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第三章 初めての普通のデート

第9話

とりあえず兄と妹からと猪狩さんとのお付き合いが始まったわけだが、なにか進展があったかといえば……なにもなかった。

とにかく、私と彼と休みがあわないのだ。

こっちはカレンダー通りの土日祝日が休み、あちらはシフト制でさらに急な呼び出しがある。

……それでも。


「ひな」


私を見つけ、猪狩さんが読んでいた本から顔を上げて柔らかく笑う。


「ちょっと待ってね」


カップに残っていたコーヒーを飲み干し、彼はボディバッグに本を突っ込んで立ち上がった。

そのままカップを返却し、一緒に店を出る。

あれから猪狩さんが平日休みの日は一緒に食事に行くようになっていた。


「いつもの居酒屋でいい?」


「はい」


並んで歩くとき、彼はさりげなく周囲を見て私に危険がないか確認している。

歩くペースは速すぎず遅すぎず、私の速度にあわせてくれた。

おかげでなんだかいつも、守られているっていう安心感がある。


五分程度で目的の居酒屋に着いた。

お洒落なお店はあの日だけで、あとは居酒屋とか定食屋とかを利用している。

だって猪狩さん、すぐに「俺はひなのお兄ちゃんだから」って奢ろうとするんだもん!

金額は少しでも抑えたい。

といっても二回目以降、割り勘じゃないともう一緒に食事しないと怒ったら、渋々ながら認めてくれたが。

それでも毎回、私よりもかなり多めに払いたがるので困ったものだ。


「ひなはいつものレモンサワーとごぼうの唐揚げ?」


「はい」


注文用のタッチパネルを操作しながら猪狩さんが聞いてくる。


「がっつりいきたいからポテサラと唐揚げも頼んでいい?」


「はい、いいですよ」


頭を突きあわせ、私も一緒にタッチパネルをのぞき込んだ。


「あ、揚げ出し豆腐も頼んでいいです?」


画面に表示されているそれを指す。


「いいよ」


ささっと操作し、猪狩さんは注文を済ませてしまってパネルを置いた。


「で。

明日、どこ行くよ」


テーブルの上に組んだ腕を置き、彼が私のほうへと前のめりになる。


「そうですね……」


明日の土曜は猪狩さん、休みなのだ。

初めて重なった休日の休み、一緒にどこかへ出かけようという話をしていた。


「県外は無理だけど、近場なら大丈夫。

そうだ、みゃうみゃうランドでも行くか?」


意地悪く右の口端をつり上げて彼がにやりと笑う。


「もう!

子供じゃないんですから!」


それに唇を尖らせて抗議していた。

みゃうみゃうランドとはうちにもある猫のぬいぐるみのキャラクター、みゃうみゃうちゃんをモチーフにしたテーマパークだ。

ただ、対象年齢が低く、低速ジェットコースターとかそういうアトラクションしかない。

もちろん私も小さい頃、連れていってもらった。


「そういうところ、子供のまんまだけどな」


おかしそうに笑い、猪狩さんが唇を摘まんでくる。

おかげでまだお酒を飲んでいないのにあっという間に真っ赤になってしまった。


「てか、ひな、いつになったら敬語、やめるんだよ?」


今度は猪狩さんが不満げに少し唇を尖らせ、届いたハイボールをひとくち飲んだ。


「だって……」


受け取ったレモンサワーのジョッキを両手で掴み、もじもじと指を動かす。

兄と妹なんだから敬語はいらないと言われても十八年のブランクがあるわけで。

しかも相手は十も年上となるとそう簡単にため口にはなれない。

一方で猪狩さんは早々に〝ひなちゃん〟呼びから〝ひな〟に変わっていた。


「まー、そういうところが可愛いんだけどな」


猪狩さんが苦笑いを浮かべる。

昔と同じにすればいいとはわかっているけれど、難しかった。


さらに頼んだ料理も来て、食べながら明日の相談をする。


「まー、デートの定番っていったら映画観て買い物とかになるか」


「え、それ、やりたいです」


それは私が映画やドラマで憧れていた、デートそのものだった。


「え?

こんな普通でいいのか?」


眼鏡の向こうで目を大きく開き、猪狩さんが何度か瞬きをする。


「はい。

ずっとそういうデート、やってみたかったんですよねー」


うっとりと想像している私を彼は憐れむ目で見ているが、なんでだろう?


「なあ。

聞いていいか?」


「なんでしょう?」


なにかおかしく思われるところかあったのかわからなくて、首が斜めに傾く。


「今までひな、どんなデートしてたんだ?」


「えっと……。

最初の彼氏はお家デートで、すぐしたがってましたね。

このあいだ別れた上司とは買い物とか行きましたけど彼のものばかりで、私の欲しいものとか全然見る暇なかったです」


はぁーっと猪狩さんは大きなため息をついて頭を抱えているが、なんでだろう?


「もしかしてそれで、荷物は全部、ひなが持ってた?」


「よくわかりましたね!」


私の反応を見てまた、猪狩さんがため息をつく。


「なあ、ひな。

ひなは最初の彼氏にもこのあいだ別れた上司からもDVを受けてたんだ」


私を見つめる彼は酷く心配しているようで表情が険しくなった。


「え、そうなんですか?

別に殴る蹴るの暴力は受けてないですが?」


そもそも私に彼らから酷い扱いを受けたという自覚がない。

いや、人間的に最低な男だったのだなと嫌な思いはしたが。


「物理的暴力じゃなくてもひなのことを支配して思い通りにしようとしたらDVになるの」


「はぁ……?」


やっぱりちょっと、理解が追いつかない。

そんな私に彼がさらに説明してくれる。


「最初の彼から迫られたとき毎回、ひなもそういう気分になってた?」


「全然。

なので気分じゃないんでーってお断りして、それでもさせろっていうから強制的にお帰りいただくのを二度ほどやったら、フラれましたね」


「あっ、そう。

……ぷっ、最高。

てか、それで二度目に挑む男も根性ある……」


私の答えを聞いて猪狩さんは間の抜けた顔を一瞬したかと思ったら、次の瞬間には小さく噴き出した。

それでもどうにか笑うのを我慢しているようだが、肩がぷるぷると細かく震えている。


「じゃあ、上司はどうしてたんだ?」


少しして落ち着いたのか、さらに彼が聞いてくる。

しかし先ほどと違うのは、なんか期待したキラキラした目で私を見ていた。


「いろいろ見てるあいだは邪魔なんだろーなーって荷物持ってあげてましたけど、帰る段階になっても私に持たせっぱなしだったので、自分の荷物くらい自分で持ちなさいよ、じゃないと捨てるって言ったら、すっごい怒鳴られましたね。

てか、荷物がいっぱいで持てないとかならわかりますけど、自分のものしか買ってないのに手ぶらってわけわからなくないですか?」


「まあ、そうだな。

それで?」


先を促しながらまた、彼の肩は震えていた。


「宣言どおり、道ばたに放置して帰ろうとしたんですけど、こんなところに捨てたら人の迷惑だよねーって思ってとりあえず、持って帰りました」


「うんうん。

いい心がけだ」


「で、帰ってから容赦なくゴミ袋に突っ込んだらキレ散らかしてましたね、あの人」


あのときを思い出してため息が出る。


「てかですよ。

無駄に使ったゴミ袋代は請求せずにいてやったのに、あんなに怒るなんてなんなんですかね?」


自分が悪いのになんであんなにキレるのかいまだによくわからない。

いや、思い起こせばしょっちゅうこうやってキレられていたのに、なんで私はあんな男と付き合っていたのだろう?


「もー、ひなサイコー」


我慢するのは諦めたのか、それでも大きな声は出さないように口もとを手で押さえ猪狩さんは笑い転げている。


「そりゃ、DV男も勝てないわ」


少しして猪狩さんは笑いすぎて酸欠になったのかはーはーと大きく呼吸し、出た涙を、眼鏡を浮かせて指の背で拭った。

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