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第5話 君が空から降って来た

 昼休み、伊月はリュックから財布を取り出すと俺に見向きもせずに教室を出て行った。


(ガン無視かよ)


 財布を持ったという事は二階の購買に行ったのだろう。俺は教室のすみでひとり寂しくおむすびを食べた。


「なに、おまえら喧嘩してんの?」

「分かんね」

「なにそれ」

「伊月が何に怒ってるのか分かんねぇんだよ」

「おまえなんか言ったんじゃねぇの?」

「それが分かんねぇんだよ」


 そして俺は昨日の出来事を思い返してみた。


(機嫌が悪くなったのはいつからだ?)


 伊月は家に迎えに来た時も電車に乗っていた時もいつもと変わらず笑っていた。


(そういや)


 校門で「幼馴染」という言葉を耳にした時は顔色を変え、玄関で「付き合っているんじゃないか」と冷やかされた時は雰囲気が変わった。


(伊月、変な顔してたな)


 そして俺の下駄箱に水色の封筒が入っていた。


(あ、あの時だ!)


 水色の封筒ラブレターを手にした伊月は酷く驚いていた。


(そうだ!美術室の帰りにも水色の封筒はどうしたのかって言ってた!)


 俺は指先に付いた米粒を舐め取りリュックに入れたままの水色の封筒を取り出して見た。未開封のそれはシワだらけになっていた。


(この封筒を見て「嫉妬しました」って言ってなかったか!?)


 俺がラブレターを貰った事に怒っているのか?


(そんだけで無視するか?)


「ねぇ、長谷川くん」


 難しい問いに頭を悩ませているとクラスメートの女子が声を掛けて来た。


「なに、なんかあった?」

「長谷川くん、昨日下駄箱に手紙が入っていなかった?」

「おまえ何でそんな事知ってんの」


「その手紙の女の子、私の従姉妹いとこで二年生なの、可愛いよ」

「ふーん」

「手紙はもう読んだ?」

「悪ぃ、忙しくて読んでなかった」


 そのクラスメートは従姉妹いとこが職員玄関の渡り廊下で俺を待っていると言った。「話しだけでも良いから聞いてあげて欲しい」と頭を下げられ俺は渋々立ち上がった。なるほど、廊下の窓から覗くと渡り廊下に人影が見えた。


(ふぅ)


 大きな溜め息が出た。女子生徒からのラブレターや告白は本来ならば浮き足立つ嬉しい出来事だ。にもかかわらず俺は乗り気にはなれなかった。階段の手摺てすりに手を掛けた俺は二階の踊り場で立ち尽くした。


「あ」


 そこで伊月とすれ違い顔を見合わせたがやはりなんとなく気不味きまずかった。伊月の唇が半開きになり言葉を発する前に俺は目を逸らした。何故なぜか伊月にこれから女子生徒と待ち合わせているという事を知られたくなかった。


(なんかタイミング悪ぃ)


 俺は伊月を無視して階段を降りた。


(断るってぇのも緊張するな)


 渡り廊下の入り口でクラスメートの従姉妹いとこは下を向いてたたずんでいた。


(可愛いタイプじゃん)


 童顔で髪をポニーテールに結えた小柄な子だった。一昨日おとついまでの俺ならこの場で告白を受け入れていたかもしれない。


「あの、手紙ありがとう」

「は、はい」

「ごめん、忙しくてまだ読んでない」

「・・・・」


 既に答えが出ている事を瞬時に感じ取った女子生徒は口元を歪め眉間にシワを寄せた。涙をこぼす寸前で俺は「しまった!」と思い肩に手を伸ばした。その時、我が目を疑う事が起きた。


「陸斗!ちょっと待ったーーーー!」


 二階の窓枠に足を掛けた伊月が階下に飛び降り周囲からは悲鳴が上った。


「いっ、伊月!?」


 伊月はそのままツツジの植え込みに落ちた。教師や生徒が呆然と見守る中、髪にツツジの葉を絡ませた伊月がガサゴソと茂みから這い出して来た。あまりの驚きに今にも泣きそうだった女子生徒の涙も引っ込んでしまった。


「伊月!おまえ何考えてるんだ!」

「知らん!気が付いたら跳んでた!」

「死ぬ気か!」

「死ぬかと思った!」

「そりゃそうだろうよ!」


 伊月は俺の襟元を掴み「何をしているんですか!」と詰め寄った。


「何をしているんですかはこっちの台詞せりふだよ!」

「陸斗さん、今この女の子にキスしようとしたでしょう!?」

「そんなん思ってねーーーーし!」

「なら、何で!」

「泣きそうだったからなぐさめようとしただけだ!」

「そ、そうなんですか!?」


 伊月は俺と女子生徒の顔を交互に見た。女子生徒はコクコクと頷いた。


「ーーーーーーーー!?」


 職員玄関から数名の教師が飛び出して来た。


「この方はラブレターを書いた人ですね」

「そうだよ」

「封筒は」

「開けてもいねぇよ」

「じゃあお付き合いは」

「してねぇよ」

「・・・・!」

「おまえ、俺がこの子と付き合うと思って跳んだのか?」


 顔を真っ赤にした伊月は回れ右をした。


「あっ!ちょっと待ちなさい!」

「伊月!?」


 伊月は多少の怪我もものともせず火事場の馬鹿力でその場から逃げ出した。伊月の姿は校舎の角を曲がりあっという間に見えなくなった。


「あーーー!大谷さん、どこに行くんですか!」

「伊月、陸上部舐めんなよ!」

「長谷川さん!?」

「先生!あの馬鹿捕まえてくっから救急車呼んでおいて!」

「わ、分かった!」


 俺の脚はアスファルトを蹴り伊月が向かった校門を目指した。


(あいつ、信じらんねぇ!)


 伊月が飛び降りた瞬間、白いカッターシャツが羽根の様に見えた。


(二階から跳ぶなんて馬鹿じゃねぇの!)


 伊月の後先考えない行動に呆れながらもそれが自分の為だと思うと嬉しくて自然と口元がゆるんだ。


(馬鹿じゃねぇの!)


 俺は空から降ってきた伊月を見た瞬間、この理解不能な感情が伊月への恋心だと気が付いた。


(俺は伊月が好きだ!)


 伊月は俺の事が好きだった。けれど男の俺がその気持ちを受け入れる事はないと思っていた。その矢先、俺の下駄箱にラブレターが届き伊月はすっかりへそを曲げてしまったという訳だ。


「ばっかじゃねーーの!」


 校舎の角を曲がると息遣いの荒い伊月が体育館の壁に寄り掛かり座り込んでいた。


「陸斗さん」


 そしてとろけそうな笑顔で俺を見上げた。綺麗な顔は擦り傷だらけで絹糸の髪にはツツジの葉や小枝が絡まっていた。


「おまえ、足くじいただろ」

「え、そうなんですか!?」

「これかられるぞ」

「痛くないですよ?」

「それは今、興奮してっからだよ!馬鹿!」

「すみません」


 コンクリートにしゃがみ込んだ俺は伊月の髪に付いたツツジの葉を摘んでは捨てた。


「もうこんな事すんな」

「・・はい」

「じいちゃん驚いて死んじまうぞ」

「そうですよね」


 遠くから救急車のサイレンの音が近付いて来た。


「俺ら両思いだから」


 伊月は目を見開いた。そんなに驚く事じゃねぇだろ。幼馴染が恋人になるなんて良くある話じゃないか。

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