「貴方の色はなんですか?」
「えっ……?」
それはゲームが開始して、三日目の朝の出来事だった。
ある程度生活基盤が整い、呑気にも川釣りを楽しんでいた僕の背中から、彼女は突然姿を現して穏やかじゃない質問を投げかけてくる。
まさか、想定もしていない問いかけ。
僕は呆気に取られ、空いた口も塞がらなくなった。
「私、【赤色】を持っているんです」
「ちょちょちょ、まっ、待ってください!」
思わず竿を手放し、周囲を確認して彼女に待ったを掛ける。ここは街の中心から外れた郊外の河川敷で、幸いにも付近には僕たち以外に誰もいなかったから、なんとか事なきを得た。
「いったい何を考えているんですか……!?」
僕は立ち上がり、彼女を信じられないようなものを見る目で見つめる。
セフィラの有無を明かすなんて命取りだ。真実にしても嘘にしても、命を狙ってくる輩は絶対に出てくる。
だのに、それを自覚しているのか自覚していないのか、にへらっとした笑みで誤魔化す彼女。
どこかの高校のブレザーを着ており、セミロングヘアで、眼鏡をかけた身なりのその女子高生は、僕の狼狽える姿を見てにんまりと悪魔のような笑みを浮かべた。
「こんなところで呑気に釣りをしている人が、人生のやり直しに、積極的に取り組んでいるとは思えなくて」
「っ、それは……! その通りですけど……!」
「ふへへ。じゃあ私の勝ち」
屈託のない笑みを浮かべた彼女は僕にVサインを向けると、当たり前のように僕が座っていた場所のすぐ隣に腰を下ろす。
全くもって何を考えているのか定かじゃなく、こんな世界であるのも相まって僕はすこぶる警戒する。
「あはは」
とそれを見て笑う彼女はあっけらかんとしていて、実に飄々とした人物だった。
「私、深月詩織」
「……僕は剣崎冬馬と言います」
「うぇえ? け、剣崎? かっこよ!」
ケラケラと茶化すようにそんなことを言われ、若者のキャピキャピとしたテンションにはまるで追いつけないなと思う。
沸点がまるで分からない。
僕は少しだけ不貞腐れながら、持ち直した竿の糸を再度垂らす。
目尻に溜まった笑い涙を拭いながら、彼女が言う。
「はー、えっと……おじさん何歳?」
「……まだ二十八ですけど」
「ちょっと怒ってる。ごめんねお兄さん」
「なかなか腹立たしい人ですね貴女」
あはは、と彼女はまた笑い飛ばす。生まれてこの方、こんな酒飲みよりもタチの悪い絡まれ方を女子高生にされるなんて思いもしていなかったから、僕はひたすらに気まずい感情だった。
これなら山代さんと話していたほうがずっと安心感がある。
「まったく、何を考えているのか僕は知りませんけど、ここがどこだかキチンと理解してます?」
「お兄さんが呑気に釣りをしていられるくらいには、のどかな死後の世界。だよね?」
「違います。……本当に、やめておいたほうがいいですよ。先ほどのような発言も。ここは治安が悪いんですから」
半ば親心のように思って彼女を注意する。だけどその甲斐も虚しく、「せんせーみたい」と少女はあっさり茶化してくる。
大人として、大人げないけどむかっとくる。
……まずい。このままでは僕まで悪目立ちだ。せっかく目立たないように細心の注意を払って人気のない場所で釣りに勤しんでいたのに。
なんだか悪寒が背筋を走り出したところで早々に撤収しようと思い、垂らしていた糸を回収して帰り支度の用意をし始める。
すると彼女が縋りつくように呼び止めてくる。
「ごめんごめん! 話し相手が欲しかっただけなの」
「はあ……?」
「それに【色】のこと知られちゃったし! 逃がせない!」
「はあ!? いやっ、それは貴女が勝手に……!」
ぐぐぐ、と服の裾を引っ張られ、こてんと倒れた彼女がそれでもなおズルズルと引き摺られるようにして僕を離しはしないものだから、(これでは余計に悪目立ちしてる!)と思い直して観念することにした。
はあ……、と深々とため息をついた。
「……安心してください。僕はゲームに関わる気はありません。先ほどの言葉は、聞かなかったことにしておきますから」
「ほ、ほんと?」
「はい」
「なら二人きりの秘密ですね」
「……貴女、距離の詰め方がかなり不気味ですよ」
隙ができた瞬間を狙って彼女のしがみつく両手を振り解き、「あっ!」と彼女が悔しそうにするのを尻目に僕はそそくさと退散する。
酷い目に遭った。
……街の中央には掲示板があり、そこでは前日の死者が記録される。出会いの早かった山代さんは仕方ないにしても、それ以上に誰か知っている名前を下手に増やしたくなかった僕としては、彼女のような当たり屋のような人は甚だ迷惑な存在だった。
しかし、翌日のこと。
「……どうしてまたいるんですか」
「ここで待っていたら、会えるんじゃないかと」
僕の家は郊外の河辺に位置しているので、川沿いを辿るように街を目指すことになる。
なので関わる気がなくても、まるで僕がやってくることを見越していたかのように河川敷で三角座りをする少女は、目に留めざるを得なかった。
ぴたりと足を止めた僕が踵を返そうとすると、「剣崎さーん! 剣崎冬馬さーん!!」と大きな声で名前を連呼されてギョッとする。
「なッ……何を考えているんですか貴女は!?」
素早く駆け寄ってその口を手で塞ぐ。むぎゅっと頬を潰した彼女は僕に怒られているはずなのに、それでも構ってもらえたことに嬉しそうに瞳を輝かせるものだから、僕は全てを諦めて彼女を解放した。
「今日も話し相手になってください♡」
「つくづく恐ろしい人ですね、貴女……」
うんざりと落胆する。
厄介な人間に目をつけられてしまったと、僕は本当に後悔していた。
「私ね、コミュニケーションが苦手なんです」
「でしょうね」
「でしょうねは酷くないですか?」
「いえ妥当でしょう」
やさぐれ気味に僕が返答すると、彼女はぷくーっと不満げな顔をして意を唱える。
「剣崎さんと仲良くなれてるから苦手じゃないです!」
「自分から言い出したんですよ貴女……??」
その抗議は、僕自ら貴女のコミュニケーション能力に問題があると指摘した場合のみ、使っていい台詞のはずだ。
「んもう……。それで、話を戻してですね」
「どうしても振りたい話題があるんですね。なんですか?」
いい加減な態度で彼女の話に付き合う。
僕に軽んじられていることを彼女は少しだけ不満げにしつつも、気恥ずかしそうにその思いを打ち明けた。
「私、目上の人が相手でも、すぐに敬語が取れちゃったりして」
「ああ、確かに初対面の頃から貴女は舐めくさった口ぶりでした」
「……私のことお嫌いですか?」
「い、いや、間に受けないでくださいよ……」
じっとりとした目で見つめられて、思わずたじたじしてしまう。流石に申し訳なくなる。つい調子に乗りすぎて、僕の態度は冷たくなりすぎてしまった。
気を取りなおすようにゴホンと咳払いをしてから、彼女の意を汲んだ回答をする。
「別に嫌ってはいませんよ。敬語も気にしません。楽に話してください」
「ほ、ほんとに? あ、ありがとうございます……」
彼女が嬉しそうに頬を染める。そんな態度を見て、僕はついつい呆れ返ってしまう。
こんなにすぐ赤の他人に懐いて、相当なトラブルの温床になりかねない性格をした女の子だ。
彼女の親の気持ちになってみると恐ろしくてゾッとする。
変な輩に目をつけられやすい女子高生だからこそ、もう少し警戒心を持っていてほしいなと思う。
「剣崎さんって、先生みたいですね」
「あまり言われたことはありませんね。貴女のような歳の離れた学生と、接点がなかったのもありますが」
「ねえ、先生って呼んでもいい?」
「距離の詰め方に気をつけてください」
「先生」
「困ります」
「先生!」
「話を聞いてください」
ぐぅ……。僕は頭を抱える。
この日から、彼女はやたらめったらスローライフに勤しむ僕に構ってくるようになった。
どうやら、ていのいい話し相手だと思われてしまったみたいだ。
本当に勘弁してほしい。