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3-5

 12分の待ちぼうけを食らったところで、滄史はようやく家の中へと入れてもらえた。

「お邪魔しまーす……」

 正式に招き入れてもらったというのに滄史はなぜだかおっかなびっくりといった調子だ。

 それもそのはず。光矢が住んでいる部屋はおよそ1人で暮らすにはあまりにも広く、豪奢なつくりをしていた。

 床材は綺麗に磨かれた石のタイル張りで、毛足の長いカーペットが敷かれている場所もある。

 廊下から左手側にはリビングダイニングが。右手側にはホテルみたいなパウダールームが見える。奥は寝室なのろうか。開けっ放しになってるドアのその向こう側には街の景色が見えた。

 ただ部屋が広いだけじゃない。設備や調度品が一級品だ。まさしくラグジュアリーな暮らしといった感じで、滄史は小説の資料として写真を撮りたい衝動に駆られるがここはグッと我慢する。

「すみません、わざわざ来てもらっちゃって」

 リビングの方から光矢の声がする。滄史が左手側、リビングダイニングに入ると、普段よりラフな格好をした光矢が待っていた。

 ふわりとおろした黒髪と薄い化粧を施した彼女。白いシルク地のルームウェアに身を包んだ彼女はあまりにも綺麗で、滄史は言葉を失う。

「あの……滄史さん?」

「え? あぁ、いや。なんでも。その、バニーガールじゃないときに会うのは初めてなので、少し驚いてしまって」

「えっ、私そんな変な恰好してましたか?」

「いや、そうじゃなくて、そういうことじゃなくて。お似合いです。すごく綺麗です。そりゃもう」

 慌てて訂正をする滄史。とってつけたような綺麗という一言に光矢は「そう……でしたか」と言って腕を交差させて顔を隠す。

 恥ずかしそうにしている彼女を見て、滄史は違和感を覚えた。

 普段の光矢とは違う気がするのだ。いつもは滄史が頑張って綺麗とか似合ってるとか言ってもお上品に笑いながら「ありがとうございます」なんて言うのに、今日に限ってはそれがない。

 やはりまだ調子が悪いのだろうかと考えたところで滄史はここに来た目的を思い出した。

「そうだ。これ、お見舞いの品です。こっちが玲奈さんの分で、こっちが……その、一応僕の分です」

 ガサガサと音を鳴らしてお見舞いの品が入ったビニール袋をリビングの――どこかに置こうとして止まってしまう。

 なにもないのだ。お見舞いの品を置くべき場所がない。広々としたタイル張りのリビングには壁にテレビモニターとエアコンが取り付けられているだけで、家具らしき家具がなにもない。

 テーブルにイス、ソファーもなければクッションもない。デジタルの小さな置時計がポツンと床に直置きで、なんとも殺風景なリビングなのだ。

 まるで生活の匂いがしない。本当にここで生活しているのだろうかと疑わしくなる。

「わぁ、こんなに。滄史さんも買ってきてくれたんですか?」

 ビニール袋を持ったまま固まっていると、光矢が歩み寄って袋の中を覗いてきた。

 滄史はハッとして袋を広げてみせる。なにもおかしいことではない。今日たまたま掃除をしていたとかで片付いているのだろう。

「もちろんです。玲奈さんと比べるとちょっとしょぼいですけど」

 どうにか返事をして、滄史は自分が買ってきた分を光矢へ渡す。

 チラッと彼女の表情を確認するが、熱があるようには見えない。すでに快方へと向かっているのだろうか。

「そんなことないですよ。私この蜂蜜ののど飴。好きなやつです」

 光矢が気を遣って滄史が買ってきたのど飴の袋を手に取る。「それはよかった」と咄嗟に言って滄史は後ろへ視線をやった。

「あー持ってきたやつ、冷蔵庫入れときましょうか?」

「あっ、そうですね。私やります。ちょっと入れてきちゃいますね」

 病人なんだから大人しくしていた方が。と言おうとした滄史だったが、それよりも早く光矢が動き出してしまった。

 しかしよくよく考えれば自分の家の冷蔵庫をバカバカと開けられるのもあまり気持ちいいものじゃないだろう。滄史はひとまずそう納得し、光矢の華奢な背中を見送る。

「滄史さんはゆっくりしててください」

 アイランドキッチンから光矢の声が聴こえてくる。滄史はキョロキョロと周りを見回し、どこで、と心の中で呟いた。

 ゆっくりできる場所がひとつもない。仕方なく窓の近くまでいくが、特になにをするわけでもなく立ち尽くす。

 首を回すと隣の部屋が見えた。広い室内には毛足の長いカーペットが敷かれていて、ドレッサーとクイーンサイズのベッドがある。

 位置と家具から察するにおそらく寝室だろう。滄史は大きくて青いベッドの上で横になっている光矢を想像し、すぐに首を振った。

「すいません、お待たせしちゃって」

 どうにか雑念を振り払ったところで光矢が戻ってくる。滄史はすぐに視線を寝室から光矢へと戻す。

「あぁ、全然。それより、大丈夫ですか光矢さん。まだ熱はあるんですか?」

「いえ、もう全然。すっかり良くなりました。というか、昨日の時点でもう動けたんですけど、店長がいいって言ってくれなくて」

 珍しく不満げな顔を見せる光矢。またもやいつもと違う彼女の姿に滄史は内心驚きながらも「はははっ」と渇いた笑い声をあげる。

「それだけ光矢さんが頼りにされてるってことだと思いますよ。中途半端な状態で復帰して、またぶり返したらことですから」

「そうなんですけど……」

 言いながら光矢が唇を尖らせる。もじもじと指を弄っているその姿を見て、滄史は肩をすくめた。

「光矢さんは仕事が好きなんですね」

 どこか投げやりなトーンになってしまったその言葉に、光矢はフッと拗ねていたような表情を消し去り、ストンッとタイル張りの床に直に座り込んだ。

「バニーガールのお仕事は好きですよ。色んな人と色んな時間が過ごせるので、楽しいです。あの……滄史さんは、どう思ってるんですか?」

「え? 僕ですか? その、仕事のことですか?」

「……私の、バニーガールの仕事のことです。どう思います?」

 光矢がなにかを期待するように、ジッと上目遣いで返事を求めてくる。

 滄史は腕を組んで考え込み、ストンッと光矢の前に座り込んだ。

 ひんやりとした感覚が服越しに伝わってくる。手のひらで床に触れるとしっとりとしていて冷たかった。

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