目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第7話 ふたりの朝

 退院後、俺と伊月は養生ようじょうのため数日間学校を休んだ。その間の楽しみといえば互いの部屋から声を掛け日常会話をするくらいだった。ある晩俺はひとつのアイテムを準備した。


「五泊六日、長かったような短かったような」

「私は三泊だったので早かったです、旅行みたいでした」

「脚にそんなもん付けた旅行があるかよ」

「・・・・そうですね」


♪あんな事ーーーこんな事ーーー♪


「あっ!それ、小学校の卒業式で歌いましたね!懐かしいですね!」

「いや、そう意味じゃなく」

「どういう意味ですか?」


「入院中にあんな事やこんな事がしたかったなーーーって」

「なっ、なに言ってるんですか!」

「お泊まりコースだったのに残念すぎる」

「・・・・・」

「それに、おまえ退院の時くらい顔見せろよ」

「だって恥ずかしくて」

「キスしたから?」

「はい、今も恥ずかしくてどうして良いか分かりません」


 俺と伊月の部屋は二階の向かい合わせ。

 山茶花さざんかの薄っぺらい垣根を隔てた隣同士。

 手を伸ばせば届きそうな距離。

 教室の座席も前と後ろ。

 二十四時間の恋人だ。


「おい、ちょっと待ってろ」

「はい?」


 俺は台所から拝借はいしゃくした紙コップを取り出した。二つの紙コップの間には木綿糸が垂れ下がっていた。


「伊月、受け取れ」

「はい?」

「ほれ!」


 俺は垣根かきね越しにその紙コップを投げた。ところが紙コップは風に吹かれてブラリと落ちてしまった。


「ほら!もう一度!」


 勢いよく投げると紙コップはようやく伊月のベッドの上に落ちた。


「これは・・・糸電話ですね」

「じいちゃんに作ってもらったよな」

「はい」

「ちょい引っ張れ」


 紙コップと木綿糸が俺と伊月を繋いだ。


「耳に着けてみろよ」

「こうですか?」

「懐かしいだろ」

「懐かしいですね」


 木綿糸の細かな振動が耳元で熱くささやいた。


「伊月」

「すぐ隣にいるみたいです」

「伊月」

「はい」


 俺は一世一代の告白の前に大きく息を吸って深く吐いた。


「伊月、生まれてきてくれてありがとう」

「・・・・・・・」

「おまえがいたからこんな気持ちになれた」

「はい」

「愛してる」


 伊月のつばを飲み込む音が聞こえた。


「陸斗くん、これ以上好きにさせないで下さい」

「ーーーーそれ反則!」


「反則ですか?」

「そっち行きたくなった」

「え」

「おまえの部屋行って良い?」


 俺の手は伊月の返事を待つ事なく窓枠を掴み、脚は伊月の部屋へと伸びていた。ただその距離は思いのほか遠く、母親の言った「一生分の運を使い果たした」俺にとってそれは危険な行為だったと踏み出した足を後悔した。


「り、陸斗くん」


 前に進む事も出来ず部屋に戻る訳にもゆかずただ時間ばかりが過ぎた。


「陸斗くん、大丈夫?」

「伊月、これが大丈夫に見えるか?」

「・・・見えません」

「・・・・だろ?」


 脚は震え手のひらには汗が滲んだ。


「伊月、俺、駄目かも」

「や、ちょっとそれはまずいんじゃないでしょうか!」

「おまえも二階から跳んだし、大丈夫じゃね?」

「あれは下に生垣があったから助かったんですよ!ここ、下はコンクリートですよ!?」

「一時の気の迷いで俺は死ぬのか」

「だっ、駄目駄目駄目!それは駄目!」


 その騒々しさで目を覚ました伊月のじいちゃんが玄関から顔を出した。


「り、陸斗!おまえなにしとるんじゃ!」

「じ、じいちゃん助けて」

「ちょっと待っとれ!」


 結局、俺はじいちゃんが持って来てくれたハシゴで下まで降り、鬼婆にしこたま叱られた。


「あなたたち、もうすぐ十八歳なのよ!落ち着きなさい!」

「申し訳ありません」

「ふあい」

「陸斗、返事!」

「はいはいはい」


 愛の告白は大騒ぎで台無しになった。






この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?