「ネイルポリッシュドーピングが疑われていますが、事実ですか!?」
繁華街の交差点、視線を上げると大型ディスプレイに可愛らしい女性の顔が大写しになっていた。長いまつ毛に艶のあるリップ、不機嫌そうに寄せられた眉間のしわ。
「……そんなつもりなかったんです。ただ、休日に友達と海行ってて、そんときのペディキュア落としてなかっただけで」
「落としていなかっただけ!? 何言ってるんですか! 大事な競技が控えてたのに」
「反省してまーす……」
ニュースの見出しには、『女子駅伝選手ネイルポリッシュドーピング疑い! 桜山大学入賞取り消し』と書いてあった。ざわつく街角、トヨはディスプレイから視線を自分のスマートフォンに移すと、小さくため息をついた。
「あんな使われ方すると思ってなかったな……」
20XX年、ここ日本は、世界でも有数のエンチャントコスメ開発国だ。古来より、人は化粧から力を得てきた。戦化粧で士気を高め、額への飾りはその者の魂に悪霊が入り込むことを防ぐと言われ、眼孔から入り込む穢れへの防御策としてアイシャドウが好まれた。
それは実際に魔力を持ち、人々の安全を守り、勝利へ導く効果があったと言えるが、いつしか誰かがそれはプラシーボだ、なんて言い始めたせいで一時的に廃った。
しかし、長い年月を経て、この国は化粧の魔力に気づき、目覚める。
人々の生活に役立てるため、開発者は今日もエンチャントコスメを考える。
「トヨ先輩、落ち込んでると思って」
「落ち込んではないけど、一回販売停止かけた方が良いよね……」
通話相手には『
「用法とかはちゃんと書いて出したんだし、うちの商品に問題はないでしょ」
駅の雑踏を行きながらイヤホンマイクで話す。
「まあ、そうなんだけどさ……開発者の意図に反する使い方をする消費者ってどこにでもいるもんだからこっちも警戒しないといけないんだなと思って……」
「……そりゃ、そうだけど」
「今事務所戻るからさ、馨くんお土産何がいい? 駅前でなんか買ってくよ」
「え、いいんですか。じゃあ、モカフラペで」
「はいはい、いつものね。10分もあれば着くから、よかったら器具準備しておいて」
「新作開発するんですか? ペース早くない?」
ちゃんと休んでます? と電話越しに聞こえる梅井の声に大丈夫大丈夫、と返して通話を切ると、トヨは駅前のコーヒーショップへ入っていった。
忙しくしている方が、いくらかマシだ。余計なことを考えなくて済むから。
エンチャントコスメは、化粧品に魔力を宿せるということを数十年前に日本人のとある男性が発表したことにより、瞬く間に世間に広まった。どのような効果を得られるかは、塗布する部位や用途によってさまざまであったが、その魔法が社会に及ぼす影響を考えねばならないということで、少しずつ法整備なども進み、厳しい国の審査を通ったものだけが販路に乗るといった形をとっている。
トヨが開発したネイルポリッシュだって、もちろんその審査をクリアして販売に至ったものだ。
つい、三か月前に発売となった『lighten the load』というシリーズのネイルポリッシュは、その名の通り筋肉への負担を軽減する魔法がかかったものであった。
エンチャントコスメは、魔法の素質のあるものが、魔法の力を持続させることができる基材に魔力を込めて化粧品をつくることで生まれる。そのため、開発が成功してレシピが完成しても、通常の魔力のない化粧品と違って量産が難しいので、流通量はかなり絞られているし、高額になる。それでも、人々はその利便性に惹かれてエンチャントコスメを求める。誰にどのように販売したかは記録に残るので、事件性のある使われ方を未然に防ぐ抑止力は働いているが、前述したとおり――魔法が社会に及ぼす影響で、法的に問題がなくとも開発者の想定を超えた使用による混乱が起きることは、ある程度覚悟せねばならないことではあった。
トヨがリーダーとなって開発した『lighten the load』ネイルは、もちろん陸上競技において使うことは推奨されていない。このネイルを足の爪に塗れば、脚部の疲労軽減が望める。開発陣としては、外回りの営業職だとか、農業従事者、ハードな立ち仕事を一日中するような人が、少しでも脚部の負担を減らして快適な生活を送れるようにというコンセプトで開発をしていたものだから、ネイルを塗ったまま競技に出るなんてことは想定外だった。
一般の薬物によるドーピングを監査する機関に加え、エンチャントコスメが広まりだしてすぐにアンチ魔法ドーピング局が発足した。コスメに限らず、エステやヘアサロンにおいても魔法ドーピングが可能であるためにこの名称となったらしい。スポーツ選手を取り締まる際にこの機関も動くことを選手たちも知っているので、選手本人も指導側も、疑われるようなコスメは絶対に使わないというのが通常なのだが、今回ニュースになってしまった
(……でも、変だな……)
コーヒーを受け取り、紙袋を持って帰路につくなかでトヨは首を傾げた。
(競技の前にはボディチェックがあるから、ネイルとかもしっかり見られているはずなのに……)
エンチャントコスメは、発売が決定するとそれの使用用途によってはドーピング扱いになったりしないかや、悪意のある使用方法による犯罪の可能性などを議論する者が現われる。もちろん、販路に乗せる時点でそういった問題は各機関と調整済みとなっているのだが、あれもこれも、と拡大解釈をして意見をしてくる専門家気取りも少なくなかった。
エンチャントコスメの魅力を認めて求める者、その危険性を指摘して忌避する者、そもそも魔法を悪として見做す者、様々な勢力がいるが、トヨたち開発者にとって厄介なのはあれこれ重箱の隅をつついて「こういう使い方をされたらどうするんですか」と突っ込んでくるタイプだった。そんなことを言われたらホームセンターで包丁も売れないでしょ、と思うが、そういった手合いにその例を出すと「魔法と包丁は違う! 屁理屈を言うな!」と激昂されて終了だ。
今回の事だって、事前にアンチ魔法ドーピング局に「脚部の疲労を軽減するネイルを販売する」という旨は伝えてある。こういったものを販売すると、チェックの項目が増えるからと、やはりあまりいい顔はされないのだが、黙っている方が問題だ。局の人間からの面倒くさそうなため息を聞くのは嫌だが、申請をしなかったことで咎められる方がもっとまずい。
否、咎められるのが嫌、というよりも、トヨの開発者としての倫理観やプライドにおいて、自分の開発したものが悪用されることを防ぎたいという思いの方が強かった。