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「──
ちょうど周りにある紙切れが、柔らかいクッションとなり、彼……いや、女の子だった、彼女の体全体を支えていた。
心地よい寝顔からして、まるでお花畑に囲まれる夢でも見ているかのようだ。
すでに一瀬の体からは血は止まり、白い紙切れが赤く、彼岸花のように哀しく染まっていた……。
「──さて、親友との別れは済んだかい?」
銀色の携帯灰皿に、さっきまで満喫していた煙草を葬る
いつの間にか、ソフトパックに詰まっていた本数が
龍牙が泣き叫んでいた間に、何本もの煙草を灰にしたのだろうか……。
「沖縄、貴様だけは許さない!」
龍牙がキッと沖縄に向き直り、敵意をあらわにする。
「ひゅー、怖い顔だな。
まるで俺まで命を奪われそうだ」
その彼の表情に
例え、誤射とは言え、自分の手で人の命を奪っておいて、なぜこんなにも堂々としているのだろうか。
この男の思考回路は、人としてずれている。
いや、どこか、おかしいのだ……。
「りゅうがさん?
あの、一瀬さんはどうして……」
「
「あっ、はい……」
弓が言いかけた言葉の先を手で制して、彼女を黙らせる龍牙。
「沖縄ぁぁー!!」
次の瞬間、弓が下がったと同時に龍牙が鉄砲玉のように飛び出す。
右の利き手には、さっき箱を壊す時に使用した小型ハンマーを握っていた。
「悪いな。脳ミソにダイレクトアタックだぜ!」
あっという間に沖縄の懐に入り、そのハンマーを沖縄の頭へと降り下ろす。
『ガコーン!!』
『ツルッ!?』
確かに当たった感触はあった。
龍牙は五感全体で、その音も聞いていた。
確実に人の生死が判別できる行為だったはず……。
なのに、沖縄の頭を叩いたはずのハンマーが足元へと滑り落ちる。
「なっ、何だと!?」
「えっ、りゅうがさん!?」
これには龍牙も、端から見ていた弓も驚いていた。
「はははっ、何も知らない坊主だな。
戦いには敵情視察は重要だぜ。
俺の肌は特殊な作りなのさ」
沖縄がしゃがみこみ、武器を落とした龍牙のがら空きの横腹にボディブローを一発放つ。
「がはっ!?」
龍牙の体が宙へと浮かぶ。
「りゅうがさん!?」
その体を受け止めようと近づく弓。
そこへ、すかさず沖縄が回り込み、無抵抗な龍牙の背中に、右から回し蹴りを食らわす。
「ぐはっ!?」
なすがままにやられる龍牙。
「どうやら、あの世には彼氏も来るらしいぞ!」
『ドコーン!!』
「ぐぶっ!?」
それから右へ吹き飛び、龍牙の体が激しく壁に叩きつけられる。
その龍牙から、普段聞いたことのない、気味の悪い鈍い音が聞こえたような気がした。
瞬く間の沖縄の攻撃で意識を奪われたのか、彼はピクリとも動かない。
それにしても、喧嘩慣れしているとは言え、沖縄の身体能力は半端ではない。
これが本当に学園の教師の動きだろうか。
まさに、格闘術を叩き込まれた兵士のような動作である。
「なーに、心配いらんさ。
今から喜んで、服を脱いで待ってろよ。
一瀬」
沖縄が床に突っ伏した龍牙の頭に、床に転がっていた小型のハンマーをちらつかせる。
「りゅうが……、
龍牙さん!?」
「お前が恋した龍牙坊主も、
もうすぐ、あの世行きだからな!」
沖縄が容赦なく、その凶器を振りかざす。
「だめー、止めてくださいっー!」
弓が叫んだその瞬間、
彼女の全身が眩しく光り、髪の色が金髪になり、世界が灰色に染まった。
「あれ、どうしたのでしょう……?」
やがて、体から光が消え、いつもの髪色に戻り、今度は世界が止まってしまっていた。
どうやら動けるのは弓だけのようだ。
彼女以外は誰も動いていない。
「……これが私の不思議なちからでしょうか?
……そうだ、龍牙さんは」
弓が、さっきまでの状況を思い出し、眼下で繰り広げていた争いの方を向く。
「……あっ、いました」
すぐさま、弓は二人を捉えたが…。
「……えっ、
……でも、た、大変です!?」
……その目の前の異変に凍りついた。
……時が止まった二人の間は修羅場だったからだ。
怒りに満ちた沖縄が龍牙の瞼に、あのハンマーをぶつけようとする直前で固まっている。
素人が判断しても、その沖縄は明らかに龍牙の瞳を潰そうとしていた。
龍牙から視覚を無くし、彼からの攻撃の範囲を著しく狭くする。
まさに軍隊を指導する、教科書のような作戦であった。
このまま、時が進めば、龍牙は確実に両目を失明するのは間違いない。
「私が何とか助けないと」
弓は、これではいけないと判断して、沖縄が握っているハンマーを引き剥がそうとする。
「かっ、硬いです……」
……だが、沖縄の握力は
どうやら時が止まっていても、力加減はそのままのようだ。
「それなら、これでどうですか!」
弓が考え方を変えて、今度は沖縄にぴょこりと可愛く体当たりをする。
『ベチーン☆』
「いっ、たっーいですっー!?」
くるくるくる、ペタン。
ぴよぴよ……。
その場で三回転して、尻餅をつき、フラフラな頭上には、愛らしいお星様がクルクルと回っている。
やっぱり、か弱き少女の力では、びくともしない。
体重や重力も、そのまま変わらないようだ。
まあ、普通に考えれば、当たり前か……。
──赤くなった小鼻をさすり、半べそで途方にくれる弓。
このままでは龍牙は助からない。
「お願いです。
誰か、助けてください……」
弓が天井を見上げて、いるはずのない空想の神様に祈る……。
「……まったく、危なっかしくて、見ておれんの。
しかたがない小娘じゃのう」
そこへ背後から、年輩の男性の声が響く。
それと同時に灰色だった世界に色が戻り、どこからか現れたグラサンをかけた黒いスーツ男による飛び蹴りが、沖縄の横っ腹に炸裂していた。
「な、なんだ!?」
意味が分からない表情で、部屋の隅へ吹っ飛ぶ沖縄。
それもそのはず、龍牙にハンマーを振るおうとしたら、いきなり横から蹴りを食らって吹き飛ぶ展開だったからだ。
まさに、姿が見えない相手からの心霊現象でもあった……。
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「龍牙……」
「うーん……」
「いい加減に起きんか!」
『バコン!!』
「あがっ!?」
頭にかざした物凄い音の拳骨に目を覚ます龍牙。
「はっ、
どうして!?」
「どうやら、気がついたようじゃの」
龍牙の隣には、あの石垣教師が立っていた。
「ちと、子供に対して大人げないぞ。シャーク」
石垣が聞きなれない名前を沖縄へと放つ。
「そっちもじゃんか。ストーン。
奴はプロジェクトKを脅かす違反者だぜ」
瓦礫の山から、のそのそと現れるシャーク。
向こう側も石垣を別の名前で呼んでいる。
一体、二人はどういう関係なのだろうか。
それにプロジェクトKとは何だろう……。
「例え、そうじゃとしても、自身の鮫肌の能力を隠し、力のない子供に対して酷い仕打ちじゃの。
喧嘩の相手ならワシがしてやるわい」
ストーンが両手を握りしめて、指の関節をポキポキと鳴らす。
さらに、シャークの側へ殴り込みをかけようと、その場で構えるストーン。
「あんたは、ここで看護師になって、
それから教師になり、ちと、考え方が変わったな」
ポケットから出した、ヨレヨレの煙草に火をつけながら呟くシャーク。
「昔の真面目なストーンはどこへやら。やっぱ、人は人生に関わるような真剣な恋愛をしたら、性格も、生き方も変わるのかよ」
「……ふっ。
まるで、あの頃を思い出すのぉ」
◇◆◇◆
──あれはちょうど約20年前。
だが、彼を待っていた日本では若者を中心とした、就職難の時代だった。
そして、中々定職にも就けず、どうしようもなく、いたたまれない気持ちになったストーンは、仕事が見つからない人々と面と向き合い、相談して支援する、日本の国機関があることを、市内図書館で無料使用できるパソコンのネットで調べ当てた。
そこへ、連絡先を取ったストーンは、後日、直接、日本で最高機関を誇っていた東京大学院の幹部方と、この悩みを相談することにした。
もちろん、裏方のスパイの事ではない、表社会として、社会を生きていくための稼げるちからを知りたかったのである。
そこで、偶然にも、
あの日の小屋で拾った、同じ金の日本国のバッチを付けていたエンカウンター・ケドラー首相に出会う。
しかも、偶然はそれだけではなかった。
何と、そのケドラーの付き添いの看護師として、あのジャンヌ・ダルクもバイト
この世界は広いようで、実は狭いことを思い知らされた。
そこから猛勉強して、看護師としての資格を取り、同じ東京大学院所属の看護師のダルクに近づいたのだが、この時から石垣は気づいていたのだ。
彼女を兵器として処分する前に、己の想いに気づいてしまうことに……。
それもそのはず。
ダルクは誰から見ても美しかった……。
年齢は20代前半。
身長は150センチの小柄で、豊かな胸元に、スラリとした長い足でモデルのようなスタイル。
それに細眉の可愛らしい童顔で、パッチリとした吸い込まれそうな大きな瞳に、整った高い鼻がついている。
また、腰まである長い金髪をツインテールにしており、頭の両サイドで、紫のリボンにより、左右を留めていた。
そんな、お人形みたいな外見の彼女が、実は強気で凛々しい殺戮兵士だったことは、誰も知らない。
彼女を連れ去ってきたケドラーと、二人を追いかけてきたストーン以外は……だ。
しかも、本当かデマかは知らないが、彼女には交際経験はないらしい。
それを知り、他の男に取られたくないと、いてもたってもいられなくなったストーンは、ある日、夕日が射し込む二人きりしかいない、大学院の教室でダルクに告白した。
──告白の返事はOKだった。
ダルクも頬を赤らめて、微笑んでいた。
向こうも、いつも優しく接してくれるストーンに、少なからず好意を持っていたらしい。
二人はすぐに愛を育み、一人の子宝にも恵まれた──。
◇◆◇◆
「──ねえ、この男の子の名前は何にするの?」
「そうだな。
やっぱり、ファング軍の俺の血をひいてるから、
ドラゴン・ファング。
漢字にして龍、牙かな」
「……りゅうがかぁ。素敵な名前ね。
さすが、私と死闘をしたことだけはあるわね」
「おい、もうその黒歴史は封印してくれよ……」
「ふふっ、駄目よ。
あなたもパパになるんでしょ。
それに、この子には私達のすべてを知ってほしいから……」
「分かったよ。ダルクには敵わないな」
◇◆◇◆
──あれから、ストーン夫妻は、影ながら我が子を見守ってきた。
そして、ケドラーにバレないように、何とか隠し通してきたつもりだった。
しかし、ケドラーはその事をすぐに知り、怒りを覚え、ダルクを罰して、軍施設に監禁して、大量にクローンの彼女のコピーを作った。
その後に、彼女らを第三次世界大戦の兵器にして、ゴミのように使い込み、髪の毛一本から爪の先までの遺伝子レベルごと、日本列島と共に粉々に粉砕した。
もう、ダルクのコピーは誰にも作れないようにするためにだ。
また、二人の愛の結晶によって、生まれた息子のドラゴンはダルクとは別の実験施設に運ばれ、毎日、モルモットのように多彩な実験をさせられ、そして捨てられ、最終的には命をおとしたとストーンに伝えられた。
ストーンは妻に息子と、愛する人を二人も失った……。
それから、彼は逃げるように看護師を辞めたが、過去から逃げずに人と接することが残された自分の余生と知り、東京大学院から少し離れた、このヨスガの高等学園の教師を始めた。
さらに、看護師として学んだ人体学を生かして、保健体育教師となり、まだ若い学生達に厳しい教育をしていった。
後に、体育教師を引退して、現在に渡るのだ……。
しかし、なぜケドラーに、あそこまでされて、今でも彼に逆らわないで尊敬しているのか?
それはまた、後に語るとしよう……。
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「……しかし、幸いにも龍牙は生きていたのじゃ。
龍牙はワシの子じゃ。
ワシがいる限り、誰にも傷つけはさせん」
ストーンと出会い、まだ二ヶ月だが、
我が子の前に話す真実に、龍牙は驚きを隠せなかった。
「だから、俺だけは下の名前で読んでいたのか……」
「すまんかったの。許せとは言わん。
だが、親のケジメだけはつけさせてくれ」
ストーンが龍牙から離れ、シャークとサシで対峙する。
「彼とは幼い頃から血塗られた戦士としてともに戦ってきた。
シャーク、いや、
あの狂った沖縄を倒すまで、ワシの闘いは終わらん」
「石垣……。いや、父さん……」
「龍牙。
……弓君を、これからも頼むぞ……」
石垣は、無言で沖縄に立ち向かっていく。
一人の子供を愛して、
我が子を守り抜く一人の父親として……。