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第56話 『カリギュラ無』

「……」

「どうぞ」


 えぇ。

 メイドさんは、ティーポットで紅茶をコップに注いでくれたのだが。

 驚いたことに、そのほとんどが床にこぼれている。

 どうぞ、と差し出されたコップに入っている紅茶は微々たるものだった。


「そういえば、部屋の方は」

「はい、用意出来ました、紅茶を飲み終えたら、案内しますね」

「飲み終えました」


 一口もなかった。

 でもまあ、美味しいことには美味しい。懐かしい様な、慣れ親しんだ様な、そんな身も心も温まる味だった。

 でも、もう少しだけコップに紅茶を収めて欲しい。

 僕は庭で雪だるまを増やし続けるモルの方を見やると、視線が合ってしまったのでジェスチャーでしばらく離れると伝え。

 メイドさんについて行った。



 最初に案内された部屋は、だだっ広かった。

 なんて豪邸なんだ、一部屋でこんなに広いのか。

 天井も高い。


「もしかして、広い部屋、お嫌いですか」

「嫌いじゃないですけど、狭い方が落ち着くたちでして」

「そうなんですね!なら!……こほん、ついてきてください」

「……?はい」


 狭い部屋なんてものがあるのだろうか。

 いや、ないわけないか。ひとつくらいは狭い部屋もあるだろう。物置部屋でも、布団があれば僕は住めるぞ。


 僕は先を歩くメイドさんの尻尾から視線を外す為、周りの景色を眺める事にした。

 ガラス張りの、別邸に通ずる廊下からは庭の白化粧をした木々が見える。

 そして、白いもふもふの尻尾。

 ちがう、間違えた。うっかりだ。


「植物園ですか」

「はい、毒を持っているものもありますので、お気をつけて」


 外から見えていたガラス張りの筒状の建物は、中で沢山の植物が育てられていた。

 まさか、これもひとりで手入れしているのだろうか。

 それとも、ミミさんが手入れを?そんな訳ないね。

 というか、まさかここに泊まれと言うのだろうか。


「こちらです」

「おぉ」


 何も無い白い壁の前で止まったかと思うと、メイドさんはその壁を1回叩いた。すると、何も無いように見える壁がほんの少し開いて、扉が姿を現した。

 全く、気づかなかった。


 部屋の中を覗いてみると、そこには小さな部屋があった。左側にベッド、右側に長いテーブルが備えられていた。人が一人通るのがやっとで、奥行きがある訳でもないが。


 寝泊まりする部屋としては、十分だった。

 テーブルの上には様々な小物やら本やら、筆記用具から工具、ぬいぐるみと様々なものが置かれていて少しごちゃごちゃしている。

 ランプがひとつあって、それが部屋を照らしている。ひとつで十分にその部屋の照明の役割を果たしているようだ。


 そして、何よりありがたいのが、この部屋だけ、木製の壁と天井なのだ。床には羊毛の絨毯。


「好きです、こういうの」

「わかってくれます?」

「はい、痛いほどわかります、もしかして、ここ、メイドさんの?」

「はい、私のお部屋です、ですがいつかこうやってだれかと狭い部屋に関して語り合いたいと思っていたので、どうぞ、お客様が宿泊なさる間、お好きにお使いください」

「ありがとうございます」


 狭い部屋が好きなのは何も、猫だけじゃない。

 こういった、押し入れや屋根裏部屋の秘密基地のような空間はとても落ち着くんですよね。

 僕が部屋に入りベッドに腰かけるとメイドさんは屈託の無い笑顔を見せてくれた、しかし今度は拗ねたようにして。


「ご主人様は、広い部屋がお好きなようで、狭い部屋の何がいいかを分かってないんですよね」


 それは人それぞれだし、しかたがないのだけれど。やはり、自分と同じ考えを持つ人間がいてくれると嬉しいものであって。

 それが同棲相手なら、尚更だ。

 その点、僕とモルは相性がいいと言える。と思う。


「まあ、仕方ないですよ。ちなみに、僕がここに泊まる間、メイドさんはどうなさるんですかね」

「わたしは、先程の広いお部屋を使わせていただきます、仕方なくですよ、仕方なく、仕方なく」


 仕方なく、と何度も念を押されたが。勿論そんなことはわかっているとも。

 狭い部屋が好きなのに、わざわざこうして自分の好きな部屋を明け渡してくれているのだから。このメイドさんの人の良さが伺える。


「あ、あと、外で遊んでる子の部屋も」

「はい、また別に用意させていただいております」

「何から何までありがとうございます、ありがたくこの部屋、使わせていただきます」


 メイドさんは微笑んで、「では…」と扉を閉じようとしたところ、何かを思い出したようにまた顔を出して。


「あ、それとベッドの方の壁のクローゼットは私の服が入っているのでお気になさらず、ベッドの下には暇つぶし用の玩具が、あと、机の一番下の棚は開けないでくださいね」

「……わかりました」

「では、また後ほど」


 扉は閉じられた。

 部屋の中は暖かい。

 そして、部屋の中は静かだ。


 ひとまず僕はクローゼットを開けてみた、下心は少ししかない。ただ単純にメイド服自体が珍しいものなので見ておきたかったのだ。

 同じものがいくつも並んでいて、端にメイド服ではないワンピースが吊られていた。

 そして、僕は次にベッドの下の玩具か、タンスの一番下か、どちらを見てみるか迷い。


 僕はカリギュラ効果に基づいて、タンスを開けてみることにした。

 タンスには白い布。あ、これ下着だ。やめとこう。


「んー」


 まあ、幸いにも僕は都合の悪いことは直ぐに忘れることの出来る人間なので直ぐに忘れることができる。

 都合の悪いことは直ぐに忘れられる。

 うん、忘れるのに時間が少しかかりそうだ。


 次、ベッドの下に手を伸ばしてみた。

 木製の箱のようなものがあったので、引っ張り出し、この部屋の狭さでは持ち上げることの出来ない大きさだったので、そのまま開けてみることにした。


「これ、流行ってるんですかね」


 様々な玩具の中、目を引いたのは二足歩行のカエルの置物。

 それ以外にも沢山入っていて、見たことがあるものから、聞いたことがないものまで様々だった。


 知っている物で言えば、チンアナゴパニック。知らない物で言えば、電卓のような昔のゲーム機。ゲーム機かな、もしかすると本当に電卓かもしれない。


 静かな部屋で、ひとり、見たことも無い様々な玩具や小物を見ているうちに。僕は時間も忘れて。

 ひとり、その部屋を満喫した。



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