成り行きで教会で世話になることが決まった俺は、スバルが食器を洗ってるのを尻目にソファーでぼーっと過ごしていた。アンは谷間の見えるネグリジェから肌の露出のないシスター服に着替えて紅茶を飲み干すと、「それじゃ仕事してくるわ」とダイニングから出ていく。
「……あの人の仕事って何?」
「あの人じゃない、アンさん」
「…………アンは何の仕事してるの」
「シスターだよ」
「あんなおっぱいデカくてシスターやれるの?」
生まれたてのたんこぶを冷やす羽目になった。
「シスターって何するンデスカ」
「これ終わったら僕も手伝いにいくから後ろで見学しときな」
スバルが大皿を拭き終わると身支度をしてきて昨日と同じ適当なオールバック姿になり、雑に抱き抱えられた俺は玄関から外に出た。9時過ぎの太陽はすでに地上を真っ白に照らしていて、215年ぶりの清々しい外の空気を深呼吸して味わった。
「…………何だあれ」
だけど爽やかな空気とは正反対のものが見えた。小高い丘の教会から目につくのは崩壊した城だ。絵本に出てくるようなロマンティックな外見だったはずの古城は半分以上えぐられたかのように崩壊していて、緑のツタが侵食している。
「あそこ浮浪者と野生動物のたまり場だから近付くなよ」
謎の物体に押し潰された古城を中心に建物が壊れている。相当の衝撃があったんだろう、まるでゴジラが暴れた後みたいに粉々になった街の様子は特撮映画のジオラマみたいだった。俺は朝のアンの話を思い出しながらスバルの肩越しにそれを見た後、教会へと連れていかれた。
「あら、レオンくんも来てくれたの?」
教会の多目的ルームに入るとアンが部屋の奥で白衣みたいな服と聴診器を首にぶら下げて、知らないおばあちゃんと話していた。部屋にはシンプルで大きな机が複数あって、たくさんの人が各々が持ち込んだと思われるお茶菓子を摘まみながら雑談をしている。俺は「アンさんの邪魔をするな」というスバルの注意を聞いたあと、アンの傍に座らせてもらった。
「アンちゃん誰だいこの女の子」
「かわいいけど、この子男の子ですよ~。うちで暮らすことになったレオンくんです」
説明を終えるとすぐ「最近はどんな感じですか」と尋ね、腰が辛くてね、と言われればアンはそっと腰をさすった。おばあちゃんは、温泉に入っているかのように「あぁ気持ちいい」と恍惚とした顔をする。
「綺麗な子だねぇ」
腰を摩られ中のおばあちゃんの目線が俺に向けられたけど、何て返せばいいのか分からず軽く会釈だけした。
「ほほほ、恥ずかしがり屋さんだねぇ」
診療する場所は特にきっちりと仕切られているわけじゃないので、新入りの俺が気になるのか他で雑談をしている人達もちらちらとこっちを見ている。おばあちゃんが俺に声をかけたのをきっかけに、ついに何人かが席を立ってわざわざこっちまでやってきた。ロックオンされた俺は急に降り出した夕立の様な勢いで次々と質問攻めに合う。
「スバルくんの弟?」
「え」
「まぁ違うの。どこから来たの」
「あ」
「足痛そうねぇ。おばちゃん新しい靴下あるからこれ履いときなさい」
「ちょ」
「甘いもの好きぃ?飴ちゃんあげるわ」
「わ」
知らないおばちゃんたちに詰め寄られた俺はますます返事ができず、他の作業をしていたスバルにヘルプの目線を向けたのに無視された。
アンに目線を向けても晴れやかな笑顔が返ってくるだけ。すぐ仕事に戻り何もしてくれない。
慌てふためいてずっとしどろもどろだった。気付けば俺の太ももの上には大量のお菓子があって、千切れた足にはピンクの毛糸の靴下が履かされていた。おまけに手作りのヘアゴムで前髪まで止められたので、まるでペットの犬みたいになった。あとで2人に笑われそうだけど前髪が長すぎるのは自覚があるし善意だと分かるので外すのも気が引けて、恥ずかしいのに取れない。
その間もアンはベッドにうつぶせになったおばあちゃんをマッサージをしていた。シスターの仕事と言うよりマッサージ屋の仕事じゃんと思ったけど「邪魔するな」と言われたのを思い出して黙って見ることにした。アンは雑談しつつ、この辺がこってますねーと言いながらおばあちゃんの腰を押したり足を曲げて整体みたいな事をしていた。
おばあちゃんの相手が終わっても次から次へとやってくる人の体を摩ったり、肩もみしたり、シップを貼ったり薬を塗ったりと医者みたいだ。シスターとは思えない仕事内容に俺が不思議そうな顔をしていたからか、飴をくれたおばちゃんが「アンちゃんは魔法使いだからねぇ腰痛とかの痛みを取ってくれるのよ。薬もアンちゃんが調合してるの」と教えてくれた。
魔法使い、なんてまた非現実的な言葉が出てきたけど、そういえば昨日死にかけてた時に手を握られたら不思議と力が湧き出たなぁ。あれの事だろうか。
1時間半くらいで診療っぽい何かを終えたアンは次に礼拝堂へと移動した。患者以外にもぽつぽつ人が訪ねてきてあっという間に椅子が信者の人たちでいっぱいになっていく。俺は一番後ろの席で、お菓子をくれたおばちゃん達の横で見学をすることになった。(またお菓子をもらった)
時間が来るとアンが祭壇の前に立って何かそれっぽい事を言い始める。ユーモアを混ぜつつも聖書の引用をしながら話すアンは、まるで洋画の神父みたいだなと思いながら俺はそれを眺めた。ただ、アンが何かを言ったことをきっかけにみんな一斉に祈りを捧げだしたのはホラー映画の危ない宗教みたいでちょっと怖い。
お祈りが終わるとピアノの伴奏が始まりみんな聖歌を合唱する。こういう所って本当に聖歌を歌うんだなと思いながら聞いていたけど、知らないメロディだし歌詞も聞き取れないしで面白くないし、そもそも、誰がこのピアノを弾いてるんだと思ってピアノの鳴る方を見ると垂れ目のスバルだったので、俺は驚いて変な声が出た。
ピアノの上手下手は分からないけどあれは多分、だいぶ上手な部類に入るやつだ。伴奏だけだけど迷いのない弾き方や、音の滑らなさを聞けば俺だってそれが如何に上級なのかがわかる。
あいつピアニストだったのか。横暴で威圧的な態度を取る癖に、繊細な人間が好きそうな趣味があるんだな。人は見かけによらないなと思った。
聖歌が終わりアンの締めの話が終わったら、ほとんどの人は帰った。けれどアンは休憩もとらず聖堂に残った人を小部屋に呼び、一対一で話を聞き始めた。
これもテレビで見たことあるな。告解室だっけ。これはマッサージよりもシスターっぽい。
スバルはその間、聖堂と多目的ルームの空気を入れ替えて掃除をした。最後にピアノをたららと試すように弾いて、まだ大丈夫かと言って蓋を閉める。スバルの仕事が終わってもアンはまだ終わる気配を見せないので、スバルは「先に昼食おう」と俺に声をかけて、いったん家に帰った。
俺達が飯を食い終わってからさらに10分ほど遅れて戻ってきたアンは、スバルが用意していたサンドイッチを食べた。しかしそれも10分ほどで食い終わると、それじゃ行ってくると言ってまた外に出ていく。そして2時間くらいで戻ってきたアンはおやつのナッツを食べ終わるとスバルに「ねぇアレ手配できたわよ」と伝えると、壁にかけられていたリボンのついた車の鍵を手に取った。
「スバルは留守番。レオンくんはおいで」
そう言われたので、2台あるうちの小さいアメ車の四輪駆動の助手席に乗せられた俺はアンの運転で教会のある丘の道を下っていった。
「ドライブ好き?」
「……ちっちゃい頃なら、ママとよく近くの海に行ってた」
「海いいわね、今度行きましょ。そろそろ海水浴の季節だし」
海水浴といえば水着だけどアンも着るのかな。水着姿を想像するとちょっとドキドキした。左ハンドルの車を片手で運転しながら窓に肘を置いて煙草を吸うアンの姿は、服装もあいまって映画のワンシーンみたいだ。煙草の匂いは俺は嫌いじゃないし、煙草をくわえる唇が何だか色っぽくてアンが大人の女性であることを実感し緊張する。
「アンって魔法使いなの?」
「え?」
「自分で言ってたじゃん。それにおばさんたちも言ってた。薬もアンが作ってるって」
「あぁ。魔法使いなんてのは例え話かなぁ。お医者さんの真似事よ。あんまして薬塗ってあげたり、腹痛のお薬出したりするの。リビングで干してる草あるでしょ?あれが薬草だよ。君らの時代にはない品種改良したものだけどね」
「えっそうなんだ。本物の魔法使いみたい」
「ひひひ。そうなの、アンちゃんはこわ〜い魔法使いなの」
アンは運転中だというのにハンドルから離し、両手を頭の真横まで上げてがおーっと俺に襲いかかる真似をする。意地悪そうな顔の真似をするアンの顔がやけにツボに入ってゲラゲラ大笑いしてしまった。俺のひと笑いを奪った事にアンが満足してニヤニヤしながら前を向き直す。
「礼拝の後もいろんな人来てたけど、何してたの?」
「……ん〜、人生相談かな」
「アン若いのに相談なんて乗れんの?」
お祈りに来ていた人の中に若い人は少なく、大体は50とか60くらいのおじさんおばさんばっかりだった。
「あはは、そう思うよね。話を聞いて頷いてるだけよ、大体は人がどうしたいかなんて最初から決まってるの。私は話を聞いて、背中を押してあげたり感情の整理の手伝いをしてるだけ。たいそうな事じゃないのよ」
アンは謙遜していたけどひっきりなしにあれだけ人が来ていたってことは頼られているってことだ。スバルも俺と同じように引き取られた身らしいから、善行に躊躇がないタイプの人間なんだろう。
……数年間貪り取られるだけだった俺とは違う世界の人間だ。なんか卑屈になってしまう。
「――――ねぇ、あのお城ってなんであんなボロボロなの?」
話を変えたくて途中で見えた城を指さした。アンが相槌を打ち、ギリギリまで吸い終わった煙草を灰皿に捨てる。
「あれねー、昔の王様がこの星捨てて出て行こうとした跡なのよ。宇宙船作って、その中に学者とかお医者様みたいな頭のいい人だけ乗せて逃げようとしたんだって。でもその宇宙船ごと空で爆発しちゃって全滅。その残骸があの辺一体に飛び散って壊れたらしいよ」
「ふーん」
「ばかな話だよね」
「みんな死んだの?」
「多分ね」
「王様は自分達だけ助かろうとしたから、バチが当たったんだろうな」
「あはは、ほんとそうだよね!笑っちゃう。あ、そろそろ着くよ」
一軒家の前に車が止まった。
朝スバルが近付くなと言っていた場所の付近な気がするけど、アンは気にせずに玄関らしき戸を叩いて呼び出している。俺は車に乗ったまま窓を開けて顔を出した。
「キムさん~こんにちは~!」
「はいはーい」
出てきたのは、さっき多目的ルームにいたうちの1人のおばさんだった。尋ね先を知らされてなかった俺は驚きつつ、「こんちわ」と小さすぎる声で挨拶する。キムさんに呼ばれたアンは家の奥まで入っていくと歓喜の大声をあげて「ほんとありがとうございますー!」「助かりますー!」と何度も礼をしてたのが扉越しに聞こえてきた。何をしてるんだろ。と気になって窓から身を乗り出していると、にこにこ顔のアンがタイヤのついた何かを脇に抱えて持って出てきた。そしてそれを玄関先で広げると、自分でじゃじゃーんと効果音をつけながら貰ったものを俺に見せつける。
「レオンくん!キムさんにお礼を言って!これいただいたのよ!」
折り畳まれた物の正体はこげ茶色の車椅子だった。
こげ茶色のそれを平地に広げると少し錆びてはいたけれど十分使えそうだ。突然の車椅子に俺は驚きが隠せず、窓から上半身を乗り出しすぎたせいでバランスを崩したあと、柔道で投げられた人みたいに弧を描いて車外に落ちた。アンは「何してんの!?」と慌てて駆け寄り砂で汚れた部分をささっと払うと俺を抱き上げて車椅子へと座らせる。その時座った振動で車輪が動いてちょっとよろめいたけど、確実に俺の足になってくれるものだと分かる滑らかな揺れだった。
「く、くく、くれるの!?これくれるの!?」
興奮でパニックになっている俺をみてキムさんは仰反るように笑っている。
「えぇんよ。旦那が死んで10年経つけど荷物になるだけだからねぇ。あんたスバルくんに抱っこされんとどこも行けんのでしょ?もう大人なのに、嫌やろぉ〜そんなの」
「本当助かります。教会も探したんですけど何故かなくって」
「ええんよ〜。うちのも廃病院から勝手に取ってきたやつだから。物置で眠ってるより若い子が使う方がええわ」
リムを回すとまっすぐ進んだ。嬉しくなってバックしたり左回転したり無駄にあちこち動いた。その辺を真っ直ぐ50メートルくらい走ったらぐるっとカーブしてまた戻った。回し車を駆け回るハムスターみたいに何度も繰り返すと俺はすぐ息が上がってしまったけども、そんな体の疲れが気にならないほど「自由に動き回れる」という事実に心が浮き立ち立っている。
「車椅子も喜んどるわ」
その後キムさんは家の奥からポラロイドカメラを持ってきて、なぜか3人で記念撮影をした。
車椅子をもらった俺は活動量が百倍に増えた。スバルが家内の段差を埋め、手すりを作ってくれたおかげで1人でトイレや風呂に行くことができたし、自分の意思で好きに動けるのが楽しかった。まぁアンかスバルの許可がないと外出禁止だったけど希望を拒まれる事はないし、それが不満とも思わなかった。
一緒に暮らし始めてアンとスバルについて分かってきた事がある。
アンはシスターとしては立派だと思う。日によるけど朝から客が教会に集まってくる時には教会の鍵を開けたあと、多目的ルームでは病気の患者の相手をし、礼拝の日には神父の代わりをして、週に一度の炊き出しの日には丘を降りてわざわざ公園に行って食事を配っている。それ以外でも、雨戸が壊れたと相談されれば修理に行き、喧嘩をしたから仲裁してほしいと言われれば話し合いの場を作り、野良犬を追っ払ってくれと頼まれれば猟銃を持って出て行ったり……みたいな仕事も多い。だからアンの仕事は総合的に見ると、シスターというより何でも屋に近いと思った。
ただ、生活面についてはスバルに頼りっぱなしでダメ人間な部分が目立つ。何もできないと言えば嘘になるけど、スバルがいない時にアンが作った料理を食べたら普通に不味かった。朝は起こされるまで白目剥いて寝てるし、朝食もナッツをかじるだけでまともに食べる気がしないらしい。服は脱ぎっぱなしでスバルによく叱られている。さらに、俺のことを甘やかすなとスバルに叱られている。
さらにアンは仕事がない時はソファでずっと寝ていて、起こしてもなかなか起きないから結構困る。夜も布団に入ったら5分も経たずに寝ている事が多い。しかも大抵俺を抱き枕がわりにして寝るものだから自由に寝返りが打てない俺は結構大変だ。寝る時に服を着たくないという理由でいつも薄着だし、最初の方はおっぱいが体に当たってラッキーだとか思ってたのに最近は慣れてしまい勘弁してほしいという気持ちが強い。
一方スバルはアンと違って金になるような仕事をあまりしてない。悪意無く「ヒモ?」と聞いたらアンに怒られた。
普段はアンの助手というポジションで一緒に教会の仕事をしている。(そういえばジョシュアのおっさん家にも2人できてたな。)アンじゃないとできない仕事以外はスバルも受け持つことが多くて、力仕事だと尚更スバルの出番が増えるらしい。
目立つ仕事といえば、聖歌のピアノ伴奏だ。教会以外で行う定期礼拝にもスバルは必ずアンに同行して、聖歌の伴奏を行っている。『スバルピアノ教室』という名前でピアノのレッスンもしてて、プライベートでもよくピアノを弾いているから、この前やけに重厚感のある『ドラえもんえかきうた』を弾いてもらった。スバルのくせにめちゃくちゃうまいなぁと感心していたら元々ピアニストを目指して音大に通ってたらしい、そりゃうまいわけだ。
俺が「猫ふんじゃったしか弾けない」と羨ましがったら、生徒として簡単に弾ける曲を何曲か教えてもらえることになった。
アンは家事はできると言い張るけど全てが最低ラインをギリギリ下回っているので、この家ではスバルが全部こなしている。アンが俺を甘やかすとキレるくせに、アンのことは甘やかすんだな……と思った。まぁ確かに飯はうまいし洗濯も掃除も綺麗だから、このままの方が平和そうだし、これからもそうしてもらお。
正直、今だによく分からないのは同じ日本人であるはずのスバルの方だ。スバルは俺のすることにすぐ口を出すし、俺が子役をしていた事についても知っていたけど、自分のことは話したがらない。俺が聞いても「関係ない」と言って教えてくれない。俺が死んでこの世界に来たのなら、こいつも一回死んだのかな。でも死因を聞くのは何だかタブーな気がして聞いていない。
確実なのはホモじゃないから、気を抜いていても大丈夫だって事。
それが分かればスバルに関しては充分だけど、俺的に2人からはただらなぬ空気を感じている。『子役には何も分からんだろ』と目の前で不倫をする芸能人カップルを何組も見てきた俺が言うんだから間違いない。普通の男女より距離が近いし男女特有の熱がある気がする。だいたい俺が最初に寝室で寝た日、確かに「僕とアンさんのベッド」とスバルが言ってた。
だから最初はできてんのかと思っていたけど、聞いてみたらそんなんじゃないらしい。
大人は複雑だ。踏み込んだ質問をしようものならスバルが睨んでくるからそれ以上聞けなかった。
「レオンくん、元気かい?」
「こんちは。元気っす」
今日もキムさんが教会にやってきた。礼拝の日以外にもキムさんはよく1人で教会にきてアンさんと個室で話をしている。部屋は防音だから何も聞こえない、プライバシーの保護ってやつがしっかりしてる。
「教会で何かある日にはレオンにも仕事をやらせた方がいいですよ」とスバルが余計なことをアンに吹き込んだせいで仕事が割り振られた。
まず1つ目は、朝の多目的ルームに集まってきたみんなにお茶を入れること。
2つ目は、雑談に付き合いつつ客を順番通りにアンの方へ連れて行くこと。
そして3つ目の一番大事な仕事と言われて任されたのは、ノートに出席者を記録することだった。
みんな優しいし孫を見るような目で俺に接してくれるけど、おじさんは苦手で避けているので男の客からは顰蹙を買っているみたい。けど、俺は自然とおばさん達のアイドルになり、仕事をするたびにお菓子が貰えた。娯楽がない世界だからこの時は仕事を手伝っててよかったとちょっと思う。
「キムさんもそろそろかねー」
「あぁ、
茶を啜りながらおばさん達がキムさんを話題に上げていた。聞きなれない言葉も聞こえてつい耳に留まる。
「最近よくアンちゃんに相談してるみたいだから」
「寂しくなるわねぇ」
「何が?」
キムさんの話題は俺も気になるから、車椅子を回しておばさん達に近付いた。だけどおばさん達はちょっとまずかったという様なバツの悪い顔になる。
「あんたらもーやだ、そんな話今しなくていいでしょーが」
「レオンくんは知らなくてええんよ」
「えー何で?」
だからなのか、それ以上は話に入れてもらえなかった。キムさんに何かあるんだろうか。寂しくなるということは引っ越しかな。身内がいるようには見えなかったけど……。
それにしても、キムさんの背中がだんだん小さくなってる気がするのは気のせいだろうか。
キムさんは教会に来る度に俺によく話しかけてくれた。どこから来たん?家族はどうしたの?アンちゃんの弟かい?その足は痛くないんか?とか他愛もない内容だったけど、車椅子をくれたから他の人よりキムさんのことはちょっと好きだった。キムさんが来たことに気付いたら車椅子で走って真っ先に挨拶するのも俺の中では自然なことだ。俺のばあちゃんは早くに死んだからキムさんをばあちゃんに重ねていたと思う。
だからキムさんに懐く俺をスバル達が憐れむような目で見ていた事に、俺は全く気付いてなかった。
ある晩に、アンが神妙な顔つきで、シスター姿のまま台所で煙草を吸っていた。いつもならとっくに風呂に入ってるのに珍しいなと思いつつ俺は水を飲んでいた。疲れてるなら寝ようよと誘うべきなのかなと思ってる時に、アンがこっちをちらっと見る。
「レオンくん」
アンが俺の名前をいつになく真剣な声音で呼んだから話があるんだと察した俺は、グラスを流しに置いてアンのそばへと車輪を転がす。アンも煙草を灰皿に押し付けて火を消していた。
「キムさんの事で、話さないといけないことがあるの。辛いと思うけど最後まで聞いてほしい」
「何?」
この時、きっとキムさんが遠くに引っ越してしまうんだと思った。キムさんに懐いてる俺にとってそれは辛い出来事だろうから事前に知らせてくれるんだろうと予想していた。
それなら俺、お礼の手紙を書きたい。アンに「レターセットをちょうだいと言おう」と心の中で決めた時、アンが口を開く。
「明日、キムさんは天国に召されるの。つまり、亡くなります」
シンプルすぎる言葉で伝えられたのは、俺の好きな人が明日死ぬという、聞いた事もない残酷な通達だった。