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第7話

 トヨが今回のネイルについて、基材にのみエンチャント効果があることを公表し、ラメについては問題がなかった旨と、それでも誤解を生まないようにするため、頑固なラメも一緒にするんと落とせるリムーバーを開発しているということを自身のSNSでまとめたところ、一部の反エンチャントコスメ勢力はまだ何か騒いでいるが、世間の評価としては概ね「なにか行き違いがあったのだろう」というところに落ち着いたようだった。


 まだ安心とまではいかないが、少しざわついた心も落ち着いてきて、トヨはまた開発に集中することができるようになったのである。


「あ」


 それから数週の後。トヨはショッピングモールで早瀬と佐野が一緒に歩いているのを見つけた。


(……和解したのかな……?)


 コスメコーナーに二人で入っていったのを見て、トヨは少し躊躇する。自分も市場調査を兼ねて買い物に来たのだが、なんとなくあの二人がいる場所に入っていくのは躊躇われた。自分が作った製品も彼女たちのいざこざに一役買ってしまったわけだから……。

 そう思っていると、ふとこちらを向いた早瀬と目が合う。


「あ!」


 もとから楽しそうではあった早瀬の表情が、更に明るくなった。

「香倉さん! 奇遇ですね、お買い物ですか?」

 人懐っこい笑顔で、ととと、と走り寄ってくる。

「はい、調査も兼ねて……」

 暑さは和らいだころだったが、彼女はサンダルを履いていた。その爪には、エメラルドグリーンのグラデーションネイル。その色合いに、トヨは見覚えがあった。

「そのフットネイル……」

「そう! こないだサロンで買ったんですよ! 香倉堂さんの夏コレクション!」

 ね! と傍らにいる佐野に話題をふる。佐野は、少しはにかんだような顔で頷いた。

「わ、私は買ってなくて、その、早瀬先輩が塗ってくれて」

 佐野の足元に目を落とすと、お揃いのエメラルドグリーン。

 香倉堂のネイルはエンチャントコスメであるため、学生には少し手が届きにくい価格帯だ。二人で同じ色を買うより、違う色を買ってシェアしようと言ったのは早瀬だった。手の方には、オーロラカラーの透け感があるホワイトのネイルにパールのパーツがあしらわれている。

「あのあとね、円華は全部話してくれたんです」

「は、早瀬先輩」

 佐野は恥ずかしそうに視線を泳がせる。



 佐野は、香倉堂からでてすぐに早瀬にメッセージを送った。

 お話したいことがあります、今お時間大丈夫ですか、と。早瀬はすぐに「通話する?」と返事をしたが、佐野はもし可能ならば顔をみて話をしたい、と伝えた。

 二人は大学の女子学生寮に住んでいるので、時間を合わせて会うことは難しくない。早瀬は佐野が何かを打ち明けようとしていることに気づいて、寮のラウンジで会うことを了承した。

 共用部の消灯時間は21時。時間は一時間ある。

 早瀬がラウンジへ向かうと、佐野はソファに座りもせずに俯いて立っていた。

「おまたせ。話って何?」

 ほとんどわかっていて、早瀬はそう聞いた。佐野は顔を上げる。

「あの」

「立ち話も難だしさ、座ろ?」

 スリッパの先端の開いたところから、早瀬のつま先が見える。その日のネイルも、綺麗に整えられていた。ゴールドの、単色。早瀬がソファを進めると、佐野は向かい合うように腰かけて、それから口を開いた。

「あの、ネイルの事、言ったの私なんです」

「うん、知ってた」

「そ、そう、ですよね」

「でもなんでそんなことしたんだろって思ってた」

 普通に仲間だと思ってたから、わざわざ私を落とすようなことするとは思ってなかったんだよね、という早瀬に、佐野は答える。補欠から繰り上がる可能性を思ってしまったこと、入院中の祖母に自分が走る姿を中継で見せたかった事、それがすべて間違いだったこと。

「本当に、申し訳ありませんでした……」

 理由を打ち明けた後、佐野は立ち上がり、そして深く頭を下げた。

 早瀬はソファに腰かけたまま、頭を下げている佐野をじっと見る。そして、問うた。

「おばあちゃん」

「え?」

「聞かれたくないことだったらごめんね、おばあちゃんは、元気なの?」

 今、佐野は謝罪をしているというのに。

 早瀬はそちらより佐野の祖母について気になったようだ。

 床に臥せっていた祖母に走るところをみせてやりたかった、その気持ちはわからなくもない。早瀬も、昨年の冬に亡くなった母方の祖父が陸上選手だったからこの世界に足を踏み入れた。見せてあげられるのならば、自分が走っている姿を見せてやりたい、そう思うのは、自然なことだろう、と。まあ、他者を蹴落としてまでやることではないとは思うが。

「祖母は、まだ入院してる……けど、手術の予後は、悪くない、みたいで」

 ぽつらぽつらと話す。早瀬は、ほっと胸をなでおろした。

「そっか、よかった。大事にしてあげなね」

「……はい……」

 柔らかく笑った早瀬に安心してしまいそうになるが、佐野は改めて頭を下げる。

「その、どうしてそっちを気にかけてくれるんですか、もっと怒ってください、責めてください」

「なんで?」

「それ、は」

「私が責めたら、責められた円華も可哀想になれるから? それって違くない?」

 早瀬の声は柔らかなままだったが、その言葉には厳しい叱責が込められていた。


「変にぎくしゃくして終わるのも違うと思うけどさ、でも、円華は自分がやったことずっと反省してないとだめだと思う。私はこの件については、はっきり許すとも言わないし、許さないとも言わないよ」

 佐野はここで泣きそうな顔をしてはいけない、と理解した。


 それでは、反省にならない。


「でもね、私は円華の事はちゃんと大事な後輩だって思ってる。せこいことして私を貶めようとしたっていうのは消えない事実だけど、それがあってもなお、円華のこと、大事だよ」

「先輩……」

 どうして、という言葉を飲み込んだ。

「くっだらないことして、絶縁なんて嫌じゃん。もう二度とやんないでよね」

「はい……!」


 許してはいない。


 それでも、関係は絶たない。


 ある意味での残酷さを抱えながら、後ろめたさを引きずりながら続いていく関係も、世の中には存在するんだと佐野は知った。

 許すよ、と口だけで言って実際は許していない人間なんて、この世界はごまんといる。それで陰口をいう手合いも、たくさんいる。早瀬は、あらかじめ「この件については許すとは明言しない」と自分の厳しさや弱さもさらけ出したうえで、佐野と付き合いを続けると宣言したのだ。


「もちろん、円華が気まずすぎて嫌っていうなら私はフェードアウトするけどさ」

「いいえ」

 食い気味で佐野は否定した。

「虫の良いこと言ってるってわかってるけど、私、まだ早瀬先輩から教わりたいこといっぱいあります」

「えっ、指導だけ……?」

「あっ、えっ」

「っぷ、そんな顔しないでよ。……また、遊びに行こうよ」

「……はい!」


 次の日には、一緒に朝食をとる二人が見られた。



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