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第26話 不安

 大一番を前にした人間に、周囲は何と言うべきなのだろう?

 初日を翌日に控え、星はルキにLINEを送れないでいた。

 給料もほとんど出ないような小劇場の舞台。それでも主演であることに変わりはなく、チケットもほぼ完売しているという。さすがのルキも緊張しているはずだった。

 だから、今はそっとしておこう。

「おめでとう」を言うのは初日の幕が下りてからでも遅くないと星は思った。

 そう思っていたから、ルキからLINEが送られてきたときは驚いた。

 時刻は、金曜日の23時ちょっと前。星が、コンビニの夜勤に入ったばかりの時間帯だった。

 レジの下でこそこそとスマホを見ると、メッセージはグループLINEではなく星個人に送られていた。

「緊張して、眠れない」

「眠れる森の美女」の主演が眠れないなんてどんな皮肉だよと思いながら、星は無難に「FIGHT!」とスタンプを送ってみた。すると、すかさずメッセージが返ってくる。

「いや、冗談じゃなくてマジで緊張してるんだって」

 真に迫った様子なので、そのまま返事をできないでいると、メッセージが怒涛のように流れてきた。

「実は、さっきまで稽古場にいたんだ」

「演出家が、俺たちの演技に全然納得してなくて」

「特にオーロラ姫がやばい」

「まともに演技ができてないって言われて、台詞が全カットになった」

 それはなかなかにやばいなと星も思った。しかし、スタンプひとつ挟まず流れてくるメッセージは、中途半端な突っ込みを許さない雰囲気に溢れていて、星は何も言えなかった。

「こんなんじゃ、明日の初日に間に合わねぇよ」

「俺だけでもしっかりしなきゃいけないのに」

 珍しく、ルキは弱気だ。

 なんだかんだでルキは芯の強い男だ。入れ墨男に顔面を殴られてもへこたれないし、顔に傷を作ったまま舞台にも上がるし、迷惑をかけた相手に謝りに来る漢気もある。だから、星は彼のメンタルを心配したことはあまりない。しかし、こうも弱気になっていると、年上の男として何か気の利いたことを言ってやりたかった。

 けど、どうやって――?

 星は、舞台のことに関してはとんと素人だ。慎也とルキが「仕事モード」に入っていると、仲間外れにされたと感じてヘソを曲げてしまうような――そんな頼りない大人だ。

 しかし、ルキに晴れ晴れとした気持ちで初日を迎えてほしい気持ちは、周りのどんな「関係者」よりも大きかった。「カルメン」の舞台で見た、ルキの美しさと堂々とした出で立ちは、彼の才能が成せるものだと思ったからだ。

「あのさ……」

 震える手で、スマホの画面を叩いた。こんなこと、素人の自分が言ってもいいのだろうか?

「俺、お前の舞台が好きだよ」

「役者をやっているお前が、好きだ」

 心の内を、稚拙な文章でどうにか吐き出していく。

「『カルメン』でお前がホセをやったとき、こんな綺麗な人がいるんだって、本当にびっくりしたんだ」

「正直、俺は舞台が終わるまでずっとお前のことを見てた」

 メッセージを送信した瞬間、星は辺りを見渡した。客が来るのではと心配だったが、それ以上に慎也に(ここには絶対いるはずもないのに)このメッセージを見られたらやばいと思ったのだ。

「俺は舞台のことなんて何もわからないけど、お前の持ってるオーラは天性のものだと思う」

「だから、演出家に何を言われても気にするな」

「お前は、自信を持っていい」

 素人のお前に何がわかるんだと言われたら、それまでの話だった。

 しかし、今打ち明けたのはすべて本心だった。あんなにも舞台上で輝けるルキだ。明日の初日も、堂々とした態度で臨んでほしかった。

 メッセージを送り終えたあと、既読が付いたまましばらく返信はなかった。

 怒らせたかなと思ったとき、ぽこん、と返事が送られてきた。

「ありがとう」

 たった五文字の言葉。それでも、ルキの気持ちが読み取れるようだった。

「星さんに話聞いてもらえてよかった」

「なんだか、俺もがんばれそうな気がする」

 がんばれそう――じゃない。お前はがんばれるんだ――。

 そこまでは、言わなかった。ルキならきっと、自分の真意をわかってくれると思ったから。

「俺、ちょっと思ったんだけど」

「何?」

「オーロラ姫のこと、星さんだと思ったらうまく芝居できるかも」

「馬鹿か!」

 店内に誰もいないのをいいことに、星は叫んだ。ちょっといいことを言ったあとだっただけに、心臓が変な跳ね方をした。

「どーしてそーなるんだよ?」

「だって、宣材写真撮るとき、星さんが隣にいたじゃん? 俺、星さんをオーロラ姫だと思ってポーズ取ってたんだよ」

 ツッコミを入れようと思ったが、星は何も言わないことにした。

 トーク画面をさかのぼると、弱気なルキの発言が目立つ。それが、いつもの人を食ったようなテンションに戻っている。からかわれたようで釈然としない気持ちもあったが、ルキが元気ならそれでよかった。

「馬鹿なこと言ってないで、演出家に絞られてこいや」

「ほーい」

(よかった、いつものルキに戻った――)

 それにしても、初日の前って役者はこんなにもナーバスになるものなのか――。大変な仕事だと思いながらも、こんなふうに仕事に打ち込めるルキが、星はうらやましくもあった。

(俺も、もう一仕事しないとな)

 誰もいない、店内。外は真っ暗なのに、店の中では蛍光灯が煌煌と輝いている。

 胸の奥に一抹の寂しさを感じながら、星はレジカウンターの内側で両手を広げた。

 俺は、舞台役者。

 初日の舞台を終え、スポットライトに照らされながら観客の拍手を全身に浴びている、ヒロインは、俺だ。そして、カーテンコールで自分の隣にいるのは――俺を眠りの世界から連れ出してくれた王子様――ルキだった。

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