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第4話 1人の朝

 翌朝、俺は寝坊をした。顔を洗い歯を磨き、慌てて制服に着替えた。6:45、伊月は迎えに来なかった。


「母ちゃん!なんで起こしてくれなかったんだよ!」

「あら、だって伊月くんがお迎えに来ないからてっきり朝練がお休みだと思ったのよ」

「伊月はスケジュール表じゃねーんだよ!」

「あらあら、ごめんなさいね」

「行って来ます!」

「はい、行ってらっしゃい」


 俺は母親が持たせてくれたおむすびをリュックに詰め込むと自転車にまたがり一目散に駅へと向かった。


(伊月、どうしたんかな?)


「陸斗くんと一緒にいたいから」そう言って毎朝迎えに来ていた伊月が俺を呼びに来ない理由は二つ。一つ目は体調が良くない、二つ目は機嫌が悪い。


(昨日は身体の具合が悪くて機嫌が悪かったのか?)


 俺は携帯電話を取り出して液晶画面をタップした。




おはよ



       おはようございます 既読


なに病気?



       いえ、元気です 既読


なんで

来なかったん



       なんとなく 既読


そうか


       すみません 既読





(なんとなく?)


 伊月のなんとなく、という言葉に俺は苛立った。昨日の今日、相変わらず伊月は何かに腹を立てている。それならそうと何に対して腹を立てているのか言葉にして伝えてくれなければ対処の仕様がなかった。


(なんなんだよ、訳わかんねえ!)


 その日の朝練は大幅に遅刻し部員仲間からは揶揄からかわれ気を取り直してグラウンドを走ればハードルを何台も倒すといった散々なものだった。ホームルーム開始のチャイムが鳴っても俺の脚は不貞腐ふてくされ前に進もうとはしなかった。


「こら!長谷川遅いぞ!」

「すんません」

「早く座れ!」

「ふあい」


 席に着いたが伊月は振り向かなかった。


(無視かよ!)


 伊月の椅子の脚を蹴ってみたが無反応だった。俺の苛立いらだちは怒りに変わった。ホームルームが終わりクラスメートは教科書とノート、筆箱を手に立ち上がった。一限目は化学の授業で教室を移動しなければならなかった。伊月も同じく席を立ったが俺はその手首を握りにらみつけた。


「伊月、おまえ何なんだよ」

「離して下さい」


 伊月は俺の手を振り解き廊下に向かいきびすを返した。


「待てよ!」


 俺はガタガタと机を掻き分け伊月に詰め寄ると両手首を掴んで激しく壁に押し付けた。


「離して下さい」

「おまえ、何なんだよ、何怒ってんだよ!」

「怒ってなんかいません」


「昨日からおかしいだろ!朝も家に来なかったし!」

「そんな気分じゃなかったんです」

「なんで!」


 語尾は自然と強くなった。


「今までずっと迎えに来てたろ!?」

「もう行きません!」

「何でだよ!おまえがいないと寂しいだろ!!」


 寂しい。伊月がいない時間が寂しかった。俺は自分が抱え込んでいた苛立ちが何なのかを悟った。


「寂しいんですか?」

「・・・・・・・っ」


 顔を赤らめた俺は伊月の手首を離すと廊下へと飛び出していた。


(寂しい)


 そうだ。伊月がいない世界は寂しい。


 教室で伊月と顔を合わせる事が気恥ずかしかった俺は化学の授業をサボり屋上で時間をやり過ごした。たった一日、伊月が迎えに来なかっただけで腹を立て「寂しい」とわめき散らした自分が駄々をこねている子どもの様で恥ずかしかった。


(・・・寂しい)


 しかも伊月は「もう迎えには行きません!」とキッパリ言い切った。


(どうしてだ?)


 喧嘩けんかをした訳でもない。


(伊月、俺、なんかしたのか?)


 俺は屋上のコンクリートに大の字になりどこまでも高い夏の空を仰いだ。




キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン




 白い雲がたなびく空を眺めたところでそれはなんの解決にも至らなかった。授業終了のチャイムが鳴り俺は仕方なく屋上の扉を閉めた。力無く階段を降りると廊下で騒がしいクラスメートに捕まってしまい「どこに行ってたんだ」と根掘り葉掘り訊ねられた。適当な返事をしていると話は次第に大きくなり俺は彼女と医務室にしけ込んでいた事になっていた。


「なに、長谷川、彼女出来たのか!」

「いねぇよ」

「誤魔化すなよ」

「誤魔化してねぇよ」


 野次馬を無視して椅子に座ると今度は陸上部の面々が机の周りに集まって来た。


「なんもねぇよ」

「またまた隠して、今日のおまえ変だもんな」

「変じゃねぇよ」


 素知らぬ振りを決め込んだが話しはそれだけでは終わらなかった。そのうち賑やかしい輪をくぐりり抜け伊月が席に着いた。


「ラブレーター貰ったんだろ」

「そんなんじゃねぇよ」


 いつの間にか俺には架空の彼女が出来ていた。


「キスとかしたのか?」

「そんなもんするかよ」



キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン



 授業開始のチャイムが鳴ると同時に現代国語の教師が「教科書を開いて」と声を掛けた。けれど俺は伊月の事が気になりぼんやりと肩甲骨けんこうこつが浮かび上がる背中を眺めていた。


「長谷川!150ページから読んでみろ!」

「は、はい!」


 俺は教科書の日本語を目で拾いながら頭の中では伊月の事ばかりを考えていた。


(伊月、俺に彼女が出来たって思っただろうな)


 伊月の反応が見たかった。振り向かない伊月、嫉妬でも何でも良いから俺を見て欲しいと思った。

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