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9章

エピローグ

 赤い船の影が私に影を落とした。

 眼を開くと、そこには巨大な船が漂っていた。

 それは月へゆっくりと降り立つと、中からオレンジ色の宇宙服を着た人類が二人、こちらへ駆けてくる。そして二人は私の手を取るとこう云った。

「森崎洋花さんですね」

 私は「あなたは誰ですか?」と尋ねた。

「方舟の船員です」と云った。


 中村くんは引金を絞ったが、彼の拳銃は空砲だった。

 カチャ。とすかした鉄の音が聞こえ、斎藤の意識を逸らした瞬間、追って来た西本が斎藤楓を押し倒したことであの場は事なき終えた。

 そして加えて、特定の世界線にメッセージを飛ばす機械を生涯かけて発明した『滅びなかった世界』の村瀬友が、あの日のラボのパソコンに方舟計画を完遂するための助言を記したデータを送信したことで、こちらの世界の村瀬友が状況を把握し――意図的に私をロケットで飛ばす選択を行った。

 そうしなければ方舟計画についての助言を見ることが出来なかったからだと思う。

 私をロケットで飛ばすという『辻褄を合わせ』が必要であり、そうしない限り、データを見る事は叶わなかった。不確定未来を、確定させる必要があった(彼がその選択を行った一番の理由は、彼が立派に自らの勤めについてひたむきに努力できる人間だったからだ。目の前のいる人々を助けられるかもしれない方法を見出したのなら、それに従うことが彼の人生において大切な要素だった。その為に私との再会をお預けにするのも、彼なりに大きな決断だったのだろう、と私は後々、振り返って考えた)ということを、可笑しそうに船員は教えてくれた。

 なんでも、無重力空間に出る際のマニュアルで、必ず最初に加えられていた超人との邂逅の欄は、あまりにリーダーの私情が滲み出ていたから面白くて覚えていたらしい。私は膨大な情報量で、ずっと憮然な面持ちでいた。

 とりあえず服を手渡され、私はその下着とシャツ、ズボンを履いた。そして「部屋へ向かいます」と船員が丁寧に案内してくれた。

 だいたい三十年も宇宙移動でかかってしまったが、どうしても月への遠征は行わなければならないとリーダーが張り切っていた。と、船員は楽し気に教えてくれる。

 ふと私は彼らに、ここにはどれだけの人が乗っているのかを尋ねた。

「沢山だよ、沢山」

「沢山?」私は首を傾げた。

「ええ。確か少し前に佐々木さんが言っていた数でいうなら――」

 彼は私の為に答えを用意しようと思考を巡らせていたが、ふとそのネームプレートが見えた。

 その名前は『riku murasame』であり、鳥肌が立ったが、彼は私の事を覚えていないようだった。

 私は部屋にやってきた。

 ビジネルホテルの一室のようなその場所で、私はベッドに座って待っていた。

 しばらくして片目を前髪で隠した黒髪の女性が部屋の扉を叩いて、丸い顔を覗かせた。

「すんまへん、採血とかええのね?」

 すらりとした鼻筋によく動く瞳。耳にはピアスがついている、女性。

「あ、いいですよ」

 私は了承して腕を差し出すと、彼女は部屋に入って来た。

 同時に彼女が白衣を着ていたことを把握する。彼女は私の手を触って針を刺す。

「綺麗なまんまやな。この華奢な腕も、そのお顔も」

 私は数十年ぶりの褒めで、久しぶりに頬に紅を滲ませてしまう。

「そうでもないですよ。髪は白くなってしまったし、眼の色も恐ろしいでしょ?」

「いいえ。あなたは昔と、なんも変わっていまへんで」

 ――と彼女は云って「ほな」と右手を振って部屋から出て行こうとする。

「あの!」

 私は声を裏返す。

「お名前は?」

 彼女は考えるように視線を巡らせて、ぽつりと零す。

「南ですよ。また会いましょ」



















 男性は部屋の扉を開いた。

 部屋の奥で女性が両腕を広げた。

 男性はとぼとぼと足取りを進め、込み上げる感情に支配されたように、緩急つけて女性に飛び込む。女性は涙を流していた。男性も震えながら女性の頭を撫でていた。

「随分と時間がかかったね」

 女性が優しく囁く。

「……そうだね。だが、これも今にして思えば、一瞬に感じるよ」

 男性もしわがれた声で囁く。



 それを俯瞰で、我々は見ている。

 絶好のシャッターチャンスだ。

 我々はその光景を目前にしたとき、きっとそう思うだろう。



完結

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