黒崎トオル(担任)SIDE
「むっ……もうこんな時間か」
15時から職員室に戻り、自分の仕事を進めていた1年E組の担任、黒崎トオルは時計を確認した。
時刻は17時50分。定時まで残り10分。
絶対に定時退社を欠かさない黒崎は、この時間から帰り支度を開始する。
そんな黒崎に、別の教員が声をかけた。
「黒崎先生は帰り支度だけは早いですね」
「無駄な仕事は一切しない質なんで」
いつも言われる小言を受け流しながら、ふと思い出すことがあった。
「そういえば……今日は課題をやっていたな。まぁもう誰も残っていないだろうが」
1年E組の教室に行くと、まだ明かりがついている。
どうやらギリギリまで挑戦していた生徒がいたらしい。
「おいおいマジか。諦めの悪いやつがいたもんだ」
授業中、澪里に言ったことは黒崎の本心である。こと魔法において、才能がある者は一瞬でできる。そして才能がないものはいくらやっても無駄。
これは黒崎がいじわるなのではなく、魔法という技術が感覚に頼った技術だからこそなのだ。
「ほう朝倉。まだ残っていたのか」
「はい先生。課題挑戦、まだいけますか?」
「一応まだ18時前だ。挑戦は可能だが……」
黒崎は澪里を見やる。数時間前までボールを浮かせることすらできなかった澪里が挑戦してくることに疑問を抱いたのだ。だがまだギリギリ定時前。
生徒の挑戦を見ないという選択肢はない。
賃金を貰っている以上、仕事は全うする。それが黒崎という男だった。
「いつでもいいぞ朝倉。やってみろ」
「はい――フユーン!」
澪里はバスケットボールにフユーンを使用。すると、澪里の魔力によってバスケットボールはふわりと浮かび上がる。
「おお……!」
思わず声が上がる。そのままスマホでカウント。27……28……29……。
「30。よし合格だ朝倉」
「っしゃ!」
本当に嬉しそうにガッツポーズをする朝倉を見て、ガラにもなく黒崎の口角も緩んでいた。
「なぁ朝倉。聞いてもいいか?」
「いいですけど……」
澪里はちらりと教室の時計を見やる。時間は18時を20秒ほどオーバー。
澪里も黒崎が定時きっかりに帰る噂を知っているのだ。
だがそんなスタンスより、黒崎は自らの好奇心を優先した。
「時間などいい。それより朝倉。どうやって浮遊魔法のコツを掴んだ」
「ああそれですか。俺、考えてみたんですよ。どうして課題が『バスケットボールを浮かせる』だったのかなって」
「そんなもん……」
(程よい大きさで数があって、落としても壊れなくて、体育倉庫からキャスター付き籠で楽に持ってこられるからだろ……それ以上でも以下でもないが)
と思う黒崎だったが、黙って澪里の言葉の続きを待った。
「ほら。バスケットボールって高いところから落とすと何回かバウンドするでしょ? それを利用したんです」
澪里はバスケットボールを持ち上げる。そして、その状態のボールにフユーンを使う。そして、手を離す。
すると、フユーンの魔法が掛かった状態のボールがバインバインとバウンドをする。
「まさか……浮かせる対象をバウンドさせることで、魔力で浮かせる感覚を掴んだというのか?」
「はい! 落ちてきたボールが地面とぶつかって跳ねる時の『ぴょん』って感覚。あれを魔力を通じて頭に叩き込んだんです。……ってあれ? 先生もそれが狙いだったんじゃ?」
「あっ……こほん。まぁそうだ。よく俺の意図を汲んでフユーンをマスターした。合格だ!」
「よっしゃ!」
はしゃぐ澪里の姿を見て、黒崎は目を細める。そして、完全に無理だと思っていた自分を恥じる。
目の前の生徒は、自分では想像もできなかった方法で常識を打ち破り、困難を乗り越えた。
(教師なんて仕事、何のやりがいも感じていなかったが……なるほどこれは)
「面白いものだな。自分の生徒が成長する瞬間というのは」
「先生……じゃあ」
「うむ」
黒崎がそう思ったのは、生まれて初めてのことだった。そして、そんな感情が自分の内から湧き上がってきたことに驚いた。
「じゃあ先生。もう定時過ぎてますけど……残りのみんなも試験に挑戦させてもらっても?」
「わかってる。教室に入った瞬間なんとなく察していた」
そう。教室には澪里から情報を共有されてフユーンをマスターした生徒たちが大勢残っていたのだ。
(まったく変わったヤツだ。ランキング一位を目指していると言いながら、他の生徒を助けるようなことをするなんて……)
そんな澪里の心意気に免じて、黒崎は覚悟を決める。
「では順番に並べ! 18時は過ぎているが……問題はないだろう。全員まとめてテストさせてやる! 延長戦だ」
「「「やったー!」」」
その日、黒崎トオルは生まれて初めて残業した。そして、E組はまさかの全員課題クリアという偉業を成し遂げるのであった。
***
余談
「ところで朝倉。お前が言っていたフユーンの指導方法、パクってもいいか?」
「は?」