俺たちはラクダのラクちゃんに揺られながら、砂漠を渡り、家路に向かっていた。
しかし、途中から雲行きが怪しくなり、薄い霧が立ち込めてくる。
菜の花が咲き乱れていたオアシスの景色とは思えない、蒸し暑く湿った空気。
大気中の水分が蒸発しているのだろうか。
この砂漠に、一雨きそうな天気になってきた。
それにしても、なぜこうまでして、ガラリと天候が変化するのだろうか。
今朝、自宅のリビングで観た天気予報では、一日中、晴れだったはず……。
「……
「……えっ、いきなりどうかしたのですか?」
「なぜかは知らないが、嫌な予感がするんだ。ラクちゃん、急ぐぞ!」
俺はラクちゃんの体を軽く叩き、手綱を勢いよく掴む。
「き、きゃああっ!?」
晶子は、いきなりペースを上げたラクダに、しがみつくのに精一杯だ。
純白のワンピースから出た素足が、ヒラヒラと
──段々と霧が濃くなっていき、白かった煙は怪しい紫色へと変化する。
俺はある危機感を感じ取る。
さらに俺の鼻は、ある異常を
「晶子、急いでハンカチで鼻と口を
「……えっ、あっ……体が……?」
「だから吸うんじゃない。これは
時は、すでに遅かったのか。
目が
まずは、この状況を
「風よ。空気中の酸素の空間を作りたまえ……」
「バリアー!」
俺の操作するラクダを主軸として、一つの大きな透明なシャボン玉の風船に包まれる。
でも、この能力だけでは意味がない。
「空気よ。空気中の毒素を収縮して、清らかな酸素で
「クリーン、リカバリー!」
俺はさらに
これで晶子は呼吸ができて、大丈夫なはずだ。
「……あれ、私はどうしたのですか?」
「もう心配いらないよ。とりあえず、この泡から出ないでくれ。俺はちょっと、村の様子を見てくるから」
俺はラクちゃんから飛び降りて、シャボン玉の外に出て、村のある方向へ一人で進む。
「あっ、待ってよ、私も行きます!」
晶子もラクちゃんから、降りようとする。
「見えざる
「キーロック!」
「……か、体が動きません?」
「晶子、今は金縛りにあって、悪い夢を見ているんだよ……」
「……スリープ!」
その呪文を唱えた途端、固くなに動けなかった晶子が、ラクちゃんに乗った状態で、ゆっくりと目を閉じる。
今の二つは彼女の動きを制止させ、追加で眠らせる能力だ。
「……ごめんな。後で美味しいカレーが待ってるからさ」
俺はラクちゃんと晶子を、その場に残して走り出す。
幸い、俺にも見えないバリアを唱えたせいか、周りの毒ガスの影響は受けない。
その走る
さらに、おでこの辺りから、気持ちの悪い汗が吹き出していた。
なぜかは知らないが、嫌な予感がする。
それだけは、直感的に感じ取っていたのだ……。
****
──エジブド村は異臭が漂っていた。
村は紫の霧に覆われ、あちこちの建物が大型台風でも過ぎたかのように、半壊していた。
その崩れたピラミッドの一つにあたる、家の壁に寝ていた、顔見知りな同年代の青年を発見する。
彼はいつもゴミ捨て場の近くで、環境整備をしていた俺の知る住人の一人だ。
確か名前は、
「おっ、おい、石木だよな。大丈夫か。何があったんだよ?」
ふと、鼻をつんざく、血なまぐさい鉄の香り。
俺がその肩を揺さぶると、先端のボールが、スイカのようにゴロゴロと転がっていく。
それはその青年の頭だった……。
「う、うわあああっ!?」
俺は慌てて、首を無くした青年から手を離し、隣の家の壁にもたれかかる。
これが、人間がよく言う、腰がぬける感覚そのものだろうか。
しかし、今はそれどころではない……。
「はっ、俺の両親は無事か!」
俺は自宅へと足早にして急ぐ。
所々で倒れている人だった肉の固まり。
立ち込める異臭。
異常な風景が周りを支配していた。
ただ分かることはみんな、首から先がなく、スッパリと鋭利な刃物で切られている点。
俺の想像から、ふと殺害した武器は、刃物で昔からある、日本特有の日本刀を思い浮かべたが、これだけ人を
それに人間には硬い骨があるから、首などを両断したら、即座に歯こぼれがして、これまた、切れ味が悪くなるらしい。
欧米のギロチンでもない限り、一気に複数もの首の両断は無理だとか。
そんな様々な思惑を浮かべた俺の頭は、さらなる混乱を招いていた……。
「母さん!」
自宅に辿り着いた俺は、庭で倒れていた母さん、
「……
母さんの首はあるが、胸元からおびただしい血が流れていた。
その血は人間と同じく赤い。
これは早く治療しないと命にかかわる……。
「母さん、何があったんだよ!」
「……なさい」
「えっ、何だって?
声が小さくて、聞こえないよ!」
たまにひゅうひゅうとする、風切りのような呼吸からして、恐らく刺し傷は肺にまで達しているのだろう。
俺は注意深く、母さんの言葉に耳を傾ける。
「私のことは……いいから……にげ……なさい」
「えっ?」
次の瞬間、俺の体に痛みが走り、その視線が地面へと切り替わる。
周りに広がる、おびただしい赤の飛沫。
「ぎ、ぎゃあああ!!」
俺の体が綺麗に横一直線に、胴切りされていた。
激しい痛みが体を襲い、意識が遠のいていくのが分かる。
ほんの一瞬の出来事で、誰の仕業かは分からなかった。
駄目だ、今、ここで朽ち
「俺の……肉体の体を修復しろ……」
「……リ、リカバー」
俺は声を振り絞り、呪文を唱えた。
体の痛みが安らぎ、足と胴が繋がるのが分かる。
だけど、能力を連発したせいか、それともいきなりの出来事に驚いたせいか、精神的にも限界のようだ。
すると、そこへ長い人影がさす。
だが、俺は近づく人らしき気配を感じながらも、意識は途切れ、暗い闇へと落ちていった……。
****
「……はっ!
母さんっー!!」
「きゃあ!?
いきなりどうしたのですか!?」
俺は目が覚めたと同時に、天井に向かって、力のある限り、思いっきり叫んでいた。
あれ? と、よく見れば見慣れた、黄金の天井。
気がつくと窓際は、太陽の光が降り注いでいる。
俺は自宅の自分の部屋で寝ていたようだ。
枕元には晶子がいて、心配そうに俺の手を握っていた。
ちなみに自身の服装にも異常はない……。
「そうか、あれは夢だったのか……」
夢で良かったと、安心したのも束の間。
トントンと扉が静かにノックされる。
──中に入ってきたのは、俺の親父、
60の初老とは思えない、ガッチリとした体つき。
白く腰までのびた長い髪と、上手に整ったあごひげから、あの仙人を
──最近になって定年退職し、昼間からいつも酒を飲み、家事などに忙しい母さんとは違い、毎日、
『多額の退職金を貰ったから、もうワシは働かなくてよい』な考えを持つ、この親父が俺は嫌いだった。
しかも、それだけではいざ知らず、親父が街中へギャンブルをしに行こうと、ラクちゃんに乗ろうとしても、ラクちゃんもそれを悟ったのか、親父が乗ろうとしても、暴れて言うことを聞かなかった。
こうして親父が自ら望んでいたパチンコや、競馬で遊んで過ごす夢は
そして、今は腹いせに、昼間から酒に入り
「──何だよ、親父。俺に何か用かよ」
「李騎君、ありがとう。湖涼の誕生日を祝ってくれて……」
今日は体から酒の香りが全くしなくて、珍しく大人しい素直な親父。
「まあな。晶子のアイデアだからな。感謝しろよ。それより腹ペコだぜ。早く飯にしようぜ」
「……母さんのカレーは天下一品なんだぜ。
……なあ、肝心の母さんはどこだ?」
俺の言葉に晶子達が黙りこみ、重苦しい空気になる周囲。
「あれ、何だよ、俺、何か悪いことを言ったかよ……?」
「李騎……」
そこへ、晶子が目の前に近づき、俺に一言一句、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「残念ながら……李騎のお母さんは、昨日亡くなりました……」
「……はっ、どういう事だよ?」
俺は信じられなくなり、飛び起きてリビングへ向かう。
いつものように、そこの食卓のテーブルには、母さんが作った美味しそうな朝食が並んでいるはずだ。
今日も焼きたての茶色の食パンと、少し半熟な目玉焼き、そしてトマトを添えた色とりどりの生野菜、さらに熱々のインスタントのブラックコーヒー。
それから昨日全部食べ切れなかった、一晩寝かせたカレーもだ。
俺は今日も楽しく、食事を楽しもうと思っていた。
昨日は俺は疲れて寝てしまい、母さんの誕生日パーティーには参加できなかったから……。
だからせめて、今日は明るく振る舞わないと……。
「母さん、おはよう。昨日はごめん。お誕生日おめでとう!」
「……あんた、何の冗談かいな……?」
そこには黒い法衣に身を包んだ坊さんらしきじいさんがいて、隣には桐の
さらに、その棺桶の中には、白装束を着た母さんが眠っている。
「……母さん、マジかよ。あれは夢じゃなかったのか……」
俺は絶望に突き落とされ、両ひざを床につく。
すぐに視界が
俺は初めて人間の前で、声を荒げて泣いていた……。