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第A−22話 謎のクルミ

『ピーンポーン、パーンポーン~♪』


『皆さま、おはようございます。ただいまから作業のお時間です。各皆さまは各教師の言う説明に従い、速やかに作業内容に取りかかって下さい。それでは今日も一日頑張りましょう』


『ピーンポーン、パーンポーン~♪』


 天井の丸スピーカーから、いつものロボットのような女性による挨拶内容が流れる。


 すでに、一階の玄関のロビーには100人未満、一学年約30名の生徒達が集合していた。


 本日の作業内容は、一学年は自家栽培の野菜を作るために畑のうねおこし。


 二学年は実験室で、有機肥料や化学肥料などの調合。


 龍牙りゅうが達の三学年は、複数ある農園のうちの、ピンクや赤紫色などの花で咲き乱れた区域の草取り作業である。


「さて、今日の朝のミーティングは終わりじゃ。

今日は、この農園の花壇の草取りを行う。

各自、草取りの道具を持ち、草取りを始めてくれ。では以上じゃ」


 ビシッと決めた黒のスーツ姿の三学年担当の石垣いしがき教師が話を終えると、様々な色の作業着(主に黒や灰色だが……)に身を包んだ男子生徒達が軍手をはめる。


 彼らは指示に従い、草刈り鎌を手にして、赤土の混じる花壇に生えた草を相手に、黙々と刈り始めた。


 ──この農園は普通の体育館の半分近くの広さはある。


 ちょうど、苺や花を栽培しているくらいのハウス栽培の広さと例えればよいだろうか。


 いざ、30名で対処しても1日2日で終わるような代物ではない。


 しかも周りは暗い室内で、なおかつ段差のある花壇や、ビニールハウスに覆われているため、草刈機の使用は厳禁である。


 だから、果てしなく時間が続く限り、地道に土に生えた雑草を取るしかないのだ。


 だが、いくら学生の社会進出のための根性と精神強化を狙っているとはいえ、この作業は途方もない。


 それでも生徒達は真面目に作業している様子だ。


 なぜかは定かではないが、この作業で高い評価を得た人は、あの東京大学院の推薦入学が決まるからだろう。


 誰でも難しい勉強を必死にして、闇雲に時間を奪われる受験生の身にはなりたくない。


 ましてや不合格となれば、一年間も浪人になり、生活にも支障が出るはずだし、また、来年も不合格だったら、また浪人生活を送るはめになる。


 その不幸な連鎖は酷である。

 誰しもできる限り、楽をし、安心して入学したいはずだ。


 そんな作業に励む生徒の合間をぬって、龍牙の腕だけが止まっている。


 彼は何かを考えているような素振りでもあった。


「どうしたんじゃ、龍牙。

どこか体の具合でも悪いのかの?」


 それを感じとった石垣教師が、心配そうに龍牙に声かけをする。


「いえ、何でもないぜです……」


 その心配をよそに上の空の龍牙。

 少しばかり日本語もおかしい……。


「石垣先生、龍牙君なら気にしないで下さい。また拾い食いをして、お腹でも壊したんですよ」


 龍牙の隣にいた一瀬いちのせが何とかフォローする。


 まさか、犬じゃあるまいし……。


 いや、犬でも普通は落ちた物は食べないか……。


 犬は人の何倍も鼻の嗅覚が優れており、嗅いだだけで、毒の有り無しも分かるくらいだからだ。


 麻薬探知犬とかもそれにあたる。


「そうか。全く、食いじが張った困ったちゃんじゃのう」


 それを真っ向に受け止める石垣教師に、この教師からの『全く食いじが張った』の言葉だけに思わず反応する龍牙。


 不穏を感じながらも、石垣教師がその場を離れた隙に、龍牙は花壇から不意に立ち上がり、

彼と、ほぼ同じな背丈で生えている植物をまじまじと見つめる。


 その植物の枯れ落ちた花びらの跡から、多数の実が生えている。


 その実一つ一つの色は、焦げ茶色の殻に被われたクルミのような丸い形。


 この木の実には見覚えがある。

 あの時、あのかごから見つけた、あれにそっくりである……。


(まさか!?)


 その木の実を眺めていて、

ふと、龍牙の脳裏に様々な想い出が入り交じってくる。


(そうか。ユミ!?)


 彼女との音楽室での突然の出会い。

 彼女に一瀬を交えたボケとツッコミの心が和む一時。

 彼女と一緒に過ごした寮生活。


 大切な彼女の存在の記憶が鮮やかに甦る。


 どうして、こんな大事な想い出を、今まで忘れていたのだろう……。


 龍牙は草刈り道具を置いて、

せっせと汗を流しながら真面目に草取りの手を動かす一瀬に……、

『ごめん、石垣先生にはガチで腹壊したと伝えてくれ』

 ……と一声添えて、作業場を後にしようとする。


「えっ、あれは冗談だよ。

本当に拾い食いしたの!?」


 驚き、仰天している一瀬の言葉をスルーしながら……。



「……ありゃ、龍牙はどうしたのじゃ?」


 グラサンには似合わない、能天気な発言をする石垣教師が、一瀬の元に戻ってくる。


「あっ、すみません。ちょっとトイレらしいですよ」


 一瀬が草取りをする手を休めずに、そう伝える。


 その時だった。

 石垣教師の胸ポケットから、昔の黒電話のようなスマホの着信音が鳴り響く。


 待ち受け画面には『緊急事態・沖縄おきなわ』の赤い文字。


 すぐに石垣教師は、生徒から聞こえないように離れて対応する。


「もしもし、沖縄か。どうしたんじゃ」

志摩しまちゃん、今、スマホからの防犯カメラで見たけど、彼が音楽室に向かってるぜ。どうする?』

「うろたえるな。その場は自習にして、すぐさま先回りじゃ。

焦らずに計画通りにやればよい」

『あざーす。了解っす』 


 沖縄教師との通話を切り、ふと、額ににじんだ汗を拭こうと、ズボンのポケットからハンカチを取り出す時に、あることに気づく。


(そうか、ワシが、あの木の実を落としたのじゃな。

それで、あれを食べたのか……。

しかし、本当に拾い食いするとはな……)


 石垣教師が苦笑いをしながら、虚空そらを見上げる。


 もしかして彼の手によって、この狂った時代は変わりつつあるかも知れない。


 そう、あってほしいものだ……。


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