「これで、終わりなの!?
少女は先ほど、うきうきしながら買ってきたばかりの漫画雑誌を投げつけ、力いっぱい叫んだ。
投げつけられた漫画雑誌ははらりと床へ落ち、ちょうど先ほどまで少女が読んでいたページがもう一度開かれた。
そこには、幸せそうに笑う少年と少女のキスシーンが描かれている。
漫画のタイトルは、『ゆめ色の恋心』。
そして、今日はその最終話が掲載された漫画雑誌の発売日。
先ほど雑誌を投げつけた少女、
この漫画の連載が開始されたのは、ちょうど凛が高校に入学してすぐの頃だった。
偶然導かれるように手に取った漫画雑誌で、同じく主人公の高校入学からはじまったこの漫画に凛は夢中になった。
そんな漫画の中の主人公の名前は、
ちょっとドジでそそっかしいところもあったりするが、明るく前向きで元気が取り柄のかわいい女の子だった。
そんな結芽が、放課後、誰もいない体育館で偶然出会うのが、
入学初日、部活も休みの日にもかかわらず、彼はひたむきにバスケの練習をしていた。
その真っ直ぐな瞳と、爽やかな容姿に、結芽は恋に落ちる。
そんな恋愛漫画にありがちな展開で、主人公の恋はスタートした。
けれど、凛が惹かれたのは主人公の結芽でもなければ、恋のお相手の悠でもない。
主人公である結芽の幼馴染として登場する、
凛ははじめて凌空を見た瞬間、電流が走ったかのように凌空に恋をした。
凌空は、少女漫画に必ず一人はいそうな、勉強も運動も卒なくこなす文武両道なイケメンで、女子からの人気も非常に高いキャラクターだ。
しかしながら、これもまたありがちだけれど、女子にきゃあきゃあと騒がれることをうっとおしいとしか感じておらず、まるで女子に興味がなさそうなクールなキャラクターでもあった。
そんな凌空が唯一普通に話し、時には笑みを向ける女子が結芽だった。
そして、結芽が最初に自身の恋心を明かした相手でもある。
結芽から悠への恋心を打ち明けられた凌空は、積極的に結芽の恋に協力していくようになる。
そして、凌空のおかげもあって、2人はどんどんとその距離を縮めていった。
この漫画の主人公はあくまで結芽であり、結芽の恋のお相手は悠。
そのため、凌空の心情は2人に比べてあまり描かれない。
けれど、凛は凌空は結芽に恋をしているのだと、すぐに感じ取った。
連載が進むと、凌空をメインにした話が少しだけ描かれた。
家が隣同士だったこともあり、物心ついた頃からいつも一緒にいた結芽と凌空。
成長するに伴い性別の違いから、互いに一緒にいることがぎこちなくなる瞬間もあったけれど、幼稚園、小学校、中学校、そして高校と結局2人はいつも一緒にいた。
いつしか傍にいることが当たり前になった結芽への恋心に凌空が気づいたのは、まさに結芽が凌空に悠への恋心を打ち明けた瞬間だった。
けれど、凌空は結芽が好きだからこそ、自身の想いは決して打ち明けず結芽の恋の成就だけを考えるようにした。
凛はそんな凌空にこそ幸せになってほしいと願い、結芽に凌空の気持ちに気づいて欲しい、そして結芽も凌空を好きになって欲しいと願うようになる。
しかし、秘められた凌空の想いは、凌空の努力もあって最後まで結芽に悟られることなく最終話を迎えた。
凛と同様に高校卒業を迎えた結芽は、卒業式の後、凌空に見送られ悠の元へと駆け出した。
それを見送る切ない表情が、凌空の最後の登場シーンとなった。
その後、結芽は悠に告白をし、すでに距離が縮まっていた悠は当然のようにその告白を受け入れる。
2人は導かれるようにキスをして、漫画はハッピーエンドで終わった。
けれど、凌空の最後の表情が、凛の頭から離れない。
「こんなのっ、ハッピーエンドじゃない……」
3年間、結芽を支え続けた、そして凛が誰よりもその幸せを願った凌空は、どう考えても幸せだとは思えなかった。
所詮これは漫画でしかなく、読者が見たいのも、作者が描きたいのも、結芽と悠の恋でしかない。
凛だってそれくらいはわかっているのに、胸が苦しくて、悲しくて、溢れる涙を止められなかった。
「こ、ここはどこ?」
「学校に決まってんだろ」
見知らぬ光景に、凛はぽつりと独り言のように呟いたつもりだった。
しかしながら、返答があって凛はぎょっとする。
そして、声の主を見て、さらにぎょっとした。
「え?凌空!?」
「なんだよ、今さら。どうした、ぼーっとして。気分悪いのか?」
目の前にいるのは間違いなく、あの、黒瀬 凌空だ。
周りをよくよく見渡せば、確かに学校だけれど、つい先日まで凛が通っていた高校とは違う。
(ああ、これ、漫画に出てきた高校と同じ……)
夢を見ているのだ、瞬時に凛はそう思った。
ついさっきまで漫画を読んでいて、その後はもう思いっきり泣いていた。
あの後泣きつかれて眠ってしまったから、こんな夢を見てしまったのだろうと凛は考えた。
(夢でも、こんな間近で凌空を見れて幸せ。おまけに声まで聞けた)
漫画ではさすがに声までは聞こえない。
夢ならば凛の想像でしかないかもしれないけれど、凌空を面と向かって見ることができ、声まで聞けたことを凛は神様に感謝した。
「凛、具合悪いの?保健室行く?」
「わっ、結芽までいる!?」
「そりゃいるだろ。一緒に通ってんだから」
今度は虹宮 結芽が、心配そうに凛の顔を覗き込んできた。
一方凌空はというと、何言ってるんだ、という顔をしている。
そんな顔まで、とてもかっこよくて、直視できなくて困ってしまう。
(そういえば、漫画の中に入れたら、なんて妄想したなぁ……)
漫画のタイトル『ゆめ色の恋心』にあわせてなのか、それとも登場人物の名前からタイトルが決まったのかわからないけれど、主人公の名前は『ゆめ』。
そして、主人公以外の主要キャラには、苗字に必ず色が入っている。青羽の『青』だったり、黒瀬の『黒』だったり。
ちなみに、主人公は『虹』という七色を連想させる文字が入っており、凛はそこに主人公らしい特別感を感じていたりもした。
最も、原作者がどのようにキャラクターの名前や漫画のタイトルを決めたかまでは、明かされてはいないのだけれど。
凛の苗字は藍沢だったので、『藍』が入っているから漫画の登場人物になれる、なんてくだらないことをよく考えたりしたものだった。
きっとそんな自身の心理が夢に反映されて、凌空と結芽と一緒に登校する、なんて本当に夢のような夢を見てしまったらしい、と凛は思った。
「このまま凛を保健室連れていくか。なんかおかしいみたいだし」
「そうだね、そうしよっか」
「待って、待って、大丈夫だから!」
大好きな漫画の登場人物が次々と現れては、自身の名前を呼んでいく。
そんな到底起こりえない都合のいい夢に浸っていた凛は、慌てて凌空と結芽を引き留めた。
幸せに浸っていただけで、まるで頭がおかしくなったかのような扱いを受けるなんて、夢の中でも遠慮したいものである。
(せっかくなら、楽しまなきゃ損だよね)
目が覚めてしまうまで、精一杯この状況を満喫しよう。凛はそう決意した。
「えっと、虹宮 結芽、だよね?」
「そう、だけど、どしたの、突然……」
見るからにそうだとしか思えなかったけれど、それでも念のためにと凛は確認をいれた。
肯定されたことに喜ぶ凛とは対照的に、結芽は戸惑いの表情を浮かべている。
けれど、目覚めてしまうまでしか時間がない凛は、そんなことを気にしていられない。
「で、黒瀬 凌空?」
「おまえ、ホントどうした?やっぱ、どっかおかしいんだろ」
同じように凌空に確認したけれど、凌空からは肯定の返事は返ってこない。
凛がそう思っているだけで、別人だったかもしれない、まさか自分が大好きなキャラクターを間違えていたら、そんな不安に襲われる。
「あれ?違う?」
「いや、違わねーけど、そうじゃなくて……」
違わない、その一言に凛はほっと息を吐いた。
「じゃ、じゃあ、私、は……?」
2人が思っている人物で間違いない、そう確認できた。
次に気になるのは、大好きなキャラクターたちに、自分がどう認識されているかである。
しかし、2人ともあからさまに何言っているんだ、と変なものでも見るかのような表情だ。
(た、たしかに自分のことを聞くなんて、ちょっとおかしいかもしれないけれど、そんな顔しないでよ……)
夢なんだから、もう少し自分に優しくあって欲しい。
凛はそう思わずにはいられなかった。
「は?」
「藍沢 凛、でしょ?ねぇ、凛、これ何の遊び?」
凌空は答えてくれなかったけれど、結芽は答えを返してくれた。
その返答に、凛は顔がにやけてしまうのを止められない。
(やっぱり、名前はそのまま、漫画の登場人物になれちゃった)
あくまで夢の話でしかないのだけれど、それでも凛は嬉しかった。
漫画の登場人物でもおかしくないと思った自身の名前のままで、凌空と結芽の前に立てたことが。
「えっ?何!?」
突然強い力で腕を掴まれて、凛は驚きの声をあげる。
すると険しい表情の凌空としっかり目があった。
(わぁ、こんな表情もかっこいい……)
つい、ときめいてしまうのを凛は止められない。
けれど、凌空はそんな凛の様子をまるで気にする様子などなかった。
「遊びじゃなくて、こいつ、やっぱ熱でもあって、おかしくなってんだろ。ほら、保健室行くぞ」
「え、ちょ……っ」
凌空は当然のように凛からカバンを奪い取ると、自身のとあわせて結芽に投げた。
結芽は勝手知ったるかのように2人分、しっかりと受け取る。
「先に教室行ってるね!」
「あっ、結芽っ」
ひらひらと手を振って立ち去ってしまう結芽を、慌てて引き留めようとすると、凌空に力強く腕を引かれる。
「おまえはこっち」
強い力で引っ張りながら歩かれてしまえば、引き摺られるようにその後をついていくしかなかった。
(でも、凌空と2人っきり)
そう思うと、どんなに乱暴なことをされても、幸せな気がした。