◇◇◇◇◇
「おつかれさん」
若者たちとは別々の輸送ヘリで帰還した三人を待ち構えていたのはキョウヤだった。屋上ヘリポートから続く長い廊下の先で、彼は壁に背を預けながらひらひらと手を振っている。
「出迎えごくろうさま。あんた、また仕事サボってきたの?」
あきれたようにそう言うホノカに、キョウヤは「追い出されたんだよ」と苦笑いする。
出撃を終えたスペランツァたちを出迎えるために仕事を抜け出してくる彼の行動はもはや日常茶飯事で、いまさらそれを咎める者は誰もいない。むしろ、早く迎えにいけとばかりに声をかけてくれさえする始末だ。
今回も例に漏れず直属の上司がそれをやってくれるのだから、キョウヤとしても従わないわけにもいかない。
「新人くんたちは?」
「研修室で反省会よ。どうせ食欲もないだろうし、いいんじゃない?」
「あ~。たしかにあんな体験した直後に、メシなんか食えねーわな」
ホノカの言葉に、キョウヤは苦笑いを浮かべたまま納得する。
つい最近まで戦いとは無縁のただの一般人であった彼らにとって、放り出された戦場の現実はあまりにも凄惨な光景だっただろう。いくらスペランツァに守られているとはいえ、戦禍の真っ只中に立たされたのだ。並みの人間では到底、平常ではいられまい。
「キョウヤさん! わたし、みなさんのこと、ちゃんと守れたんですよ!」
「おー、がんばったな。ケガないか?」
「はい! 大丈夫です!」
満面の笑みでぴょこぴょことその場で跳ねるツカサは、全力で無事をアピールしている。キョウヤにも褒めてもらいたいと顔に書いてあるようで、キョウヤはそんな彼女とハイタッチを交わした。
「ハルも無事か?」
キョウヤの視線が、ホノカとツカサの後方へと向けられる。
二人より数歩うしろで足を止めていたハルの肩が、わずかに揺れた。うつむいているせいで、ハルの表情が見えない。
「ハル? どした?」
返答のないハルの様子に異変を感じ、キョウヤの顔からも自然と笑みが消えていた。
ゆっくりと顔を上げたハルの、ひどく不安げなまなざしとぶつかる。
顔色はよくない。漆黒の瞳が、水分を含んで揺れていた。小さくひらかれた唇のすきまから漏れる吐息は早い。
「っと、やべぇな……」
あきらかな不調を見せるハルの様子に、キョウヤの足が向く。
「ハル、大丈夫か?」
大股で近づいてくる彼の名を、ハルがぽつりと口にした直後だった。もう立っているのも限界だとばかりに、ハルの上体は前のめりになって静かに傾いていく。
「ハル!!」
「ハルさん!?」
焦るホノカとツカサの声が重なる。
咄嗟に伸ばしたホノカの腕は、倒れゆくハルには届かない。
暗くなる視界に、ハルは硬い床にぶつかることも覚悟した。だが彼女を待ち受けていたのは痛みではなく、包みこむようなやわらかいぬくもりだった。
「ったく、具合悪いならすぐに言えって言ったよな?」
言葉の響きとは裏腹に、キョウヤの腕がしっかりとハルの体を抱きとめていた。そのまま慣れた手つきで膝裏をかかえて横抱きにする。
「このおバカ。あたしたちにばれないように、また我慢したのね?」
苦しそうに喉を詰まらせながらも熱っぽい息を吐き、ぐったりとキョウヤに体重を預けるハルの姿に、ホノカも表情を険しくする。
ツカサは不安げな表情を浮かべたまま、おもわずホノカの袖を握っていた。
「こいつ医務室につれてくから、お前らは先に行ってな」
「え……、でも」
「わかったわ。ハルのこと、お願いね」
いつもの調子で「任せとけ」と告げるキョウヤに背を向けて、ホノカはためらうことなくツカサの手を引いた。
戸惑いつつも何度もうしろを振り返るツカサは、ホノカにつながれた手を無意識にきつく握っていた。
ツカサの不安に応えるように、ホノカもまたその手を強く握り返す。
「ホノカさん……」
「なぁに?」
「ハルさん、大丈夫でしょうか?」
「あいつに任せとけば大丈夫。ちゃんと看ててくれるわ」
眉間にしわを寄せてうつむくツカサに、ホノカは確信をもってそう返した。
「ハルの心配より」
ツカサの手を引くホノカの足が止まる。
「あんたも気をつけなさいよ? いつああなってもおかしくないんだから。あんたはもとの体が弱いんだからなおさら」
見上げたホノカの表情は、いつになく真剣みを帯びていた。
「わたしは、
そう返しても、ホノカは険しい表情でツカサと視線を合わせたまま。
「油断は禁物。ね?」
まるで子どもを諭すように念を押すホノカに、ツカサは素直にうなづいた。同時に、こみ上げる照れくささに頬をゆるめる。
「なんだか、ホノカさんって、お姉ちゃんみたい、です」
「あら。あたしはツカサのこと、ずっと前から妹だと思ってるけど?」
ふわりと頭をなでるホノカの言葉に、ツカサは思いもよらなかったと目を丸くする。
「あたしが姉じゃご不満?」
固まるツカサにそう問えば、「ぜんぜん不満じゃないです!」と、むしろうれしいと笑みをこぼすツカサがいた。
「……お姉ちゃん……」
「なぁに?」
小さなつぶやきに返ってくる声。それがさらにツカサの感情を高ぶらせる。
「えへへっ、なんでもないです。呼んでみただけです」
短いため息をついて「変な子ね」と言いながらも、ホノカは再びツカサの手を引いて歩きだした。
「がんばった妹のために、今日のランチはお姉ちゃんがおごってあげるわ」
その言葉は、ツカサを破顔させるには十分だった。
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「ハルのシンクロ率が、自己ベストを更新したわ」
陽当たりのいいユキノリ専用の研究室の一角は、あらゆる観葉植物であふれかえっていた。そこはまるで小さな植物園のようで、全面ガラス張り、半ドーム型のサンルームの空調設備は完璧である。
差しこむ陽射しは植物の葉で適度にさえぎられ、室内に心地いい木陰を作り出していた。
きちんと手入れされているのだろう。その葉一枚一枚に、ほこりがたまる様子はない。
「あなたの、
気持ちのいい木漏れ日の中、専用のデスクでモニターを見つめるユキノリは、マリアの言葉に笑みを浮かべた。
「さぁ? どうだろうね?」
意味深に笑うその顔に一瞥をくれてやりながら、マリアは「食えない人……」と肩をすくめながらため息をこぼした。