日々の鬱憤が溜まりに溜まってしまった私は、良い子でいることを辞めて家を飛び出した。
「待ってくれ、シア!」
「ごめんなさい、もう耐えられないの!」
何不自由なく愛されて過ごしてきた。恋人のライリーは1つ年上の優しくて穏やかな良い人。何も悪い所なんてない。だけど、その優しさが私にとっては生き苦しかった。
家を飛び出したはいいけれど、行く当てはなくてぼんやりと夜の雨が降り続く街を歩いていた。
この街はもう5年、雨が降り続いているから傘なんて誰も差していない。雨にあたりながら歩くのが当たり前になってしまったのだ。
「はぁ、太陽が恋しいねぇ」
「マナリス島の魔法使いたちはいったい何をしているんだろうねぇ。この国のエネルギー源っていうなら、さっさと雨をやませて欲しいもんだね」
「まったくだ」
近所のご老人たちが軒下で曇天の空を見上げながらそんな会話をしていた。
「マナリス島……」
子どもの時から、絶対に近づいてはいけないよと言われている恐ろしい魔法使いが住むと言われている島だ。この国を生かすも殺すもその魔法使いたちの力によるらしい。この降り続く雨も、魔法使いの力のせいだと伝えられていた。
「行ってみようかな」
本当に怖いかどうかなんて自分の目で見て見ないと分からない。とにかく私は今、刺激を求めていた。
マナリス島は、基本的には人間が足を踏み入れられないようになっているのだが、干潮時にのみ海岸から陸続きとなり入ることが出来るという噂があった。昔、迷い込んだ人間がいるらしい。
私の足はスタスタと海岸へ向かっていた。雨が降る夜の海岸はどこか不気味だった。そんな中、遠くに浮かぶ島だけが明るい。
「あそこに魔法使いがいるんだ」
島へ入って、二度とこちらの世界に戻れなくなっても良いとさえ思ってしまっていた。何の根拠もないけれど、絶対に魔法使いの住む島での生活の方が楽しい気がする。よし! と気合を入れて私は、マナリス島へと向かって歩き出した。
島へ近づくにつれて空気が少し変わってきている気がする。だけど、嫌な感じはしない。
「入れちゃった」
もっと入りにくいのかと思ったら、マナリス島へは容易く入れてしまって驚いた。途中で襲われたり、結界でバチバチッてなったり、侵入を阻まれると思っていた。
「おっきなお城……!」
こんな小さな島に建っているには不釣り合いな立派なお城が中央にあった。島にあるのはこのお城だけみたいだ。
私は、お城に興味を持ち重たそうな扉にそっと触れてみた。扉も簡単に開いてしまった。もしかして、魔法使いたちは人間が来ることを拒んではいないのかもしれない。そんな風に思ってしまうくらい、警備が緩い。
「何か、良い匂いがする……」
どこかから微かに良い匂いが漂っていてお腹がぐぅと鳴った。そういえば、夕飯を食べる前に出て来てしまったのだと思い出した。今日の夕飯は大好きなクリームシチューだったのになぁ、と思いながら匂いの元へと歩き出していた。
匂いの元は、どうやらこの扉の向こう側のようだ。そっと扉を開けるとそこには2人の魔法使い? がいた。見た目は人間と変わらないから、魔法使いなのかどうかは今はまだ分からない。
どうしようか悩んでいると突如、頭上に声が響いた。
「おい」
「は、はいっ!」
「お前、誰だ? ここで何をしている?」
恐る恐る振り向くとそこには、美しいベージュ色の髪の毛を靡かせた目つきが悪く背が高い、魔法使いがいた。中で食事をしていた2人も騒ぎに気が付きこちらを振り向いた。
「あれれー? いつの間に?」
体格が良くスポーツマンぽい見た目で優しい雰囲気の魔法使いがさほど驚いた様子もなくそう言った。
「食事に夢中で気が付かなかったわ」
ロングヘア―の美しい大人の女性が、ふんわりと笑って言った。
「お前ら……」
「まあまあ、良いじゃねーか。悪そうな子にも見えないし? あんた、何しにここに来たんだ?」
「あの、えっと、家出です……」
嘘をついたって仕方ないし、嘘の理由も思いつかなかったので正直に私は答えた。
「マジか、家出だってよ!」
わはは、と可笑しそうに彼は笑った。
「ふふ、可愛いわね。あたし、この子のこと気に入ったわ」
「俺も。ここにいて今、普通に立ってられる人間なんて今までいなかったじゃねーか。これは、最高に良いチャンスが巡ってきたんじゃねーか?」
食事をしていた2人は、どうやら私を歓迎してくれているようだ。
「……勝手にすれば良い」
ただ、目つきの悪い人だけはずっと機嫌が悪くて私を睨みつけるとその場を去って行こうとした。
「おい! 飯食いに来たんじゃねーのか」
「後でで良い」
「あーもう。仕方ねーやつだな」
優しそうな魔法使いは、ふぅとため息をついて私の方を見た。
「あんたも良かったら飯食うか? いっつも多く作り過ぎちゃうからいくらでもあるんだ」
「良いんですか!?」
お腹が空いてしまっていた私は、その言葉に飛びついた。
それから、私は美しい女性の横に腰を下ろした。彼らは、本当に魔法使いだそうで丁寧に自己紹介をしてくれた。
「俺は、アルトリウス。料理が趣味の魔法使いで、さっき出て行った奴……フィオリスの兄貴的存在だ」
「あたしは、ナダリアよ。アルトリウスの恋人なの、よろしくね」
「シアと言います。18歳で、今の生活が嫌になって家出してきちゃいました……。良くしてくださってありがとうございます」
私は深々とお礼を告げた。魔法使いが噂通りの怖いものだったら、私は今頃殺されていたかもしれない。彼らが優しかったから、私は生きていられるどころか食事に誘ってもらえているのだ。さっきの彼、フィオリスという名の魔法使いは怖かったけれど、無理やり追い出したりはしてこなかったからきっと彼も本当は優しいのかもしれない。
「人間の口に合うかわかんねーけど、遠慮せずに食ってくれよ!」
「ありがとうございます、いただきます」
食卓に並べられた食事は、私が普段食べているものと似ている物から見たことの無い形をしている物まで色々あった。なじみ深い物よりも、不思議な物の方に私は惹かれた。
「お、それから行くか! なかなか良い目をしているな」
「そ、そうですか?」
「あぁ。それは、今日一番美味しく出来たものなんだ」
早く感想が聞きたいというような目で、アルトリウスさんは私のことを見ている。私は、少し緊張しながらもその不思議な食べ物を食べようと手を伸ばした。見た目はパンと似ていたから手づかみで良いのだと思う。
「い、いただきます」
得体の知れない物を口に入れるというのは、とても緊張した。だけど、口の中で広がる味はとても美味しかった。
「美味しいですっ!!!」
「おお、そうか! 美味いか! 口にあってくれて良かった。それにしても、あんたは逸材だ!」
「あなた、ほんとにすごいわね。一体何者……?」
「ただの平凡な人間です」
平々凡々に生きてきたものだから、今少し浮かれてしまっている。こんなにすごいと褒められたことは、今までなかったから。
「あんたなら、ほんとにフィオリスを救えるかもしれないな」
「フィオリスってさっき出て行った魔法使い、ですか?」
「あぁ。……あんた、家出っていうならしばらく帰らないんだろ。良かったらここにいてくれないか?」
「良いんですか!? 行く当てがなかったので助かります。いさせて欲しいです」
きっと普通の人間ならば、恐ろしいと伝えられている魔法使いの住む場所なんて怖いと思うのだろう。怖いと思っていれば、そもそも島へ渡ろうとしない。渡ったとしても城に入らないし、ましてや食事なんて絶対にしないだろう。普通の人間と違う行動をしてしまうのが私という変わり者。その誘いを断る理由なんて私にはなかった。
「そうと決まれば部屋と衣服を用意しないとな!ナダリア、後は頼んで良いか」
「えぇ、任せて」
「ほんとにすみません、ありがとうございます」
「気にするな。それと、これから一緒に暮らすのだから敬語は無しにしよう!」
ニカッと笑ってアルトリウスさんは言った。
「そうね。あたしもその方が嬉しいわ」
「わ、わかり、分かった!」
大人にため口で話すというのは少しドキドキするけれど、相手がそうして欲しいと言っているのだからそうするべきだろう。それに、私も敬語ではない方が楽なのは間違いなかった。
「じゃあ、食べ終えたら部屋に案内するわね」
「うん!」
その後は、また不思議な食べ物をいくつか食べた。人間が食べる物には絶対にないような色の物も、何だか不思議な匂いがするスープも何の肉か分からない揚げ物も全部美味しく頂いてしまった。本当に、どれも美味しかった。
「ごちそうさまでした! すっごく美味しかった!!」
「それは良かった。今後も楽しみにしていてくれ」
「じゃあ、部屋に案内してくるわね」
「あぁ、頼んだ」
ナダリアさんに連れられて私は食堂を後にした。結局、フィオリスさんは来なかったなと思いながら、城内をぼんやりと眺めながら歩いた。
「ここ、すごく大きいのに3人しかいないの?」
「そうよ。あたしたちは特別な魔法使いなの。あ、でももう1羽いるわよ」
「1羽……?」
「カレアム、出て来なさい」
ナダリアさんがそう呼びかけるとどこからかフクロウが飛んできた。
「フクロウ!?」
「フクロウの姿をした使い魔よ。性別はオス。あなたの助けになってくれると思うから、傍に置いておくと良いわ」
「わ~可愛い!」
使い魔、という存在は何となく知ってはいたけれど猫とかカラスの印象があったので、フクロウなのに少し驚いた。ペットを飼ったことのない私にとっては初めてのペットになる。
「よろしくね、カレアム」
「うん、よろしく!」
「え!? しゃべった!?」
「ふふ、びっくりするわよねぇ。使い魔はしゃべることが出来るのよ」
「す、すごい……!」
魔法使いと仲良くなれただけでもすごい日なのに、しゃべる動物にまで出会えるなんて。まるで、夢の国のようだと思った。
「私はシアよ。シアって呼んでね」
「シア! シア可愛いぞ!」
「あ、ありがとう」
「ふふ、仲良くなれそうで良かった。シアの部屋はここよ」
先ほどの食堂があった階から1つ上の階に上がった1番端っこの部屋に案内された。
「私は、隣の部屋だから何かあればいつでも呼んでね。アルトリウスとフィオリスはもう1つ上の階の部屋。この城は3階建てになってるの。屋上もあるけど、危ないから一人では行かないようにね」
そう説明しながらナダリアさんは、部屋のドアを開けてくれた。そこに広がっていたのはとても美しい光景だった。
「うわー! すごい! 部屋から海が見えるの!?」
大きな出窓のすぐ外に海が広がっていた。今は夜だから薄っすらとしか見えないけれど、朝になったらどんな景色が見えるのだろうか。すごくワクワクした。雨だから、綺麗には見えないのだろうけど……。
「ねぇ、ナダリアさん。この雨は誰が降らせているの?」
「……降らせている訳じゃないのよ。詳しいことはまた明日にでも話すわ」
「分かった。今日は、ほんとによくしてくれてありがとう! 明日からもよろしくね」
「こちらこそ。妹が出来たみたいで嬉しいわ。朝は、カレアムが起こしてくれるから、それじゃあまたね」
「おやすみなさい!」
「おやすみ」
ナダリアさんは、優しく微笑んで部屋を後にした。部屋に一人残された私は、ぼんやりと辺りを見渡した。
「シア! もう寝る?」
話しかけてきたフクロウ……カレアムを見て、あぁそうだ一人ではなかったと思い出した。何だか、しゃべるフクロウと同居するというのは不思議だ。
「うん、今日はもう寝ようかな」
「分かった、服や下着はクローゼットの中に入っているのを使ってねって言ってた!」
「これかな?」
ベッドの湧きにあった大きめのクローゼットを開けるとその中にはずらりと綺麗な服がたくさん掛けられていた。
「すごい……! 私にはもったいなさすぎる」
ナダリアさんのセンスだろうか。私は、ネグリジェらしきものを手に取った。家で着ていたものよりもずっと高級そうだ。
「カレアム、後ろ向いててね」
「僕、フクロウの使い魔だよ?」
「そうだとしても、オスなら見ちゃダメ」
「人間は恥ずかしがり屋だな~」
そう言いながらも、カレアムは後ろを向いてくれたのでその隙に着替えを始めた。驚くことにサイズもぴったりだ。私が来るなんて知らなかったはずなのに。これも魔法なのだろうか。
「よし、着替えたし寝よ~ベッドもふかふか~~」
まるで自分がお姫様になったかのような気分だ。知らない場所で、しかも魔法使いと使い魔がいる場所で寝られるか少し不安だったけれどベッドが気持ち良すぎてあっという間に夢の中へと落ちて行った——