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第1話 ライオンは強い❹

「亡くなるって何?何が?誰が?」


 人が死ぬことを亡くなると言うことは当然知ってる。


「キムさん、死にたいんだって。明日」


 だけど理解なんてできるはずがない。人が死ぬ事を知らされて、はいそうですかと頷けるわけがないんだ。


「ずっと頑張ってたんだけど、もう限界なんだって。だったらみんなとお別れ会してからがいいってなったんだ」


 アンは何を言ってるんだ。そもそも人の生き死なんて他人が操れるものじゃないのに。


「私がね、明日キムさんを天国に送るのよ」


 アンの空色の瞳がどんよりと曇ってるみたいだ。


「レオンくんには私の力のこと言ってなかったよね。スバルにも口止めしたもの」

「……おばさん達は、痛みをとるって」

「うん。それも私の力のうちの1つだよ」

「魔法使いだって言ってた。で、でもそれって例え話じゃないの?」

「魔法なんて素敵なものじゃないの。でも、人の痛みを取ってあげるのは私の力の1つ。それで、死にかけてたレオンくんに力を注いだのも私の力の1つ。初めて会った日私が手を握ったら元気になった気がしたでしょ。それだよ」


 唖然としたままアンの言葉に耳を傾ける。話の3割も理解はできないけど何度も唾をのんで震える手を押さえた。


「私、人の生命力や治癒力を自由自在に操れるの」


 いつものおちゃらけた態度とはまるで別人の顔をしながら話すから、急にアンが遠い人の様な気がした。


「作り話だと思うだろうけど、私は、人の生命力、エネルギーを自在に操る事ができるんだ。私の出自はちょっと特殊でね、生まれつきそういう力を持ってるの。エネルギーをちょっと操れば痛みを引かせることもできるし、不眠症の人を眠らせることもできる。レオンくんが最初の日にすぐ寝ちゃったのもこれ。…………それとね、この力を使えば人を殺すこともできるわ。この力で誰かを痛みも苦しみもなく安楽死させる事を、【エウタナーシャ】って呼んでるわ」


 生かす、殺すって何を言ってるんだ。


「20年前なら治る病気やケガも、今はお医者様がいないから安全に延命治療ができなくなったの。大怪我しても大病しても今はまともにみれる人が誰もいないのよ。私も医療の勉強はしてるんだけど、先の王様の命令で病院も本屋も図書館も全部燃やされちゃったせいで医療本がそんなになくってさ。だから、助けてあげたくてもなかなか難しくて……。――――今の段階だと、辛い目にあってる人を助ける手段がこの世界にはほとんど残されてないの。中には、辛い目に遭い続けるくらいなら早く死にたいと望む人もいて、その場合は私の力で楽に逝かしてあげるの。私がシスターやってるのもこの力があるからなんだ」


 風のない静かな海みたいな口調でアンは話を話し終えた。それでも混乱したままの俺の頭はぐちゃぐちゃで、整理がつかないまま疑問を投げつける。


「な、何で、何で?キムさんは何で死にたがってるの?病気?」

「病気とはちょっと違うかな。うん。あのね、見た目は元気だし最近は調子も良かったから分からなかったと思うんだけど、認知症なのよ」


 認知症という言葉は俺だって知ってる。

 大人が、『大御所のあの人が今は認知症で見る影もない』と裏で話しているのを通りすがりに聞いたことがあって、ママにどんな病気なのかを聞いたことがある。『年取ったらみんなそうなるの。治らないのよ』ってママが残念そうに言っていた。


「認知症が始まるずっと前から相談はされてたの。キムさんね、昔ご家族が認知症でずいぶん苦労されてたの。『私はみんなを忘れて傷つけたくないし、人間の尊厳を保ったまま死にたい』って仰ってた。キムさんがエウタナーシャを受けるために、カウンセリングを重ねて、何度も話を聞いて、どうしたいかを何度もすり合わせもした。だから、これはキムさんが望んだことなんだ」


 しばらく秒針だけが静寂の中を鳴り響いた。アンはこちらの動向を見張るようにずっと俺のことを見てるけど、とてもじゃないけどアンと目を合わせる気になれない。


「……アンは人殺しをするって事?」

「……まぁ、そうだね」

「最悪、最低」


 ゲロみたいだ。吐き気もした。

 楽しくて美しかったものが全部ぐちゃぐちゃに潰れて、顔面目掛けて投げられたような最低な気分になった。アンの言ってる事なんて微塵も理解できない。


「意味わかんない。アンは最低だ。キムさんが死にたい?そんなわけない。助からないから殺すって何それ」


 死ぬ事が救いってなんだよそれ。


「アンの人殺し……」


 そんなの殺人鬼の言い訳だ。


「俺、今日は他の部屋で寝る、いや、こんな家出ていく」


 そんな事がわかった今、一緒にいる事なんてできない。震える手で俺は玄関へと車椅子を走らせた。

 アンが急に恐ろしい存在に思えて、一刻も早く離れたい気持ちでいっぱいだった。

 次に狙われるのは俺だと思った。アンは羊の皮をかぶった悪魔だ、まともに動けない俺が太刀打ちできる相手なんかじゃない。


「分かった」


 小さい返事が聞こえる。


「でも出ていくのはダメ。もう夜だから。レオンくんはいつもの部屋で寝て。私達が別の部屋で寝るわ」


 近くで待機していたらしいスバルによってほぼ無理やりいつものベッドのある部屋に連れていかれて寝かされた俺は、その晩すぐには眠れなかった。目が冴えるのは幻肢痛が辛いのか、知らされた現実が受け入れられないのか見分けもつかなかった。


「…………レオンさ、アンさんと話したんだろ」


 アンに啖呵を切っておいてベッドを使った俺は、両端に誰もいない状態で翌朝目覚めた。

 起きたらアンはすでに仕事に行っていた。スバルは扉越しに俺を起こすと、いつもと同じ朝食を準備しておいてくれた。よそよそしい雰囲気の中丸パンをちぎって食べようとしたけど口が受け入れない。牛乳を飲んでみたけど味がわからなかった。


「どう思った」

「……怖いと思った」

「それが普通だよ。アンさんは僕達の世界にはなかったトンデモ能力を持ってる。僕も最初はレオンと同じような反応だったさ」


 スバルはいつものむかつく雰囲気のまま話し続けた。


「でも今回の決断を下したのはキムさんだ。アンさんを恨むなよ」

「人殺しじゃんか」

「本人が望んでる」

「…………殺人だよ」

「同意書あるぞ。キムさんのサインが入ってる。カルテもあるし、カウンセリングの記録だって全部ある。納得できないんなら読んでいいぞ」

「…………俺は間違ってない!」

「まぁ、そうなるよ」


 スバルは落としたてのコーヒーをマグカップに注いだら、ミルクポットの牛乳を入れた。徐々に薄い茶色になってカフェオレが出来上がる。


「人殺しでこの生活が成り立ってるなんて、俺知らなかった……!」

「人殺しじゃない、安楽死だ」

「同じだよ!まだ寿命も来てないならそれは殺すのと一緒じゃんか!」

「じゃあお前はどうしても助からない人を死ぬまでほっとけっていうの?穏やかに死ねる可能性を認めずに苦しみながら死ねっていうのか。自由に動けなくなって、自分でトイレに行けなくて、人に介護されないと生きられない自分が死ぬほど嫌でも、身体が元気なら生き続けろって?」

「……~~~!」


 言葉に詰まって、行き場のない怒りを机を叩きつけてぶつけた。ガシャンと皿とスプーンが揺れてその衝撃でコップが倒れて水がこぼれる。スバルはそれを怒りはしなかったけど、はぁーっとため息をついてそばにあった布巾で拭き取った。


「よく考えろよ。お前、誰に助けてもらったんだ?アンさんはあの力のせいで、普通に、自由に生きることができなかった。アンさんはまだ22だぞ、レオンと7歳しか変わらない。僕らの時代なら普通に大学に通って毎日彼氏とデートしてるような年頃の女の子だ。なのにアンさんはあの力を受け入れてシスターをしてる。いち早く異変に気付いてジョシュアさんちに行けたのは、アンさんが日頃シスターとして働いてるからだ。レオンに十分な食事を与えられるのは、アンさんを崇拝してる人が献金の代わりに持参した食べ物や物があるからだ。この家でレオンを引き取るって決めたのは誰だ?服も寝床も用意して、物が足りない時代に無償で車椅子を譲ってもらえたのは誰のおかげだ?僕達みたいな余所者が物乞いせずに生きてられるのは全部アンさんの特別な能力と、これまでの努力のおかげだ」


 やや感情的な言い方ではあったけど、父親が聞き分けの悪い子供に言い聞かすような雰囲気だ。スバルは俺の隣にわざわざ座り直して足を組んでカフェオレを一口飲む。


「口止めされてたから言わなかったけど。足。アンさんといる時は痛くないだろ。それもアンさんがお前の嫌ってる力でコントロールしてくれてるからだ。あの人がお前にどれだけ気を使ってると思ってる」


 スバルは俺の千切れた左足を自分の足で小突いた。あぁ、それでここに来てからはしんどすぎる幻肢痛に悩まされたことがなかったのかとやっと気が付いた。確かにアンは俺によく触ってくる。ベタベタ触るのから軽く頭をぽんぽんっとするのまで一日に何度も触ってくる。俺はてっきりアンの距離感がバグってるだけだと思っていたけど、スバルの言葉で意味のある行動だったんだと理解した。


「――――まぁすぐ納得しなくっていいよ。アンさんはお前が動揺するのも当然って理解してる。ただ、この世界は僕達がいた日本とは常識が違うんだ。お前が思ってる以上にアンさんの力や考えはみんなに受け入れられてるし、安楽死の話を聞きつけて遠くから来る人だっているんだ。ここで暮らす以上は理解出来なくても、この土地の人たちの考えは受け入れろ」

「……俺、ここで暮らせないかもしれない」

「そう思ったんなら勝手にしな。次の家族探す手伝いくらいはしてやるよ」


 スバルは飲み終わったカフェオレのカップを洗って布で拭いて食器棚に戻したら、食器棚のガラスに映った自分を見て髪を整え直した。


「……でもキムさんはお前にも来てほしいって言ってたよ。あとは自分で決めろな。今日は礼拝は無し。10分後に家を出るからな」


 スバルの運転する小型の四輪駆動に自分の意思で乗った俺は、助手席でずっと上の空だった。

 ――――キムさんを見送るなんて嫌だ。

 どうやったらアンとキムさんを止められるんだろう。いいアイディアは思い付かないけど、死なないでと嘘泣きでもすれば考え直してくれないだろうか。

 途中ふとバックミラーに写る見覚えのある景色に気付いた。遠く小さくなった教会が映ったのを見て、頭の中で急に点と点がつながった。

 あぁ、何で今まで気づかなかったんだろう。ジョシュアのおっさんの家の窓から見た教会ってここだったんだ。


「…………スバルは何回も、……エウタナーシャだっけ。何回もお見送りしてきたの」

「してきたよ」

「……嫌じゃない?殺しの手伝いしてきたってことじゃん」

「まー、それは否定しないよ。好きな仕事ではない。ピアノの伴奏と先生してる時が一番楽しいかな」


 両手でハンドルをしっかりと握り視線を前方からずらすことなくスバルは答えた。


「僕もね、知ってる人何人か看取ってきたよ。キムさんも寂しくなるな。パワフルでいい方だから」

「……ジョシュアのおっさんってさ、どうだったの」

「どうって」

「死体。俺が来た時には腐ってた?」

「……あの時期涼しかったし、見つけたのもまだ早かったからギリギリ腐ってはないかな。見つけてすぐ防腐剤ぶっかけたし、レオンが寝てるうちに葬式と埋葬したよ」

「ああいう死に方って多いの?」

「孤独死?それなら多いよ。僕とアンさんで見つけたことがある。時間が経ってたら……最悪な気分だよ。匂いが鼻から取れねーんだ」

「うわ……」


 つい想像してしまって吐き気がした。


「誰だって死ぬのは突然だからな。教会で出席取ってるのはみんな元気か確認するためだよ。もし1人で死んだんなら早く見つけてやりたいだろ」

「……キムさんが今日死ぬのは孤独死よりマシだっていいたいの?」

「そーじゃねーよ」


 視線を前に向けたままのスバルに軽くおでこを叩かれる。


「キムさんには1日でも長く生きてほしいよな。まだ生きられる命を無理やり終わらせるのなんて、残酷だし、命を弄んでる。苦しくても自然に死ぬ方が何倍もマシだって考えはあってもおかしくない。普通だよ」

「じゃあ……!」

「でも本人にしか分からない苦しみがあるんだ。僕達がとやかく口を出していい話じゃない」


 緩やかにブレーキがかかるとキムさんの家のそばで車が止まった。家先でガーデンパーティをしていて、ピクニック用のテーブルには大皿に料理がたくさん並べられている。いつも教会に来る人たちがキムさんを囲って楽しげな雰囲気で過ごしていた。アンもその中に混じっていつもの太陽みたいな笑顔を振り撒いている。


「僕はもういくけど、車にいる?」

「…………行く」


 スバルの後を追うようにシートベルトを外して車椅子に移った。


 キムさんは化粧をして綺麗なワンピースを着ていた。俺が少し離れた場所からキムさん達を見ていると、そのうちの1人が気付いて俺の車椅子を押して仲間に入れてくれた。

 子役だった頃のことを思い出して笑顔を作ろうと思った。演技は得意な方だったし、カメラが回っていればどんなことがあっても笑っていられるタイプだった。

 なのに、今日はどうやったって作り笑顔にもなれない。暗い顔でキムさんと対面した俺は空気を噛むように口をぱくぱくさせたけど、こんちわって挨拶も出てこなかった。


「レオンくん来てくれたんかい!」

「…………」

「ありがとねぇ」


 キムさんの傍にあるテーブルには写真が飾られていた。その中でも一番大きな額縁は家族写真で、若かりし頃のキムさんと思われる女性が笑っていた。旦那さんと3人の子供が写真の中で満面の笑みを浮かべている。キムさんの老け方からして20、30年くらい前の写真だと思った。


「それね、私の家族だよぉ。この人があんたが使ってる車椅子の持ち主さ」


 30過ぎくらいの男の人を指差す。タヌキみたいな顔でマユゲの垂れた優しそうなぽっちゃり体形の男の人が、愛娘と思われる子を抱っこして笑顔でポーズを決めている。


「男前でしょ」


 昔の記憶が脳裏によみがえったのか、懐かしそうに穏やかな微笑みを浮かべている。


「笑顔に一目惚れしてねぇ、私からアタックしたんよ」


 キムさんの旦那さんの馴れ初めはまるで詩を綴るかのように語られた。特別ドラマチックでも何でもない普通の夫婦の恋物語を聞いてるだけなのに、キムさんの明るい声を聞いていると、俺は無性に悲しくなって涙が止まらなくなってしまった。


 お別れパーティの間、泣き続けた俺は他の参加者に慰められ、さとされた。涙も鼻水も止まらないうちに時間はどんどん過ぎ去っていき、結局キムさんに「死なないで」なんて声をかけられなかった。

 今日のためにおしゃれして、写真を並べて、親友のおばさん達と笑顔で過ごすキムさんに俺が何を言っても無駄だ。俺の妄想の域を出ない浅い考えなんて、キムさんの顔を見ればこれまでにすでに何十回も何百回も考えてきたことだと悟らざるを得なかった。

 キムさんの人生の一部を垣間見ただけの俺なんかが口出しする権利なんてあるはずがない。


 パーティーの参加者は思い思いに会話に耽って、食事をしたらじゃあねと言って帰っていった。最後までキムさんの家に残ったのはアンとスバル、それとキムさんと特に仲がいいと思われる数人だけだ。学生みたいに明るく過ごしているキムさん達を見てると、このあと遊園地にでも遊びに行くんだと勘違いをしそうになる。これから死ぬ人のお別れをする会だとはとてもじゃないけれど思えなかった。


「レオンくんちょっとこっちきておくれ」


 キムさんに呼ばれた俺は涙と鼻水を拭いて車椅子のリムを動かした。昨日まで軽かったはずのリムが重く感じ、キムさんの顔をまともに見れない。

 どうせなら楽しく終えたいだろうに、この会場で泣いてるのは俺だけなのがキムさんに申し訳ない。キムさんは自分のポケットからハンカチを取り出すと俺の目元を押さえて優しく涙を拭いてくれた。でも俺はそれもきつくって次から次へと涙が出てくる。


「何て顔をしてるんよ、しゃんとしなさい、しゃんと」

「……できないよ」

「おばちゃんが前から決めてたことなんよ。ごめんねぇ。アンちゃんに八つ当たりはせんであげてね。アンちゃんも何度も引き止めていたし、何回もおばちゃんと話したうえで決めた事なんよ」


 キムさんが俺に軽くハグをすると、お線香みたいな匂いがした。


「アンちゃんが悲しそうだったよ。レオンくんに嫌われちゃったかもって」

「……」


 想像すると何も答えられなかった。


「おばちゃんの事理解できんやろぉ。しゃあないしゃあない。あんたくらいの歳の子、理解できなくてええことだからね。でもなぁ、おばちゃん人生でたーっくさん苦労してきたけど、同じくらいたーっくさん幸せな事があったんよ。幸せでいい人生だったって思いながら天国に行きたいんだわ。だからこの選択を悪い方ばかりに考えんといてほしい。おばちゃんなぁ、最後にレオンくんみたいなかわいい子に会えて嬉しかったぁ」


 抱きしめながら優しく俺に語りかけ、キムさんは顔をあげる。


「車椅子大事にしてな?これだけは伝えたかったんよ。旦那の形見だから」

「……何で死んじゃうの?」

「もう十分生きたからねぇ」

「やだ、寂しい」

「あはは、こんなババアにそう思ってくれるだけで嬉しいよ。あと50歳若かったらね」


 豪快に笑った後、あぁそうだとキムさんは机に奥に置いてあったポラロイドカメラを取って俺に渡した。


「ポラロイドカメラあんたにあげるわ。だから、たくさん写真撮りなさいね。写真さえあればいつでも思い出に会いに行けるの、こんな素敵な趣味はない。辛い事や思い出したくない事が山ほどあってもいつかは自分の糧になる日が絶対に来る。あんたは強い子だとおばちゃんは信じとる」


 キムさんは言いたいことを全部言ったんだろう。しわだらけの顔をにこっと笑わせて俺に微笑んだ。


「だからあんた、幸せになりなさい」


 それが最後の会話だった。


「みなさんありがとね」


 キムさんはアンと自分の寝室に向かった。残された俺達は寝室の前の廊下で待ち続け、しばらくするとアンのお祈りの声が聞こえてきた。エウタナーシャが終わったんだってわかった。だからみんなキムさんの冥福を祈りながら声を殺して涙を落とした。


 キムさんの庭の墓標にはキムさんの旦那さんと、子供達と思われる名前が書いてあった。

 子供の方は約20年前のパンデミックで亡くなったそうだ。生き残った旦那さんもショックからか酷い認知症を発症して、キムさんが最近まで面倒を見ていたらしい。大変だったのよと、最後まで一緒に残ったおばさんが俺に教えてくれた。

 棺桶で眠るキムさんに俺も百合の花を一輪添えた。葬儀を終えると「帰ろうか」とアンがいうから、俺はアンの運転する方に乗ることにした。行きと同じ道を大型の四輪駆動が走り抜けていく。さわやかな初夏の風を感じた。


 行きは青空だったのにもう赤い夕焼け空だ。

 俺達は帰ったらきっと夕食を食べる。風呂に入って、どうでもいいことを語り合って、布団で寝る。

 これはみんな一緒だ。今日のパーティに来てた人達も、悲しみの涙をのみ込んで、みんなそれぞれのいつも通りに戻るんだ。

 キムさんが亡くなったって、どんなに悲しくったって、どんなに辛くたって、どんなに寂しくったって、俺達の毎日は嫌でも続いていく。


 これからもずっと、死ぬまで永遠に続いていくんだ。


「ねぇ、アン……昨日はごめんなさい」


 真横で運転するアンに謝った。アンは煙草を吸おうとした手をピタッと止めてこっちを見る。まだ長い煙草の火を消してからハンドルを持つ手を変え、シャボン玉を触るようにそっと右手で俺の頭を撫でてくれた。


「いいよ」


 アンはそれ以上何も言わず、ただただ泣き出しそうな顔で笑っていた。


 スバルの作った夕食を食べた俺はすぐトレーニングを始めた。もっと動けるようになるには怠けて落ちた体力を取り戻さないといけないと思ったからだ。

 アンに足の先を抑えてもらって腹筋したり腕立て伏せとか色々してみたけど驚くほど全然できなかった。悔しいからこれから毎日筋トレとストレッチを行うことを日課とする。それに場の流れで始まった腕相撲大会で、スバルを抜いてアンが一番強いのも男として悔しかった。

 とりあえずは俺より背の高いアンをお姫様抱っこして見せるのが目標だ。

 それと、いつか義足が欲しい。自分の意思で自由に歩ける足が欲しい。


 夕食時、1人部屋を作って俺はそっちで寝るか?と2人に提案された。

 1人部屋自体は嬉しいからもらうことにした。だけど寝る時はしばらくアン達と同室を選んだ。キムさんとの約束を守るなら、この時間が俺にとって一番『幸せ』に近いからだ。

 アンが抱き着いてくるから寝がえりが打てないしスバルもいて狭いけど、3人でいつもの日常を過ごして、3人でダラダラ喋りながらいつの間にか寝るあの時間こそが、悔しいけど今の俺にとって一番居心地がよくて、安心する場所だと思った。


「俺、バスケしたいなぁ」


 寝る直前に独り言のように口にした。


「バスケってなに?」

「スラムダンク読んだことねーの?ボールをね、こう、ドリブルして……、高いとこにあるネットにこうやって入れるんだよ。あと、彼女欲しい。めっちゃ欲しい」


 まず、普通の15歳みたいなことがしたい。


「彼女?いいじゃない。それならたくさん外に出てたくさん人に出会わなきゃだね〜」

「…………アン、だから、あの、よかったら俺と付き合わない?」

「んふふ、だめ〜」


 真面目に言うのが恥ずかしかったから少し冗談っぽく言ってみたら案の定フラれた。

 それにアイマスクをつけているはずのスバルの視線が妙に怖かった。目は見えないのに絶対にこっちを睨みつけていた。ほんと、この2人はよく分からない。


 幸せって何だろう。キムさんのことがあっても、死ぬことが所謂幸せに直結することだとは到底思えない。

 とりあえず子供の俺にできることは、自分ができることをして、したい事に素直に従う事。

 がむしゃらでも不器用でも、がんばって生きていく事が最善なんじゃないかと思った。


「ねぇ、明日写真撮りたい。ポラロイドカメラ貰った。フィルムもいっぱいあるんだよ」

「あはは、いいわね。明日は3人でおしゃれしましょ」

「あ、スバルはいい」

「おい」

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