてきた番号も、発信元も、なにも。
その瞬間、耳鳴りがした。目の前が歪む。立っていたはずの床が遠ざかっていく。気づいたときには、晴翔はゆっくりと倒れ込んでいた。
そして、落ちるように意識が途切れた。
——次に目を開けたとき、聞き覚えのある校舎のチャイムが耳に響いていた。窓の外では春風が吹いている。見慣れた制服姿の学生たちが、通学路を歩いていた。
彼は椅子に座っていた。目の前には、大学の入学式の案内パンフレットが広げられていた。
カレンダーは、2022年4月3日を示していた。