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第3話 幼女聖女

 痛みを認識したのは、右腕が折れたと理解してからだった――残念ながら、逃げるには少し、遅い。

 一つ目のバケモノサイクロプスは小石でもつまむような手つきで修久の腕を掴み、次の瞬間、骨が内側から爆ぜるような音とともに腕が異様な角度へと折れた。

 その光景は、痛みよりも衝撃と言う方が正しいだろう。今まで一度も遭遇した事のなかったモンスターによって蹂躙される己の姿は、とんでもない恐怖とショックとして襲い来る。

「あ"っ……!」

 喉が詰まって、悲鳴が出てこない。修久は、折れた右腕を通してサイクロプスが再び指先に力を入れるのを感じ取った。

 持ち上げる気だ。察して、恐怖に身体が強張る。

 転生庁に所属する者がまずすべきは、逃げること。そして、決して悲鳴を上げないこと。

 ――それが一般人と逆転生者を守る、彼らの鉄則だった。

 理由は単純明快。【逆転生者】に慣れている転生庁の人間が悲鳴をあげることは、一般市民にいらぬ恐怖を植え付けてしまう。

 恐怖に支配された一般市民は逃げる足を鈍らせ、中には状況を見守り動きを止めてしまうこともある。そうなれば、最悪だ。

 だから転生庁の人間は悲鳴をあげない。いつだって、一般市民と【逆転生者】のために行動する。

 それが「転生庁に所属すると決めた人間の覚悟」なのだ。


「離しなさいっ!」


 だから、修久はルティが近くまで来ていることに気付くと即座に折れた右腕を左腕でタッチした。痛い。が、折れた瞬間よりはマシだ。

 そう認識した瞬間に「硬い部分の修復」が始まる。無機物しか修復出来ないはずの修久の〝スキル〟が唯一作用する肉体の一部である「骨」の修繕だ。

 勿論修復されるのは骨だけで、腕とともに潰された関節も、筋肉も、治すことなんかは出来ない。

 痛みだって、我慢するしかない。それでも骨が修復されれば、動くことが出来る。

 折れた腕の痛みに涙腺をやられながらも力を込めると、サイクロプスの指先の力が一瞬、緩んだ。

 小さな、小さな一瞬の隙。それでも、今の修久には十分だった。

 サイクロプスの小さな変化を皮膚で感じ取った修久はさっきまでは痛みで動かせなかった身体を思い切り捻り、掴まれた腕よりも下に頭を下げる。

 その直後、ルティの一撃がサイクロプスを襲う。

 青い魔力を帯びた剣が、修久を避けて閃光のように走る。彼女特有の青い刃がサイクロプスの指を一瞬で断ち切り、青紫の血が修久を濡らした。

 修久を掴んでいる部分はスライスされたように薄く斬られ、ソレ以外の指は立てられていたがゆえに千切れとび修久に青い血液をぶちまけてくる。

 だが、チャンスはそこだけだ。ルティの攻撃でサイクロプスが仰け反るその瞬間に、修久も腕を引っ張って仰け反るようにその場に転がる。

 光景としては無様だろう。けれど、この状況では後方に転がることが一番の回避方法だ。

「ルティ! いいぞ!」

「任せなさい! 貴方は、他にモンスターが居ないか警戒を!」

「わ、わかった!」

 潰れた腕は、骨は繋がったもののブラブラと垂れ下がるだけで痛みはそのままだ。

 それでも、何とか足を動かしてルティとサイクロプスから距離を取る。

 ヨレヨレの足でなんとか進みながらも確認するのは、転生庁から支給されているスマートフォンで確認のできる〝魔力所在地情報〟だ。

 ただ自分の周囲にある魔力にポイントして地図上に表示させるだけのものだが、そもそも魔力を持たない人間にとっては必要な情報でもある。

 しかし、今に限っては修久は「見るんじゃなかった」と後悔した。


「う……そだろ……もうひとつ……?」


 魔力のポイントは、あのサイクロプスだけじゃない。ルティの実力ならばもうあと数分もしないで撃退されるだろうあの一つ目の巨人よりも大きな魔力ポイントが、あの〝魔力嵐〟以外にもひとつ、ある。

 しかも、サイクロプスが居る方角を西とするなら東の〝魔力嵐〟とは別の方――つまりは、修久が逃げようとした方向に、だ。

 逃げようにも、道がない。修久は呆然と、段々と近付いてくる魔力のポイントを見て、別の道を模索する。

 でももうその方向は、最初の〝魔力暴走〟で瓦礫の山になっていた。修復しながら逃げるなんて、無理だ。


「逃げなさい! ナオヒサ! 逃げて!」


 サイクロプスの眼球のど真ん中に剣を突き刺して、返り血でドロドロになったルティが叫ぶ。逃げろ、なんて、彼女の口から初めて聞いた言葉だ。

 彼女はいつだって「後退は騎士の名折れですわ!」「背中の傷は剣士の恥と聞きましたわ!」なんて。騎士でも剣士でもないのにどこか自慢げに、そう、言っていたっていうのに。

 逃げろ、だなんて。

 一体、どこに?

 ズシリ……ズシリ……。足の裏から、重く鈍い振動が這い上がってくる。何かを引き摺るような、のったりと歩くようなその振動に、思わずぎゅうと目を閉じていた。

 スマートフォンから、近距離に強力なモンスターが出現している警戒のビープ音が流れ出す。

 ルティの声は、遠く聞こえた。

 修久は弱いながら〝スキル〟を持つ人間だ。多少なら、魔力だって感じ取ることができる。本当に些細な、肌にピリッと感じるくらいの感知能力。

 それが今、脳内で「見るな」と叫ぶほどにビリビリと、肌を突き刺していた。

 今目を開ければ正気では居られないぞと、そう叫ぶように、視界を閉ざすことしか出来ない。


 ……もう、だめだ。

 逃げ場も、助けも、希望すら、何もない。


 どこか納得をしながら、折られた腕を抱え込んで、その場に膝を折る。圧倒的な魔力と威圧感に、動くことも目を開くことも出来ず、ただ酷い吐き気を我慢する。

 死ぬにしても、ゲロ撒き散らして死ぬのだけは嫌だ……

 背中を丸めて、震える身体を必死に抱え込む。転生庁の所属とはいえ修久はただの人間。

 出来ることなんて、そんな程度のものなのだ。


「ナオヒサ!!」


 バキンと、ルティの剣が折れる音がする。何かが、彼女を攻撃した音だ。

 その音にハッとして顔を上げようとした修久はその瞬間――光を見た。

 正確にどう言葉にすればいいのかわからない真っ白なソレは、修久の中にある語彙力の中ではただ「光」としか言えなかった。

 目を開け顔を上げた瞬間に、何かと修久の間を光が通り抜けた。それだけだ。

 だがその「それだけ」が、恐らくは修久の目の前に居たのだろう多腕の何かを吹っ飛ばし、そのまま光の粒にしてしまう。

 モンスターが消滅する時には肉体はその場に残らない。残るのはダンジョンの中でだけで、ダンジョンの中で死んだモンスターはそのダンジョンの魔力的養分になる。

 修久が講習で聞いたのはそれだけで、実際に目にするのは初めてだ。

 ルティが戦闘をしている時はいつだって修久は安全なところに逃げていたから、こんな風に目の前で雪が散るように――スキー場に雪が撒かれる時みたいに綺麗に消えていくとは、知らなかった。


「わぁ、きれー」

「きれー、じゃねーのよ!!」 


 思わず声に出してちょっとほのぼのしてしまった修久は、直後に顎を襲ってきた衝撃に今度こそ容赦なく後方に倒された。

 きっと、ルティが後頭部を手で庇ってくれなかったらしたたかに打ち付けていただろう程の痛みに、クラクラと目眩がする。

 固いもので顎を殴られたのはわかったし、倒れた自分の太ももの上に何か重みのあるものが乗っているのにも気付いている、のだけど。

 最早顎が腕よりも痛い。左手で顎をおさえて呻いた修久は、今度こそ痛みでメソメソと涙が出てきてしまった。

 痛みに対する訓練なんか、流石の転生庁でもやってはくれないのだ。

「ちょっと、なかないでよ。おとこのこでしょ? わたしがたすけなきゃあなた、しんでたのよ?」

「男の子でも痛い時には泣くんですぅ!」

 ルティに後頭部を支えられながら身体を起こすと、修久はようやく己の足の上にちょこんと座っている小さな女の子に気がついた。

 さっきの怒りの声は、彼女のものだったんだろう。

 歳の頃は幼稚園生くらい、だろうか。薄い灰色の髪にピンクっぽい目がアニメっぽく見えて、それだけで彼女が異世界人だと理解する。

 となると、この子がさっきの〝魔力嵐〟の源、なのだろう。

 思わずルティを振り返ると、ルティは頭から流れている血をグイグイと拭いながら少女を見つめている。

 その目は真剣で、迂闊に話しかけられそうにない。【逆転生者】が真面目な顔をしている時は、前世の記憶を追っている時なのだろうと、修久は知っているのだ。

 そうしてほんの少しの間があき、少女――いや、見た目的に幼女だろうか――もまたルティに視線を移す。

 と、ルティはそこでようやく「あっ」と声をあげた。


「セルフリア! お前、セルフリアでしょうっ」

「えっ」

「なんでわたしのなまえをっ!」

「わたくしは、イヴァルテュス・レ・アストレイア! お前と聖女の座を争った者ですわ!」

「え"!? ルティさま!?」


 ルティ、彼女のこと知ってるの? ていうか聖女? 聖女の座を争う? どゆこと?

 すっかり混乱しながらルティを見上げると、今度は膝に乗っかっていたセルフリアと呼ばれた幼女が彼女に飛びついている所だった。

「ルティさまぁあぁぁ! わたし、わたし! ルティさまがだんざいされたとき、あのダオージをなんどころしてやろうとおもったことか!」

「なに、ルティ、知り合い? やー、よかった。知り合いが居ると話が早いんだよねぇ」

「あのダオージ、ルティさまいがいにもおんながいやがったんですよ! しんじられます!? まぁせいじょのてっけんでふんさいしましたけど!」

「ところで、だおうじって何かな。名前? あ、その子の名前はセルフリアちゃんでいいのかな。〝魔力嵐〟もおさまってるし、よかったよかった」

「あぁぁぁうるさい! うるさいですわよお前たち! 一人ずつおしゃべりなさい!」

 青年を支えつつ幼女を引き剥がしながら叫ぶ美青年。

 その光景は、状況が落ち着いたと見てソロソロと近付いてきた一般市民の皆様から見てどんな風に映ったことだろうか。


 そんな事を想像しようにも上手いこと頭の回らなかった修久は、「やーよかったよかった」なんて言いながら、今度こそその場に突っ伏して意識を失った。

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