春の風が優しく吹き抜ける、放課後の公園。
砂場で遊ぶ子どもたちの笑い声が、空へと溶けていく。
その一角で、まだ幼い少女――宮本静香は、ひとりぽつんと座っていた。
小さな手で砂を握りしめ、パラパラとこぼす。
遠くのベンチには、母親が買い物袋を手にして戻ってくるところだった。
「……はやく、戻ってこないかな」
静香はぽつりと呟き、膝を抱えた。
そのときだった。
――ガルルル……。
低く、喉を鳴らす音が、耳元で響いた。
(……え?)
恐る恐る振り返る。
そこにいたのは、痩せた野犬だった。
牙を剥き、血走った目で静香を睨んでいる。
息を飲む暇もなく、犬は吠えながら飛びかかってきた。
――怖い。
――動けない。
小さな体は震え、声も出なかった。
必死に目をぎゅっとつむった、その瞬間――。
ドンッ!
静香の前に、誰かが飛び出してきた。
自分と同じくらい、いや、少しだけ年上に見える少年だった。
「大丈夫だよ!」
少年は叫び、静香を背中に庇った。
野犬は少年に噛みつき、引っかき、容赦なく牙を突き立てた。
血が滲む。
痛みで顔をしかめても、少年は決して静香から離れなかった。
「絶対に……守るから!」
震える声で、それでも力強く。
少年の小さな背中が、静香の目に焼き付いた。
やがて大人たちが駆けつけ、野犬は引き離された。
騒ぎを聞きつけた母親が、真っ青な顔で静香を抱きしめる。
静香は、無傷だった。
だが、少年の腕には痛々しい牙の痕がくっきりと残っていた。
救急車のサイレンが遠くから近づいてくる。
少年は、静香に向かって小さく笑った。
血で汚れた顔にもかかわらず、それはとても優しくて、眩しかった。
(どうして……?)
(どうして、こんなに痛いはずなのに、笑えるの……?)
震える心で、静香はじっと少年を見つめた。
それは、静香の中で初めて生まれた憧れだった。
自分のことを守ってくれたこの人のように――
(私も……こんなふうに、誰かを守れるくらい……強くなりたい)
子どもだった静香が、心のどこかで初めて強さを願った瞬間だった。
その日から、静香の人生は静かに変わり始める。
十年後。
彼女は異世界で、再び運命の出会いを果たすことになる。