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閑話 篠崎 更夜【しのざき こうや】

この世に生まれ落ちて直ぐ、俺は既に大人だった。


生暖かい粘液にまみれて、地べたにうつ伏せに倒れて起き上がると目の前が眩しかったのを、覚えていた。



「随分、人間じみたイキモノじゃ……。もう少し、わらわの姿カタチに寄れば良いものを⋯⋯。父親、そっくりでは無いか。まぁ、良い」



白い虎が目の前にぐったりと横たわっていた。




「アナタは、誰?」


「お前の産みの親じゃ。 お前には、母だけで。父はもう、おらなんだ。 わらわに種と一緒にイノチも捧げおったで、のう。 親父殿に会いたいかえ?」


俺は首を振った。


白い虎は、人を呼び、生まれた俺をそれらに預けた。


俺は、風呂に連れて行かれ、風呂に入り、出ると衣服を用意されており、言われるままに服を着て、また母の前に連れて来られると、母は言った。


「名は、決めておる。 更夜【こうや】じゃ。 お前は、わらわの最初の子じゃ。 うぬは、神の子、神子【みこ】じゃ。末代まで生まれる子供が男児であれば、不老不死の力が授ける力のあり、自らと不老不死じゃ。強者に害されれば死ぬから、不死身ではないがのう。お前はこれから、妻を娶り、息子を孕ませ産ませ殺しながら、子孫にその義務を課すのが宿命じゃ。 もし、我やお前の一族の意に逆らえば、寿命で死ぬ。 うぬは、これから、妻を娶り殺しながら、欲深い、この一族の願いを叶えてやれ」


俺は、母と母が欲深い一族だと言う父の血族の元で暮らし、それらに言われるまま、5歳の時に、父の姪の15歳の娘と夫婦になり、その妻を孕ませて殺して息子を産ませた。


最初の妻は、俺に色んなハジメテをくれた。


結婚も、子作りも、キスも、初恋も、男児を授ける事で漏れなく成立する呪いの殺人も、あの娘が全部ハジメテだったんだ。


「更夜、大好き。 私が死んでも、哀しまないで。 私、素晴らしい子孫を残すわ。 その子を例え、育てる事も、決して、この手に抱いて、育てる事は出来なくても」


生まれた息子の名前は、妻の唯一の願いを叶えて、望み通りに白夜と名付けた。


それから、俺は二、三十年に一度、娶った妻を殺しながら、更に3人の息子をもうけ、白夜を除く全ての息子に新たな土地を斡旋し、そこで自分と同じ宿命を強いて眷族を増やさせた。


時折、母が俺に、どの地で設けた俺の息子が、新たに神子を産む事が出来ず娘ばかりを産んで居るとぼやいていた。




ただ、最初の息子だけは、どんな場所のどんな女をあてがっても、それに手も付けず、何時までも俺の傍でもっとマシな場所と妻を、と俺と母に悪態を付いた。


母も呆れて居たが、意に歯向かった訳ではなく、自分に見合うモノでは無いと、手は付けないと言う白夜に、逆に一目置いており、不老不死なのだから、納得の行くモノと出逢うまで好きにすれば良いと、放逐した。


「アナタは、また、妻を持つのか?」


「あぁ、そのつもりだ。あの人が見つけた彼の地で、もう、目星は付いている。また、お前も俺に付いて来るつもりか?」


「勿論。僕だって、アナタと同じ使命と宿命を持って生まれて来たんだ。それを果たしたいと言う意欲はあるんだ。 ただ、それに見合う人にまだ巡り会えて居ないだけだ。ここでじっとしていても、仕方ない。だから、アナタと外に出たい。きっと、いつか、出会える。納得出来る。それまでは、僕はアナタに付いていく」


「そうか⋯程々にな」


もう、こんな調子で、この世に生を授けて80年経っても、この有り様だったが、まぁ、一人くらい変わり者も居ても良いか? と思っていた。





俺は5人目の妻に目星を付け、その計画を実行に移した。


今回の女には、両親と妹が居た。


元々地主で不動産業を営む裕福な家だったが、バブル崩壊後の不景気で徐々に事業を縮小し、お世辞にも羽振りが良いとは言えない状況で好ましかった。


そんな女の両親に取り入るのは容易いからだ。


謀って、窮地に追い込み、それと無く手を差し伸べて、先ずは両親から女の事を聞いた。




愛想がなく、人に媚びず、時に傲慢な所があると言う。


通っていた幼稚舎の幼馴染にずっと片想いして、小中と学校が離れたが、高校でその相手に再会し、ずっと想い続けたが、恋は実らず、その相手は別な女性と結婚したと話した。


やっと最近は、他の男に目を向けるようになったが、親としては、娘の恋の成就を願っていたと苦笑いしていた。


【良い人だったんですか?】


そう尋ねると、女が息を吸って吐くように起こす良くない行いを優しくいつも嗜めて、まるで、妹の様に寄り添い、女の孤立を食い止めていたのだと言う。


女もそいつにとても懐いていたし、そいつの事を好いて居たそうだ。


女の両親のオフィスに招かれ、そこで、家族写真を見つけて、俺は、話しの段取りを始めた。


「この前、お話ししていた上のお嬢さんは、どちらですか?」


聞かなくても、分かるのだが。


「あぁ、こっちです。目付きがキツイでしょ? 本当、いつも、何か不満気で、でも、可愛いんですよ。親としては、ですけど」


父親は少し困った顔で言った。


「そうなの。いつも、人付き合い意外は、何でも卒無くこなして、良い学校、良い会社に勤めて、何不自由無い筈なのに」


母親は寂し気に目を細めた。


「お嬢さんは、今、いくつですか?」


「22です。今年23になります。まだ、大学を卒業したばかりの若輩者です」


俺は、今、自分がいくつか憶えてないが、そうだな、30歳で良いか?


それから、取り留めない話の後、何度か仕事の話しで、二人と親交を深めた上で、二人に女と見合いさせてくれないか申し出て、失笑をかった。


「えっ、やめて置いた方が⋯⋯。あの、親の私から言うのも、おかしいですけど。 あの子は、他人に遠慮のない子で」


「えぇ、あの子は、気に入らない相手に、容赦が無いから」


他人に遠慮が無いと言う父親の言葉は何となく、そうなのか?で、流せたが。


母親の言う【容赦】が無いは、どんな事を持ってその言葉に値するモノが在るのか疑問だった。


だか、何となく、一度、お茶だけでも、と。


何とか、無理強いせずに、見合いの許可を得た。


そして、出逢ったその日に、女の呪詛の餌食になった。


俺は、女の母親が言った【容赦】の真髄をその身を持って味わった。






「あの女は酷い。心根⋯⋯性格が最悪だよ。思い出すだけで、虫酸が走る」


【そうか、俺はゾクゾクして、心地良かった】


初対面でまさか、言葉を封じられており、念話で話していた。


俺は、今度の女に抱いた感情にそう賛辞を延べたが白夜は辟易していた。



「アナタの言葉を呪詛で奪える実力は認めるけど、そんな禍々しい女より、男遊びもしてなさそうな白蛇の神持ちの女を見つけたじゃない? 僕はそっちの方が良いと思うよ」



【男神を持った女の事か? アレは、余所者だ。この地に所縁のない者は、使えんし、何より、俺は気に入ったんだ。あの女が良い】




あの人の誘いをにべもなく断り、毅然と俺を拒んで、呪った。


あの女と初めて言葉を交わした時、初めて、俺は、自分の意志で相手を選んだ。


母は、その女は、有象無象の人間程度でありながら、傲慢で不遜で、生意気だから、と。


逆らうなら殺してしまえ、と俺に言った。



会うだけ会って、気に入らなければ、口封じにその場で、殺さずとも記憶を消してしまえば良い。


本当に、それは、どちらでも良いと思っていた。





女の容姿よりも、能力の有無や


女としての色気などより


目的を達成する上での利便性よりも


ただ素直に好きだと思った。




女の吐く、不遜で傲慢な物言いが小気味よく


清々しいほど素直な生意気さが意地らしく思え。


自分の醜悪を受け止めながらも


俺をまっこうから侮蔑するひねくれたところが好ましかった。



「あの女は、良くない」



【五月蝿い。俺は、決めた。あの女を妻にする】


俺は、一週間かかって、呪詛を壊して、言葉を取り戻し、再び女に会いに行き、地中に魂ごと生き埋めにされてしまった。





「僕は、今回ばかりは⋯⋯、あの女を選んだ、おばあ様やアナタの正気を疑う⋯⋯」


「白夜⋯⋯、わらわは別に、様子を見に行って、ちょっと、声をかけてみただけぞ。 実際、驚くほどのただの人間で、特出すべきは、勘の良さと、口の悪さと、気位の高さ。 有象無象で良くあれだけ、神のわらわに、悪態が付けたものか、とな。 別に、わらわは認めてはおらなんだ。 呆れはしたが。 更夜、お主、あの女に何を見出したのじゃ?」



「一度、バケモノを作って見たかった。 俺はアレを永遠に生き続けるニンギョウにする。あの呪いばかり紡ぐ女を妻にして、そのニンギョウで、この地を滅ぼす」


俺の意志を、母は喜び、白夜は顔を顰めた。


2度目に、女の所に会いに行って、最初の呪詛を遥かに上回る予想外の呪縛の呪詛を受け。


呪詛を打ち破り、呪解に1ヶ月もの時間を要した。



「次、会う時に、ケリを付ける。 もう決めた」



あの女だ。


あの女に、イノチの選択を強いる。


自分の命運は、自分の存在をかけて、勝ち取るしか無い。


それが、恐ろしく、歯向かい難いなら、後は、強者に助けを請えば、良い。



だが、哀れな女だ。



唯一、俺も白夜も、母さえも勝ち得ぬ最強の主がこの地の護りを担っていながら、それに助命は請えないその性分が。


あの女を破滅させる。


自業自得だ。






腹が減った。


一ヶ月振りに、日常生活を取り戻し、白夜がしつこく食事をすすめて来たが、あまり食欲が無かった。


粥やら、ゼリーやら、消化の良いものを適当に腹にそこそこ突っ込んで、食事を終えて、徐々に腹に溜まるものも食べたが。



不思議な事に、女と再会して、言葉を交わして居るうちに、何故か腹が空いていた。


店は、何となく何処でも良かったが、たまたま通りかかった店で串に刺して塊肉を焼くのを見ていた時、女が言った。


「あぁいう消化の悪いものは、胃もたれするから、残念だな」


何故、俺の事を心配しているのか? 正気か? と首を傾げたが、女の考えを理解した。


美味しいものが食べられ無くて、残念だ。


と、言う意味だったんだ。



「いや、ここが良い。 肉は嫌いか?」


「何処でも、良い」



シュラスコと言うブラジルの肉料理を出す店で、車で酒を飲めないのが、残念だと思う程、何を食べても、美味だった。


前菜の野菜も、スープも、パンも、どんな獣のどんな部位でも、今まで食べた何の料理より、美味しかった。


「本当、よく食べるわね」


「あぁ、何を食べても美味しい。一ヶ月振りだからかな?」


本心だった。


一ヶ月振りの食事に心躍って、美味しいのだと思っていた。






まさか、散々、有象無象の人間だ、神無しだ、祝福も無しだと、散々、今まで女を下に見ておきながら。



後、一歩で殺される所まで追い詰められた。


不老不死だが、決して不死身では無い。


害されれば、死にもする。



よもや、死ぬ直前で白夜が呪詛者を痛め付けて呪詛が綻び俺がやっとの事でそれを免れていなければ、俺は死んでいた。



俺は、イノチのやり取りに置いて敗北していた。


だが、俺は卑怯にも、白夜の助けで生き永らえている以上、女を諦める事など出来ない。


もう、後戻りは、出来ない。


宿命ではなく、自分の意志で、女を抱いた。


その最中で、女は舌を噛んで死のうとしようが、怨嗟の言葉で口汚く罵られようが、抱いてしまいたかった。


もう、男の肌などとうに知っている穢れた女だとしても、それでも良いと思っていたが、生娘だった事に俺は、笑った。


「やっ⋯⋯あっ⋯⋯ぅっ、い⋯⋯た⋯い」


破瓜した痛みにビクビクと震えながら悶えるさまに、更に、欲情して激しく腰を埋めた。


「⋯⋯汚い。 ズルい、卑怯だ。 お前、プライトは無いのか? 他人の助けを借りて、人質を取って、お前は、本当に汚らしいっ」


感情を現しにて拒む、表情も、俺にカラダを奪われながらも、毅然と俺を容赦なく批難する女の言葉が心地良かった。


「あぁ、そうだ。認める。だが、俺は生きている以上、お前を力ずくで好きにする権利もある。お前は俺を拒絶出来なかった。 それが、お前の現実だ。 お前の甘さが招いた結果で間違い無い。人故か? 何故、ヒトデナシまで堕ちなかった? 一切の甘さを捨てなかった。 俺を殺していれば、お前は、少なくとも俺に抱かれずに済んだはずだ。 なのに、何故、呪詛を弱める手段を残した?」


顔を背ける女の顎を掴んで、顔を突き合わせる。


目線が合う度に、【殺してやる】【死んでしまえ】と訴えかける目で睨まれるのが堪らなかった。


身を捩らせまた顔を背けるのを、顎を掴んで俺を見せつけてやった。


中々、達さない俺の所業に、悶えて、足掻いて、喘ぐ女をずっと観ていたかった。


「ヒトがヒトデナシになる術など、知らない。ワタシは、ニンゲンだ。 だから、お前に負けずとも、所詮、オマエ等には及ばない。 無駄に自分の手を汚すだけだ。 だったら、お前を殺しても、無駄だ。 命拾いしただけだ。 それを恥ずかしげもなくワタシのカラダでいつまで、遊んでいるつもりだ。 ワタシで何を謀らんでいるかは、知らないが、私は、お前らに媚びたりしない、お前らの便利な道具に出来ると思うなよっ 」


勘が良いだけでなく、察しも良い。


俺が考えている以上に、自分と敵との力差加減だけではなく、こちらの意図も察していたのか。


それでも、助けを求めなかった。 求められなかった。


滑稽で惨めな行いで哀れにも、破滅した女に。


俺は心から惚れていた。



「では、後は精々、宿命に抗え。暫く、眠れ。絶望するな、お前が選んだ道だ。 俺と地獄に堕ちて行け」


女の中で精を吐き出し、俺は女を深く眠らせ、自由を奪った。


暫く、白夜に女を任せて、事実上の妻に仕立てて、暮らしを共にし、毎晩、女を抱いて過ごした。


日中は、白夜の憑依で、家に置き、帰ればベッドに寝かせて朝まで抱いて、子を孕んでからは、只夜を共にした。



深く眠って、目を閉じている女のカラダは虚しかった。



目が覚めて、膨らんだ孕をどう思うか?



そんな事を考えながら、半年もした頃、ある日、いつも通りに帰って来れば、女の顔から、感情を感じて、俺は感極まって声をかけていた。


「おはよう。 まりあ。 よく目覚めた」


よもや、子を生むまで、眠らせておくつもりだったものを。


よく目覚められたものだ。


母の力を借りてなしたのに、神子の俺の力ではなく、神の力でついた眠りを破って目を覚ますとは。


「お前の仲間は、黙っていればバレないと言っていた。騙されたのか、私は?」


女の言葉に、白夜が現れて言った。



「違う。騙してない。気が付く、アナタがおかしい」



分かるさ。


心からずっと、会いたくて、言葉を交わしたいと思っていたんだ。


例え、恨まれようと、憎まれようと、いつかは、その心さえ女から奪い取る日が来るとしても。


「目を覚ました私に、目覚めの挨拶をする前に、私に何か言う事無い?」



そうだな。


色々、そりゃあるさ。


「あぁ、愛している。 結婚して、俺の子供も産んでくれ。 あぁ、結婚は事後だから。ここは、その感謝を伝えるところだな。 お前は孕に子がいる。 これから。 オレの子供を産んでくれ。まだ、死ぬな」



女は青筋立てて、淡々と俺に怨嗟を吐いた。


とても、それが心地好かった。


女を抱き締め、ベッドに運んだ。



「いくらでも、怨嗟を吐いて、俺を呪えば良い。お前の声が、言葉が感情がここちよい……」


ベッドで女を抱こうとしたが、腹を抱えて、苦しみ出して、それでやっと踏み留まった。


「あっ、やっ、お願い…。苦しい……、あっ、ふっ……。痛い……お腹が……」


もう孕んでいるのに、何故、抱こうとしたのか、自分でもわからなかった。



「腹が硬くなっている。……そうか、なら、良い」



女の腹に手を当て、腹をさすった。


そうして、良くなるものか分からなかったが、そうしていたかった。



ただ、俺は、子を宿してその必要も無いのは分かっていても。


もう一度。



「意識のあるお前をもう一度、抱きたかった」



俺の言葉を無視して女は、腹が柔らかくなった頃に眠りに落ちた。


翌朝、女はまた目を覚ました。


時折、怨嗟を吐きながら、俺との生活に興じてくれた。





現代の医療は、進んでおり、間もなく、定期検診で、孕の子の性別を知って驚愕した。


娘を孕ませたのは、初めてだったからだ。



「娘は稀有じゃ、お前に一片の願いも、望みも抱かぬ故か、わらわの力が及ばんとはのう。 神子ならざるは、不老不死はナシじゃ。 じゃがのう、神子なら、女は死なねばならんかった。お前の望む、ニンギョウには出来んかったから、幸いじゃのう」


それは、そうだが。


最悪、神子などもう、要らなかった。


女の孕から、抜いてしまおうと、考えてもいた。


抜いてしまった子を依り代に、女の感情と魂を抜き出して、ニンギョウを作ってしまえば、後は、母からなじられようと構わないと思っていた。


身内殺しは、大罪だが、生まれる前なら、こが七つになる前なら良いそう考えた。


子は七つになるまでは、神の子だ。


人の道ではアウトだが、俺は生まれながらに、修羅を生きている。



母は、神子なら、女が子を産み、死ぬ直前に、ニンギョウを作るつもりと思っていたのだろうが。



だが、俺は、神子のイノチでそれを企てていたが、娘なら、死ぬ事は稀だ。



俺が産んだ、白夜以外の神子はいずれも娘ばかりを産んで、生き永らえていると聞く。


娘は、不老不死ではないが、どれも丈夫で、才気溢れる異能を持って、もう、寿命を全うしたものもいるのだそうだ。



娘なら、産まれるのを待ってから、で良い。



無事なはずだ。


娘は、初めてだ。 


何より、女の産む子が、女のイノチと引き換えで無いなら、その子をこの手に抱きたいと、思った。



「……抱いて良いのか?」


娘が産まれた。


産院で、女がお産を終えて、暫くした後、【子を抱いて良い】と看護師が俺に声をかけて来た。


「え、えぇ、もう、奥様が抱いて初乳をあげてます。 暫く良いですよ。 奥様のところへどうぞ」



30年振りで、随分、文明が発展して、当時では考えられない程、行き届いた医療現場で、清潔で、穏やかな運びで、お産を終えて、疲れきってはいるが、身綺麗なまま、赤子を胸に抱いて微笑む女が俺には奇跡以外の何とも思えなかった。


「生きてる」


やっとの事で出た言葉に、女は顔をしかめた。


「なんの話だ?」


「いや、お前が、だ。 お前が、生きてる。 そう言った」


俺の言葉に、更に女は、顔をしかめた。


「あぁ、これで殺す気だったの? 生きててごめんね」



俺の気持ちは、察せ無いのか?


それとも、わざとか?



「馬鹿言うな。 お前が生きている方が良い。 良かったんだ」



例え、これから、この女をどうしなければ、ならないにしろ。


死んだら、俺は、壊れてしまう。


この女と無垢にすやすや眠る娘が心から、愛おしかった。





「目を離したのか?」


女の両親が見舞いを終え、見送りに出た後、病室に戻ると、部屋はもぬけの殻だった。


見張りに、姿を消して残っていた白夜に尋ねると、白夜は呆然としていたが、俺に経緯を告げた。



「アナタがあの女の両親と部屋を出て暫くして、赤子を抱き締めて泣いた。 涙が石になって、床に落ちて割れ、女が【一緒に眠ろう】と呟いた後、二人は消えた。 僕では、どうにも出来なかった。 ごめんなさい」


柄にもなく、白夜が謝る程、見事な逃亡だった。


白夜と母様で、記憶操作して、産院での女の記録と関係者の記憶を隠蔽し、何日も、行方を探した。


そして、10日以上かけて、女の術が切れて、気配を察知した母に頼んで、身元に向った。


そして、見つけた。


女は今更になって、やっと自分の過ちを悔いていた。



助けを求めようとしていた。


龍の本体が沈む、大鏡に向かって、身を投げる寸前だった。


俺は、それをさせる訳にはいかない。


もう、女も娘も俺のものだからだ。


今更、なぜ、手放せようか。


俺は女から娘を取り上げ、観念させた。


女は諦めが良かった。


命乞いは一切無かった。


ただ最後に我が子をもう一度抱かせて欲しいとせがむ女に娘を抱かせてやると、女は娘に乳を含ませて、泣いて頬をすり寄せた。


そして、娘を取り上げて、俺は女の魂を砕いて、肉体から生殖機能を抜き取って、寿命と日常に触りが無いだけ残して、都合の良い記憶で魂を抜き取った。


出来たニンギョウは、歳の頃は15.6の見た目で、今の女より、可愛らしかったが、目付きは今より一層険しく、悪態も口の悪さも一際引き立っていた。


「何だ。お前は、こんな事を考えていたのか? 本当に、気色悪いな。 変態め」


服装が制服なのが、悩ましい。


もう少し、大人びて居れば、このニンギョウを抱いても良かったかも知れないが、これは無理だった。


「暫く、大人しくしていろ。そのうち、面白い事を、教えてやる。やらせてやる。 それまで、白夜と学べ。 足らない知識があるはずだ。限られた記憶で出来ているんだ。不足を補え」


白夜と、女は、仲は悪かったが、今思ってみれば、良く白夜も女も行動を共に出来たものだ。


白夜はどの女にも興味を示さず、一度として、女を好んだ事もなかったのに、女を毛嫌いしながらも、匙を投げずに共に居られたのだから。





今、思ってみれば、白夜に悪いことをした。


呪いを失って、死を待つ最中、白夜が人質を殺す前に、俺が人質の首を切ったが、俺は、あいつの殺人を肩代わりしたかったのに。


それで、全てから降りてしまう事で、俺は、あいつの父親と言う立場まで投げ出してしまった。



本当は、わかっていた。



あいつが、いつまでも、親離れ出来ない、甘ったれだと言う事を。


やっと、愛するものを、見いだそうと踏み出し始めたまだ坊やで。


まだ、父親を欲して、俺に引っ付いていたのに。


俺は、女や娘ばかりを愛してしまって、その性で白夜は娘を殺しかけた。


母は、娘でも、身内殺しは禁忌と白夜を嗜めたが、白夜は毅然と俺達に意志を示した。


人柱は、イノチを奪わない。


依り代だ、身内殺しではない。


そう言いつつ、あれは場合によっては、死ぬ呪詛だったと、俺が反論すれば。


まぁ、誰にでも、失敗はあるよね。


事故と殺しは違う。


母様は呆れて居たが、事故は殺しでは無いと言った。


大鏡の一件で、死にかけた娘に、俺は激怒したが、女の分魂は白夜を庇った。



「生きてたんだ。いつまでも、根に持つな。 白夜の呪詛程度じゃ、そんなもんだ」


「お前とは、姻族で純粋な身内ではないし、そもそもイノチ無きものだ。殺して、いや、壊して良いか?」


白夜の持ちかけを、止めるのに、もうそれ以上その行いを責められない程、骨が折れた。



それから、白夜は最後に、娘の三者面談を最後に、母と白夜に別れを告げて出ていく俺に憑依した。



【最愛】に退けられ、無事に別れの手筈を整え、俺は舞台を降りた。


僅かな身銭を、もって滔々と死を待つばかりの時、白夜が俺の前に現れ、言った。



「アナタは、なぜ、自分の娘に、あの女の記憶を入れたの?」


「そんな事を聞きにわざわざ俺を探したのか? あぁ、贖罪の念をニンギョウに移す訳にも、本体に残して遺恨を残す訳にも行かなかったからな。あいつが何で、娘に移したか、分からんかったが、いっそ、それで良いと思って封じてそのままにした」


白夜は俺を大鏡に転移させて言った。


「あの女、その記憶を自分の本体に戻して、さっきあの東屋に入ったよ。 あの女、祝福のイノチを抱いて、あそこで最後の呪詛を組んだ。どんな呪詛を組んだと思う?」


「は、何だと?」


「アナタが死ぬ事を選んだ事を僕は責めない。でも、最後は幸せに最後の時を迎えて欲しい。 アナタは、俺の父だ。 最後は幸せであって欲しい。 さようなら、父さん」


初めて、白夜は俺を父と呼んだ。


「白夜。 お前……」


「呪詛は、閉じ込めた能力者の力を使って爆発する滅びの呪詛だ。失敗すれば、術者とそのイノチを奪う罰がついている。 あの女のニンギョウは滅びを待っていて、あそこに入った女はイノチと贖罪の記憶を持っている。どうなるか、分かるよね」



白夜は俺に背を向け、消えた。


最後に、一言、言葉を残した。



「ここを手にするのは、アナタじゃない。 僕が【最愛】とこの地を統べる。お疲れ様」





「さあ。親の務めを果たして貰うわよ。全く、父親が蒸発するなんて、思春期の娘の情緒を何だと思ってるの?」


「いや、さすがに、肉体が100を越えると、もうボロボロでとても人目につけたもんじゃなかったんだ」


「大体、いくつよ、あんたっ」


「今年106だ」


「いくつ、鯖読んでんのよ。信じられない」


辟易しながらも、まりあは俺の腕を両腕で掴んで俺の腕に顔を埋めた。


「やめろ。 臭いぞ。 さっきまで本当に死ぬ間際の身体だったんだ。離れろ」


身を捩ったが、まりあは俺の腕を離さなかった。


「帰ったら、お風呂に入れば良いでしょ。どれどれ」


「やめてくれ。本当に」


大鏡の白石橋を渡ってそこから公園の外に出て、大通りの交差点を、渡り若葉の端から続く住宅地の一角の自宅にたどり着くと、そこには、娘と二人の同級生が俺達を、出迎えて来た。



「ミナミの友達か?」


呆気に取られている俺に、制服姿の男子生徒は、折り目正しく自己紹介した。


「はい、ミナミさんのクラスメイトで、一緒に学級委員をしています。あの一ノ瀬 和総【いちのせ かずさ】と言います。 おじさんは?」


男子生徒と女子生徒に挟まれて、俺の姿にわなわなしながら、肩を震わせながら、泣きながらミナミは俺に抱き付いてきた。


「私のお父さんだよ。 嘘、何、そんな若々しい格好で、どこ行ってたの。 馬鹿、馬鹿っ」


すると、もう一人の女生徒はミナミの肩を掴んで、ミナミを嗜めた。



「こりゃ、父君に何て物言いじゃ」


何か、人ならざる気配だとは思ったが、この女生徒は。


「まさか、神か?」


「ほう、流石、うぬの父君は、聡いのう。 ワレハセギザンノウジガミ、名はユキナリじゃ」


「はは、お礼が遅れてごめんね。 私の娘を何度も救ってくれてありがとう。 私の分魂が、何度も、アナタをいじめてごめんなさい。 本当にありがとう」


「ん? はっ、お主はっ、何じゃ、これが本体じゃったのか?」


「そうなのよ。ちょっと、この人に、無茶苦茶されて、操られてたの。 ほら、アナタも謝りなさいよ」


謝れと言われれば、何度でも、今回で被害を受けた者達であれば、惜しみなく謝罪するのはやぶさかでない。


「本当に申し訳ない。ユキナリさん? 神だから、様を付けた方が良いか?」


「呼び捨てで良い。 氏子でも無い者に、無理に敬って貰わなんで良いのじゃ」


「あっ、じゃあ、僕には様を付けて欲しいの?」


「先ず、タメ口聞いておるうちは敬って貰わずと良い。 阿呆が」


謝罪そっちのけだな。


この子達は⋯⋯。



「着替え、置いとくよ」


バスルームでシャワーを浴びていると、脱衣所から、まりあにそう声をかけられ、湯を一度止めて返事を返した。


「ありがとう」


早く身体を洗いたいばかりに、着替えを失念していた。


身体が若返って、洗い流すと身体の爽快感がました。


肌の新鮮さが嬉しかった。


とは、言え、恐らく40絡みの肉体状態の様だ。


不死も不老もこりごりだ。


これからはこの実年齢から徐々に寿命を食い潰して、妻と子に看取られての死を願うばかりだった。



「ゆっくり入っていて良いよ」


「あぁ、ありがとう」


俺がそう言うと、まりあは笑い声と共に言葉を紡いだ。


「あなた、いつから、ありがとうと鳴く鳥になったの。五月蝿いわよ、記憶が戻ったら、照れくさくなったわ」


俺は、記憶の無い本体には、懇切丁寧に接していたが、隔離していた分魂や記憶のあるまりあに、確かにそんなだったから、照れ臭くも感じるだろうが。


久しぶりの本来のまりあのつく悪態に、俺はこころの底から、まりあが元に戻った事を実感して、涙が溢れた。


迂闊にも、妻と娘とそのボーイフレンドと女神の前で、とんだ恥をかくとこだった。


とめどなく湯が滴る浴室で、俺の涙を隠す事が出来て幸いだった。


幸せで流す涙は、初めてだった。



みなみが生まれて来た時は、泣けなかった。


幸せにしたくても、出来ない現実に絶望しかなく、その時は、嬉しかった反面、恐ろしかったからだ。


だが、今は違う。


やっと、泣けた。


妻も子も、幸せにしたい。


幸せにしてみせる。


そう思える事が嬉しくて、やっと、幸せだった。




シャワーを終え、服を着替えてリビングに行くと、4人仲良くおしゃべりをしていた。


「ユキナリもご飯食べられるんだ」


「供物としてじゃがのう。人のように毎日3食は要らなんだ。 勿論、味わう事は出来るで供えて貰えるにこしたことは無い」


「一ノ瀬君も初めてじゃないんだ?」


楽しそうだ。


夕食に釜飯のテイクアウトを、ミナミがリクエストして、満場一致でそれに決まった。


よく頼んでいる定番の店屋物でメニューを見ずとも、すぐに決められる。


俺は、牡蠣釜飯だ。


まりあはかに三昧が好きで、ミナミはいつも、特選五目だった。


「あぁ、男3人だから、時々な。俺、いつも金目鯛釜飯にしてる」


「わしは五目じゃ」


「何だ、ユキナリもいつも、頼んで貰っているのね」


「当たり前じゃ、我は神ぞ。定期的に敬われて然るべきものじゃて」


この神、何か、いじらしくて可愛いな。


まだ、幼いのか?



白夜に悪い事をしてしまった。


釜飯が届き、ダイニングテーブルで食事を囲んだ。


俺の隣りにまりあが並び。


反対側でミナミを真ん中に、ミナミのボーイフレンドと面倒見の良い女神が並んで席に付いて。


楽しく語らいながら食べた何もかもが美味かった。


あぁ、何年振りだっただろうか?


どうして、だろうか?


そうか、心の底から、幸せな時に、愛するものと食べる食事は、何より美味いのか。


あぁ、自分だけ、家族を持って幸せになってしまった。


幸せでは無かったが、俺は、大切にして来たつもりだったが、今更、それは言い訳にもならない。


俺は残酷な事をした。


俺は、呪いと手を切った。


残りの人生は、妻と娘と生きて行く。


恨まれても、憎まれても、仕方ない。


お前の父親はヒトデナシだ。


親離れできない甘ったれの、最初にこの手に抱いた息子のお前を、不老不死の修羅に残して。



五度目の妻で、やっと人に戻って、お前を置き去りにした。


俺は、そんなヒトデナシだ。


すまない。


許してくれ、白夜――。



第5部  母娘と母子  【了】


2025年 5月8日




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