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第6話 病室

「はい、せーのっ!」


 伊月はストレッチャーに載せられ救急車の中へと運ばれた。救急隊員が保健医に伊月の持病やアレルギーの有無などの聞き取りを行い、救急車の運転席では患者受け入れが可能な病院を探す手続きが行われていた。


「陸斗さん」

「なに」

「やっぱり身体が痛いです」

「当たり前だよ、ばーか」

「陸斗さん、私たち両思いですか」

「そうだ」


 首をネックカラーで固定された伊月が不安そうな顔で俺を見上げるので俺はその手を握って頷いた。


「授業終わったら病院行くから」

「部活動は良いんですか」

「彼氏が入院するかもしんねぇんだぞ、休むしかねぇだろ」

「陸斗さん」


「はい!搬送先の病院が決まりました、一緒に行かれる方はどなたですか?」

「あ、私が行きます」

「あなたは」

「この子の担任です」


「じゃあまたな、しっかり検査してもらえよ」

「はい」


 クラス担任が救急車に乗り込みハッチバックが閉まった。校庭を出たところで救急車の赤色灯が回りサイレンが住宅街に響き渡った。


「あーびっくりした」

「大谷くん窓から落ちたの?」

「跳んだんだって」

「なにそれ」


 クラスメートが俺の背中を叩いた。


「陸斗の名前呼んで跳んだみてぇだけど、あれ、なに?」

「分かんね」

「で、大谷と仲直りしたん?」

「したした」

「良かったじゃん」


 伊月の不機嫌な理由も俺の苛々の原因も解決した。俺たちはお互い惹かれ合いながらも電車のレールの様に平行線で悶々としていただけだった。そのレールが分岐点で交わり両思いだと確認し合った今、何も問題はない。これで一件落着だ。





(くっそ、遅ぇ)


 救急車を見送った後の俺はひざを机の下でカタカタさせ机の上を指でトントンと叩いた。五限、六限の授業は右から左で聞き流し教師の言葉など一切頭に入らなかった。尻は椅子から浮きホームルームが終わると同時にリュックを担いで勢いよく立ち上がった。


「お先っ!」

「あれ、陸斗部活は!」

「腹、いてぇから休み!」


 階段を慌てて駆け降り踊り場でぶつかった教師に厳しく注意された。


「くっそ!」


 駐輪場では焦った拍子で自転車をドミノ倒しにしてしまいそれを元に戻す作業で逆に時間が掛かってしまった。


(マジかよ、勘弁してくれよ)


 伊月が搬送された病院は少し先の国道を挟んだ県立中央病院だった。ヘルメットを被り勢いよくサドルにまたがった俺は校門を飛び出し自転車専用レーンを急いだ。


(伊月、大丈夫かな)


 電柱を一本、二本、三本と追い越すたびに伊月が待つ病院へと近付く。気ははやり胸が高鳴った。ペダルが加速しチェーンリングの音が激しくなった。


(あの信号機を渡れば病院だ!)


 片側三車線の国道、歩行者信号が青点滅に変わった瞬間、右折して来た自動車が白い横断歩道を踏んだ。


「えっ!?」


 俺の目はスローモーションで全てをとらえていた。真横から迫り来る自動車の色は黒、フロントガラス、驚きで凍りついたドライバーの顔が見えた。自転車のグリップを力一杯握りブレーキレバーを引いた。前輪が横に滑るのを感じ次の瞬間いびつになった自転車のホイールが宙に舞った。その後の事は全く記憶に無い。




ピッピッピッピッ ピッピッピッピッ



 目覚ましのアラームが鳴っている。うるさい、うるさい。



ピッピッピッピッ ピッピッピッピッ


「うるせぇ!」


 怒鳴り声で右手を挙げようとしたが何かが引っ掛かり自由に動かす事が出来なかった。首を右に動かすと腕に透明なチューブが繋がれているのが見えた。目覚ましのアラームだと思った音が医療用機器だという事はすぐに分かった。


「なんか、ドラマみてぇ」


 天井を見上げると心配そうな父親と涙で目を真っ赤に腫らした母親の顔があった。父親は枕元のナースコールのボタンを押し「良かった、良かった」と頷いた。程なくして白衣の医師と看護師が脈拍を測り心音を確認しに来た。「お熱を測って下さいね」と笑顔の看護師が病室から出て行くと母親に怒鳴られた。


「陸斗!あなた部活を休んでどこに行くつもりだったの!」

「母ちゃん、顔、鬼みてぇだぜ」

「あなたったら、本当にもう!」


 そこでようやく事態を把握した。


(そうだ、伊月の病院に行こうとして)


「なぁ母ちゃん、伊月はどうなった?」

「あぁ、そうよ!伊月くんも救急車で運ばれて!あなたたち二人でなにをしてるの!」

「そんで伊月は?」

「伊月くんなら一般病棟にいるわ」

「同じ病院なのか」

「そうよ」


「怪我したのか?」

「脚を骨折したんですって」

「やっぱりな」

「二階から飛び降りてあれだけで済んで御の字よ」


 顔を見る事が出来るかもしれないと思った。


「で、俺がいるここは何の部屋?ちょーうるせえんだけど」

「救急外来の治療室よ」

「救急とか、ドラマじゃん」

「ドラマじゃないわよ!心配させて!」

「ごめんって」

「明日の検査が終わったら一般病棟のお部屋に移動するそうよ」

「ふーん」

「何ともなければ良いんだけど」




 母親はひどく心配していたがMRI検査もCTスキャン検査も異常はなかった。


「あぁ、良かった!」

「大袈裟なんだよ」

「何が大袈裟なものですか!あなた、一生分の運を使い果たしたのよ!気を付けてよ!」


 自転車に接触した車のスピードが遅かった事が幸いし軽い打撲だけで済んだ。ただ念の為一週間ほど入院が必要だと言われた。


「なぁ母ちゃん、伊月に会いてぇんだけど」

「まだ駄目よ」

「マジか」

「マジよ!」


 翌々日には陸上部員が大挙して見舞いに来た。俺は隙を見計らって一枚のメモを書き女子マネージャーに言伝ことづてた。


「悪ぃけどこれ、703号室の大谷伊月に渡してくんないかな」

「うん、良いけど。大谷くんもこの病院に入院してたんだ」

「おう、頼んだぞ。でも中は見るなよ!」

「見ない見ない、じゃ渡しとくね!」

「おう」


 メモには誰かに見られても良いように 会いたい とだけ書いた。同じ病院に入院しているにもかかわらず伊月の顔を見られない歯痒さに溜め息が出た。翌日、伊月のじいちゃんが一枚のメモを持ってきた。


「おまえら仲良しだな」

「じいちゃん!中見たのか!」

「見えたんじゃ」


 じいちゃんはフォフォフォと笑ったが脇に汗をかいた。メモには 早く会いたいです と書いてあった。俺はそれを枕元に置いて何度も何度も眺めた。 


「母ちゃん、伊月の見舞いに行きてぇ」

「あぁ、あなた暇そうだものね、車椅子借りてくるわ」

「車椅子とか、いらねぇよ!」

「お黙りなさい!」


 俺は仕方なく人生初の車椅子に座りエレベーターに乗った。超恥ずかしかった。


コンコンコン


「どうぞ」


 母親がカーテンをめくるとそこには右脚にギプスを付けた伊月がベッドに寝ていた。顔には大小の絆創膏ばんそうこうが貼られていたが顔色は良かった。


「よお、伊月元気そうだな!」

「陸斗さん、なにやってるんですか!」

「なにっておまえの見舞いに来たんだよ」


「交通事故にうなんて!陸斗さんもしかしたら死んでいたかもしれないんですよ!」


 伊月は眉間にシワを寄せ珍しく声を張り上げた。


「え、そうなん?」

「そうですよ!」


 そこで母親に思い切り肩を叩かれた。


「いって!なにすんだよ!」

「伊月くんの言う通りよ!打撲だけで済んで良かったわ!本当に!もう!」

「うるせえ!」

「あなた、一生分の運を使い果たしたんだから気を付けなさい!」

「分かったよ、てかそれ前にも聞いたし」

「分かってないでしょう!」


 母親と伊月のじいちゃんは「食堂で珈琲コーヒーを飲んで来るから」と席を立った。二人きりの部屋に時計の秒針の音が響き、なんとなく気恥ずかしかった。


「陸斗さんが事故にあったと聞いた時は驚きました」

「おう、俺も驚いたわ」

「陸斗さんが死んでしまうんじゃないかと心配しました」

「おまえも二階から飛び降りたじゃねぇか、それこそ死ぬかと思ったわ」


「二人の命日が同じ日になったかもしれませんね」

「やめろよ縁起でもねぇ」


「陸斗さんが死ななくて良かったです」

「そうだよな、勿体ないよな」

「・・・・・え」


 俺は伊月の左手を取ると薬指にキスをした。


「俺らせっかく両思いになれたのに死んだら勿体ないだろ」


 伊月の碧眼へきがんの瞳に涙がにじんだ。


「死ななくて良かったです」

「おう」

「長生きして下さい」

「おまえもな」


 俺と伊月は手を握り合った。温かかった。


「おまえ、もうちょい下向け」

「・・・はい?」

「ほら、早く!鬼婆おにばばが戻って来るだろ!」

「はい」


 俺は車椅子の肘当てに手を突いて上半身を伸ばした。


(あったけぇ)


 柔らかでしっとりした感触、唇と唇が名残なごり惜しそうに離れた。初めてのキスに俺と伊月は顔を赤らめた。


「陸斗さん」

「これ以上出来ねぇのが残念すぎる」


 軽い打撲とはいえ、やはり身体のあちらこちらが痛み上半身を伸ばす事が出来なかった。


「ロミオとジュリエットみたいですね」

「何だそれ」

「ロミオが男の人でジュリエットが女の人、恋のお話です」

「ふーん」

「こうやってバルコニー越しで会うんです」


「じゃあ俺がロミオだな」

「なぜですか」

「男らしいし」

「そんな小動物系のロミオはいません!私がロミオです!背も私の方が高いですし!」

「じゃ、じゃんけんで決めようぜ!」

「駄目です!ここは重要なポイントなんですから!」

「何だよそりゃ」


 耳まで真っ赤にした伊月は「知りません!」と言って布団を被って壁側を向いてしまった。


「何だよ、おおい、伊月、重要なポイントってなんだよ」

「・・・・・・」

「おお〜い」


 伊月は背中を揺さぶってもこちらを向こうとしなかった。



ガラッ



「あっ!陸斗!あんたまた伊月くんの事いじめてるの!?」

「いじめてねぇし!てか、ノックくらいしろよ!」

「ノックしなきゃいけない事でもしてたの!?」

「何もしてねぇし!」


 危ない、危ない。


「さ、部屋に戻りますよ!じゃあ大谷さん、後で迎えに来ますね」

「よろしくお願いします」

「伊月くんもお大事にね」

「・・・・はい」

「伊月!顔出せよ!」

「・・・・・・」

「伊月!」


 結局、伊月は重要なポイントが何かを明かさないまま挨拶もせずにひと足先に退院した。





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