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第4話 ルティとセルフリア

 聖女とは、魔王や魔物を生む“闇”を浄化できる女性――だった。

 けれどそれは、今やすっかりおとぎ話の中の話。現実にそんな力を持つ者など、もう何世代も現れていない――と、ルティは語った。

 だから今では、神殿が選んだ女性を“聖女”として形だけ祀り上げているにすぎないのだ、と。

 実際には、国家から特権を受けられる名誉職のようなものだった。だがその特権があまりにも多く、また強大であるため、先代聖女の死後に行われる聖女選抜試験には毎年莫大な数の応募者が殺到するのだとか。

 それは、修久が抱いていた幻想――神話のように崇高で、手の届かない存在としての聖女像とはまるで違っていて、その話のギャップに、彼はただ「へー……」と口にするのが精一杯だった。

 厳かで清らかな“聖なる乙女”が、競争にさらされる現実。思わず頭の中で呟く。

 ――世知辛い。

 まったくもって、世知辛い。


「で、セルフリアちゃんとルティはその聖女候補だった、と?」

「その通りですわ。この庶民娘ときたら何の作法も知らないのですもの。この大貴族の長女たるわたくしの方が! 聖女にふさわしいと思いませんこと?!」

「でも実際にはセルフリアちゃんが聖女になったんだろ?」

「わたくしは彼女が聖女になる前に断罪された身ですもの。その後のことなど、知ったこっちゃありませんわ」


 ふんっと鼻を鳴らして足を組むルティは、どこか悪役貴族のような雰囲気をまとっていて、やけにサマになっていた。


 想定外が連続した緊急出動の翌朝、修久は病院のベッドで静かに目を覚ました。

 怪我と言えば腕の打撲くらいのもので、ほとんどは〝魔力嵐〟やモンスターに近付き過ぎたせいで魔力酔いを起こした事だという。

 まぁ、そうだろう。骨折はあの場で修復してあるから、今の修久の問題は体内に残った残留魔力くらいのものだ。

 点滴スタンドに吊られた透明なバッグを見上げながら、修久はこみ上げる吐き気に顔をしかめた。無意識に、胸元の毛布をぎゅうと握って顔を思い切りしかめてしまう。

 体内に残った魔力をゆっくりと抜くための処置だとわかっていても、胃のあたりがねじれるように気持ち悪かった。

 昨日は、あの“魔力嵐”の真っただ中に身を置き、しかも大型モンスターに挟まれていたのだ。自分が【転生庁】の人間で、ある程度魔力に耐性があったからこの程度で済んでいるけれど、もしこれが普通の市民だったなら、あの場に立っていることすらできなかったに違いない。

 ……とはいえ、自分が無事だったのは、彼女のおかげもある、はずだ。

 修久は点滴スタンドから視線を外し、そっとルティの方へと目を向けた。ベッドの隣に座っているルティの傍では、小さな女の子がウトウトと船を漕いでいた。

 名前はセルフリア。ルティとは同じ世界の出身で、年齢は本当はルティと同じ18歳だったらしい。

 なのにルティはこの世界ではアラサーな男の人の身体に入ってしまって、セルフリアは4歳くらいの女の子になってしまったのだから、逆転生のとは不思議なものだ。

 こういう魂と肉体の年齢が違ってしまう事は逆転生にはよくある事なのだが、彼女は大丈夫なのか心配になってしまう。

 ルティは大人から大人への逆転生だったが、性別が違ったせいで最初は大騒ぎだった。しかも元は貴族の女性だ。いくら美形でも異性になったことが受け入れられず泣きじゃくっていた彼女を放っておけなくて自宅に連れ帰ったのが、ルティとの同居のスタートだったなと思い返す。

 ――セルフリアは、どうだろうか。

 性別は変わらないが、身体は大幅に若返っている。そんな彼女がこの世界でうまくやっていけるのか、不安は拭えない。


「今心配すべきは自分の身体ですわよ、ナオヒサ」

「う、な、なんで気付いたかなぁ」

「貴方、わたくしがこの世界に来たばかりの時と同じ顔をしていますもの。バレバレですわ」


 この娘のことが心配だったのでしょう? と、ルティはセルフリアの灰色の髪を撫でながらやさしく微笑んだ。

 やはり、彼女の前では隠し事などできそうにない。修久が苦笑する横で、ルティはどこか母親のような落ち着いた表情を浮かべていた。

 落ち着けば実に聡明で、頼りになる女性。いまだに身体の違いに戸惑うことはあるようだが、それでも彼女は冷静に状況を見極め、抵抗することなく【転生庁】への登録を済ませ、修久の手助けまでしてくれている。

 緊急出動の多い修久にとって、ルティが護衛を引き受けてくれるようになったのは、何よりも心強かった。

 ルティがいなければ、昨日の“魔力嵐”にあれほど接近することも、対処することもできなかったかもしれない。そうなれば、一般市民への余波も広く大きくなっていたかもしれないのだ。

 【転生庁】にはまだ、魔力耐性のある人間はそこまで多くない。スキル持ちはそこそこ居ても、その人間が魔力そのものへの耐性を持つかどうかは、時間をかけなければわからないからだ。

 魔力に長く接する事で耐性を得る者も居れば、実は生まれながらに魔力耐性を持っていたと発覚する人間もいる。

 修久は後者の人間で、スキルが発現してから現場に出る事が増えてやっと、魔力耐性の存在に気付いたのだ。

 それでも、長い時間強い魔力に近付いていればこうして魔力酔いが出てしまう。こうしている間にも〝魔力嵐〟やダンジョンが発生しているのではと思うと、早く現場に復帰したいという気持ちでいっぱいだった。


「こうしてゆっくりするのも久し振りですもの。少しは休みに集中してはいかが?」

「これ、休みか~……」

「部長さんが今日明日は休みにして下さったそうですわよ。セルフリアの事は、その後に、と」

「……むぅ……よびましたか、るてぃさま」

「あら」


 早く現場に復帰したいと思いつつもどうにもならない吐き気でぎゅうと目を閉じていると、もそもそという音が聞こえてセルフリアが起きたのだと何となくわかった。

 座ったままでは眠りにくかったのかもしれない。そっと目を開けると、セルフリアが目をこすりながら、ルティの足にしがみついていた。

 その姿はまるで父と娘のようで、ちょっとだけ吐き気が治まった気がする。

 可愛いは正義、という言葉をよく聞くが、こういう時にも適用されるのだなと、ちょっとだけ微笑ましかった。


「おはようございます、セルフリアさん」

「んん……え?」

「しっかり起きなさいセルフリア」


 挨拶をしてみたものの、セルフリアはまだ眠気が抜けていないのか目をしょぼしょぼさせている。

 そんなセルフリアの背中を撫でてやったルティは、セルフリアが椅子に座り直すのを手伝ってやってから修久を示した。


「貴方にはもう紹介しましたけど、改めて紹介しますわ。ナオヒサ・ツグハシ。この世界の役人のようなもので、わたくしたちのような境遇の者に手を貸して下さる方です」

「……セルフリアです」

「はじめまして。ナオヒサです。昨日はありがとうございました」


 今できるギリギリの笑顔を作ってセルフリアに微笑みかけると、小さな女の子はピンク色の目をきょとんと丸くさせて修久を見た。それからぴょんと椅子を降りると、どうやら裸足のままの足でベッドに近付いてくる。

 まだ小さな女の子だ。ルティとはまるで親子ほどの年齢差にも見える。こんな幼い子までもが異世界転生を経験したのかと思うと、胸がぎゅっと締めつけられる。

 【逆転生】が起こるのは、この世界で死亡した人間が異世界に転生をするから、と言われている。そうすることで異世界で溢れた異世界人の魂が、押し出されてこの現世に【逆転生】してくるのだ、と。

 つまりは、このセルフリアの身体の女の子も死亡してしまったという事だ。何らかの事故か、病気か――理由は、察しようもないけれど。


「からだはだいじょうぶですか?」

「大丈夫です。昨日、守ってもらったので。凄かったね、アレ」

「この娘の魔力はちょっと特殊ですからね。この子が守ろうと思えば、ナオヒサには攻撃は通りませんわ」

「は? なに、どゆこと?」

「その辺も、戸籍登録のときに分かるでしょうけれど……ねぇ、ナオヒサ。この子が聖女であるという事も、登録の時に記載されますの?」


 心配そうなルティの声色に、修久は小さく「あ」と呟いていた。

 不思議そうなセルフリアの頭を撫でるルティの表情にあるのは、ただ「心配」という気持ちだけ。

 そうか、聖女には特例が適用されるのか先に調べておかなければいけない。まだ吐き気も目眩もある中で、修久は片手で目元を覆うと「ふぅー」と長い溜息を吐き出した。

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