「ふうー疲れた」
本日予定していた市場との会議はどうにか終了した。
あの後君島代理が農連東京事務所の所長に電話して、山岸さんは急に体調を崩したことになり、急遽所長が対応してくれました。
そして2件目の市場ではそれはもう平和裏に会議が出来ました。
何故か農連の猛烈なごり押しでこちらも昨年の約2倍の量と、単価10円アップで話がまとまりました。
うん、大成功だね。
俺はビジネスホテルのベッドの上にあおむけで倒れ込み伸びをする。
流石に長距離の運転は疲れるものだ。
『お疲れ様』
「うん。ありがとう」
ああ、なんかいいなこういうの。
在りえない状況だけどすごく心強い。
『ねえ、毎年くる感じ?』
「ううん、俺は去年からだから2回目だね」
ああ、スーツ掛けないと。
皴になっちゃうな
俺は起き上がりスーツの上着を小さなクローゼットの中にあるハンガーにかけて、大体備品として置いてある消臭スプレーをかけた。
何気にラーメンくさい。
「今5時半……6時にロビーに集合か…シャワーは間に合わないかな」
取り敢えずいい匂いのスプレーをブラウスを脱いで体全体に吹きかけた。
女の子が臭いとかちょっとやだもんね。
一応業務は終了なのだけれど、この後は懇親会の予定だ。
市場の方と農連の職員が来てご飯という名の飲み会だ。
これも勤めだけど、結構嫌な思いをする人もいる。
普段と違うシチュエーションに、口が軽くなる人が多いんだよね。
うちは君島代理だからいいけど、隣の組織担当は毎年泣かされるらしいもんな。
俺にとってはむしろ美味しいものが食べられてご褒美の様なものだ。
『夜もあるんだね。本当に社会人大変』
「はは、うちの会社でもこういうのは販売部門くらいだけどね。でもせっかくだから楽しまないと」
『前向きなんだね』
「何も考えてないだけだよ」
どうしよう。
本当にニーナさん良い人過ぎて……
期待感と恐怖感が強くなっていく。
もし……
そうなら……
突然警告が俺の頭の中に出てきた。
「えっ?ニーナさん、ストップ!……どうしたの?いきなり……」
『……ごめん……なんでもない』
「……うん」
どうしたんだろう。
凄く悲しそうな感情が伝わってくる。
俺変な事しちゃったのかな……
『違うよ。あなたは悪くないから……ご飯でしょ?あまり飲み過ぎないでね』
「……うん。……そうだね。……ねえニーナさん」
『ん?』
「好きな食べ物とかってある?」
今日の懇親会はかなりいい和食のお店だ。
田舎じゃ食べられないような新鮮なお刺身とか、丁寧な仕事の割烹とか出るからね。
ニーナさんにも喜んでもらいたい。
『んー?私特に好き嫌いとか……あっ、ねえ、エボダイとか出るのかな、私子供の時食べてから大好きなんだよね』
「っ!?……あっ、うん。あるかもだね」
『うわー楽しみかも。ありがとうまこと』
………この子日本人だ。
間違いない。
エボダイは日本でよく食べられる。
海外だと『イボダイ』だったはずだ。
その時俺のスマホが振動した。
君島代理からの着信だ。
俺は慌ててスマホを手に取る。
「もしもし、はい。……あっ、問題ないです。……はい。分かりました」
「ふうー」
『どうしたの?またトラブル?』
「ううん。お客さんが到着したから問題ないなら始めるけどって。じゃあ行くかな」
俺は上着を取り出し羽織る。
少しだけど匂いが消えた感じがした。
「まあ喫煙者が居たらもっと臭くなっちゃうけどね」
俺は部屋を出た。
※※※※※
「木崎さん、すまなかった。この通りだ」
部会長の邦夫さんの乾杯で懇親会が始まったと思ったらいきなり農連の所長が俺に頭を下げた。
「いえ、大丈夫です。頭を上げてください」
「本当にすまないね。此方でもしっかりと調査をするから、もう君に迷惑はかけさせないよ。君島さんもすまなかった」
単身赴任とはいえ東京の販売を司る農連の所長だ
いずれ田舎に帰りどこかの所長に返り咲くいわばエリートが、俺のような小娘にしっかりと謝罪をする。
やはりどこでもできる人は一味違うものだ。
「まったく。山口所長も激務で忙しいとはいえ……あれはないわね。今回は『貸ひとつ』ということで許します。明日の会議、期待しても良いのかしら?」
君島代理の目が怪しく光る。
流石仕事の鬼だ。
一切の躊躇がない物言いだ。
「ははっ、力の限り協力するさ。そもそもお宅の花類は非常に評判が高いんだ。むしろ今までの我々の対応が『おざなり過ぎ』た。菊野原次長に怒られたくはないからな。……俺たちだって手数料をもらうんだ。しっかりやらせていただきますよ。……もっとも市場さんは分かっているとは思うがね」
そして同席している市場の社長たちに目を光らせる。
いきなり顔を青くする市場のお二人。
「まあまあ。せっかくのお疲れ様会なんだからさ。皆飲んで俺たちの懐を温める様英気を養いましょうよ」
緊張をほぐすように邦夫さんが気勢を上げた。
流石理知的な部会長様だ。
皆の顔が緩む。
「そうですよ。俺たち普段田舎にいて、ここのレベルの刺身はなかなかあり付けない。そんな雰囲気じゃ味が分からなくなっちゃうよ」
そしてお刺身をぱくつく直樹さん。
幸せそうな顔になる。
今回の人選はマジでナイスだね。
俺もそれに倣ってお刺身を頂いた。
「っ!?美味しい♡……はあ、幸せ♡」
やばい、マジで絶品だこれ。
そんな様子に癒されたらしく懇親会は和やかに進んでいった。
※※※※※
あの後、俺のリクエストでエボダイの干物が出された。
しっかりと天日干しした逸品らしく、脂がのって非常にうまい。
『うわー♡めっちゃおいしい♡……懐かしい味……まこと、ありがとう』
良かった。
ニーナさんすごく喜んでくれた。
そして俺の中の想いは確信に変わっていく。
俺の大好きな『彼女』かどうかはまだ確信できないが間違いなくニーナさんは日本人だ。
そして俺は油断してしまう。
かつてのペースで特に気にせずビールを飲んでいたら、気付いた時には立てないほど酔いが回ってしまっていた。
「まこと?あなた顔真っ赤よ?……もう、運転とかで疲れているんだから、あまり無茶な飲み方はダメよ」
「ふぁい。すみません……うう、ふりゃふりゃしゅる…トイレ……」
よろよろと俺は立ち上がりトイレに行こうとするも、体がうまく動かない。
思わず転びそうになり、心配した邦夫さんが俺を抱えてくれた。
「あちゃー。こりゃだめだな。……さゆりちゃん、まこちゃん部屋まで連れて行ってくれないか?俺たちはもう少しここで飲んでいるからさ。流石に俺が連れていくわけにはいかんだろうし」
ううー?
邦夫さん??
らめら、頭が回んない……
俺は邦夫さんに抱き着いてしまう。
「うにゅー。邦夫しゃん?……一美しゃんに言っちゃう……んあ♡」
体のバランスがおかしい。
よろけた勢いでさらに強く抱き着いた。
体に電気が走る。
「お、おい?…ちょっと、さゆりちゃん、早く何とかしてくれ…笑うなっ!…くうっ、可愛いな!?……ああもう、おいっ、まこちゃん?しっかりしろ」
力が抜けてしまいだらんとした俺を抱えようと、邦夫さんが手に力を籠める。
ついお尻に手が触れた。
「あん♡……やあぁ……んん♡……うあ……」
宴席に参加している全員がその光景に声を失ってしまう。
客観的に見て顔を赤らめ目を潤ませる俺は、異常なほどエロかったらしい。
「おいさゆりちゃん、助けてくれっ!!」
やっぱりカオスに包まれる。
きっと今日はこういう日なのだろう。
俺は君島代理に連れられ、何とか運び込まれた部屋で朝まで爆睡したのだった。
流石に気の利く君島代理は俺からスーツを脱がせ、きちんとスプレーしてクローゼットに掛けてくれていました。
本当に感謝です。