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第15話 キョゼツ

 一瞬、誰もがダメだと思った。

 だがペッカートの腕はエリカには届かず、弾かれるようにしてあさっての方向へと投げ出される。


「風の、盾……?」


 シュウのつぶやきを肯定するように、そばを流れる風がふわりと首すじをなでた。


 幾度となく繰り返される攻防がやんだのは、そのすぐあとのことだった。

 高音と低音が交じりあった不協和音が、ペッカートの悲痛な叫びだと理解したときにはすでに、脳天から真っ二つに裂かれたかたまりが地面に向かって傾いていた。


 崩れ落ちる敵の屍の中心で、ひとつの影が揺れる。

 噴き出したモルテが雨のように降りそそぐ中、ハルが全身を真っ赤に染めていた。

 対するエリカは、風の防御壁のおかげでモルテの雨に濡れることはない。


「ツカサが一緒でよかったわね」

「っ……!?」


 いつの間にかそばの瓦礫の山に腰かけていたホノカの言葉に、シュウはわずかに肩を揺らした。

 彼女もまた、ハルと同様に全身に返り血を浴びている。


「さっき言ったでしょ。『あたしとハルじゃ、モルテは防げない』って」


 そう言って意味深に微笑んだホノカは、「おつかれさまでーす」と駆け寄ってきたツカサに片手を振って返事をする。


「ホノカさん! わたし、みなさんのこと守れました!」


 褒めてほしいと言わんばかりの笑顔を見せるツカサに、ホノカは「よくできました」と小柄な彼女の頭をなでた。


「だけどちゃんと自分のことも守りなさい。あんたモルテに弱いんだから」


 ツカサの頬にわずかに付着したモルテを、ホノカは指先でぐいっとぬぐった。くすぐったそうにはにかむツカサに笑みをこぼして、次いでシュウに視線を飛ばす。


「あんた、カノジョほったらかしでいいの?」


 ホノカの言葉に現実へと引き戻されたシュウが、慌ててエリカのもとへと駆け出す。途中、きびすを返したハルとすれ違うが、まっすぐに前だけを見据える彼女との視線は交わらない。

 そのことに焦燥感すらいだきつつも、シュウは地面に座りこむエリカの手を取った。


「なんですぐに助けてくれないのぉ!? エリカ女の子なのにぃ! なんでよぉ!!」


 シュウの手を借りながら、エリカは去りゆくハルの背に向かって叫んだ。

 平原に反響した甲高い鼻声に、ハルの足が止まる。


「エリカ、いったん落ち着け」

「だってシュウ! あの人がすぐに助けてくれれば、エリカこんなに怖い思いしなくて済んだんだよ!? 全部あの人のせいじゃん!」


 エリカがハルを指さすと同時に、ハルもまた体を反転させていた。

 紫色のガスが充満する中、ハルは血に染まった大地を見つめたまま、すたすたとエリカに向かって歩いてくる。うつむき加減の無表情からは、なんの感情も読み取れない。

 いつまでも騒ぎ立てるエリカの周囲に集まった若者たちが、ハルのただならぬ雰囲気に押されて自然と道を開けた。

 ポタ、ポタ、と赤いしずくを全身からしたたらせるハルに対して、まわりは誰一人、その色に染まる者はいない。


「な、なによぉ」


 どうにか立ち上がったエリカは、無言のまま目の前に立ちふさがるハルにたじろぐ。

 まだ残る恐怖の余韻で震えるエリカの足は、立つのがやっとの様子でふらついていた。背後の大木を支えにして、それでも目の前の女から目を離さないのは彼女なりの意地なのだろう。


「なんか言いなさいよぉ! 意味わかんないんだけど!」


 仁王立ちのまま微動だにしなかったハルが、静かに視線を上げた。

 前髪の先端からしたたり落ちたしずくが、ハルの頬に赤い線を引く。

 鋭い眼光がエリカをとらえ、その凍てつくような底知れぬ色に息を飲んだ瞬間、エリカの左頬をなにかがかすめた。

 直後、背後の大木に突き立てられた剣が陽光に照らされてきらめく。炎こそまとってはいなかったが、その鋭利な刃はあと数センチずれていればエリカの顔面を貫いていたことだろう。


「っおい! なにやってんだ!」

「うるさい!!」


 怒気を含んだハルのひと言に、辺りはしん……、と静まり返る。止めに入ったシュウでさえ、はじめて聞く彼女の声色に手が止まった。

 そんな周囲の戸惑いを無視して、ハルは目の前のエリカを射抜くようににらみつける。


「あんた、ここになにしに来たの? 戦うために来たんじゃないの? 文句ばっかり言って、泣きわめくだけなら帰りなよ! そんなに怖いなら、泣くほどつらいならやめればいい! 目ざわりだ!!」


 一気に言い放たれた言葉が、ビリビリと空気を震わせた。

 ペッカートを前にしたときとはまた違った恐怖心。その正体が、わずかに放たれたハルの殺気だとは誰も気づけない。

 シュウもまた、まばたきも忘れてハルの横顔を見つめていた。


「……大した覚悟も、ないくせに……!」


 うつむいたハルの唇が、わずかに言葉をつむぐ。先ほどまでの形相とはうってかわって、濡れた瞳が哀しげに伏せられた。

 そのことを知らぬシュウの注意を引くように、色をなくした水たまりが、ばしゃん、と大きな音を立てる。

 再度地面に尻をつけたエリカが、真っ青な顔でハルを見上げていた。

 カタカタカタ……、と震えるエリカを一瞥して、ハルはうんざりだとばかりにきびすを返した。

 大木の幹に刺さったままの剣が赤く光る粒子となって、ハルの手中に吸いこまれていく。


「っ、待てよ」


 シュウは咄嗟にハルの腕をつかんだ。

 だがシュウの声も手も、ハルの足を止めることはできない。

 いとも簡単に振り払われた手で、シュウはすっかり霧の晴れたさわやかな空気を握りしめるしかなかった。


「ツカサ、帰るわよ」

「え……? あ! ハルさん、ホノカさん、待ってくださーい」


 歩調をゆるめることなくそばを通りすぎていったハルを横目で見ながら、ホノカが軽やかに腰を浮かせて瓦礫から離れる。

 慌てて二人を追いかけるツカサの声が遠ざかっていくのを、シュウはただ見送ることしかできなかった。


「なにが、どうなってんだよ……! わけわかんねぇ……」


 シュウの小さなつぶやきは、上空を旋回する大型輸送ヘリの音にかき消される。

 いらだちや恐怖、戸惑いが、ぐるぐると体中を駆けめぐっていた。




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