商店街を歩いていたら突然モンスターが現れ、襲われた。真っ暗な夜空を仰ぐと星空が降って来るようだった。
(痛てて)
紺色のブレザーは土埃まみれで、グレンチェックのネクタイはだらしなく垂れている。目の上には青あざが出来、口の端は切れて鉄の味がした。身体中が痛む。肩が外れたのか、右腕を上げようとすると激痛が走った。
(マジ、死ぬんじゃねぇか)
その頭上を、髪をツインテールにしたゴシックロリータとかいう、非効率的な服を身にまとった少女が、街灯の上でファイティングポーズをとっている。
(白いパンツが見える)
魚屋に並ぶ活きが良いアオハタという魚のエラから極太の白い触手が、健太郎の頬に伸びていた。観客のように取り巻いていた商店街の人の輪は、叫び声を上げて後ずさった。
(これ、アニサキスってやつ?)
アニサキスは魚介類に生息する寄生虫だ。食べれば激しい腹痛と嘔吐を引き起こす厄介な存在、健太郎は授業で覚えた対処方法を念仏のように唱えた。
(60度以上の湯で1分以上加熱)
「そんなん出来るかいっ!」
もうボケツッコミを自分でするしかない状況、健太郎の頬を舐めているアニサキスは、鍋で茹でる事が出来るサイズではない。超巨大アニサキスにはギョロリとした目と、小さくつぼんだ口があった。そこから、真っ赤な舌がチロチロと小刻みに震え、健太郎の顔を味わうように舐めている。
(き、気持ちわるーーーーーー!)
舐められるなら、隣のクラスの
「健太郎!なにやってんのにゃ!逃げるのにゃ!」
千代子の怒声が頭上から脳天に突き刺さった。反射的に身体を転がし、アニサキスの攻撃はかわすことが出来たが、とにかく右腕が使えない。健太郎は左手で身体を支えると、アスファルトの歩道をズリズリと移動した。
きゃーーーー!
商店街に悲鳴が響き渡る。アニサキスは真ん中で分裂して健太郎と千代子を同時に襲って来た。千代子は街灯から街灯へと、白いパンツをお披露目しながら移動し、アニサキスを翻弄している。アニサキスはその鎌首を振り回し、商店街のテントをビリビリに破いた。昨夜の雨が滝のように流れ落ち、千代子に降り注いだ。ゴシックロリータのワンピースドレスは無惨にも濡れ浸しになった。
「にゃにをするにゃー!!!!」
その黒いワンピースドレスはどうやらお気に入りの一枚だったらしく、千代子の怒りのボルテージは針が振り切れた。碧眼の瞳は赤色へと色を変え、ポケットから手探りでスペードのトランプカードを数枚取り出した。
(・・・あれ、何枚入ってんだよ)
「おまえみたいな雑魚キャラには、これで十分にゃ!」
千代子はスペードのトランプカードを両手に構え、勢いよく投げるとアニサキスの皮膚へと減り込んだ。バウムクーヘンのように輪切りになったアニサキスの肉片は、断末魔の咆哮と共に地響きを立ててアスファルトの歩道に崩れ落ちた。
「やったにゃ!」
ずぶ濡れの千代子は黒い編み上げブーツをガッポガッポといわせながら飛び跳ねて喜んだ。問題は健太郎だった。サビだらけのシャッターに押しやられ、まさに今、もう一頭のアニサキスに頭を呑み込まれる。健太郎はその瞬間を覚悟した。千代子の叫ぶ声が遠くに聞こえる。アニサキスの鎌首が薬屋の窓ガラスを割り、その破片が健太郎の頬に赤い筋を作った。看板が倒れ、激しい音でヒビが入った。
「健太郎!ブルーソードにゃ!」
健太郎はハッと我に帰った。千代子のように闘う能力はないが、健太郎はダンジョンで手に入れたアイテムを持っていた。学生服のズボンを探ってみたがその硬い感触は指先に触れない。
(剣がない!?)
左右を見回すと、赤茶のトラ猫が口に咥えてこちらを見ていた。
(ちょっ!マッ!こら!)
健太郎は焦った。また千代子に鈍臭いだのなんだのと嫌味を言われる事だけは避けたかった。ダンジョン中も千代子は生活指導の教師のようにうるさい。
「チッ、チッ、チッ」
健太郎はアスファルトの歩道に腹這いになり、左手で『来い来い』しつつ、赤茶のトラ猫に近付いた。ところが気難しい赤茶のトラ猫は背中の毛を逆立てて、トントントンと後ろに飛んでブルーソードを咥えたまま、商店街の路地に姿を消してしまった。
「あー!500円!」
そう、ダンジョンでは入手したアイテムを、銀行窓口に持ち込めば換金してくれる。健太郎は、500円と身を守る手段を手放してしまった。背後には迫るアニサキス、もう完全に詰んだ。死亡フラグが立った。
「健太郎!なにしてるにゃ!」
頭上を白いパンツが飛び越え、スペードのトランプカードが宙を舞った。どす黒い体液が飛び散り、アニサキスの断末魔が聞こえた。健太郎は意識が朦朧としながら目を瞑ると、ゴシックロリータ系、
2週間前
その日は高等学校の文化祭だった。他校の生徒や保護者、近隣住民で賑わう学内。玄関の両脇にはたこ焼きやフランクフルトの出店が並んだ。ひしめき合い、香ばしい小麦が焦げる匂いが漂い、鉄板で弾く油の香りが食欲をそそった。
(俺には関係ないし)
彩り豊かな看板が立ち並び、風船が揺れ、紙テープや折り紙で作った花が風になびいた。
(なんだよ、ヒラヒラ邪魔なんだよ)
健太郎はポケットに手を入れて、ひと気のない階段を上った。一段、一段、孤独に向かっているようだった。
(まじ、帰りてぇ、くそダル)
健太郎の成績は中の下、特技もなければ部活動にも所属していない。教室の隅で窓の外を眺めているだけの
(帰ってドラコエしてぇ)
大概、この条件だと各クラスに数人はいる宜しくないグループに目を付けられる。ただ健太郎は違った。筋肉質ではないものの、身長が189センチメートルと無駄に背が高かった。視力が悪いせいで、常に睨みを利かせているように見えた。
(あれ?)
階段の踊り場で見上げるとそこには、隣のクラスの
「・・・・あ」
誰もいない屋上への階段、遠くに聞こえる賑やかな笑い声。密かに抱いた恋心を告白するには、ナイスタイミングだと思った。逆光の中の浅葱さんは薄茶に透けた髪を傾け「石蕗くんって、いつもひとりだよね」と、小鳥がささやくような声で微笑んだ。
ドーン!
稲光と地響き、雷に打たれた気がした。
「え!?あ!」
今の今まで、目の前で微笑んでいた浅葱さんが消えた。健太郎は左右を見回し、誰もいない事を確認した。錆びた手すりに掴まり階段を駆け上った。心臓が跳ねた。
「浅葱、浅葱さん!?」
屋上に出る扉の鍵を開けるとそこには、テレビの報道番組でよく見る光景が広がっていた。雷に打たれたような気がしたのではなく、雷が校庭のど真ん中を貫いていた。周囲の人影は巣を壊された蟻のように逃げ惑っている。鮮やかな紙テープが黒煙と共に巻き上がっていた。
「な、なんだ、
校舎を丸く囲むように黒いシールドが青空に向かって立っている。シールドの外側の住宅街は薄く透けて見える程度で、校舎が外界から遮断されている事が手に取るように分かった。
「ダンジョン・・・・」
2026年。日本列島にダンジョンが発生する事案が起きた。当初は総理大臣の名の下、航空自衛隊機のF-35Aが黒い
「学校がダンジョンに呑み込まれた!?」
健太郎が屋上を横切り見たものは、学校校舎だけではなく半径10キロメートル、いやそれ以上の街がダンジョンの黒いシールドの中に
「ま、まじかよ」
ダンジョンに呑み込まれた街では誰もが闘い、それぞれに見合ったレベルを目指さなければならない。そして、レベルに達した者だけがシールドの外へと解放される。健太郎が呆然としていると、いつの間にか隣に金髪の少女が立っていた。
「とうとう、この街にも来たようにゃ」
それが、山野辺千代子だった。金髪の髪に、黒いワンピース、碧眼の目。凛々しい横顔からは”遂にこの日が来た”という力強いものを感じた。こうして石蕗健太郎の退屈な日常は根底から覆った。