「どうした? 余の前に供物を持ってこい。そうすれば貴様の命だけは助けてやろう」
白雷大神と名乗った魔物の声を全身で感じると、体が震えた。膝に力が入らない。
シェイプシフターから感じたものとはまた違ったプレッシャーだ。
生き物としての本能が「逆らうべきではない」と言っている。
怖い。
魔物が言っている供物とは、昭子ちゃんのことだろう。あの子を差し出せば、俺はこの恐怖から解放される?
いや、それはない。
妹の凜と同じくらいの歳の女の子を見捨てて生き残る? ありえない。
そんなことをするくらいなら。
「魔法起動……」
魔力は殆ど残ってない。でも。
「これでも食らってろ――バレット!」
魔力の弾丸が白雷大神を襲う。だが。
「な……に!?」
放った魔弾は敵に触れる前に捻れて消えた。なんらかの防御能力? いや違う。
ヤツと俺の力の差が大きすぎて……攻撃が無効にされたのだ。
「そうか逆らうか人間。まぁよい。まずは貴様を殺してから、ゆっくりと狩りを楽しむとしよう」
白雷大神が天に向かって吠える。すると、空から白い稲妻が降り注ぐ。
狙いは――俺。
これは死ぬ。そう直感した。
例え万全の状態であったとしても避けられぬであろう俊足の雷撃が眼前に迫った時。
俺の体は抱き抱えられ、攻撃を回避した。
「ギリギリセーフッ。えへへ。助けに来たよみおりん」
「
あの雷撃の最中、俺を助けたのは忍崎だった。
「金大寺たちから場所を聞いてね。E組のみんなと協力して助けに来たのさ。ま、領域の中に入ったのはボクだけだけどね」
降り続く雷撃を、忍崎は俺を抱えたまますいすいと回避する。
流石忍者、フィジカルスペックがエグい。
「そうだ忍崎。俺はいいから、あっちの方角へ向かってくれ。巻き込まれた女の子がいるんだ」
「それなら大丈夫。男の方のボクが合流したところさ。おっ、ヘリはっけーん」
「ヘリ?」
そういえば男と女、二人の忍崎はひとつの魂で活動しているんだよな。
「男の方の忍崎のところにヘリが来たってこと?」
「そういうこと」
どうやら糸式たちもヘリで俺の救助に来てくれたらしい。男忍崎はそのヘリと合流。
昭子ちゃんを無事救助することに成功した。
「ヘリは全速力で領域を脱出中。あとは僕たちが緊急離脱魔法で学園に戻るだけだね」
「でもそんな隙あるか!?」
「あはは~ないかも!」
白雷大神の雷撃は比喩ではなく本当に雨のように降り注いでいる。
今のところ忍崎は神回避で避け続けているが……一体いつまで続けられるか。
「もういい忍崎。俺を捨ててお前だけでも離脱しろ」
「そんなことするわけないだろ~。大丈夫。チャンスは必ず来るから」
「チャンス?」
首を傾げた俺だったが、忍崎の言っていたチャンスは意外とすぐにやってきた。
「――プリズン・チェーン!」
「むっ!」
その時。白雷大神の足下から黒い鎖が三本伸びて、その体に巻き付き拘束する。
あれはもしかして……糸式の?
「朝倉くん! よかった! 無事で!」
「糸式!?」
もしかしてヘリから降りて助けに来てくれたのか!? 糸式だけじゃない。金大寺と……理事長も!?
「愚かな。この程度の束縛魔法で余の動きが止められるとでも……はっ」
「ち、ちょっと!? 私の最強の束縛魔法なのよ!?」
鎖は砕け散り、糸式最強の魔法はものの数秒で破られた。
「あれが神霊級。凄まじいプレッシャーですが……隙を作るくらいなら」
そう言って、理事長が魔法を発動した。
「――ドリーム・パーティー!」
「む? ほほう。これはこれは。美味そうな食事ばかりではないか!」
理事長の魔法が発動した瞬間、白雷大神の口角が上がり、犬のように涎を垂らした。
「我が虹野家は『幻想魔法』の担い手。しばらくの間、神霊級には楽しいパーティーの幻を見て貰います。さぁみなさん。今のうちに緊急離脱魔法を」
理事長の言葉に俺たちは頷き、スマホに魔力を込める。だが――。
「発動しない!?」
「どうして!?」
「まさか、あの野郎……自らの領域を変質させやがった」
ヘリの脱出から望んでいた少女の肉が遠ざかったことを感じ取り、白雷大神は自らの領域を変化させた。
自らに逆らった者を絶対に逃がさない、神罰の牢獄へと作り替えたのだ。
「愚かな人間どもめ。お前たちだけは絶対に許さん。余の雷によって焼き尽くしてくれよう」
「くっ……ここまでか」
糸式や理事長の魔法ですら数秒しか効果のない、圧倒的な相手。
こんな化け物に勝つ手段なんて存在しない。
そう思った時だった。
『たった今。少女を乗せたヘリが安全圏まで離脱したことを確認した』
頭の中に声がした。
老人の――
『よくやった。お前一人だけなら何度も助かる機会があったにも関わらず。お前は少女のためにここに残り、必死に戦った。お前の今までの行動が仲間たちを呼び寄せ、そして少女を助けるに至った。見事である』
時宮天災。
千年前に世界を滅ぼそうとした最強最悪の魔法使いで、俺の前世の姿かもしれない男。
その偉そうなそのしゃべり方からは、確かに最強最悪の名に恥じぬ迫力がある。
だが……それでも今は。たった一人の少女の無事を心の底から喜んでいるような。
そんな善性を感じるのは気のせいだろうか。
もしかしたらコイツは。最初から昭子ちゃんを助けさせるためだけに、時宮奇書を使って俺をこの場に呼び寄せたのだろうか。
なぁ時宮天災。あの子は……昭子ちゃんはアンタにとって何か縁のある……特別な存在なのか?
『否。たとえ縁もゆかりもなかろうと、罪なき子供を助けるのに理由は不要。そしてそれをお前が為したことを、私は心から嬉しく思う』
そうかよ。でも試練とやらは失敗だ。
昭子ちゃんを助けることはできたが……この領域の支配者である白雷大神を倒すことはできそうにない。
『構わぬ。シェイプシフターなる魔物で今回は合格としてやろう。そして褒美だ』
褒美?
『目の前の神霊級。私が駆除してやろう』
駆除って……どうやって?
『我が転生体よ。しばらくの間、お前の体を借りるぞ』
***
***
***
朝倉澪里の意識が途切れた途端、領域内の空気が変わった。
「ふむ。こうして我が転生体の身体を扱うのは一体何年ぶりだろうな」
自身の転生体、朝倉澪里の体を一時的に借りた時宮天才は生の肉体を得た喜びを噛みしめる。
「えっと……みおりん?」
「いや違うわ。朝倉くんじゃない。貴方は誰!?」
勘の良い糸式に感心しつつ、時宮は答える。
「我が名は
時宮がその名を口にすると、理事長が悲鳴を上げた。忍崎と金大寺も驚愕する。
糸式だけが、恐怖を感じながらも気丈に、時宮に食ってかかる。
「どういうこと? 時宮奇書の試練と何か関係があるの?」
「そんなところだ」
「ちゃんと……身体は朝倉くんに返してくれるのよね?」
「無論だ。私はあの魔物を駆除するだけ。お前たちは黙って見ているといい」
そう言って、澪里の体を得た時宮は白雷大神に立ちはだかる。
「不敬な。余を駆除すると聞こえたが?」
「どうやら耳はいいようだな」
「くっ。くっははははは。神霊級と呼ばれるこの余を駆除とは。笑わせるな人間風情が」
「頭は悪いようだ」
白い雷撃が降り注ぐ。
だが、時宮が手で払う仕草をすると、雷撃は霧のように霧散した。
「ぐっ……なんだと?」
「さて。現代の魔法はこの『すまーとふぉん』なる物で行うのだったな。む? こうか? うん……壊れたか? あやつが使っていたときはもっと」
「あ、あの……指先を画面に置いてください」
老人である上に千年前の人である時宮にスマホは難しかった。見かねた糸式のアドバイスでようやくスマホのロックを指紋解除した時宮は魔法を発動する。
「――すとれいじ!」
それは澪里が時宮奇書を手に入れるきっかけとなった魔法。あの時の澪里の読み通り、ストレージの容量は生前の時宮の物と共有されている。
転生し別人となった澪里には取り出せなかったが。本人である時宮には、全ての物が取り出せる。
「これだ。これが欲しかった」
取り出したのは一冊の魔導書。
「ふむ。やはり本はいい。では行くぞ白雷大神よ――無限書楼(むげんしょろう)」
魔導書に魔力が込められると同時、オーロラ煌めく空が割れ、世界が何か別のものに塗り替えられていく。
白雷大神は初めて焦りの声をあげた。
「馬鹿な……余の領域が……浸食されていく!? 貴様……一体何をするつもりだ!?」
白雷大神の言葉に、時宮はニヤリと笑った。
「領域魔法。私に有利な空間を作る魔法である」
「り、領域魔法だと!?」
「世界を浸食するのは貴様たちの専売特許ではないということだ」
そして、時宮は目を閉じて内に眠る自らの転生体に語りかける。
(見ていろ我が転生体よ。これから私が見せるのは、やがてお前が至るべき魔法使いの境地。すべての魔物を根絶する暴虐の知)
「領域魔法なんて……聞いたことないぞ」
「一体何が始まるの!?」
「わからない……わからないですが……ただ一つ言える。今から始まるのは……神話のレベルの戦いであると」
糸式たち現代の魔法使いが見守る中。
最強魔法使いの魔物退治が始まった。