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閑話 菅原 慶太

平凡な人生を平凡に生きていた。


自分は、平凡な人間だと、思って生きて来た。


松木 遥と言う、転校生と出会うまでは。






彼は、絵が上手かった。



放課後、美術室で絵を描いていると話す彼に、是非、見て欲しい絵があると言われて、美術室を尋ねると。


美術部員に囲まれて楽しそうに話している彼を見つけて声をかけた。



「松木君」


名前を呼ぶと彼は駆け寄って来て、僕に言った。


「慶太。来てくれてありがとう」


彼は、たまたま隣の席だった僕を気に入り、まだ割りと仲良くもなってない頃から、僕を名前で呼んで来た。


中学3年の秋の終わりに転校して来て、もう半年が経った。


何故か、おんなじ志望校を受け、同じ高校に進学して、今も隣の席にいる。


最初は、ちょっと馴れ馴れしいとも、思ったが、人懐っこい性格で、嫌味がなかった。


「見てくれよ」


そう言って、見せて来た絵は、彼が油絵で書いたと言う、白い石橋の向こうに黒い瓦を円錐に積んだ屋根の朱色の柱と枠組みの水上の東屋が描かれた、湖のような場所の風景画だった。


「松木君、すごいんだよ。うちに来て、何のスケッチもせず、ここでこの絵を書いたんだ」


松木君を取り囲んでいた生徒が言った。


「記憶で書いたんだ。 俺が前居た場所の絵だ。 よく待ち合わせする場所で、いっつも、ここで俺の事を待たせる奴のお陰で、忘れたくても、忘れられなかった」


「綺麗な所だね。ここは、どこなの?」


「九州、博多の近くだ」



随分、遠い所だ。


そういえば、時々、言葉に独特の訛りがある。


暫くすると、みんな各々の席について、絵を描き始め、僕は彼と二人で話した。



「慶太、俺の事は、遥って呼んでくれ」


「えっ、何で?」


「俺、お前には、名前で呼んで欲しいんだ。 遥って呼んでくれ。 多分、俺の目に狂いがなければ、お前って、結構、特別なんだ」


何が特別なんだ?


僕が首を傾げると、彼は言った。



「お前、レンズサイドウォーカーだ」


何だ。


その横文字は?





翌日の放課後、遥は僕を家に泊まりに誘って来た。


遥は、女生徒に人気があるが、特に興味のある素振りを見せず、もっぱら僕とばかり話したがるけど。


まさか、僕が好きなのか?


いや、そんな事はないと、思うけど。



「今日、絵を持って帰るんだ。 慶太に付き合って欲しいんだ」


えっ、付き合うって、えっ、困るよって。


いや、告白じゃあない。


てをには文法的には、愛の告白であれば、【~と】であり、【~に】であれば、場所に付いてきて欲しいと言う意味合いだ。


「僕に、どこに付き合って欲しいの?」


「遠く離れた、俺の故郷に。 会いに行きたい奴が居るんだ。 今日の夜、0時に約束した。 会えたら、俺、そいつに告白するつもりなんだ」


「えっ、告白? 遥、好きな子いるの?」


遥は、破顔の笑みで【そうだ】と答えた。



一度、家に帰って、親に外泊の許可を取って、遥の家に行き、遥の両親は新天地で出来た友人の僕を喜んで迎えてくれた。


夜、23時。


遥は、自分の部屋に僕と自分の靴を持ってきて、床にビニールシートを敷いて、僕に靴を履くよう促した。


「なんで、靴を履く必要があるの?」


「万が一、上手く行ったら。 靴は履いてた方が良いからな」


そう言って、遥はビニールシートの上で靴を履いた。


遥は、学校から持ち帰った絵をベッドの上に置き、次いで、二つのめがねを取り出して一つを僕に手渡した。


「えっ、何これ?」


「これか? これは、神木 要【しんき かなめ】の傑作。 【ぬきめがね】だ」



ダレのナニ作だって。


えっ、ちょっと、意味わからない。


「このぬきめがねかけてみれば、分かる」



何も分からないと思うけど?


そう思いながらも、僕はぬきめがねをかけてみた。


瞬間、身体が軽くなり、身体の中でナニかが疼く、不思議な感覚を味わった。


そして、目の前に居たはずの遥の姿が忽然と消えた。


思わず、ぬきめがねを外すと、不思議な感覚は消えて、遥がさっきまでと、同じ様に目の前に居た。


「えっ、これ、どういう事?」


「ぬきめがねをかけると、常世に行ける。分かりやすく言えば、夢の中だ。 行こう、遥。めがねをかけてくれ」 


今度は遥と一緒にぬきめがねをかけた。


そうしたら、ちゃんと、遥も見えた。


「慶太、俺と手を繋いでくれ。俺じゃ、力不足だった。 お前の力を貸してくれ」


「えっ、僕の力?」


「お前、何か、時々、憑き物が見える。お前の席の隣で、居眠りすると、ここでもレンズサイドに行けた。そこで、俺は見た」


「えっ、何を?」


「今は視えないが、お前の後ろで退屈そうにしてるナニか、だ。何か、すっげー奴が居てよ。 そいつとおんなじに思えたんだ。 その時は、龍だったんだ。それと、おんなじ気配なら、きっと只者じゃねえっ。 だから、頼む」



えっ、何か、徹頭徹尾意味の分からない説明だけど。


結局、そもそも、僕に遥は何をさせようと言うんだ。


「手を繋ぐぞっ」


遥は強引に僕と手を繋ぎ、言った。


「いち、に、の、さん。やーっで、この絵を通る」


えっ、まず、いちにのさんの掛け声の後のやーって、何だ?


えっ、どのタイミングだ。


さんの時が合図か?


やーって何だ。


そもそも、絵を通るも分からない。


「いち、に、の、さん。やーっ」


遥は、やーっのタイミングで絵に向かって身を投じた。


そうか、やーっが、突っ込むタイミングの合図だったか。


いや、そもそも、絵に向かって、突っ込むな。


絵が壊れるっ。


僕は手を引かれて、遥と絵に倒れ込んだ。


絵に墜落する瞬間、目の前で、雷光のようなバリッとした音と、全身にビリビリと痺れる衝撃が走り、僕は声を聞いた。


「何、これ⋯⋯、随分、力を引き出すね。僕の力を吸っている。君、慶太に何をさせるつもり」


僕は喋ってない。


なのに、勝手に口が動いて、勝手に言葉を発してる。


「悪い、何処の誰か知らないが、頼む。俺の望みを叶えてくれ。 この絵の向こうに通して欲しい」


「なぜ、君は、僕を知っているような口振りで、何故、僕にそれを頼むの?」


「あんた、特別だからだ。 頼む。 俺じゃあ、通れなかった。 慶太と慶太の中の特別なら、俺の願いを叶えてくれる。 そう信じている。 要の力を証明してくれっ。 俺の特別の、特別な力を俺に見せてくれ。俺は、全身全霊でも、敵わねえっ、頼む」


遥の絶叫の様な願いに、ひとりでに動く口が紡いだ。



【良いよ⋯じゃあ、目覚めよう】





「慶太。大丈夫か?」


いつの間にか、眠っていたのだろうか?


とても、静かな場所だ。


物音一つない、ここは何処だ?



「慶太。おはよう」


目の前に、とても、綺麗な顔をした。


同い年位の男の子が、倒れて、遥に抱き起こされている僕を覗き込んで来た。


「おはよう⋯⋯。君は、誰?」


「僕の事が、分からない?」


初対面だと、思うけど。


「⋯⋯誰?」


「僕は、君の魂の一部だよ。名前は千歳【ちとせ】呼び名は【センサイ】。君のご先祖で早死したんだ。何度か転生したけど、こうやって、話しをするのは、出来たのは、初めてだ」


そう言うと、チトセと名乗る男の子は、今度は遥に話しかけた。


「君は、何者?」


「俺か? 俺は、松木 遥【まつき はるか】。この地で、生まれて、力に目覚めたレンズサイドウォーカーだ」


時刻は深夜0時を少し過ぎていた。


「約束の時間を過ぎている」


遥は苦い顔で靴の踵で地面を擦った。





「あいつ、まさか、遅刻しやがったか?」


「君は、ここで、誰かと待ち合わせしてたのかい?」


チトセの言葉に、遥は言った。


「そうだ。レンズサイドで、0時にここでって言ったのに、あのバカッ」


「ここ、浮世だよ。君達、生身だろ? 変なモノを目に付けている時は、常世にいたけど、レンズサイドって、良くわからないけど。 僕が普段いる世界じゃなくて⋯⋯何て言ったら良いだろう」


チトセの言葉に、遥はハッとして、ズボンのポケットからぬきめがねを取り出した。


僕も目が覚めた時に目の前に落ちていた抜きめがねを手にとって、かけた。


遥もかけたらしく、目の前に居た。



「要。 あいつ、ちゃんと、居た⋯⋯」


遥は、白石橋を見つめる人影に向かって走り出した。


「要っ。 かなめっ⋯⋯」



遥は、その人影に走っていき、振り向く人影を抱きしめた。


「要っ、俺は、お前が、好きだ」


大きな声だった。


目の前の者だけでなく、僕にも、センサイにもはっきり、聞こえた。





「⋯⋯なによっ、今更、別れる時、最後まで、言わなかったから、諦めてたよ。もう、戻って来ないと思ってた」


遥の所に歩み寄ると、件の人影は、長い黒髪をポニーテールで、ひとつ結びに結んだ。 


前髪ぱっつんの可愛い、女の子だった。


「えっ、誰、連れて来てんの?」


「俺の引っ越し先で仲良くなった。友達と、その友達の祖先の早死した魂だ。友達が菅原 慶太。魂はチトセだ」


「「初めまして」」


僕とチトセがそう挨拶すると、要と言う女の子は、僕達に屈託の無い笑顔で言った。


「初めまして、私は、神木家当主、神木 要【しんき かなめ】。六封じへ、ようこそ」





「ちょっと、疑問、何だけどさ。遥、転校先って京都じゃ無かった?」


「あぁ、そうだ」


「私のぬきめがねでここに来るって、手紙をくれて、今日、私はここで待ってたけど。 えっ、どうやって、来たの?」


「どうって、お前のぬきめがねで、に決まってるだろ? 流石、要のぬきめがねは、すげーな」



遥の言葉に、要は表情を曇らせた。


「私のぬきめがねに、そんな力は無いよ。ちゃんと、説明して」


遥は、ここに来るまでの経緯を要に説明して、更に要は、表情を暗くした。


「そんな馬鹿な事、信じられないよ⋯⋯」


要は、半信半疑で何故か、チトセの所に行き、まじまじとチトセを見つめた。


「僕、何か、変な感じする?」


「嘘っ⋯⋯アナタ、神様?」



えっ、何それ。


要さんは、少し何か考え込んで、言葉を紡いだ。



「楓 護【かえで まもる】」



誰だ。その名は。



「えっ、誰だい?」



要の前に、二十代位の細身の男が現れた。



「学園長、神様が来た⋯⋯」


「神木さん、どういう事だい?」




随分、若い学園長だ。


ん。


えっ、学園長っおおおおう。


いきなり、気軽に何、何処の学園のかは、知らないが、何を気軽に呼び出しているんだ。



「チトセっ、池に近付いちゃ駄目だ。危ない」


遥が叫んだ。


学園長の出現に気を取られて、気付かなかった。


いつの間にか、ちとせが、白石橋の橋を渡って欄干から池を覗き込んでいた。


「⋯⋯何かとてつもなく、大きな、ナニかが居る」


ちとせはそう言って、橋から橋の袂の僕達の所に戻って来た。



「神木さん、レンズサイドにうちの生徒じゃない男の子が3人も居て、うち二人は、君が保有する抜きめがねを付けてる。僕には、たちの悪い、悪ふざけに、見えるんだけど」


学園長は、怪訝な顔をしていた。


「ただここに、力の無い人を、連れて来たなら、確かに悪ふざけです。でも、違います。 ぬきめがねを使って。京都から、ここに、来たなら、それは、とてつも無い、快挙です。 私のぬきめがねによる力じゃ無い」


「えっ、京都? 冗談だろう?」


要は、僕とチトセに向かって言った。


「慶太君とチトセ君だったよね。 ごめん、アナタ達は、どこのナニ?」



「僕は、京都で高校に通う平凡な高校生だよ」


「僕は、慶太の魂の一部。千年前に、祖父の失脚の末、左遷先の太宰府での逝去を恨んだ一族の呪いを7つになるのを前に孕み消して死んだ。僕はその魂だ」


そう言えば、僕と同じ名字の偉人で、そんな境遇の人を歴史の授業で聞いた気がする。


「えっ、君の祖父って、まさか、太宰府の学問の神。⋯⋯菅原 道真【スガワラノミチザネ】」


学園長がそう言うと、チトセは少し、驚いた。


「祖父をご存知ですか?」


「今、この国で生まれて教育を受ける子達は、歴史の授業で、必ず学ぶよ。 有名な話だ」


「千年も前の事なのに、お祖父様は、スゴいんですね」


チトセは感慨深げだった。





「君達、家には帰れるのかい?」



ひとしきり、事情を話し終えた後、学園長にそう尋ねられ、僕は、遥を見て、眉間に皺を寄せた。


「やっべ。帰ることを、全然考えてなかった。  ……俺、新しい家の絵は、まだ描けねえ」


「バカッ、遥は、ここに、長く居た感覚と記憶で描いたんでしょう? 半年も、暮らしてない場所にそんなんで転移出来る理由無いでしょ」


いや、そもそも、京都から、九州の北側まで飛べた事自体、常識外れだ。



「⋯⋯取り敢えず、今から、僕の家においで。 ちょっと、色々、もう少し、話しもしたいし」


「今日が金曜日で良かった。あっもう、土曜か」


遥の言葉に、学園長は眉根を細めて言った。


「君、確信犯だろう?」


「はい。⋯⋯狙ってやりました」


遥は、学園長に頭を下げて言った。


「俺を若葉に入れて、下さい⋯。願書出す前に、転居しました。 けど、俺は、ここに居たいんです」



若葉って、何だ。



学園長に連れられて、やって来た学園長の自宅のリビングで話しをした。


要のを通う学園の名前が若葉学園。


その若葉学園の学園長が、目の前の男の人だった。


「僕の学園は、基本、基礎学力があって、レンズサイドウォーカーであれば、誰でも入学出来るんだけど? 君は、何故、願書を出さなかったんだい?」


「親の都合で、急に転勤になって、若葉学園の存在を知った自体、要から入学の事を聞いて、知ったんです。 レンズサイドウォーカーだけが集められ、教育を受ける事が出来る学校があるなんて知らなかった」


「そうか⋯⋯。でも、君、今は京都だろ? 今後、ここに戻る予定も無ければ、無用の教育だ。 この地を離れて、数年もすれば、成長と共に力は薄れて、人になる。 君は、レンズサイドウォーカーでも、ただの人なんだから」


学園長の言葉に、遥は言った。


「それが嫌なんだ。 この地を離れたら、急に力が弱くなって。どんどん消えてくのが分かって、悔しかった。 でも、慶太の傍なら、力が戻った。 意味、分からねえけど、慶太とチトセが居れば、力が戻った。帰りたくても、帰れないここに、どうしても、戻って来たかったんだ」


「だからって、何の説明もなく、勝手に2人を連れて来ては、駄目だろう? ねえ、えっと、慶太くんに、チトセ君」


「はい、まぁ、でも、どうしても、会いたい人が居るから付いてきてって、頼まれて、僕もよく、どこにどうやって付いてきたら良いのか、聞かずに良いよって言ったので、そんなに怒っては居ません」


「僕は、慶太が良いなら、構わない。 こうやって、また、人と話せた事は、嬉しいし」


僕とチトセの言葉に、学園長は考え込んだ後、遥と僕とチトセに言った。


「もしも、松木 遥【まつき はるか】。君が学園に入学時を望むなら、条件が2つある。これを、クリアしてくれるなら、僕が、君の願いを叶えよう。遥君をレンズサイドウオーカーの特別クラスの生徒として、迎える」


「条件って何ですか?」


「一つは、我が学園に、慶太君が特別クラスの特待生として、チトセ君と共に入学してくれる事。もう一つは、学費やここでの生活の衣食住は僕が全部引き受けるから、親御さんを説得する事だ」


なんて、条件、出してくるんだよ。


「えっ、僕がチトセと入学すれは、遥の入学させてくれるんですか?」


「人神【ヒトガミ】持ち、何て、前代未聞だよ。 龍神の神持ちは、居るけど、歴史に名を残した一族の……。それも、この地に所縁のある一族だ。 僕は、悪いけど、二人が欲しい」



つまり、遥が欲しい訳ではないが、ボクらは、欲しいから。


それは、あんまりな言い種だ。



「……そんな。 慶太」



遥は、僕を見て、唇を噛み締めながら言った。



「頼む。俺は……此処に、ここで、何も取り柄がねえ。 悔しいけど、でも、お前らは、学園長のめがねに叶った。 頼むっ。俺と一緒にここに来てくれ。お前の人生の3年間、お前の魂のチトセごと俺にくれっ」



なんて、頼み事だ。


大体、僕は、ここの場所さえ、かろうじて、都道府県が福岡って事ぐらいしか、認識してない。


得体の知れない、と言うか、そもそも、信じ難い。


正に、夢みたいな。


非現実的な、事の連続で、まだ、現実とは受け止め難いのに。


「慶太、君は、どうする?」


「チトセ⋯⋯。君こそ、自分の意見があるなら、僕、聞きたい」


僕の言葉に、チトセは戸惑いがちに言った。


「多分、京都に戻ったら、僕は、君の中に居るけど、こんな風には居られない。ここは、不思議な所だ。ずっと、起きて居られる。 君と離れて、こうやってカタチを成せるなんて、夢みたいだ。 慶太が良いなら、僕は、ここに居たい。 君と話したり」


そう言って、チトセは、僕の手に触れて言った。



「触れたりも出来る。 もう⋯一人ぼっちは嫌だ」


チトセの言葉に、僕は心を決めた。


彼に、居場所をあげたい。


そう思ったら、答えは出た。


「京都に帰ろう、遥」


僕の言葉に、遥は悲痛な表情を浮かべた。


「慶太。⋯⋯やっぱ、駄目だよな? はは、悪かった」


「駄目じゃ無いよ。 学園長の条件の1つ目はクリアだ。 僕は、チトセと入学したい。だから、最後の条件を果たしに行こう。両親を説得しに、帰らなきゃ、だろ?」


僕の言葉に、遥はその場に崩れ落ちて、蹲った。


「遥、どうしたのっ」


「ずっと、帰りたかった。 力が欲しかった。 大人に無れば、消えちまう。だから、忘れろって。でも、俺は、嫌だったんだっ。クソッ⋯⋯」


「遥君は、そんなに弱くないよ」



学園長の言葉に、遥は、涙でぐちゃぐちゃの顔で、学園長を見上げた。



「えっ、だって、俺は、六封じを出て、力を失くしたのに」


「でも、君は、六封じを出たにも関わらず、彼の地で神様を見つけたんだ。 それは、凄い力だよ。ぬきめがねを取ってご覧? レンズサイドに切り替える位出来ると思うよ。やってご覧」


学園長の言葉に、遥はぬきめがねを取って、一瞬姿を消してまた、姿を現した。


「出来た。出来た、俺⋯⋯」


「君も、特別クラスの用件はきちんと満たしている。安心しなさい。君のレベルなら、かなり歳を取っても、大丈夫だよ」






翌朝、朝早くに学園長と共に朝食作りをして、みんなで朝食を摂った。


驚くべき事に、朝、生身で対峙した学園長はかなり老齢の腰の曲がった老人の姿だった。


「レンズサイドは、あまり長く生きると、実年齢と姿がかけ離れて行くからのう」


と言って居た。



そして、もう一つ、驚かされたのは、もう一人、この家に同い年の人間が同居していた事だった。


「はっ、神木 要【しんき かなめ】。 松木 遥【まつき はるか】。 なんで、お前らがここに居る。 ん、お前⋯⋯達は誰だ」


かなり目つきの鋭い、ちょっと癖っ毛の黒髪の大柄な男の子だった。


180センチオーバーの遥と、同じ位の大柄で、でも、若干、彼の方が細身だった。


「おう、氷室、久しぶり」


「お前は、引っ越した筈じゃなかったか?」


「あぁ、まあな」


そう言葉を濁す遥から、氷室と言う名の彼は、再び、僕の方を見つめて、言った。


「で、お前達は、ダレだ。 出て来い。 視えている」


不意に背中がひんやりとして、身体から何かが抜け出して行く感覚を覚えた。


「初めまして。 僕は、菅原 千歳【すがわら ちとせ】呼び名は【センサイ】。 これで、満足?」


チトセの言葉に、氷室君は、頬を引き攣らせた。


「人じゃ無い⋯⋯」


「キミには、言われたく無いかな? キミだって、人とは随分、違う。 昨日、白石橋の水面の下に居たナニかと同じ気配がする。キミこそ何なの?」


チトセの言葉に、ブチ切れた氷室君の、背中から黒いモノが溢れ出してきて、僕は驚きで腰を抜かした。


でも、遥と要は、驚きはせず、苦笑いでさっとテーブルの朝食を守るように料理を背に立ち、学園長が氷室君を宥めた。


「落ち着きなさい。初対面のモノに名を尋ねて、名を聞いたんだ。君も名乗りなさい」


氷室君は、苛立った表情で、センサイに言った。



「俺は、氷室 龍一【ひむろ りゅういち】。呼び名は【りゅう】。俺は、人間だ。そこの腰を抜かしている、お前は?」


「菅原 慶太【すがわら けいた】」


「呼び名があるのか?」


「えっと、多分、【けいた】」


僕がそう答えると、氷室君は、学園長に言った。


「どういう事だ?」




みんなで朝食を囲んだ後、僕は、それぞれ一通ずつ、それぞれの両親宛の手紙と交通費を学園長から貰って、京都への帰途に着いた。


博多駅から新幹線に乗って、最寄り駅の京都までの切符を買った。



見送りに、学園長と要が、博多駅まで付き添ってくれた。


「ありがとうございます。お世話になりました」


僕が、お礼を言うと学園長は言った。


「まだ、今から、君達をお世話するんだ。 早いよ、過去形にするのは」


そう言って、送り出して貰い、4月の末で、なんとか、僕も遥も両親の許しを得て、転校の手続きを済ませて、学園長の家に下宿を始めた。


そして、卒業までを学園長の家で、学園長と遥と氷室君と奇妙な学園生活を送った。


生徒会に入って、生徒副会長になったり、夏休みのキャンプで、へんな動物を従えた奇妙な人達に会ったり、氷室君を怒らせて、学園の桜の木をチトセのカミナリで倒した挙げ句、グラウンドに大穴を開けて、そこから、温泉が湧き出したり、そのせいでみんな仲良く停学になったり、本当に平凡ならざる学園生活を楽しく過ごした。


卒業を期に、学園に、残りたいと言う、チトセと魂を分かち、僕は、建築家になる道を選んだ。


その後、学園の頼みで、史上最悪の生徒の面倒を引き受け、30歳の時に、勤め先の設計事務所から独立して、結婚して、子供が産まれ、平凡なようで、全然平凡じゃない毎日を日々過ごしている。



「シュウ⋯⋯よく帰ってこれたね」


「あぁ、何か、最初で最後の、特別処置だって。 今も集中治療室の奴とのいざこざは、事故にしとくって。もう二度と、あいつを悲しませる事をしないって約束するなら、刑事から、目瞑るって言われた」


「君。本当、その子に感謝しなよ。 そして、大切に思うんなら、人も、そうでないナニカでも、イノチをかけて、イノチのやり取りは2度とするな。 俺だって、もし君が死んだら、どれだけ、悲しいと思ってんだよっ」


「分かった。すまねえ⋯⋯」


時々、本当、天地がひっくり返るんじゃないか?って思う程の場面に出くわす事もあるが。


僕は、ここで、ここに生きる非現実と非常識と仲良く生きてる。






早生まれの氷室も、年明けには、漏れなく40歳。


結婚、どころか、恋人の1人も作らず、独神【独身】と言う名の神に登りつめて、浮ついた話しの1つも聞いた事がなかったが、何故か、この春から、15歳になったばかりの僕達の後輩の娘の未成年後見人になったと言う事を知って、半年が経った頃、僕は、件の女の子との対面を果たした。


自分が学園に頼み事を持ちかけて来たのが発端で、氷室の機嫌を損ねて、心配で彼の待つ学園まで一緒に出向いたが、まさかの光景に背筋が凍った。


決められた監督者を伴わず、【自宅の屋敷と学校以外の敷地を出てはいけない】そう約束させられているとは言え、故意で無かったのに、目の前に帰って来た彼女に、あろう事か彼女の頬を平手打ちして怒鳴ったのだ。


その行動は勿論、【何で、居なくなった】と感情的になる彼に、僕は目を見張った。


でも、それ以前に、あまりに平手打ちが理不尽でチトセと一緒になって、氷室と大喧嘩になった。


どうしても、彼女が許せず、気持ちの収まらない氷室に学園長は、だったら、彼女を自宅謹慎にすると言って、何とか氷室君を宥め、もうチトセも僕も、氷室の事を諦めて、彼女に心から謝罪した。


そして、翌日。


自分のオフィスの隣に事務所を持つ、氷室に彼女の様子を尋ねて、頭にきた。


「家に置き去りにしたの? あの後、あのまま」


「そうだ。それがどうした?」


こいつは、血も涙も無いのか。


昨日、昼から半日、迷子になった子供の為に、君からどんなに避難されても、自分がその子を助けられて良かったって、言ってくれるような優しい子に、引っ叩いた挙げ句、自宅謹慎までさせた挙げ句、両親から引き離されて住まう1人の家に置き去りにして来たのか。


「⋯⋯僕の娘は今、9つだけどね。娘が子供のうちは、人の居ない家に置き去りなんて出来ないね。 ましてや、学校を自宅謹慎になるなんて、不名誉を被ったその日に、1人で家に置き去りなんて、考えるだけで背中が震えるよ。心配で、気が気じゃない」


言っても、理解してくれるとは、思って無かったが。


もう、充分、何回も昨日から、言い聞かせようとしたが、聞く耳を持たなかったんだ。


だから、期待なんてしていなかった。


けど、非難せずには居られなかった。


「⋯⋯もう、15歳だ」


そこは、それでもまだ15歳だと、言ってやりたい。


言っても、無駄だから、言わないけど。


「ショックだったろうね。みんなの前で、引っ叩かれて。 心細いだろうね。 誰も居ない家で、誰も来ないのは⋯⋯」


もう、いっそ学園長に直談判して、彼女を氷室から引き離すべきじゃないかと思ったが。


顔面蒼白で、話しの途中で僕の存在を忘れて、オフィスから出ていく氷室に、まぁ、もう少し様子を見てみる事にした。


1週間後、センサイから、自宅謹慎開けに氷室から、先週の口論の謝罪を受けた旨の喜びの報告を聞き。


その日の午後、氷室が僕のところに「この前は、悪かった」と一言だけ、主語のない謝罪をして去って行った。


彼女は彼を、変えてくれるかも知れない。


破滅的なコミュ障を拗らせては、いるが、根は優しくて繊細な彼の意固地を。


そう思って、そう願った。


彼は、僕の親友だ。


だから、いつか、彼も他のみんなのように。


人を愛して、愛されて。


いつか、幸せになって欲しい。


そう切に祈った。





第三部 ダ レ カ ノ イ ノ チ ガ ダ レ カ ノ ノ ゾ ミ


【了】2025年 3月 4日













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