『ママね。若い頃、女優さんになりたかったのよ』
ママが笑顔で言っていたのを覚えてる。
生まれてすぐに僕は芸能人になった。だから僕が子役として輝くのを心の底から喜んでくれるママの笑顔が大好きだった。
生後数か月そこらで、人気女優が演じるヒロインの生んだ赤ちゃんになった。おむつのCMに出て、全国の薬局に僕の顔が並び、5歳でシングルファザーの子ども役としてドラマに出演した。それがきっかけで僕は爆発的に名前が売れた。
子供向けバラエティ番組で仕事して、複数いるレギュラーのセンターとして僕は売ってもらえた。
数えきれない本数のドラマやバラエティ番組にも出演した。
僕は売れっ子としてテレビ局の人にも気に入られていたから、途中から営業なんてしなくても仕事が舞い込んできていた。
途中からは忙しくて学校にまともに通えなかったし、たまに授業だけ出て体育はいつも見学していた。怪我をしたらドラマの仕事に差し支えるからだ。
放課後もママがすぐに迎えに来る。休み時間に校庭で遊んだ記憶もない。だから、学校では浮いた存在の僕に友達はほとんどいなかったけど、平気だった。
だって、売れれば売れるほどママが喜んでくれるから僕はそれだけで十分だった。
ある日、ドラマの撮影が長引いて、帰りが遅くなってしまい僕は後ろの席に横になって寝てたんだ。
『れおちゃん、ちゃんとシートベルトして』
それが最後に聞いたママの言葉。
病院で目を覚ました。
————いない。
ママがいない。
真っ白な壁、真っ白な布団。
腕から伸びる点滴。身体中に巻かれた包帯。
異質で無機質な病院の個室に、たまたま看護婦さんが僕の様子を見に来ていた。
『ママどこですか?』
看護婦さんは目を逸らして教えてくれない。
ママがいない。
ママがどこにもいない。
『ねぇ、ママ、どこ?』
呼んでもママが来てくれない。
あ。
もしかしたら、病室の外のトイレに行ったのかも!
いや、もしかしたらお腹が空いて売店に行ったのかも!
だったら、廊下にいるのかもしれない。
大きな声で『ママ』と叫んだ。
だけど、ママは姿どころか声さえ聞こえない。
体のあちこちが痛い。きっと僕は交通事故に合ったんだ。それじゃ今ここにいないのは仕方ないよ。だって、ママはお医者さんと話をしないといけないからだ。
ドラマでやったことある。レントゲンを見ながら、「骨にヒビがあるから安静にしないといけませんね」というセリフを言う俳優に、「ヒビと折れるのは何が違うんですか」と聞く子供を演じたことがある。きっとママはあの時レントゲンを見たような部屋に行ってるに違いない。
だってママは僕と離れたことなんてほとんどないんだ。
きっと、怪我をした僕のことでお医者さんと大事な話をしてるだけなんだ。
じゃあ、大丈夫だよって言いに行かなきゃ。
僕元気だよ。家に帰ろうって言いに行かなきゃ。
そんな訳ない。そんな訳があるはずがない。
ママはまた僕の事を抱きしめて大好きだって言ってくれるはずだ。
だけど、ベッドから降りようと自分の布団を剥がした僕は現実を直視する羽目になる。
両膝から下の足が千切れて無くなっていた。
――――
―――
――
ママのお葬式には参加できなかった。僕が寝てる間に終えてしまったらしい。ベッドのわきに置かれた遺影の中で微笑むママがいた。
リハビリは苦痛でしかなかった。芸能の仕事ができなくなった僕はただの怜音。友達なんていなかったから、誰もお見舞いに来てくれない。あんなにちやほやしてくれたテレビ局の人も、最初数人が来ただけですぐ誰も来なくなった。
看護婦さんやトレーナーがいくら励ましてくれても、義足での歩行訓練をする気力が湧き出るわけがない。
足が無くなって、ママがいなくなった僕は完全にもぬけの殻でしかなかった。
パパはとっくの昔に僕の稼ぎを当てにして仕事を辞めていた。飲んだくれで女好きで、ママはいつも苦労していて、子供の僕から見てもろくでもない大人だった。
12歳になる誕生日、リハビリも半ばに、入院費がもったいないという理由で僕は退院させられ、家に帰った。
車椅子で帰った家は、何故か住所が新しくなっていた。きっと”手嶋玲音”が行方をくらまし、仕事をしやすくなるためだった。
新しい僕の家には知らないおじさんがいて、脂ぎった顔で笑いながら僕に近付いてくる。
その晩から、新しい仕事をすることになった。
一晩でパパがいくら貰っていたか分からない。毎晩死にたい気持ちでいっぱいで、目覚めたら死んでないかなと願ってた。この頃、一人称が僕から俺に変わった。きっと、精いっぱいの抵抗の気持ちからだった。
パパだった何かが誰かに電話で「ショタコンの変態相手なんだからデカくなられたら困る」と話した日から食事も減らされた。
そんな生活には、半年もすれば何の感情も湧かなくなった。
1日中テレビを見ていた。
事故直後は”手嶋玲音”の事故について何度も取り上げていたテレビも、時間の経過とともに手嶋の手の字も取り上げなくなった。
俺が笑顔で手を振っていた子供向けのバラエティ番組では、すぐに別の子役が俺の代わりになった。俺がセンターだったころ、わき役みたいな立ち位置で頑張ってた奴だ。
「俺の事みんな忘れたんだろうな」
部屋の隅で呟いたって誰も聞いてくれやしない。
餌みたいな食事を1日2回取り、暇なときはテレビを見て、週に2、3回変態の相手をする日々を送り続けた。
義足で歩く練習なんてとっくの昔に止めていた。外出できる日が来るなんて思えなかったから。
膝立ちも痛いからなるべくベッドやソファの上で過ごす俺は十代前半だというのにまるでじじいだ。死んだほうがましだと思いながら迎えた15歳の誕生日の前日、いつもみたいに馴染みの客が来た。
『イツモノ倍払ッタンダヨ。玲音君ノオ父サンニネ?イツモノ倍、多ク払ッテルンダヨ。15歳ニナルンダカラ、チョットヤソットデ死ナナイダロッテ』
臭い口で意味不明なことをまき散らし俺に覆いかぶさったと思ったら、急に首を絞めてきた。
遠のく意識の中思ったんだ。普通の15歳ってどんなのだろうって。
こんなおっさんが首を絞めてきても簡単にねじ伏せて、やり返すことができるんだろうか。
普通の15歳なら気持ち悪い顔をぼこぼこに殴って客を追い払ったあとに、こんな目に合わせたクソな父親を殺せるだろうか。
いや、そもそも普通の15歳なら、親に売春なんてさせられないか。
普通は学校に通って、勉強して、部活したり、放課後カラオケとか行くんだろ。
彼女作って親に隠れてエッチなことするんだろ。それがきっと普通の15歳だろ。
『アァ、イツモヨリシマッテル』なんて言いながら腰を振る気持ち悪いおっさんの相手するのは普通じゃないだろ。
俺の記憶はそこで途切れた。
次に目覚めたのは、外国人のおっさんがコーヒーを入れながら鼻歌を歌う部屋に置かれたソファーの上だった。
『~~~!~~~~!!~~~~~~~~?』
目覚めた俺に話しかけてきたけど何人だ?青い目だからアメリカ人か?
『~~~~~~~~~~~~!』
英語っぽい。でも英語じゃない気がする。それなら、フランス語?イタリア語?
『~~~~~~~~~~~?~~~~~』
中国語?韓国語?ブラジル語?
『~~~~~~~~~~~~~~~!』
何言ってんのか分かんねーよハゲ。ここどこだよハゲ。
何語か分かんないまんま、俺は差し出されたおっさんの手料理を食べた。
正体不明のおっさんに世話をしてもらった。
風呂に入れてもらって、伸びっぱなしの髪をブラシで解してすいてもらった。
コーヒーなんて飲めないと日本語で言ったら、少し困った顔をしたあと、あったかい牛乳を入れてくれた。
一人暮らしのおっさんが甲斐甲斐しく俺の面倒を見るなんておかしいと思っていたら、案の定、夜の相手をさせられた。
優しさの残る行為だった分、首絞め変態くそ爺の相手よりはましだった。
だけど、俺の人生ってずっとこんなんなのか。搾り取るだけ搾り取ったら、その辺にでも捨てられるのかな。
『~~~~~~~~。~~~~~~?』
だから、何言ってんのか分かんねーよおっさん。
昼間、窓の外を眺めてみる。俺は、首絞め変態くそ爺の相手をした後、寝てる間クソ親父に外国にでも売られたんだろうか。
おっさんの家は、巨大な隕石でも墜落したかのように崩壊した、どう見ても日本じゃない街の中に建っているみたいだった。うっすらと見える遠くの丘には教会が建っている。夜には点みたいに小さい灯りが漏れてるから、あそこには人が住んでるんだろう。
おっさんはたまにどっか出かける。帰るとお菓子がある。全部俺にくれるのは嬉しかった。
言葉を教えようとしてくれたので、おっさんの名前はジョシュアと言うのが分かった。おかげで知らない人から知ってるホモのおっさんに昇格。
とはいえ夜の相手をさせられるのだけは苦痛だ。おっさんから逃げようと思って留守の間に試みたら、部屋の扉には鍵がかけられていて、窓には鉄格子が嵌められている。窓を開けて大声で助けを呼んでみたけど、人の姿を見ることがなかった。どんだけ田舎に住んでるんだよこのおっさんは。
もう逃げらんねーかもと絶望しながら2週間ほど過ぎた。
『~~~~~』
「だから、何言ってんのか、わかんねーよ」
『~~~』
「はいはい」
『~~!!』
何故かオセロの相手をさせられている最中、この時もおっさんが何を言ってんのか俺には分かんなかったけど、多分トイレにでも行くと言ったんだろう。一度部屋から出て行った。
ご丁寧に外カギをかける音が聞こえたけどそれは特に気に留めなかった。それよりも気になったのは、しばらくしてから扉の向こうで【バタン】と、何かが倒れる音がしたことだ。
「おっさん?」
返事がない。
「おーい」
気配がしない。
「おっさん、ふざけんのやめてよ」
ママがいなくなった日の事を思い出した。
テーブルには、おっさんの淹れたお茶があった。とはいえティーポット1杯分と、飲み残しのマグカップ分だけだ。大した量じゃない。
食料も、昼の食い残しとお菓子があるだけ。パントリーは部屋の外にある。
扉に突進しても開かない。窓からは出られない。
ここには誰も訪ねてきたことがない。窓の外を誰か通り過ぎたことがない。
数時間も立たないうちに「死」の文字が頭をよぎった。
あの時、事故に合ってなかったら俺の人生違っただろうな。体力を温存するため、ベッドで横になりながら考えた。
俺はよく容姿を誉められていた。どの子役よりも将来が楽しみな完成度だと、とても11歳だとは思えない美しい顔だと、俺と出会った人はみんながみんな、まるで絵画でも見る様なため息をついた。
俳優としてあのまま突っ走るのも良かった。顔を活かしてアイドルになるのも良かったかもしれない。
いや、いっそ電撃引退して伝説の子役として名を残すのもありだった。
せめて、せめてママが死んでなければこんな目には合ってなかっただろうな。足がなくても元気な人がたくさんいることは知っている。足がなくても車椅子に乗ってバスケットボール選手をしている人がいるとニュースで見たことがある。
俺もリハビリを頑張って義足で歩けていたなら、バスケまでできなくても、普通の15歳みたいな学生生活を送ることができたかもしれない。
それこそ放課後にカラオケに行って、友達と遊んで、彼女作って——。
「……女の子とエッチしてみたかったなぁ」
部屋の隅で呟いたって誰も聞いてくれやしない。
2、3日が過ぎた。元々栄養失調気味だった俺はベッドの上で早くも限界を迎えていた。何十回も幻肢痛に悩まされるし最悪だ。
水分を節約するために唾を飲んでいたけどそれも限界が近付いていた。ポットの中身はついに空になってしまっていた。
きっと廊下で死んでるジョシュアのおっさんも干からびて腐り始めてるんだろうな。
俺をおもちゃにして楽しんでたことは許さないけど今までで一番ましな客だったから、そう思うと、あのままなのはちょっとかわいそうな気もする。けど、じゃあどうすればいいのか、というのは喉の渇きと空腹感でまともに考えられない。
「うわ! ん!ジョシュアさん死んで よ」
周りの音が全部、プールにもぐっている時みたいに低く響いていたから、バタバタと音がしたのにも最初は気付かなかった。久々に日本語を聞いても、俺は最初それを言葉だと認識できなかった。
『~~~~~。~~~~~~~~~』
「分かってます。 、車に積んでまし け?」
『~~~~』
「あっ さんダメです。 さんだろうと触っちゃだめ 。俺がやるんで ください」
『~~~~~~』
「 なんて最後で ですから!」
……なんだ?何語だ?
『……、~~~~~~』
「え?ジョシュアさんって 暮らしでしょ。誰が ですか」
『~~~!~~~~~!~~!』
男の声と女の声がする。
「あ………」
体を起こして必死に声を出した。その合間に誰かがドタバタと廊下を走って玄関に出て行ったかと思うと、すぐに戻ってくる。
そして何か引きずる音の後、鍵の開く音がした。すぐにばんっと音を立てて扉が開いた。
『~~~!』
外国人の女だ。シスター服を着た、明るい茶髪で、そばかすのある大学生くらいの年齢の女だ。ファンタジーアニメに出てくるような見た目だから俺は夢でも見ているのかと思ったけど、シスターは俺を見た瞬間、顔がサッと青ざめて俺目掛けて飛んできた。
『~~~?~~~~!?』
シスターは目もまともに開けられない俺の肩を揺らすと、男へ指示を出すような強い口調で話した。体が揺さぶられる感覚からして夢ではなさそうだ。
シスターの胸を背もたれにするように抱きかかえられた俺は、男の持ってきた水筒の水を何口か飲まされた。そのままの体勢でシスターが俺の両手を握ると、何か訳の分からない呪文を唱えている。しばらくすると手やちぎれた足先がポカポカと温かくなってきて、不思議と力が注がれている気分になった。
「子供?ジョシュアさんの息子さんですかね」
『…………。~~~~~』
「え、あの人そういう趣味が……キモ」
このシスターは魔法使いだろうか。少しだけ元気になったような気がした俺の聴力はまともになって、会話が聞き取れるようになった。
「この子、足ないんですけど」
『〜〜〜?』
「いや、車椅子とかは無さそうっすね……』
「……おにーさんたち、誰……?」
「え?」
絞りだした声で質問をすると、男の方がびっくりした顔で俺を見る。
「俺、助かるの……?」
「お前、日本人!?」
流ちょうな日本語で話す、サラリーマンくらいの年齢の男が聞き返してきた。
「アンさん、こいつ僕と同じかも」
『~~!?~~~~、~~~~~!!』
「は!?指輪外したら僕が話せなくなるじゃないですか!」
『~~!~~~!~~~~~~!』
「わかったわかったわかったわかった!指千切れる!」
女の人は男の指から無理やり指輪を外させると、俺の親指にそれを嵌めなおした。ブカブカだからか、指輪と皮膚が密着する様にぎゅっと上から握られている。
久々に、柔らかい皮膚が俺に触れた。ふかふかで骨が出てなくて、俺とそんなにサイズの変わらない手のひらは暖かくて、ママと手を繋いだ日を思い出させるには十分な体温だ。汚いおっさん達とは違う、きめの細かい肌の女の人の皮膚だ。
「~~~あ~~~~~~~、あ、あ、あ、あ。あ!あああ!ねぇ、聞こえる?言語設定はスバルのままでいいはずだよね。ねぇ君、私が何て喋ってるかわかる?」
感情に浸ってる暇もなく、さっきまで意味不明な言語で話していたシスターが急に流暢な日本語で話し始めた。意味はわかるけど突然すぎるネイティブな言葉遣いに呆気に取られた俺はつい口を詰むんだけど、シスターはそんな俺にお構いなく話を続ける。
「私は、アン。シスターアンです。あなたを助けに来たの」
これがアンと出会った最初の日の記憶だ。
「ねぇ、あなた大丈夫?ずいぶん瘦せてるけど、ご飯食べてないんじゃないの?力は少し注いだから死にはしないわ、でも休息が必要なはずよ。とりあえず我が家に運ぶけどいいわよね?」
手を握ったまま話しかけてくれるアンの顔をまじまじと見た。そばかすはあるけど肌は綺麗だ。金髪と茶髪の中間みたいな色の髪は多分天然で、ボブカットで揃えてる。
歳はきっと俺より上だけどまだ若い。透き通る青い瞳のせいで外国人かと思ったけど、日本人っぽさのある顔立ちだからハーフかもしれない。結構美人だ。
あー、それにこの人、服の上からだと分かんないけど、頭にふかふかの肉があたってるから、俺の予想は多分合ってる。
おっぱいが大きい。
……そうだ。思い出した。
「………………お姉さん」
「喋れる?大丈夫?」
「……俺とエッチして」
俺、可愛い彼女を作ってエッチしたい。
突然の救出劇に俺の頭はきっとハイになっていた。最低すぎるお願いを聞いたアンは、あははと困った様に笑ってから「ちょっと、眠っててねー」と言って俺の瞼を手のひらで覆い隠した。