卒業式前日。
この8年で物が増えた部屋を見ながら、加賀谷は唸っていた。
卒業式直前ともなれば、週に一度の生存確認から、予行演習や卒業準備で連日通うようになる。
前の作戦以降、千葉県内のデドリィはだいぶ落ち着き、加賀谷も2日前から、自分の家へ戻ってきていた。
「片付けないと」
戻る前に、三十七魔導大隊には異動命令が下っていた。
それは、江戸川防衛駐屯所から連合海上施設 第四フロートへの異動命令。時期は、明日午後。
異動時期からみて、夏目が調節したのだろう。
駐屯地に関しては、坪田が指揮し、用意を進めてくれているが、自宅の引っ越し準備は、自分しなければいけない。
加賀谷が、必要な荷物をまとめていると、インターホンが鳴った。
誰だろうかと、画面を覗くと、慌てて玄関に向かった。
「久保さんに我妻さん!? ど、どうしたんですか?」
立っていたのは、久保と我妻だった。
中隊長ふたりも揃って来るなど、緊急事態かと肝を冷やしたが、それなら、まず夏目から連絡がくるだろう。
副官である久保が直接呼びに来るにしろ、我妻とふたりで、ここにいる理由はわからなかった。
「明日、卒業式が終わり次第、移動するでしょう? 荷物や部屋の受払いなんかの、雑務処理要因ですよ」
できれば、同性がベストなのだろうが、残念なことに、この部隊に加賀谷以外の女はいない。
結果、普段から補佐をしている久保と何か大丈夫そう。と雑な理由で、我妻が選ばれた。
「ま、ああ見えてあいつ、愛妻家なんですよ」
「あぁ見えて、は余計ですよ」
そっと耳打ちされた言葉に、小声で返す。
なんとなく部隊から距離を取られていた時にも、声をかけてきてくれたのは、性格もあるだろうが、父親でもあるからなのかもしれない。
「そうだ。一応、卒業式終了後、すぐに港へ向かうことにはなっていますが、1時間程度であれば余裕がありますから、ご両親と話す程度の余裕はありますよ」
高校の卒業式だ。普段は一人暮らしでも、親は顔を出すだろう。という、久保の気遣いだったのだが。
「あぁ……大丈夫ですよ。夏目さんも来れないですし」
さらりと答える加賀谷に、つい片付けの手を止めて、加賀谷に目をやってしまうふたり。
加賀谷の呼ぶ”夏目”は、十中八九、夏目准将だろう。
「た、隊長って、夏目准将が、お父さん、なんですか?」
「え? あ、はい。書類上は、後見人が夏目さんになっています。本当の親は、それこそわからないですし」
契約魔導士の素質あり判断されると、まず施設に収容され、観察される。
そして、物心ついた辺りで、改めて再検査を行い、素質無しと判断された約半数が親元に返される。
その後、適宜、素質無しと判断されるまで、両親と会うことなく、施設で訓練をしながら育てられる。
両親の元へ返されるのは、可能性無しと7歳までに判断された子供のみであり、それ以降に無しと判断された場合、国が後見人となることとなっていた。
一度は、契約魔導士の素質ありと判断されるということは、少なくとも上質な魔力を持っており、親元に返された後、強制的に入隊させられたり、ひどいものでは、子供が、突然親密そうに近づいてくる人間を拒絶し、殺害する事件などが起きた。
そういった事例から、7歳以降の子供の返却はなくなった。
戸籍を調べれは、本物の両親を調べることはできるが、加賀谷は調べたことはない。
幼い時から施設にずっといたせいか、”家族”という感覚は、いまいちわからない。
辛うじて、幼い時から一緒にいて、気を許せる人たちというなら、思いつく人たちは、いなくはない。
「……」
少しだけ表情を曇らせる加賀谷に、知らなかったとはいえ、傷つけてしまったかと、なにかフォローしなければと久保が口を開こうとすると、奥でしたり顔であごへ手をやっている同僚の姿に、口が閉じる。
「なるほど……つまり、隊長の父母用チケットは余っていると」
「? 余ってますよ?」
「久保中尉。任せた」
「は!? お前、遊びできたんじゃないんだぞ」
「わかってるって。護衛だよ。ご・え・い。部屋の引渡しは俺一人でもできるわけだし。式中に隊長に何かあったら、それこそ、軍法会議もんだぜ?」
言っていることは決して間違っていないだけに、無性に文句を言いたくなった。
*****
式を終え、別れを惜しみ、中々帰る様子のない生徒たち。それでも、30分も経てば、学校を後にする人も増えてきた。
長澤も、涙ながらに、友人たちとの別れを悲しんでいれば、ひとりの友人の姿が見えなくなっていることに、気が付いた。
「悠里?」
鞄はない。
駆け足で下駄箱に向かえば、校門に向かっている加賀谷の背中。
「もういいんですか? まだ時間はありますよ」
式終了後、校門前で待っていた久保は、意外にも早く出てきた加賀谷に問いかけるが、大丈夫だと笑う。
「では、荷物を」
「大丈夫ですよ!? そんな、悪いです!」
素早く荷物を抱え込んでしまう加賀谷に、上官と部下ということを忘れているのではないかと思うが、忘れてるのだろう。
「はぁ……あのですね。男が手ぶらで、女が大荷物って絵面どう思います?」
しかし、誰が聞いているかもわからないこの状況で、”隊長”と呼ぶわけにはいかない。
日本の契約魔導士は公開されていないし、なにより加賀谷自身が、友人へ告げていないなら、自分がバラすようなことは許されないだろう。
「……じゃあ」
言いたいことがわかったのか、渋々といった様子で、最も軽そうな記念品などが入っている小さな紙袋を差し出す。
全く理解していない。
奪い取るかと、久保が手を伸ばした時だ。
聞こえた声に、ふたりは同時に、その声のほうへ目をやる。
「亜美ちゃん?」
知り合いかと、伸ばしかけた手を戻す。
「帰るなら、もう一回くらい声かけてくれてもいいじゃん。薄情者~」
「ごめん。邪魔しちゃ悪いから」
「邪魔なわけないじゃん! まぁ、いいけどさぁ……一生会えないわけじゃないし」
「そうだね」
長澤は、後ろに立っている久保に目をやる。
親にしては、少し若い気がするが、彼氏ではないだろう。
軍人が珍しいわけではない。軍服のままの出席がいないわけではないし、魔導士候補生をまとめて連れていくための指導官の可能性だって大いにある。
だが、久保は、そのどれにも当てはまらない気がした。
「……年の離れたお兄ちゃん?」
「違うよ!?」
慌てて否定する加賀谷は、否定してから頭を悩ませてしまう。
この年齢で、同じ部隊の、しかも部下なんて、十中八九、加賀谷が契約魔導士だと公言しているようなものだ。
いっそ、口裏を合わせてもらった方がよかったと思ったが、既に遅い。言ってしまったものは仕方ないと、割り切るほかない。
「やだなぁ~わかってるって。似てないもん」
表情は笑っていたものの、長澤の心には、ちくりとしたものが引っ掛かり続けていた。
ずっと、聞こうとして聞けなかったことが、ずっと喉から出ようとしては、引っ込んでしまっている。
「残念ながら、自分は加賀谷大佐から送り迎えを頼まれているだけですよ。お嬢さんが聞きたいような関係ではありません」
久保が、どう説明したものかと、表情を微かに強張らせている加賀谷の代わりに、適当な理由を説明すれば、長澤も少しだけ驚いたように表情で声を漏らした。
「あ、そうなんだ。意外に過保護なんだね」
加賀谷は、苦笑いしかもらせていなかったが、逆にそれがよかったらしい。
嘘ではなさそうな加賀谷の様子に、長澤も、少しだけ安心したような笑みをこぼす。
「あ、あのさ」
今なら、聞ける。聞かなければ。
「悠里は、前線に行くわけじゃ、ないんだよね? 死なない、よね……?」
親が、部下を迎えに出すくらいの過保護で、権力があるのだ。危険な前線にでるようなことは、ないはず。
幾分か軽くなった口で、問いかければ、加賀谷は少しだけ目を見開くと、すぐに微笑む。
「うん」
短い返事。
ようやく安心したように笑い、手を上げる。加賀谷もそれに応えるように、手に触れた。
「ありがとう。じゃあ」
「うん。じゃあね」
短く振れた手は、冷たさを残していった。