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第1話 ライオンは強い❷

「…………アンさん、あいつどーするんです?出会ってすぐセクハラしてくるガキなんて助ける価値ないですよ」

「スバルってばそこまで言わなくっても」

「だってそうでしょ」

「子供の戯言でしょ、大人なんだから流してあげないと」

「ガキはそこをつけ上がってくるんですよ!」

「はいはいスバルくーん、大丈夫大丈夫。子供は怖くないよ〜」


 俺は、また知らない部屋で目覚めた。

 食べ物の匂いがする。肉をスパイスで炒めてる様な匂い。久々にかいだ美味しそうな香ばしい匂いに胃がつい反応した。

 のそりと上半身を起こして周りを見渡した部屋は、暖炉があって古い魔法少女のアニメに出てきそうな少しボロい雰囲気だった。逆さになったドライフラワーや草が壁や空中に吊られて浮かんでいる。窓の外はすでに暗くてレースのカーテンが閉められていた。

 声の聞こえてきた部屋の方からオレンジの電灯が漏れていて、料理をする2人の背中を照らしている。男の方はテキパキと肉を焼いたり野菜を焼いたり、合間に皿を洗って手際よく動いていたけど、アンはのんびりと鍋をかき回しているだけだ。


 起き上がった俺は膝立ちで短い廊下を歩いて2人の方へと向かう。その途中でアンが俺の足音に気付いたのか、振り返ってニッコリと太陽みたいに笑った。掻き回していた鍋のお玉を横の男に預けると、手を拭きながら俺の方へと駆け寄ってくる。


「おはよう!目が覚めた?」

「………………あの」

「言葉大丈夫よね?あなたサイズの翻訳リングあったから着けといたわ。無くさないでね」


 アンは俺の右中指をツンツンとつつく。幾何学模様の入った銀色の指輪が嵌められていた。


「これがないとあなたと私は会話ができないのよ。指はキツくない?キツいなら、他にもサイズあるから言ってね。すごく丈夫だし、水に濡らしても大丈夫だから、手洗いする時も外さずにつけておいてね」

「………………あ、あの」

「私、アンよ。アンちゃんって呼んで」

「あ、アンちゃん?」

「そう♡」

「起きたかクソガキ」


 なぜかブリブリのエプロンを着たさっきの男が鬼みたいな顔をして俺を見下していた。

 俺はこの時初めてこの男の顔をまじまじと見た。そこそこ身長があって、アンよりは年上に見える。黒髪を無造作にオールバックにしていて、生え際に黒子があった。


 たれ目以外は特にこれといった特徴のない所謂塩顔と言うやつだ。なよっとしていて頼りがいがなさそうなのにアンはこの男とずいぶん親しいみたいだ。その証拠に、この男は俺の事を敵意に満ちたような、それか道端に落ちてるゴミでも見るかのような目つきで睨みつけている。


「まず、アンさんにセクハラしたことを謝罪しろ」


 これがスバルとの最初の会話だ。

 ただ寝ぼけていた俺は『セクハラ』が何のことだかすぐに思い出せず、スバルの威圧的な態度には真っ先に苛つきを覚えた。


「……は?おっさん誰?」

「――――オッサ!?」


 売り言葉に買い言葉で一瞬で男2人の間に火花が散る。アンは「やばっ」と言葉を溢すと、客に吠えるバカな犬を押さえる飼い主みたいにスバルをあやしていた。


「もースバル私は気にしてないって!ね?落ち着いて〜」

「…………とにかくっ、飯できましたから!食べますよアンさん!」


 唸り声の幻聴が聞こえそうな程、明らかに苛つきを隠せていなかったスバルだったけどアンのおかげで大人しくなった。


「ねぇ、あなたもお腹空いたでしょ?体力は回復させたからすぐ食べれるはずよ」

「回復させた?」

「んふ、お姉さん魔法使いだから」


 人間業ではないことが聞こえて思わず聞き返した。アンは俺の反応にくすっと笑うと、「食べるのに邪魔ね」と、しばらく風呂に入ってない俺の髪を気にせずに摘まんで、伸びすぎた前髪をヘアピンで留める。


「あら、かわいい顔」


 頭を撫でられた。


 俺をスバルがダイニングに運んで3人で食卓を囲んだ。「足が無えのに重いな」と悪態をつかれたのが何か気に入らなくて足で蹴ったらまた喧嘩になりかけた。アンに嗜まれつつ席に座らせてもらい、スバルに目玉焼きの好みを聞かれたから答える。しばらくするとリクエスト通り、半熟の目玉焼きの乗ったハンバーグが出てきた。

 何も言ってないのに、コーヒーじゃなくてあったかいお茶が出てきた。まだたくさんあるから遠慮するなという言葉付きであったかい丸パンが2個出てきた。それと、さっき焼いていたらしき肉がサラダ付きで綺麗に皿に盛られている。肉からは肉汁と湯気が立って、いい匂いが部屋中に立ち込めている。


 数年ぶりに見たまともな食卓だった。食べていいのか分からなくてしばらく砂の山でも見るようにぼぉっとそれを見渡したけど、アンが「たくさん食べてね」と言って微笑みかけるので、俺の前に置かれた料理は本当に俺の分なんだと理解できた。


「食事をいただく前に、あなたに聞いておかなきゃいけない事があるの」

「……なに?」

「お名前は?」


 一瞬、俺があの部屋で何をしていたのかを聞かれるのかと思い身構える。ただ、名前を聞かれただけだった。


「……………………玲音。手嶋玲音」

「ファーストネームがレオン?」

「うん」

「レオン、いい名前ね。私その名前好き。改めて私はアン。シスターアンよ。で、この人はスバル。私の仕事の手伝いしてくれてる人。食事はほとんどスバルが用意してくれているからお腹が空いたらスバルに言ってね。私は果物剥いてあげるくらいしかできないから」

「……何で、助けてくれたの」

「うん?」

「何で俺があそこにいるって……」

「うふふ、先に食事にしない?スバルが作ってくれたご飯が冷めちゃうからね」


 アンはウインクすると、スバルと一緒に食前の祈りだという呪文みたいな言葉を早口で唱える。キリスト教の祈りっぽかったのに最後は「いただきます」と日本語で締め、各々好きなものから食べ始めた。


 2、3日食べてないから胃が受け付けないんじゃないかと思ったけど、自分でも驚くくらいの量を食べた。パンに歯型をつけると、肉をナイフで切らずにそのまま齧り付いて無理矢理食いちぎった。パスタを啜ったらトマトスープを飲んで、サラダの中でもトマトだけ選んで食べた。胃にパンと肉がゆっくり落ちていくのが分かる。腹は最初の2倍くらいに膨らんだけど俺は構う余裕もなく食べられるだけ食べようと思ってどんどん口に入れていった。

 少し椅子が低いせいか机の上が食べ溢しで酷い有様だ。だけど俺はそんなことを気にかけている暇はなかった。久しぶりのまともな食事を味わうのに必死だった。


「どんな躾されてんだ」


 スバルがドン引きしていたけど、アンはにこにこしながら食事をしている。


「レオンくん、私のデザートのチョコプリンを食べてもいいわよ」

「ほんとにっ!?」


 チョコプリンという単語に俺はつい目を輝かせる。


「だから、欲しいなら私のいうこと聞いてほしいな。噛んで、食べて。ね?丸のみはお腹に悪いから」


 遠回しに叱られたと分かったけど素直に言うことを聞くことにした。チョコプリンが魅力的すぎたから。


 大人2人が何かを相談している間チョコプリンを3人分平らげた。濃厚なチョコソースにあっさりしたチョコレートムースの組み合わせが見事だった。差し入れだと言われて食べた有名店のプリンに味が似てたなと思いながら、俺はげっぷを出してぼーとしてた。お腹いっぱいになったから眠くて仕方ない。このまま寝ちゃおうかな……と意識がもうろうとしてきたところに急に体を持ち上げられた。急いで目を見開くとスバルが俺の事をお姫様抱っこでどこかに連れ去ろうとしている。


 せっかくいい気分だったのに、何だよこいつもそうなのかと、まるで、天から地へ落されたかのような感覚に陥った。あぁそりゃそうか。誰も善意で俺の事なんて助けちゃくれないか。


、止めろ、離せ」


 身の毛がよだち、食べたものが全部出そうになる。ぎゃあぎゃあ叫んで必死で腕をぶん回してるうちに俺の拳がスバルの顎を直撃し「痛っ!」という声を共にスバルがひるんだ。早く逃げたい一心で床を這いずろうとするけど俺は即座に襟首を捕まれる。振り返るとキレ顔のスバルが自分の顎を押さえながらしゃべり辛そうに話した。


「な、何勘違いしてんだ……人の話聞いてなかっただろ……」


 舌を噛んだのか口から血が出ててスプラッタ映画みたいだ。流石に怪我をさせたことに罪悪感を覚え、思わず「ごめん」と呟くまでに、アンがあわてて持ってきたタオルをスバルの顎に当てていた。


「ごめんねびっくりしたよね。さっきお風呂入ろうって声かけてたんだけどレオンくん眠くて聞いてなかったんだよね。私も途中まで付き添うし、頑張ってお風呂入ろっか?」


 アンは痛がるスバルより、明らかに俺を優先して声をかけてくれていた。


 連れてこられたのは石造りの綺麗な風呂だった。石鹸の位置やタオルの説明を一通り受け、アンが「椅子これ使って」と言ってプラスチックの椅子を持ってきてくれたから、補助なしでも普通に1人で風呂に入ることができた。シャンプーをして体を洗って、よじ登る様に石造りのバスタブに入るとお湯が俺の体の分だけ水面が上がる。カポン、という効果音が頭の中で流れた。

 風呂から上がると、適当に体を拭いて綺麗な寝巻を借りた。半ズボンだけどあったかそうなジャージ素材だ。とりあえずその状態で風呂場から出るとすぐそばのリビングでソファに座っていたアンに見つかった。

 「やだびちゃびちゃじゃない」と怒られたらリビングに連れていかれてタオルで再度体中を拭かれる。水気が取れたらついでにそのまま髪の毛を乾かしてもらった。


「レオンくんさ、足どうしたの?」


 アンが俺の髪をドライヤーで乾かしながら、何も気まずくなさそうにさっぱりとした口ぶりで聞いてきた。普通気まずくて聞いてこないだろうと思ったけど、外国人だからタブーとか常識とかずれてるのかもしれない。


「……昔、交通事故で。車と車に挟まって千切れた」


 だけど変に気を使われるより答えやすい。俺もできるだけさっぱりとした口調で返す。


「あらら、可哀そうに」

「……別にもういいよ足なんて」

「よくないでしょ生えてこないんだから」

「……ねぇ、何で俺を助けてくれたの?」


 ドライヤーが終わったと同時にずっと気になっていたことを聞いた。アンは俺があんな場所にいたなんて知らなかったはずだ。


「――――助けてもらったお礼ってどうしたらいい?いっぱい迷惑かけたよね」

「律儀ねぇ〜子供なんだからそんなの考えなくって、」

「アンとエッチしたらいい?」


 俺の唐突な発言にアンが青い目を丸くして手を止めた。


「アンならいいなぁ、女の人だし美人だし……。それともスバルの相手すればいいの……?」


 俺の事を見返りもなく助けてくれるなんて発想がなかった。

 きっとこの2人も今まで会ってきた大人と同じで俺で遊ぶに決まってる。どうせみんな顔の面の皮が目当てだ。


「さっき殴っちゃったから、仕返しされたら嫌だな。俺、男はもう嫌だ。痛いのも嫌だ……。でもお金ないし足もないから歩けないし、働けないし、だから、何かいるならそれ以外で返せるものなんて……」


 誰かに期待して裏切られるなんてもううんざりだ。本当に俺のことを愛してくれたのなんてママ以外いるはずがない。


「でも、大丈夫だよ俺、ずっとそういうことして生きてきたし」


 だから予防線を張らないと強く生きていける気がしなかった。


 震えた声で俺がそう呟くと、アンは怒ってるのか悲しんでいるのか判りづらい暗い顔になった。無言で熱いままのドライヤーとブラシを放り投げるように机に置いた後、急に俺を包み込むようにがばっと抱きしめて、しばらく解放してくれなくなった。


 誰かにギュッと抱きしめられて何度も頭や体を撫でてもらうだけなんて久しぶりだ。

 誰かの胸元に頭を埋めるなんて真似はママが生きていた時以来だ。

 アンの胸が俺の頭にあたってるけど不思議とエロい気分にはならない。疲れて帰った夜にふわふわのクッションに顔を埋めてるかのような気持ちにさせられる。

 あったかくて柔らかい人からの宝物を抱きしめるみたいな優しいハグは、不思議と俺の心の警戒を解いていくようだ。自分の息とアンの体温で俺の顔が熱くなるくらいの時間、「大丈夫、もう大丈夫だから」と耳元でアンは何度も何度も呟いた。


「……お礼とか迷惑だとか何も考えないでいい。それに、これからは誰にもそんなことしないでいい。レオンくんがほっとけなかったから私が勝手に助けたの。あなたは何もしなくていい」


 俺に向けた真剣な青い瞳の眼差しは少し濡れていた。


「私達の事怖いかもしれない。でも、絶対に傷付けない。だから、これからは自分の事を一番大切にして」


 アンは再びブラシを手に取ると、ハグでぼさぼさになった俺の髪を解し直した。


「それとも、助けてほしくなかった?」


 目を合わせないままアンが少し不安そうな声を出す。


「……ううん、感謝してる。ありがとう……。……死にたくなかった」


 裏切られたくない気持ちが先行して、俺は恩人に言ってはいけない事を言ったんだと思った。アンはずっと俺に優しくしてくれているのに、自分の心の弱さが情けなくて涙が出そうになる。アンはそんな俺を鏡越しに見ると、またにこっと笑って、また俺の頭を撫でた。


「よかった。私ね、素直な子が好きよ。――――うーんと、まぁ助けた理由というか、きっかけは知りたいよね。まぁジョシュアさんなんだけど。最近教会によく来てたのに急に来なくなったから何かあったんじゃないかと思って心配になって見に来たの。もう死んでたけどね~。あの人甘い物食べないのに最近急にお菓子を持ち帰るようになったよねって、みんなで話してたんだ。誰かいるんじゃないかって噂してたんだけど、レオンくんがいたからだったんだね。見つけたときはちょっと納得しちゃった」


 俺はこの間化粧水を塗られていた。塗られた後に触ると、肌がもちもちした気がした。


「どうして、アンが様子を見にきてたの?」

「それはね、私がシスターだからよ」


 そういって胸にぶら下げた十字架を見せびらかす様に摘み上げる。俺の知ってる十字架とは、デザインがちょっと違う。


「……アンって、俺の知ってるシスターと何かイメージ違うんだけど」


 宗教に詳しいわけじゃないけど、シスターって言うのはもっと真面目でお堅い人がやるイメージだ。なのにアンは砕けた喋り方しかしないし、男と2人暮らしをしているし、ジョシュアのおっさんが死んだことを悲しんでお経をあげる様な信仰深い様子も全く見えない。さっきも肉をいっぱい平らげてたし酒も飲んでた。行動だけ見るとその辺にいる若いお姉さんって感じだ。しかも割と俗世寄りの人。


「レオンくんが住んでた場所とここは事情が違うからね~」


 なぜかアンは誇らしげな表情だったけど俺は遠回しに不真面目そうと言ってんだから誇る事ではない。


「……ねぇ、レオンくん、スバルの事嫌い?」


 アンが鏡越しに目を合わせて俺に問いかける。


「さっき暴れてた時、触んなって暴れたでしょ。嫌い?」

「……スバルが嫌いっていうか、男が嫌い」


 全ての男がホモじゃないことくらいは知ってる。ただ、3年も売春させられてきたから望まない性行為に恐怖心なんてものはいやでも消えていたけど、自分より体のでかい男が目の前にいる事自体ストレスであることは間違いなかった。加害の可能性が真横にあるだけで俺にとってはイライラの原因の1つだ。


「男ね……」


 鏡越しにアンが眉をひそめたのが分かった。


「じゃあじゃあアンちゃんの事は?怖い?」

「……アンは怖くないよ。女だし」


 あら嬉しいといいながら俺はほっぺたをむぎゅっとされる。するとアンは思った以上に俺の頬肉が柔らかかったのが面白かったのか、そのまま口を何回か無言でタコにして遊ばれた。俺はアンのおもちゃじゃないのにと思ったけど、胸が頭にあたってたので気付かないふりをすることに決める。役得ってやつかもしれない。


「でもスバルとも仲良くしてね。あの人は優しい人だから悪いことしないよ」

「ねぇ、スバルってアンの何?結婚してるの?旦那?」

「旦那さんじゃないよ~……。スバルは〜大事な友達かなぁ?」


 アンはあははとちょっと困ったように笑っている。


「あ、もう遅いからお話は明日にしよっか。お風呂あいたみたい」


 スバルがリビングに入ってきたので、アンが「あんまり怒ったらだめよ」と言ってスバルのほっぺたを軽くつねってから出ていった。


 スバルの髪がしっとりしていて前髪が下りてる。しばらくいないと思ってたら風呂に入っていたらしく塩顔にお似合いの地味な灰色のパジャマ姿だった。そんなスバルが怖い顔をして俺に近付いてきたから心臓が荒波の様に高鳴る。


 さっきの鉄拳を怒ってるんだろうか。やっぱり男に近付いてほしくない気持ちが強くて過呼吸が出そうになる。よく知らない男が俺に近付いてくるのは何度も経験してきた光景によく似たシチュエーションだった。

 けれど俺の顔が強張ったのをスバルが気付いたのか、足が止まった。そして「んー」と難しい顔をしながら話しかけてきた。


「先に言っとくけど」


 スバルは丸腰だとアピールするように両手を上げて横に振った。


「僕は~…。お前に興味が全くない。普通に女の子が好き。今までもこれからも一生、そういう目では一切見ない」


 気を遣って話そうとしたくせに、特に練られてない言葉のまんまだった。


「膝で歩いてるのが痛そうで可哀そうってアンさんが言うから、しばらくは僕がお前を担いで世話することになった。車椅子を手配する予定だから、その日までどうしても同性の僕が面倒見ることが多くなるけど我慢しろ。だから、その度さっきみたいにいちいち暴れたり蹴ったりするの止めてくれ。今日会った他人を信じろとは言わないけど、僕もアンさんもお前に手を出したり傷つけたりなんてしない」


 そういうとスバルは椅子に座っていた俺の前にしゃがんで小指を差し出す。


「約束したからな。証拠に指切りげんまんでもするか」

「……俺15だぞ。ガキじゃない」


 スバルの垂れ目が一瞬吊り上がった気がした。


「……お前ホモじゃない?」

「お前じゃない、

「……はホモじゃない?」

「ホモじゃない。あと、今どきはホモの事はゲイっていうんだ。問題発言になるから覚えとけよ」


 この時の声色が少し優しかった気がする。それが聞けて、俺はひとまず安心した。


「じゃ、スバルはアンの旦那?」

「アンさんと僕はそんなんじゃない」

「じゃあなんで薬指に指輪つけてんの?」

「めざといなぁ。ここしか入んなかったんだよ」


 ちっ、ひっかかんねぇ。


「とりあえず今日は寝るぞ。アンさんも今日はシャワーだけにするって言ってたし……すぐ出てくるだろ。僕の顎も治したし、他にも色々あったからそろそろ限界のはず」

「顎?」


 スバルの発言で気がついた。俺の鉄拳であざができていたはずの顎が綺麗に戻ってる。


「もう怪我治ったの?」

「アンさんがね。あの人は特殊だから」

「どういうこと?」

「明日言うよ、ほらベッドに運ぶから捕まれ」

「…………俺、お前がホモじゃなくても、男に触られたくない」

「そのワガママはきけないな。お前重いもん」


 従うしかないのでおんぶされて2階に連れて行かれた。スバルは階段を上がって曲がった先の寝室の扉を片手で器用に開けると、部屋の奥にある広いベッドに俺を荷物みたいにぽいっと投げた。一瞬何するんだと言い返そうと思ったのに、無駄にでかいベッドと柔らかいマットに思わずテンションが上がってしまい、ジャンプしたら「バネが壊れる」とスバルに怒られた。

 今日はここで寝るのか。物凄くいいベッドみたいだから自分が厚遇されているんだと分かった。ちょっといい気分。


「あぁ、そうそう。分かってると思うけど僕も同じ日本人だから」

「アンは?」

「アンさんは国籍とかないから」

「何だそれ」

「それも明日話すよ。長くなるし、僕だって分かってない部分も多いんだ」

「? どういうこと?」

「明日話すよ」


 そう言いながら表情を一切変えず、スバルが当たり前の様な顔してベッドに入ってきた。

 さっき俺に興味がないなんて言っときながら2分もしないうちに矛盾した行動を取られた。びっくりしすぎた俺は逆に動けなくて「は?」とか「え?」みたいな声にならない声しか出せない。


「いや、何で」


 怖がる俺の顔色で遊んでたのか?

 畜生。一瞬でも信じた俺が馬鹿だった。と逆上しそうになった瞬間、スバルが口を大きく開けてあくびし、伝った涙を指で拭いつつベッドの面を叩く。いつの間に取り出したのかアイマスクを首からぶら下げていて、その姿はいつでも寝れると宣言している様だった。


「いや、ここ、俺とアンさんのベッド」


 スバルのたれ目が「だからお前なんかに興味ねぇっつってんだろ」と語ってる。


「は?」

「お前真ん中」

「え」


 2人で今から寝るって事?何で?

 いや待て。


 、って言ったな。

 じゃあ3人?


 え、この2人普段一緒に寝てんの?


 それにも驚いたけど、俺はひとまず初対面が同じベッドで寝るというシチュエーションが理解できず頭に?を浮かべまくった。


「あれ、レオンくんまだ起きてたの?」


 アンが明るい声で寝室に入ってきたけどそれにも肝を抜かれた。さっきまでの露出ゼロのかっちりした白黒のシスター服とは打って変わって、薄い生地で水色のネグリジェに着替えていたアンは、エロ系のデザインの服を着ているわけではないのに谷間がはっきりと見えていた。理由は単純明快。おっぱいがでかいからだ。胸の生地が収まっていないんだ。

 今までおっさんの汚い黒乳首しか見たことがなかった俺は、色白で豊満なおっぱいの谷間を見るのが生まれて初めてだった。まるで焼く前のパンみたいなきめ細かい肌と弾力のあるおっぱいなんて、あんな仕事をしていた俺なんて間近で見る事一生ないと思っていた。


「ちゃんとスバルと仲良くしてた?レオンくん真ん中ね、落っこちちゃうから」


 当然のようにベッドに入ってくるアンを見て疑問が確信に変わった。


 え、ほんとに今から3人で寝るの?


 は?


 このおっぱいが横で寝るの?


「お、お、お、俺1人で寝る!!」


 恥ずかしくて真っ赤になった俺は思わずベッドから飛び出て行こうとしたのに、俺の服を掴んでそれを阻止したアンはにこにこ笑いながら俺を元の位置に戻す。


「駄目よ、今日は一緒に寝るの」


 自慢の胸に俺の顔をうずめるかのように、アンは俺をぎゅーっと強く抱きしめた。あったかいスライムが顔面を包み込んで、早くも遅くもない心臓の音が直接と言っていい距離で聞こえてきてより一層緊張する。変な性癖が芽生えたらどうしよう。15歳でおっぱいに狂う人生は健全だろうけどそれはそれで何か嫌だ。年上のお姉さんにしか興味のない大人になってしまう。


「アンさん、その谷間は思春期男子には刺激が強すぎます」

「あっごめんそういうつもりじゃなかったのよ。ハグしたらよく眠れるかなって思ったの」

「レオン、アンさんこういう人だから諦めて寝ろ。パーソナルスペースの概念がないんだ」


 善意なの?何この人。外国人って怖。


「でも、レオンくん体温高くてあったか~い……」


 川の字の真ん中の縦棒になった俺は10分のしないうちに聞こえてきた両サイドからの寝息をBGMにしていた。


 ドギマギして寝れなかった俺はどうするべきかと悩んで手をもぞもぞと動かしているうちに爪が金属に触れた。手を上げると、自分の右中指に指輪が嵌っている事を思い出した。

 …………そういえば色々ありすぎて、指輪をつけた途端にアンと話せる様になった謎技術について、詳しく聞くのを忘れてたな。「翻訳リング」って言ってたから翻訳機か。まるでドラえもんの未来道具みたいだ。

 スバルの手にも薬指に俺と同じものが嵌められている。スバルもこれを介してアンと会話してるのかなぁ、でもアンは同じ指輪はつけてない。……ん?どういうことだろう。アンは翻訳機がなくても大丈夫だけどスバルは必要?でもアンは俺と話すには指輪が必要だって言ってたけど……。


「よくわかんねー」


 テレビでこんなの見たことないけど、俺が外に出てない間にずいぶん時代は進化してたんだなぁ……。スライド式の携帯電話で喜んでたのに。ジャパネットたかたの製品かな。


 抱き枕だと思ってるんだろうか、アンの腕と足がタコみたいに俺に絡みついて取れなかった。スバルが無意識か意識的にか分からないけど、自分用の布団をほとんど俺にかけてくれていた。

 ――――2人の爆睡具合を見るに、寝てるうちに襲われるなんてこと起こらないだろう。アンも俺のために泣いてたし信頼していい人なんだと思う。スバルは、アンが慕ってるからおまけで信頼してやる。何と言っても、毎晩悩まされる幻肢痛が何故か今夜はなかった。この家に来て初めてホッとした気持ちを覚えたような気がすると、急に眠くなって瞼が勝手に重くなっていく。

 今が何の季節はよく分からないけどベッドの外は寒い。仕方ないから、ベッドの中は暖かいから、今日は大人しくここで寝てよう。


――――

――


 パンを焼く香りで起きたらアンが白目をむいて寝る顔を直視してしまい、思わず叫び声をあげた。迎えにきたスバルは特に驚いた様子も見せず、おはーと気だるそうに言う。


「アンさんは朝なかなか起きないから先に飯食ってろ」


 女ってあんな顔で寝るのか。ショックだ。

 スバルに適当な服を渡されて着替えた俺は昨日と同じく子供みたいに運ばれ、ダイニングで作りたての朝食を貰った。昨晩みたいに食い散らかすとスバルに手を叩かれて綺麗に食えと叱責される。だけど男に指図されるのは苛つくのでより一層汚く食べてやった。


「スバルは日本人なんだよな」


 落としたばかりのコーヒーをマグカップに注ぐスバルが目線だけをこちらに向けた。


「そうだよ」

「じゃあこれなくても話せんの?」

「僕とレオンはできるよ」


 スバルはそういって自分の薬指から指輪を外して話し始めた。無駄な肉のない長めの指に指輪の跡がくっきりとついていて普段から肌身離さずなのが伝わってくる。


「ほら、分かるだろ」

「………」

「ばかあほちびレオン」

「はぁ!?」

「はいQ.E.D.」

「きゅ、何!?」


 再び指輪を嵌めたスバルは俺の質問を無視してコーヒーをすすった。


「昨日アンさんも言ってたけどそれ失くすなよ。アンさんはそれがないとお前の言葉が分からないから」

「このドラえもんの道具みたいなの何なの?」

「……あー。まさに未来道具だよ。ほんやくコンニャクだと思っとけ。それが一番わかりやすいから」

「でもアンはこの指輪つけてないよね」

「アンさんは赤ちゃんの時にインターフェースを植え付けたから指輪がいらないの。でも俺達はインターフェースがないからこれが代わりってわけ」


 インターフェースを植え付ける?


「インターフェースって何」

「…………アンさん以外にも、ここの住人の頭には塩の粒くらいの大きさの機械の粒が入ってる。その粒が入ってる同士なら外国語でも自動翻訳されてんだよ。ただ片方だけじゃ無理だから、僕達は粒の代わりに指輪つけてるの。触っても痛くないけどトゲ生えてるらしいよ」

「へ~……」

「————あれ、ほんやくコンニャクの方が性能上?あれって片方だけ食えばいいんだっけ?」

「片方だけでいけた気がする」

「じゃあコンニャクの方が上だわ。指輪外したらアンさんは僕の言葉わかんないから」


 指輪ってコンニャクに負けるのか。


「やっぱしょせんフィクションなんだなドラえもんって」


 俺とスバルの中でドラえもんの評価が下がった。


「ところでここ、どこなの。俺、気付いたらジョシュアのおっさんの家にいたんだよ。ここって外国なの?きっと俺、クソ親父に寝てる間に売られたんだ。最悪だよ」

「……外国みたいなとこだけど、国、ではないな」

「は?」

「ここは、強いていうならアン帝国」

「……どゆこと?」

「お前、どこまで覚えてる?この世界に来る前のこと」


 一転して重くなった空気を吸う暇もなくスバルが続けた。


「これは僕の予想だけど、お前多分元の世界で一回死んだよ。半分死んだ状態のお前は時空の歪みっていう天然のタイムマシンに偶然乗り合わせて、この世界に来たんだ」


 流石に冗談だろうと思った。だから面白い冗談だなと愛想笑いをしようとしたのに、元子役の癖にうまく笑えない。いや、だって、意味がわかんねーもん。だけど大真面目な顔のスバルを見ると茶化す事はできなかった。


「死ぬような心当たりがあるか?」


 俺の反応を探るようにスバルが口を開くと同時に、バケモノみたいなおっさんにのしかかられている映像が脳裏にフラッシュバックする。


「………首、しめられた」

「———悪ぃ。嫌な事思い出したな。レオンはちゃんと覚えてんだな。僕はすぐ思い出せなかったよ」

「……。タイムマシンって、どういう事」

「今西暦何年かわかる?」

「は?」

「最後にテレビで見た事件とかあるだろ。世間では何が起こってた?」

「いや、それくらいわかるよ。2008年だよ」

「2008年か……」


 スバルが腕を組んで自分の前腕をとんとんと叩き、垂れ目の奥の暗い瞳を俺に向けていた。一回ソッポを向いてんーと声に出したあと、何か考え悩んでるような顔ですぐまた俺を見た。


「分かった。落ち着いて聞けよ。今は23世紀。西暦でいうと2223年。お前が死んだ215年後だ」


 は?


「希望を持つのは可哀そうだから先に言う。きっと元の世界には戻れないよ僕達」


 …………はぁ?


 茶化している要には見えないスバルの真顔のせいで急にドラマの第1話が始まったのかと思った。主人公が俺で、スバルが主人公が所属するチームの先輩ってとこだ。だってそうだろ。タイムマシン、23世紀。215年後。2223年。全部現実の会話で出てこない言葉だよ。信じる方がばかだ。

 大体何?俺は死んだ?こんなにピンピンしてるのに?足は確かに半分ないけど、腹は減るし指は動くし心臓だって動いてる。昨日アンが俺をあったかいって言いながら寝たんだから体温がある。俺は生きてる。

 大体23世紀ってドラえもんよりも未来じゃんか。設定が滅茶苦茶すぎる。


「……あ、分かった。どっきり、どっきりだこれ」


 俺は部屋中をくまなく見渡した。吊るされたドライフラワーの割れ目にカメラのレンズがあるはずだ。


「『あの人は今』だろ?困ったな俺、今足こんなだし、しばらくドラマの撮影とかしてないから、カメラなんて」


 ドライフラワーにはない。じゃあ棚に飾ってあるぬいぐるみとか小物の間か。


「スタッフどこに隠れてんの?やだな、いつから?じゃあジョシュアのおっさんもどっきりな訳?趣味が悪すぎる……」


 ない。


「ちょ、ちょっとスバル。俺足隠したい。何でもいいから布ちょうだい……」

「受け入れろ、現実だよ」


 意味が分かんねぇー。

 椅子から転びかけた俺は、寸でのところで机にしがみ付いた。


「スバルから聞いてると思うけど、ここはレオンくんのいた世界じゃないのよね」


 スバルに起こされたアンはまだ少し眠そうだった。顔は洗ったそうだけど寝癖がついたままだ。胸の出てる昨晩のネグリジェに羽織だけ着て、ちょっとローテンション気味に紅茶とナッツを摘まんでいた。


「うんとね、元々この世界は君達みたいに異世界から来る人ってそんなに珍しくないの。私はそういう人に会うのスバルが初めてだったけどね。理屈は本読んでも分かんなかったけどここ200年でいわゆる時空の歪みみたいな事が生じやすくなったそうよ」

「じゃ、じゃあアンは未来人って事?」

「レオンとスバルから見たらそうなるわねー。だから私、君達より200歳ちょっと年下よ」


 俺はまだどっきりの可能性を探っている。だけどカメラらしきもの1つもないし、俺が知ってる科学力を越えた指輪の存在を目の当たりにした後だったから、スバルとアンが語る滅茶苦茶な設定の世界の事を飲み込まないといけないのかと思い始めていた。


は異世界同士で旅行とかもできたらしいんだけどね。私が生まれる前の話だから人伝で具体的な話はよく分かんないわ」

は?」

「この世界ね、世界丸ごとぜーんぶ崩壊しちゃったの。文明崩壊人類淘汰。20年くらい前にパンデミックが起きたせいでみんな死んじゃった。だから人類って今はもう1万人もいないんじゃないかな、もう原始時代みたいなもんよ。この家は自家発電で賄ってるから電気がつくし水も出るし、料理もできるしお風呂も入れるけど、外に出れば電力会社もないし工場とかもない。生き残ってる人は残されたものを上手に使って地味に生きてるの」


 緊張感のないアーモンドを噛む音が聞こえる。


「その指輪もそのうちの1つ。……えーっと、これは歴史の話だけど、200年の間に言語統一運動がおこったわ。国ごとに言葉が分かれてるのって不便だから効率化を図ったのね。科学の力を借りた人々はインターフェースを頭に埋め込んで、みんな徐々に世界共通語を話すようになった。私の母国語も世界共通語よ。でも、言葉を覚えられない人もいるしインターフェースの埋め込みを拒否する人もいたの。そういう人はその指輪を使っていたわ。いちいち言語設定が必要になるから不便なんだけど嵌めれば世界共通語の話者とも他国語を話す人とも話せるようになる便利アイテムよ」


 その後マイクロチップがどうとか仕組みを詳しく教えてくれていたけど聞いてもよく分からなかった。とりあえず未来道具だと思っておけば良さそうだ。


「スバルもね、去年のクリスマスの時期に来たのよね。スバルってば凄かったのよ。あははは、元いた世界じゃないってわかった瞬間、うふふふ、気絶しちゃって」

「ア、アンさん、それはいいでしょ」

「ママと引きずってベッドに運んだんだから。あはは。気絶しなかったなら凄い」


 笑い転げる寸前のような顔で話すアンの横で恥ずかしそうにスバルが顔を伏せている。耳まで赤かったけど気持ちはわかるのでいじらないでおいた。


「レオンくんは強い子だね」


 アンは笑いながら恥ずかしそうなスバルの頭を撫でていたけど、スバルは満更でもないという顔だ。犬みたい。


「ところで、アンちゃん的にはこれが本題なんだけど……」


 しかし、一瞬で真面目な顔になったアンは空色の目で俺としっかりと目を合わせた。何を言われるんだろう。昨晩のアンとのやり取りがあっても、つい、俺があの家でやっていたことだろうかと思って冷や汗が出る。あれについては俺はもう触れてほしくない。


「レオンくん、うちの子になっちゃいなよ」


 ところが予想もしていない内容にびっくりして声が出なかった。アンは真面目な顔からまたいつものにこにこ顔に戻る。


「もちろんガールフレンドが出来たり、他に居心地の良い場所があればそっちに移っていいわよ。ただ今は行くとこないでしょ。だからとりあえずうちの子になっちゃいなさいよ。面倒見てあげる」


 ということで、俺は今日からこの教会のとこの子ということになった。

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