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第4話 ……うん、お肉にしましょう


 ジョロウアラクネの糸から解放された千聖は、しゃがみ込みながら何度も深呼吸をした。生を実感し、鳴り響く鼓動に安堵しつつも、寒気がまだ治まらない。ダンジョン内で怪我を負った経験はあれど、死が眼前に迫り来るのは初めてのことだった。


「大丈夫?」


 千聖の命を救ってくれた少女が、心配そうに千聖を覗き込む。千聖とはうってかわって健康的な顔色だ。数日間、ヴェノムスネークの毒で苦しんでいたとは思えなかった。


 千聖は呼吸を整えてから、顔を上げる。


「あの、助けていただきありがとうございま」

「――大丈夫そだね。私、お役に立てたかな? 立てたよね?」

「え、ああ、それはもちろん大助か」

「えへへ、退院してからすぐ千聖ちゃんの配信を観てここまで追いかけてきたんだよ。まさか、あんなカラフルなカエルに襲われてるとは思わなかったけどさ」

「あはは。ちょっと失敗しちゃ」

「いやーでも冒険に危険はつきものだよね。私も千聖ちゃんに助けられて、こうして命があるワケだし」

「私のターンって来ない感じですか?」


 千聖はすかさずツッコミを入れ、一呼吸おく。以前は毒にやられていたのでわからなかったが、ふりるはよく喋る女の子らしい。


:ちさふり! ちさふり!

:お互いに命を助け合ったってコト……?

:そんなの運命じゃん

:キマシタワー

:金髪と黒髪は百合の定番


 千聖の生還と、ふりるの登場。ふたつのイベント発生により、コメント欄はにわかに騒がしくなっていく。そんな様子を、ふりるは不思議そうに眺めていた。


「千聖ちゃんとこのリスナーってすごいね。なんか濃いというか、統制が取れてるというか」

「私の配信って、どういうわけか精鋭しか残らないんですよ。すみませんね、悪いインターネットを濃縮還元したみたいで」


:そりゃそうだろ

:いまリスナーを悪いインターネットと評した?


「……ま、私のチャンネルはさておき。どうして私を追いかけてきてくれたんですか?」

「そりゃあもう、千聖ちゃんと一緒に探索したいからだよッ!」


 ふりるは胸の前で両手を組み、うっとりしたように目を細める。


「私を助けてくれた千聖ちゃん、とっても格好良かったから! 薄れゆく意識の中でも、きゅんきゅんしちゃってた!」

「き、きゅんきゅん……?」

「うん! ちいさくて可愛いのに、軽々と私を抱えるギャップがよき!」


 きらきらとした視線を真正面から浴び、さすがの千聖もたじろいでしまう。その反応を見て我に返ったであろうふりるは、恥ずかしそうに目を背けた。


「まあ、その、そういう不純な動機だけじゃなくってさ。私ってまだ初心者なのにいきなり死にかけちゃったから、迷協からバディを組むように勧められて……」


 迷宮探索者協会、略して迷協。


 文字通り、迷宮配信を行う探索者のあれこれをサポートしてくれる協会だ。ふりるのように生死の境を彷徨った新米の探索者は、ほぼ必ずといっていいほど他の探索者とのバディを推奨される。


 しかし、実際にバディを組める新米はごく僅かなのが実情だ。理由はいくつかあるが、一番大きな問題として横たわるのがチャンネルの方向性が変わってしまう点だ。


 新米の冒険者とバディを組んでしまうと、おのずと低層の探索がメインとなる。中級者以上の探索者にとってメリットがないうえ、見応えのある配信を提供しづらい。鮮やかな戦闘で人気を博するチャンネルだと、リスナー離れに直結するのだ。


「なるほど、バディですか」


 しかし、千聖には関係なかった。むしろ元人気アイドルと配信を行うことで、チャンネルは今よりも盛り上がるだろう。もちろん、食欲で動く千聖はそんな考えにすら至っていないのだが。


「だめ、かな?」

「もちろん構いませんよ。ふりるちゃんは、私にとっても命の恩人ですから!」

「ほんと!? やったぁ!」


 ふりるは千聖の手を取り、飛び跳ねるように喜んだ。かくして、千聖とふりるのバディが誕生する。しかし、千聖の古参リスナー達はこれから起こりうる悲劇を察し、涙していた。


:そんな……

:犠牲者が出てしまう

:ふりるちゃん考え直すなら今のうちだよ

:なにこの不穏な流れ


「……あれ、なんか千聖ちゃんのリスナーさんがざわついてる」

「ああ。この人たちはいつもこうなんで気にしなくて大丈夫ですよ。それよりふりるちゃん」

「なーに?」

「お腹、空きませんか?」


 満面の笑みと同時に放たれた問いかけは、リスナーの肝を冷やすには充分な威力を誇っていた。


「あ、空いてるかも。数日ぶりにガッツリしたものが食べたいな!」

「なるほど。動物性タンパク質ですか?」

「いいね! おにく食べたい!」


 千聖が振り返る。


 ふりるの【火礫】が直撃したポイズンスピアフロッグは、仰向けの状態でぴくりとも動かない。皮膚は黒く焼け焦げ、細い煙が立ち昇っていた。


「そうですね、お肉の気分ですよね」


 千聖はすんと鼻を鳴らし、たしかにそう言った。何かを察したようにリスナーが静まり返り、コメント欄が凪の状態に突入する。事情がいまひとつ飲み込めないふりるは、戸惑うように視線を泳がせる。


「……うん、お肉にしましょう」


 千聖がごくりと唾を飲んだ瞬間、止まっていた時間が動き出す。


:いやまてまてまて

:自分で猛毒って言ってたろ

:ゾウも倒れる毒らしいぞ

:初期のゴースかよ


「たしかに、普通に考えれば危険です。でも考えみてください。フグ然り、こんにゃく芋然り、人間はありとあらゆる毒に立ち向かって食料を確保してきました。可能性はゼロじゃないはずです!」


 千聖は身振り手振りを交えて熱弁しながら、ポイズンスピアフロッグの亡骸に近づいていく。


「仮にアルカロイド系の毒であれば、長時間の加熱で毒性が弱まるかもしれません。もしバトラコトキシンなら加熱しても意味はないのですが……そもそも既存のヤドクガエル科とは毒性が異なる可能性もあります。コロンビアに生息するモウドクフキヤガエルは、バトラコトキシンという自然界最強の毒を有してますが、それはモウドクフキヤガエルが単独で生成するものではなく、餌となる昆虫から蓄積あるいは化合するものです。なので、人間の飼育下におき餌を調整すれば、モウドクフキヤガエルを無毒化することも可能です。ここは外の理から外れた場所。餌が変われば、毒性も変わる可能性も大いにありますよね?」


:知らん知らん

:急に早口で喋んな

:初音ミクの消失が始まったんかと思った

:とはいえ食べるのは博打すぎるだろ


 千聖はコメント欄を見て、にやりと笑う。


「やだなあ皆さん。いきなりは食べませんよ。いくら私でも、命は大事にしたいですから」


 千聖はそう言いながら、辺りをきょろきょろと見渡す。ふりるもようやく不穏な流れを察したのか、おそるおそるといった様子で千聖に声をかける。


「もしかしてだけどさ……あのカエルを食べようとしてる?」

「はい、もちろんです。ふりるちゃんも食べますよね?」

「……か、カエルかぁ」


 ふりるはうずくまり、頭を抱える。


 そのままぶつぶつとなにかを呟きながらも「で、でもまあロケで一回食べたことあるし、大丈夫かな……うん」と自分自身に言い聞かせ、立ち上がった。


「千聖ちゃんがご馳走してくれるんだから、食べるよ、うん、食べる!」


:なんか推しが毒ガエル食べる流れになってる

:ロケでカエル食べたとき泣いてなかった?

:なんでこんなことに……

:ぜんぶうちの子のせいです、申し訳ありません

:悪い男に騙されるほうがマシなのでは

:てか、ちぐさとはさっきから何探してるの


「いきなり私たちが食べるのは博打すぎるので、ちょうどいいのを探してるんですよ。可愛い子だと胸が痛むので、なんかこう、罪悪感なく試せるような……」


:なんの話?

:こいつ実験体を探してる?

:いやいやまさか

:いくらちぐさととはいえ……いや、あるいは……

:ないとも言いきれないのが辛い


 千聖は草むらの向こうを覗き込むように背伸びをする。爪先がうんと伸びきったところで、千聖はにっこりと目元に笑みを湛えた。 


 そして、ちいさな唇から無邪気な言葉が発せられる。


「あ、ちょうどいいゴブリンがいましたよ!」



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