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第3話 ……ちゃんと挨拶するのは、初めてだね

 蛙の舌は、恐るべき速度で放たれる。


 小型種であれば、ジェット戦闘機の四倍近くの速さとも言われている。当然ながら、人間の反射神経でどうにかなる領域ではない。


 よって、千聖が行える行動は回避でなく防御しかなかった。片手剣を正眼で構え、一歩ずつ後退していく。仮にポイズンスピアフロッグの舌が伸びてきても、片手剣で傷付けば反射的に引っ込めるだろう。


 そう祈りながら、少しずつ距離を取る。


:……ちぐさと死なないよな?

:三層で死ぬ探索者ってこいつにやられてるよな

:そんなモンスターが一層に来るなよ……

:なんだこの緊張感

:やばい見てられない

:頼む神様


「いやー、ヒリヒリしますね。生きてるって感じです」


:喋って大丈夫なのか

:あんま刺激するな


「へへ、逆ですよ。野生動物は、ライオンの唸り声よりも人間の話し声に恐れを抱く実験結果が出ています。つまりこれは、威嚇のために喋ってます。まあ、恐怖心を誤魔化してるってのもありますけど」


 千聖が唇の端を舐める。それさえもスローモーションに映るほど、緊迫した空気に包まれていた。ポイズンスピアフロッグは微動だにせず、ただ千聖をじっと見ている。それが逆に、不気味さを感じさせた。


:千聖さん魔法使わないの?

:遠距離から攻撃すれば倒せるのでは


「あ、あはは。魔法ですか。そうですよね、魔法があれば遠くから戦えちゃいますよね」


 千聖はばつが悪そうに笑ってから、淡々と答える。


「ただ……使えないんです、私。どの属性も適性がないらしくて。探索を始める前に、結構高い魔法種を買ったんですけどね」


 地上では魔法など絵空事だが、迷宮内では話が変わる。魔素と呼ばれる成分が空気中に含まれているからだ。人間は迷宮内で魔法種と呼ばれる薬剤を飲むことで、自身の適正に応じた属性の加護を得られる。このメカニズムにより、人間は空想上の異能を実際に扱えるようになった。


 しかし、全員が選ばれし者になれるとは限らない。


「火、水、風、土、光、闇……どれもこれも拒絶反応が出ちゃって、のたうち回りながら嘔吐しました。魔素と結びつく魔法種の成分が、体質と合ってなかったんですよ」


:そうだったんだ……

:新規は知らないよな

:俺も知らなかった

:聞いてごめんね


「さーてと、湿っぽい昔話は終わりにしますね。こういうのって死亡フラグになりそうですし。いや、この状況はどちらかといえば死亡フロッグですけど」


:うまいこといわんでええねん

:状況考えろバカ

:不覚にも

:くっそこんなので


 配信用の冗談を織り交ぜつつ、千聖は緊張の糸を一切緩めなかった。蛙の舌は一般的に体長の三分の一の長さと言われているので、すでに射程圏内からは外れている。


 このままポイズンスピアフロッグが動かなければ、千聖は危機を脱せるはずだった。


 しかし、蛙には発達した後肢がある。この程度の距離など、瞬きよりも早く詰められるのだ。


「……あ」


 絶望的な跳躍。


 一瞬で目の前に現れたポイズンスピアフロッグに、千聖は冷静さを欠いてしまう。敵に背を見せた逃亡を選んでしまった。


 白のハイテクスニーカーで地を蹴り、千聖は周囲の木々へと飛び移る。この行動により、ポイズンスピアフロッグにとって千聖はもはや未知の脅威ではなくなった。


:カエルも登ってきてる

:やばいやばい

:木から木へ飛び移るしかない

:でもそれだと森の奥地に追い込まれるよな

:それにこの場所って……


 二度目の跳躍。しかし、本能のまま逃げ惑う千聖の身体が、空中で何かに止められる。咄嗟に現状を理解できなかった千聖だったが、四肢に絡みついた白い糸を見て全てを察した。


 さきほど切り落とした、ジョロウアラクネの巣に引っかかったのだと。


「これは、詰みましたね。私の力じゃ、ジョロウアラクネの横糸からは脱出できません。ああ、こんなはずじゃなかったんですけどね。へへ……」


 傍で浮かぶ小型ドローンに、千聖は絞り出すようにして現状を伝えはじめる。淡々と、しかし、言葉の端々には恐怖が垣間見えた。


:うそだろ

:むりむりむり

:だれかたすけて

:ほんとむりだって


 空中で雁字搦めになる千聖に、ポイズンスピアフロッグが枝を足場にして迫り来る。通常の蛙であれば、飲み込まれても胃を傷付ければ吐き出してもらえるだろう。


 だが、強力な毒を有するポイズンスピアフロッグに関しては、飲み込まれること自体が死に直結する。


「ああ、もうダメですね……これ」


 千聖はすでに、舌の射程圏内にいた。これはモンスターを好き勝手に食べ尽くす自分に、ピッタリな末路ではある。千聖はそう自嘲しながら目を瞑り、最期の時を待った。


「――火礫!」


 しかし、どこからともなく聞こえた声が待ったをかける。黒に閉ざされた千聖の視界が、暖色の光に包まれた。


「……へ?」


 再び目を開いた千聖が捉えたのは、放物線を描きながらこちらに向かってくる火の礫たち。それらは一直線にポイズンスピアフロッグの背中に打ち込まれ、大きな火傷と裂傷を与える。 


 それだけではない。


 間近で熱を浴びたジョロウアラクネの糸が、ゆっくりと溶けていく。身体の自由を取り戻した千聖は、バランスを崩しながらも何とか着地を決める。千聖さえも現状を理解できないまま、窮地を脱したのだ。


:えっ何が起きたの

:助かった……のか?

:ちぐさとおおおおおおおおお

:火の魔法?

:誰か来たのか?


「ふぅっ、間に合って良かったよ」


 千聖の耳に届いたのは、少し甲高く、特徴的な女性の声。だが、聞き覚えはない。


 火礫により草木に火が移ってしまい、周囲は白煙に包まれている。それらがうまく、声の主を隠していた。


:この声……

:わかる、俺にはわかるぞ

:真実かよ……?

幻想ユメじゃねぇよな……!?

:オレ達の黄金時代オウゴンが還ってくる!

:えっ何

:新規っぽいリスナーがざわめいてる

:怖い怖い


「……ちゃんと挨拶するのは、初めてだね」


 影が手にした杖を一振りすると、あっという間に煙が晴れた。


 現れたのは、長い黒髪を靡かせる少女だった。アーモンド型の瞳に整った鼻梁。ここが迷宮であることを忘れさせるほど、一挙手一投足が絵になる美貌。探索者用の簡易的なローブさえ、舞台衣装のように見えた。


「振旗ふりる十七歳。最近まで地上でそこそこ人気のアイドルやってました! よろしくねっ、千聖ちゃん」


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