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第2話



 朱炎と肌を重ねるたび、名も知らぬ熱が這い上がる。少しずつ。いや、無理やり引き出されているのかもしれなかった。

 耀はそれを「怖い」と感じた。


 声を押し殺して、唇をきつく噛みしめる。羞恥のためではない。これは、いつしか身についた“耐える癖”だ。


 ふと耳元で、朱炎の命令が下る。

 何が、どう感じるのか、詳しく言え、と。

 そんな事、答えられるはずがない。


 言葉に出来ず悶えていると、代わりに身体が応え始めた。心と身体は切り離された操り人形のよう。

 すると、この鬼はにやりと笑うのだ。


 「……身体は正直だな」


 笑みを含んだ黒い言葉。次つぎと隙あらば耳元で囁かれる。

 その度に、低い声が身体中を這いずり回った。


 ぞわりと身震いして耐えられず、身体を捩ればすぐに押さえつけられる。


 今夜のそれは温かく、蕩けるような心地良さ……。

 例えようのない甘美な毒だ。日によって、冷たく刺すような時もある。


 毎度、異なる刺激を与えてくる、この男は、優しい鬼。


 菊の花が毒を吸い終える頃には、耀は、ある苦しさに呻き始めた。何かが足りず、苦しいと感じて。


 耀は傷を求めている。それに付随する痛みや苦しみが支えになるから。


 だが、どんなに求めても、決して「傷」だけは与えられない。

 苦しみをなぞるように、触れられるだけで。


(……朱炎様は、優しすぎる)


 耀は薄く目を開いて見上げた。深紅の瞳はしっかりと耀を捕らえている。


 この瞳に全てを見透かされている。

 答えられない言葉も、歪な願望も。

 それなのに、こちらは何も知ることが出来ない。


 (……朱炎様。貴方はいつも、何を考えているのですか……)


 この鬼の考えが分からなくて不安なのだ。言葉も少なく、いつだって分かりにくい。


 耀は朱炎の求めるもの全てを知りたかった。




第二話

•───────⋅ 求めるもの ⋅───────•




 絹の寝具に包まれてもなお身を縮こませる耀を見て、朱炎はふと手を止める。


 群青の着物は滑り落ち、朱炎の指先が耀の肩にそっと触れた。

 細くしなやかな首筋をなぞると、伏せられた睫毛がかすかに震える。


「……どうした?」


 声をかけると、耀はゆっくりと目を開けた。静かに、どこか遠くを見つめる青藍の瞳。視線は宙を彷徨っている。


 つい先ほどまで、激しく攻め上げていた。余韻に浸っているのであれば許せるのだが、実はそうではない。


 許せないのは、耀の瞳の奥底に揺らめくのが過去の記憶だからだろう。


 そこでもう一度「どうした?」と問うた。

 その答えが。


「……まだ……耐えられます」


 聞いた瞬間、朱炎の眉がわずかに寄った。

 耐えられる、と。耀はいつもこの言葉を口にする。


 これは朱炎の欲する答えではなかった。

 もっと別の反応を見たいのだ。


 快楽に溺れ、どうしようもなく自分を求める姿。だが、どれだけ深く抱いても、その姿は一度足りとも見られない。


(……また、あの過去に囚われているのか……)


 過去に何があったか詳しく聞いたことはなかった。しかし、察することはできた。


 かつて朱炎は耀を拷問したことがある。まだ一族に迎え入れる前の話だ。


 あの日、耀を捕らえた。


 朱炎はまだ若く、朱炎の父が一族を率いていた頃。

 その頃、朱炎は余所者の鬼を捕らえ、殺す役を担っていた。


 戦いと、処罰。


 次第に鬼をただ殺すだけでなく、ひとつの遊びとして、拷問した。

 “拷問”に興を見出していた。


 その時に捕らえた鬼の一人が、耀だ。


 どれだけ苦痛を与えても、声ひとつ出さず、暴れることもなく、じっとその場にいるだけだった。

 耐えている、とも言い難い。あまりにも“無”。


 痛みや苦しみを当然のものとして受け入れらる鬼だった。


(それは誇りに思って良い。それが鬼の生き方だ。しかし……)


 この時、朱炎は気づいたのだ。


 ――この鬼、既に死んでいる、と。


 肉を裂いても体はすぐに再生した。再生力は他の鬼と一線を画していた。

 どんなに深すぎる傷も全て綺麗に元通り。傷跡ひとつ残らない。

 体は、生きていた。

 だが、“生”を感じられない存在だった。


 どれだけ苦痛を与えても、なんの反応も見られない。声も上げず、顔が歪むこともない。


 朱炎はこれをつまらないと感じた。


 ――死んだ者は無反応だ。


 朱炎は生への執着が見たかった。

 痛みに震え、苦しみにもがく、死を恐れる姿。その刹那に酷く高揚した。


 たが、耀にそれらは見られなかった。


 さらに、何度か肌を重ねて分かったことは、耀の心の奥底に、歪な欲が沈んでいるということだった。


 痛みに甘え、傷を欲する。


 過去の記憶が刻んだ歪み。そしてその過去に、傷に、耀はずっと囚われている。


 青藍の瞳は、今もなお過去を見ている。

 視線が宙に浮いている。


「……耀」


 引き戻すために名を呼んだ。

 ゆっくりと耀の顎を持ち上げ、その瞳を正面から覗き込む。


「お前は、何を求めている?」


 耀は何かを言いかけて、口を閉ざした。答えが無いのか、それとも答えてはならないと自らを縛っているのか。

 沈黙は、耀の心を物語っていた。目を伏せて、また何かを考えている。朱炎はそれを許さない。

 指先で耀の頬をなぞると強く顎を掴んだ。こちらを見ろ、と意識を向けさせるためだ。


「耀、よく聞け。お前が苦痛を求めて私を確かめるのなら、それは間違いだ」


 耀の喉がかすかに動く。

 朱炎は続けた。


「お前は、私のものだ。私がお前を変えてやる」


 その言葉が何を意味するのか、耀はまだ理解していない。


 だが、それでいい。今はまだ、知らなくていい。


「……朱炎様?」


 冷たい指先が熱に触れるとわずかに強張る。いつもの事だ。それでも耀は朱炎を拒むことは無い。


「生きろ、耀」


 青藍の瞳は見開かれた。

 この言葉で、ようやく僅かな反応が見れた。

 朱炎の口元にかすかな笑みが浮かぶ。


「やっと、だな」


「……朱炎様、それはどういう意……んっ……」


 淡々と聞き返してくる口を塞いだ。濡れた舌で問いを押し戻すように深く絡める。

 “傷”ではなく“私”を求めよ――その思念を舌にのせて。


 耀の身体が激しく震えのが分かり、朱炎はようやく悦に浸ることができた。


 死んでいる者に興味はない。

 死を望む者もつまらない。


 生きて、私を愉しませろ。


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