「あれ?私、小さい?」
凌空に連れられるままに保健室に入って、凛が最初に呟いたのはそんな一言だった。
3人で並んでいるときは、目の前に凌空と結芽がいるということに夢中だったし、そもそも凌空と結芽の身長と自身の身長差をよくわかっていなかったため、あまり自身の身長など気にはならなかった。
しかし、物がたくさん並ぶ保健室に入ると、どうも視界の高さが気になった。
凛が通っていた高校の保健室とは違うとはいえ、どうもいつもより全体的に物の高さが上にあるような気がしてならない。
思い返せば、凌空や結芽の顔も凛からすれば見上げる位置にあったかもしれない。
夢の中では名前は変わらずとも、身長はかなり縮んでしまったような気がした。
「何を今さら。おまえは昔からちびだろ」
さも当然のように凌空が言う。
(昔から、私のことを知ってるみたい……)
そんなことを考えていると、ふと凛の脳裏にある光景が浮かぶ。
小さな凌空、結芽、そして凛が一緒に幼稚園で遊ぶ姿だ。
(やだ、凌空も結芽もかわいいっ)
すごく小さくて、3人とも頬がむにむにとしているけれど、どことなく今の面影がある。
そして3人並ぶ中でも、凌空の言う通り確かに凛が特に小さかった。
(この頃から、私、2人より小さかったんだ……)
そう考えて、凛はあれ?と思う。
(夢にしては、設定細かすぎない?私、こんな幼い凌空や結芽を知ってる設定の夢見てるの?)
幼稚園の頃の凌空や結芽なんて、漫画では描かれていない。
ただその頃から2人が一緒に居たと、語られるだけにすぎなかったのだ。
しかし、凛の妄想から生まれたのすぎないにしては、あまりにもリアルな光景に思えた。
「ほら、座れ」
朝早いせいなのか、先生すら居ない2人きりの保健室。
凌空は凛を椅子に座らせると、棚から体温計を取り出す。
(保健室のこと、よく知ってるみたい……)
どこにあるかと、探すような素振りさえなく、凌空はあっという間に体温計を手にし、それを凛へと差し出した。
「ほら、熱測れ」
「いや、熱なんて、ないと思うけど……」
「いいから、早く」
急かされて、凛はしぶしぶ体温計を受け取った。
「ねぇ、凌空はさ、私のこと、昔から知ってるの?」
「は?あたりまえだろ、おまえだって、俺も結芽も、昔からよく知ってるだろ」
さっき、名前を確認した時と同じ表情が、またしても凛に向けられてしまう。
(私が知ってるのは、漫画で描かれた2人だけなんだけど……)
そうは思っても、凌空に言われた途端、まるで記憶が蘇るかのように、凛の脳裏に次々と幼い頃の凌空と結芽の姿が浮かぶ。
幼稚園で遊ぶ姿や、近くの公園で遊ぶ姿、時には家の室内や、庭など。
場所は違えど、どれもこれも3人一緒に遊ぶ姿ばかりである。
(わ、私、こんなことまで妄想しながら夢見てるの!?)
まるで、凌空と結芽と幼馴染として幼い頃から過ごしてきたかのような光景の数々。
大好きなキャラたちとの幼馴染設定は嬉しすぎるが、だからといってたかだか夢ごときでここまで細かくなくてもいいのではないか、凛はそう思わずにはいられない。
自身の作り出す夢のクオリティに凛が唖然としていると、体温計がピピっと音を鳴らす。
取り出して体温を確認しようとする前に、体温計は凌空に奪われてしまった。
「熱はないな……」
「だから、ないってさっきも……」
「どっか痛いとこは?」
「ないよ」
「じゃあ、どこか苦しいとか……」
「ないってば!健康そのものだよ!」
ただちょっと、自身の作り出した夢に感動してただけなのだ。
頭がおかしくなった認定だけはやめて欲しいと思い、凛は声をあげた。
「本当になんともないんだな?」
念を押すよう言われて、何度も凛は頷いてみせた。
しかし、それでもまだ凌空に疑いの目を向けられてしまっている気がする。
「ひゃあっ」
「んー、確かに、熱くはない、か」
体温計で体温を測って確認したにもかかわらず、凌空は凛の額に手をあてた。
驚いて声をあげる凛を気にすることもなく、凌空は自身の額にもう片方の手をあて、自身とあまり変わらない温度であることを確認し、ようやく熱がないと信じたようである。
「とりあえず、大丈夫なら教室行くか」
「うんっ」
凌空の言葉に、凛はうきうきとしながら立ち上がった。
(凌空と結芽の教室が見れるっ!)
たとえ夢の中だとしても、凛はそう思うと嬉しくて仕方がない。
「なんだ?急ににやにやして気持ち悪い」
「き、気持ち悪い!?」
本来ならば落ち込む一言だが、そんな言葉でさえも大好きな凌空からであれば嬉しいような気もしてしまう。
凛はなんとも複雑な気持ちを抱えて凌空を見つめる。
(ああ、やっぱりかっこいい……)
変な奴だとでも思われていそうな表情ではあるが、そんな表情にすら凛はときめいてしまうのを止められなかった。
「ところで、凌空って今、何年?」
「はぁ!?」
教室までの移動の最中、つい気になって聞いてしまったことを凛は酷く後悔した。
よくよく考えてみれば、教室に着いてしまえば、おそらくはわかったはずなのである。
予想通り、凌空は顔を顰め、怪訝な表情で凛を見ている。
「今日、ホントにどうしたんだよ、おまえ」
「あ、その、えっと……」
もし幼馴染設定なのだとすれば、学年を知らないなんてありえない。
(これも夢なんだから、許して凌空っ!)
深く追求しないで欲しい、と凛はただ切に願った。
「はぁ……俺も、おまえも、結芽も、この前入学したばっかの1年だろ。忘れんなよ、そんなこと」
最終話を読んでいたにもかかわらず、設定はどうやら漫画の連載が始まったころに近いようだ。
(私の願いが、夢に反映されちゃったのかな)
入学したばかりの頃なら、結芽は悠と出会っていないか、出会っていてもそれほど仲よくはなっていない頃だ。
それならば、凌空にだってチャンスがあるかもしれない。
(私の夢の中でくらい、凌空を幸せにできたらいいのに)
いつ終わるかもわからない。
この瞬間にも、目覚めて終わりがくるかもしれない。
でも、この夢が終わるまでに、なんとか凌空と結芽を、そんな気持ちが凛の中に浮かんだ。
「それにしても、なんてリアルな夢なの……」
先ほど凌空に腕を掴まれた感触も、保健室で熱を測った感覚も、妙にリアルだった。
設定一つ一つをとっても非常に細かいし、こうもはっきりと夢だとわかって自分の意思で動く夢も珍しい気がした。
「おまえ、寝ぼけてんの?夢なわけないだろ」
「え?あ……っ」
しまった、と凛は再び後悔に襲われる。
心の中の声のはずが、しっかりと声に出していたらしい。
(でも、凌空だって、所詮私の夢の中の凌空。なら、知られても問題ないんじゃ……?)
本当は凌空と結芽は凛にとって漫画の中の住人で、これは凛の夢の中の出来事なのだと、凛が伝えようとした時だった。
「い……っ、痛い、痛い、痛いっ!!」
むぎゅっと頬を抓られて、凛は痛みのあまり声をあげる。
「な?夢じゃないだろ?」
「え?あれ?」
たしかにそれは、とってもリアルな痛みだった。
(夢なら痛みを感じないはず、なら、これは、現実……?)
そこまで考えて、凛はそんなはずないと、慌ててその考えを振り払うように頭を振った。
「いやいやいや、夢なら痛みを感じないって、そもそも誰が決めたの」
「まったく、変なとこ強情だな、おまえ」
そう言うと、今度は反対側の頬が抓られる。
「痛い、痛いっ!」
「夢の中で、こんなにリアルに痛みが感じられるかよ。いいかげん、目を覚ませ」
パッと手を放され、凛はまだ痛みの残る頬に手をあてる。
「今日なんかおかしいと思ったら、おまえ寝ぼけて、夢か現実かわかんなくなってたんだな。で、目、覚めたか?」
「え?えっと……」
「まだ寝ぼけてんなら、もう一度抓ってやろうか?」
「いい!いい!もう、目、覚めたからっ!」
「ならよし」
目が覚めたら、そもそもこの状況が終わるはずなのだ。
少なくとも凛はそう思っている。
けれど、もう一度先ほどの痛みを感じるのが嫌で、凛はそのことを告げられなかった。
(これ、現実……?いやいやいや、凌空も結芽も、漫画の登場人物だってば!)
凛は再び自身の頬に触れる。
やはり先ほどの痛みは、妙にリアルだったと、そう思わずにはいられなかった。