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第3話


 教室に行くと、結芽がいた。

 漫画の中でも結芽と凌空は3年間、なんだかんだ腐れ縁だと言いつつ同じクラスだった。

 それが夢にもしっかりと反映されているらしい、と教室で笑いあう凌空と結芽を見ながら凛は思った。

 先に教室に向かった結芽によって、カバンはしっかりとそれぞれの机の上まで運ばれていた。


(私も、2人と同じクラスなんだ)


 そう思うだけで、凛はまた顔がにやけてしまう。

 そこまでは、凛は確かにこれが夢だと信じて疑わなかった。


 おかしい、と感じ始めたのは、授業がはじまってからである。

 夢の中なのだから、都合よく授業時間なんて飛ばしてくれたらいいのに、時間は1秒たりとも飛んだりはしない。

 授業内容は凛が高校で習ったものと似たりよったりではあるものの、凛がよく覚えていなかったり、苦手であまり理解していないものまで、教師は授業の中で詳細に説明をしていく。

 自身が作り出した夢の世界だというには、あまりにもありえないと思えてならなかった。


(何が、どうなっているの……?)


 凛の頭の中に、先ほどの凌空の言葉が蘇る。


(これは、本当に、夢じゃないの……?)


 小説や漫画、ゲームといった世界に転生するという話は、凛も小説や漫画で読んだことがある。

 これが夢ではないかもしれないと考え始めた凛が、真っ先に思い浮かべたのはそういった転生ものの話だった。

 けれど、そういった話は、だいたい登場人物に憑依する形で転生するものだ。

 だが、凛は何度も何度もこの漫画を読み返すほど夢中だったけれど、藍沢 凛なんてキャラクターが出てきた覚えがない。

 そもそも大好きな漫画に、自分と同姓同名のキャラクターなんて登場したら、凛は発狂するほど喜んだに違いない。


(いったい、何が起きてるの……?)


 凛はわからないことだらけで混乱する中、自分の世界とほんの少しだけ違ったりもする授業内容を聞いていた。


(英語も同じ、数学も同じ、歴史もたいして変わらない、けれど現代の有名人の名前は、私が知っているのと少しだけ違うみたい)


 それが、いかにも創作の世界なのだと、思い知らされるようだった。

 今生きている有名な政治家なんかの名前は、漫画にそのまま出すには問題もあったりするのかもしれない。

 似ているけれど、少し違う有名人の名前が多数出てきた。

 しかし、その人物が成し遂げた内容については、凛の世界で似た名前の人物が行った内容と非常に酷似していた。




(私も、バスケ部なんだ……)


 これは夢なのか違うのか、未だ答えを出せないままに凛は放課後を迎えた。

 バスケ一筋の悠は、入学早々にバスケ部に入部する。

 それを知った結芽は、悠との距離を少しでも縮めたくてバスケ部に入ろうとした。

 しかし、結芽たちが通う彩陵さいりょう高校では、女子のバスケ部は存在せず、男子バスケ部はマネージャーを募集していなかった。

 結芽はそこで、凌空に助けを求めることにした。

 凌空は運動神経がいいため、さまざまな運動部から勧誘を受けていた。

 もちろん男子バスケ部も、凌空を欲しがっていた。

 そこで、凌空は結芽をマネージャーに採用することを条件とし、バスケ部に入部するのだ。

 そうして結芽も一緒にバスケ部に入部することができ、部員同士として悠と接点を持てるようになったのだ。


(設定としては、理想的だよね。結芽や凌空、悠と一緒にバスケ部なんて)


 3年間同じクラスだった凌空と結芽とは違い、悠と結芽は3年間、一度も同じクラスになれなかった。

 こうしてバスケ部にいなければ、結芽のように出会ってすらいない凛には接点などありえない。

 そう思うと、やはり都合のいい夢なのではないか、そんな気がしてくる。


「みんな、ドリンクできたよ!休憩にしよっ!」


 大量のボトルを抱えた結芽が駆け込んできて、床にどんっとボトルを置く。

 そこから数本手に取ると、それを順番に部員たちに配りはじめた。

 一方でずっと椅子に座ったままの凛は、自身をまじまじと見つめる。


(やばっ、私ってば、何もしてないっ!)


 運動部のマネージャーなんて経験のない凛は、何をしていいかわからず、呆然と練習風景を眺めて終わってしまっていた。


(とりあえず、結芽の真似してれば大丈夫だよね)


 凛は結芽が持ってきたドリンクのボトルを、結芽と同様の数本取った。


(悠には結芽が渡したいよね、凌空も……結芽から貰いたいはず)


 凌空に渡したい、そんな気持ちもあったけれど、凌空の幸せが凛の最優先事項だった。

 そこで、凛は悠と凌空は避け、それ以外の部員の元へと駆け寄り、ドリンクを渡していく。

 そんなことを、3回ほど繰り返した時だった。

 ぐるりと世界が回るような感覚を覚え、凛は平衡感覚を失った。


(え?なに、これ……)


 そのまま視界がブラックアウトして、自分が真っ直ぐ立っているのかさえよくわからないような感覚に陥ったところで、凛は何か強い力に支えられるのを感じた。


「おっと」


 すぐ傍で、声が聞こえる。


(この声、凌空?)


 今日、はじめて聞いた声だけれど、大好きな凌空の声である。

 凛は間違えてない自信があった。


「凌空?」

「正解。見えてないだろ、そのままじっとしてろ」


 凌空にそう言われて、凛は言われた通りじっとしていた。

 といっても、そもそも動こうにもどうにもふわふわとした感覚で、動くに動けなかったのだけれども。


「まったく、何やってんだよ。こういう仕事は、結芽に任せとけっていつも言ってんだろ」


 凛にとっては、どれもこれもはじめての感覚だったのに、凌空は非常に落ち着いていて、こういう状況をよく知っているような気がした。


「お、落ち着いてきたか」


 そんな凌空の言葉とともに、徐々に視界がクリアになっていく。

 立っていたはずの凛はいつの間にかさっきまで座っていた椅子に座らされ、しゃがみ込んだ凌空に下から覗き込まれている。


「凛、大丈夫?気分悪くなっちゃった?」


 慌てて自分の方に駆けてくる結芽の姿も、はっきりと見えた。


「おい、結芽。ドリンクはおまえの仕事だろ?なんで凛にまでやらせてるんだ」

「え?私、凛には頼んでないよ」

「ってことは、おまえが勝手にやったのか、凛」

「あ、えっと……」


 よくわからないが、結芽と凛にはそれぞれ役割があるようである。

 どうやら、ドリンクを渡してまわるのは結芽の仕事であり、凌空の様子を見る限り、凛はやってはいけないらしい。


「ふ、二人でやった方が、早いかなって……」

「だめだよ、凛。倒れたらどうするの」


 たかだかドリンクを配ったくらいで倒れるわけない、凛はそう思ったけれどそれを口に出すことはできなかった。

 結芽も凌空も真剣だったし、何より先ほどの凛はまさに倒れる寸前だった。


(夢にしては、おかしすぎる)


 凛はあんな風に眩暈を起こすようなことも、視界がブラックアウトするようなことも、経験がない。

 それなのに、さきほどの感覚はものすごくリアルだったし、何より今もまだ気持ちの悪さが続いている。

 自分の知らない未知の気持ち悪さや不調が、夢の中でこうも再現されるような気はしなかった。


「まだ、気持ち悪いんだろ。とりあえずこれ、飲んでおけ」


 これ、というのは凛が配っていた、凛の腕の中に残っていた最後のドリンクのボトルだった。


「え?いや、これ、部員の皆さんのやつでしょ?」


 確かに気持ち悪さはあるものの、マネージャーにドリンクが用意されているとは思えない。

 となればこれを飲んでしまうと誰かのドリンクを奪うことになってしまう。

 凛はそう思って、凌空の言葉を拒絶する。


「これ、俺が貰うからいいよ。ほら」

「そうそう、足りなきゃ私がまた作ってくればいいんだし」


 2人にそう言われ、凛はおそるおそる凌空からボトルを受け取った。

 ドリンクをこくこくと飲み込むと、その冷たさに少しだけ気分がすっきりするような気がした。


「とりあえず、発作が起きなくて何よりだな。動き回る仕事は全部結芽に任せて、おまえはこういう結芽の苦手そうな仕事だけやってればいいんだよ」

「そうそう、そもそも凛をバスケ部に巻き込んだの、私なんだし。私は体力には自信あるから、力仕事は全部押し付けちゃっていいからね」

「で、代わりにこういう頭使う仕事は、全部凛に押し付けるんだろ?」

「他の仕事が終わったら、手伝うわよ」

「邪魔する、の間違いじゃねーの」

「なんですって!?」


 凛を心配していたはずだった2人は、いつの間にか幼馴染らしく言い合いをしている。

 その光景は非常に微笑ましく、凛は『ゆめ色の恋心』の読者の1人としても、ずっと見ていたい光景でもあった。

 しかし、それよりも前に、凌空の言葉に無視できない一言があって、今の凛はそれどころではなかった。


(発作って、何?)


 確かに結芽は、体力のある方だった。

 勉強は苦手で頭を使うことも苦手だが、持ち前の明るさと元気とあり余る体力でマネージャー業をこなしていたのだ。

 しかし、凛だって、そこまで体力がないわけではなかったはずだった。

 勉強も運動もよくも悪くも平均的にこなしてきたし、少なくともドリンクを渡すために部員の元へと駆けたくらいで倒れるようなことはなかった。

 けれど、2人の様子だと凛は常に体調に不安を抱えていて、マネージャー業も事務的な作業だけを期待されているようである。


(こういう仕事だけって言われても、これはこれでどうすればいいか……)


 凛の目の前に並ぶのは、部活日誌だったりスコアブックだったり、とにかく紙とペンで行うようなものばかり。

 何を書けばいいか、今の凛に到底わかるはずもない、凛はそう思いながらもペンを手に取った。


(あれ?私、これ、どうすればいいか知ってる……)


 まるで、身体が覚えているかのようだった。

 自然と手が動くかのように、凛はペンを走らせていく。


(やっぱりこれ、ただの夢じゃないみたい)


 凛はようやく、これは夢ではないという答えを出した。

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