「くっくっく………よくぞここまで来たな、勇者よ」
俺たち四人のパーティーは、気の遠くなるような長い時間を経て、ついに最終ステージの魔王城に足を踏み入れた。
はずだった。
「幾多の強敵を打ち破り、ワシの元へと辿り着いた貴様に最大限の敬意を払い、我が力の全てをもって叩き潰してやろう。光栄に思うがよい」
だが、最上階の薄暗い部屋で圧倒的ラスボスオーラを放つ魔王の前に立っていたのは、ただ一人……俺だけだった。
あとの三人は……。
「んん? ところで貴様の仲間はどうした? 三匹ほど、小娘がいたはずだが?」
「くっ……!」
俺が歯を食い縛ったのを見て、魔王は血のように真っ赤な目を細め、鋭い牙を出し、心底楽しそうに笑ってみせた。
「フハハッ、少し意地悪な質問だったか? 聞かずとも分かる。ワシの手駒である魔物たちに成す術もなく、無様に命を奪われたのだろう?」
「お、俺の仲間たちは、みんな……」
「悔しいか? 腹立たしいか? ワシが憎いか小僧? 果てしない歳月を共に歩んだ仲間の屍を踏み越えて来た気分はどうだ? 案ずるな、貴様もすぐに奴らと同じところに送ってやろうぞ! フハッ、フハハハハハハハハ」
「みんな帰っちゃった」
「えっ」
ここでしか見られないであろう魔王のきょとん顔が炸裂。
「一人は『眠いから』とか言ってた。そんでもう一人は『好きな本の新刊がそろそろ出る頃だから』って……俺にお前の討伐を丸投げして帰っちゃった……ぐすん……」
「そ、それは災難だったな。ティッシュいるか? それで、あとの一人は何と言って帰ったのだ?」
「『魔王は悪の親玉だからワキとかメチャクチャ臭そうだし会うのイヤだ』って」
「すっごい偏見!! 魔王だって体臭気にするから! 夏場とか二回洗うし! 何なんマジで、風評被害だろ!!」
思わぬところで精神的ダメージを受けた魔王は、邪悪な魔力を帯びた大剣を床に置いた。
そして一人で泣きじゃくる俺に近付き、肩をポンポンしてくれる。
「と、とにかくお主も辛かったな。ここに来て仲間に見放されるとは……泣きたければ好きなだけ泣くといい。戦闘は落ち着いてからでいいからな」
「ひっく……なにもこんな最終ステージの手前で帰ることないじゃん……! しかも眠いだの本読みたいだの、身勝手な理由でさぁ!」
「まったくだ! 自分のことしか考えとらん証拠だよそれは! 世界の平和を何だと思っておる!!」
プンスカ魔王は赤黒いマントをガサゴソと漁り始めた。
バツが悪そうに視線をあちこちに移動させながら何かを差し出してくる。
「あの……良かったら『サクサク魔界クッキー』食べるか? チョコミントって割りと好き嫌いあるけどお主は嫌いか?」
「ううん、好き。でも俺に優しくしてくれる魔王さんは、チョコミントよりずっと大好き!」
「バッ、バカ、よせよ…………い、いま飲み物だすから待っとれよ。えっと……『暗黒ミネラルウォーター』が確か戸棚にしまってあったと思」
「突撃いいいいいいいい!!!」
魔王が背を向けて戸棚へと向かった途端に、俺は悠然と立ち上がって号令を出した。
入り口の鈍重な扉がいとも簡単に蹴破られ、三つの人影が素早く侵入する。
一人が渾身の力で弓を引き、ガラ空きの大きな背中に無数の矢を容赦なく突き刺していく。
「がはああっ!! なっ、なにいっ!? 貴様ら勇者の仲間か!! 何故ここに…………グオオオオオオオ!!」
すかさずもう一人があらかじめ詠唱していた最大火力の炎魔法を、怯んだ魔王に浴びせかける。
「うっしゃあ! 作戦大成功だぜ!! だーひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
拳を天高く掲げて大笑いする俺を、真っ赤に燃え上がる魔王は瞳孔ガン開きで睨みつけてきた。
「ゆっ……勇者ぁぁ!! 貴様、ワシを騙したなあああああああ!!!」
「え、うん、騙したけど」
「あっけらかんと言うな!! ワシがどれだけ孤独なお主に感情移入したか、分かっとるのかぁぁぁ!!」
「んんっ!?『サクサク魔界クッキー』めちゃうまいじゃんっ!! ミントのパンチのある甘味と少しビターなチョコの風味がお互いを高め合うように調和していて、噛むごとに幸せな清涼感が押し寄せてくる! 名前の通りサクサクとした食感も心地よい! 食べていると自然に笑顔がこぼれるような、大人も子どもも喜ぶ一枚だ!」
「素材と焼き加減にこだわっておるからね……って聞けや!! 食レポで絶賛するのやめろ! 激怒しなきゃいけない場面なのにちょっと嬉しくなっちゃうだろ!」
勝利を確信した俺は、チョコミントで糖分補給。
ちょうど腹減ってノドも渇いてたんだよね。
「あの、ところで『暗黒ミネラルウォーター』まだっすか魔王さん?」
「現在進行形で燃えとるやつに言うことじゃないだろ!! いま水が必要なの確実にワシ!! くそっ、くそおおおおっ!!」
俺は魔王の大剣を拾い上げると、すぐさまそれを燃焼中のオッサンの腹に突き刺した。
「うっ……ぐはあっ…………」
「悪く思うなよ、お前を殺さなきゃ世界の平和が訪れねえんだ」
「き……貴様ほんとうに正義の味方なのか……? いや、愚問だな。世界を救うためならば、自身が悪に染まっても構わんということか。お主にも大切な者がいるのだな。それらを全て守るために……悪魔に心を売ったのであろう?」
「いや、騙し討ちした方が面白いと思ったから」
「ワシの精一杯のフォロー返せよ!! デフォルトでデビルじゃんお主!!」
魔王は下唇が取れそうなくらい強く、敗北の味を噛み締めた。
「悔しいか? 腹立たしいか? 俺が憎いか魔王?」
「さっきのワシのセリフ堂々とパクって煽ってきたんだけど。ほんと死ねばいいのにコイツ。お、おのれ……ぜんぜん納得いかんが、貴様の……いや、貴様らの勝利を認めてやろう…………だが忘れるな……ワシを倒したとて……いずれ第二、第三の魔王が…………」
「好きな異性の仕草とかある?」
「うーん、デスクワークが一段落したときに『つかれたー!』って一人言こぼしながら伸びとかしてるとキュンとくるかな……ってやめろ!! 魔王の最後の見せ場であるテンプレート遺言を男子中高生みたいな話題で潰してくるのやめろ!!」
勝負は終わった。俺たちは勝ったんだ。
世界は再び、平穏な時を刻み始める。
これで俺も元の世界に帰れるんだ……本当に長かった…………。
「かわいそうに、そこそこカッコいいセリフだったのに最後まで言えないなんてな。えっと……その…………寒くないか?」
「ワシいま燃えてるんだってば!! 泥酔したゴリラの方がまだ状況判断能力あるぞ!! つかムダに気を遣ってるけど言えなかったの貴様のせい!」
「どんまいだにゃん」
「うわ何それすっげえムカつく!! くそ……貴様というやつは…………最終戦で真っ向勝負せずに外道のごとき不意打ちで勝利するわ、ワシの散り際の文言を普通に邪魔してくるわ…………やることなすこと常識外れ過ぎだろ!! どれだけ『ベタ』がイヤなんだ!!」
魔王の怒りが頂点に。青筋が迷路みたいに入り組んでいる。
ふんだ、俺は悪くないし。
騙される魔王ちゃんが悪いんだもーん!! へっへへーんだ!!
「こ、こんな結末では死ぬに死ねぬわ……!! 仕方ない、コレだけは使いたくなかったが…………そんなにベタが嫌いなら、一切合切すべて封じ込めてくれるわ!! 食らえええええっ!!」
魔王のカッと見開いた瞳が俺を捉え、シワシワの震えた右手が顔の前にかざされる。
すると、全てを呑み込むような巨大な漆黒の炎が放たれ、一瞬にして俺の全身に燃え広がった。
「どわあああああっぢいいいいいいいいい!!」
いくらのたうち回っても鎮火できないどころか、炎はどんどんと勢いを増していく。
身に付けている鎧などなんの役にも立たない。
「ちょっ、ほんとに熱い熱い熱い!! なんなんだよこれアヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂャヂャヂャヂャヂャ!!」
悶え苦しむ俺を眺めて、魔王はククッと力なく笑った。
「いまお主にかけたのは『ベタの呪い』…………その名の通り、貴様が少しでもベタなことをすると発動する呪いだ」
「『ベタの呪い』だと……!?」
「貴様が異世界系のマンガやアニメにありがちな行動を起こしてしまうと、瞬く間に強烈な苦痛が襲いかかるであろう。どんまいだにゃん」
「うっっわ言われる側になるとメッチャ腹立つそれ!! ぐああああついあついあついっっっ!! おいテメエふざけんじゃねえぞっ!!」
火だるまが火だるまに煽られているカオスな状況。
仲間たちは何が起こっているのか分からず、わたわたと慌てている。
「だいたい、俺が勝とうが負けようがここで旅は終わりなんだから、呪いなんてかける意味ねえじゃん!! まさか元の世界に戻ってからも、一生呪いが続くってのか!?」
「いや、貴様は元いた世界には帰れぬ」
魔王はハアハアと息を切らしながら、膝から崩れ落ちた。
「この能力には二つの欠点がある。一つは発動者の魔力を暫しの間、ゼロにしてしまうこと。今のワシは普通の人間と変わらん。そしてもう一つは…………『巻き戻し』だ」
「『巻き戻し』だと?」
「うむ。この呪いが発動されると、世界の全ての時間が大きく巻き戻される。分かりやすく言うと、呪いの発動者と呪いを受けた者以外の全員の記憶がまるまる消去された状態で、冒険が初めからやり直しになります」
「我が耳を疑うようなクソシステム!! ナメてんのかバカオヤジ!!『やり直しになります』じゃねえんだよ! 何でそんなめんどくさいことすんの!? ボケ野郎なの!?」
「しっ、仕方がないだろ! 貴様みたいなクズ勇者にこのままやられるのイヤなのだから! ワシだってまた長いこと貴様のこと待ち続けなきゃいけないの辛いわ!! 魔力回復するまですっごい時間かかるし!」
ありえねえ……この野郎だけはマジでありえねえ…………!!
魔王倒せたらゲームクリアでいいじゃん! そこで終わりでいいじゃん!
「っ……諦めて受け入れろ……今さらいくら不満をこぼそうが無意味なことよ……がはっ………!!」
もがく俺に、魔王はか細い声で告げた。
口から赤黒い血液が吐き出される。
「ベタ……すなわち正攻法を全て避けたシュールなやり方で、この世界をもう一度攻略し、再びワシの元まで辿り着いてみせよ! さすれば呪いを解いてやろう! そのとき貴様はベタなことがしたくてしたくて仕方ないはず! そうなれば今度こそ、正々堂々ワシと戦ってくれるだろうが!」
「そこまでする必要ある!? 時間いじくるレベルで騙されたこと根に持ってんのかよキメエな!!」
「貴様がマジメに戦ってくれないからだろ! よりにもよって大事な最終戦で卑怯な手を使った己の愚行を、存分に後悔するがいいわ! フハハハハハハ!!」
魔王は高笑いをあげながら完全に消滅した。
と同時に、俺の全身を覆い尽くしていた黒い炎がようやく消える。
「ざけんな……まだ言いてえことも聞きてえことも山ほどあるんだ…………」
立っていられなくなった俺は、糸の切れた人形のように力なく床に倒れた。
焼け焦げた体からは不快なニオイが漂っている。
真っ黒にただれた手のひらは、自分のものとは思えぬほどに醜かった。
「クソッ……ここまでかよ…………」
残った仲間の一人が泣きながらヒール魔法を発動させるが、まるで効果がない。
魔物たちの頂点である魔王が全魔力を使い果たして発動させた呪いだ。そう簡単にどうこうできるものじゃない。
感覚で分かる。俺はもう助からない。
意識が朦朧としてくる。
ああ、こんなことなら勇者らしく、普通に戦っときゃ良かったなぁ。
後悔先に立たずとはよく言ったもので。
仲間たちが俺を囲んで、何度も何度も、何度も名前を叫んでいる。
お前らは俺のこと、忘れちまうのか…………。
元の世界に帰れないことより。
もう一度、同じ旅を繰り返さなければならないことより。
それがいちばん辛くて腹立たしくて、悲しいことかもしれねえな。
もう少しだけコイツらの顔を目に焼き付けておきたかったが、体が言うことを聞かず、視界がゆっくりと閉ざされていく。
こうして一周目はヘドが出るほどのバッドエンドで幕を閉じた。
走馬灯を見る暇もなく、物語のコンティニューボタンが強制的に押された。
俺の名前は
勇者改め、ただの男子高校生だ。