健太郎は屋上の柵から身を乗り出し、恋しいその人の名前を呼んだ。校庭は慌てふためき、文化祭は阿鼻叫喚の
「浅葱さん!浅葱さーん!!!」
すると、健太郎の慌て振りを横目で見た金髪の少女は柵にもたれ掛かり、ツインテールにした黒いリボンをきゅっと結び直した。焦げ臭い風に髪が揺れる。
「その、浅葱さんとはなんにゃ?」
(にゃ?)
「おまえの彼女か?」
金髪の少女は目を猫の目のよう細めてニヤニヤと笑った。健太郎は首まで真っ赤にしてそれを全否定した。
「ちっ、ちがっ!まだなにも!」
「ふ〜ん」
「なんだよ!ふ〜んって、笑うなよ!」
その口角はいやらしく上がり、健太郎をじっと見つめた。健太郎は両手で顔を隠すと『あ〜!もう!』と叫んだ。と、そこでハッツと我に帰った。
「あ、浅葱さんは!?」
健太郎は屋上や階段をくまなく探したが、その儚げな姿を見つけ出す事は出来なかった。階下への階段を足早に駆け降りた。
(くそっ!)
すると校舎4階の廊下はパニック状態で、闇雲に走り回る男子生徒や、壁際で肩を抱き合いながら泣いている女子生徒の姿があった。色とりどりの紙テープは今となっては足元に絡みつく邪魔なものでしかない。
(浅葱さんはどこに消えたんだ!!!)
ブラックシールドが現れる直前まで、浅葱さんは健太郎の手が届く距離で微笑んでいたのだ。ところが、稲光と轟音が響いた瞬間、まぼろしのように消えてしまっていた。健太郎は額に汗をかき、階段を駆け上った。
「くそっ!」
駆け上がる脚が重い。心臓が跳ね、息が上がった。扉を開けると、やはりそこには屋上の剥き出しのコンクリートが広がっているだけだった。
(どういう事なんだ!?)
健太郎は疲れ果て、冷たいコンクリートにうつ伏せに倒れ込んだ。
(いつも教室の隅で逃げてきた俺が、こんな目に遭うなんて)
浅葱さんの名前を叫び続けた喉は枯れ、胸に空虚な痛みが広がっていた。すると、カツカツカツとブーツの音が近付いてくる。顔を上げると、逆光に浮かぶ金髪のツインテールが揺れ、チョコが手を差し出していた。「立て、にゃ。まだ終わってないにゃ。」 健太郎は無言でその手を握り、震える足で立ち上がった。
「その浅葱さんは連れて行かれたにゃ」
「どこに!?」
「ダンジョンのてっぺんにゃ」
ダンジョン。それは普段日常に暮らしていた街が闘いの場となる。チョコは遠くを見るような目で語り始めた。その言葉は重く、それまでの口調とは全く違っていた。
「八百屋のみかんが襲ってくるんだ、信じられるか?」
突如現れるモンスターを倒しアイテムを手に入れる。それぞれのアイテムには金額が設定されている。チョコはポケットからみかんの皮を取り出した。
「これ、昨日のモンスターから手に入れたやつ。銀行で500円になったけど、こんなんで人の価値を決めるなんて、ふざけてるよな」
「え?」
「手に入れたアイテムを銀行窓口に持ち込めば換金される」
チョコは吐き捨てるように言った。
「そ、そうなのか」
「ダンジョンの参加者、まぁ、住民にはそれぞれにレベルが設定されている」
「それをクリアすればゲーム終了なのか!?」
健太郎は、いつもプレイしているゲームを思い出し『なら、簡単じゃねぇか』と安堵の息を吐いた。ところがそれには続きがあった。
「参加者のレベルは、人生の経験値や資産で決まる」
「え!?」
健太郎は耳を疑った。チョコの面持ちは暗く、碧眼の眼は沈んで見えた。
「参加者には値段が決まっている」
「金でそいつの値段を決めるなんておかしいだろ!」
「このダンジョンではそれが決まりなんだ」
ダンジョンを達成し、ブラックシールドから解放されるにはその
「・・・・嘘だろ」
見下ろした校庭では、ブラックシールドから脱出を試みる者もいたが、見えないなにかに阻まれそれはびくともしなかった。その様子を見ていた金髪の少女は大きく息を吸って深く吐くと、健太郎へと向き直った。
「おまえの名前はなんにゃ」
黒いワンピースドレスを着た金髪少女は健太郎は仰ぎ見た。
「おまえ、弱そうだにゃ。でもでかいにゃ」
「うるせぇ、189センチメートルあるからな」
「でかっつ、で、名前はなんにゃ」
石蕗健太郎は渋々、その名前と生年月日、血液型を答えた。血液型は、ダンジョンで怪我を負った時の治療に必要だと言った。血液型はO型。
「で、あんたの名前は?」
「山野辺千代子だにゃ」
それは、金髪とゴシックロリータの黒いワンピースドレスとはかけ離れた渋い名前で、健太郎は思わず吹き出して笑いそうになるのをグッツと堪えた。その表情に気分を害した山野辺千代子は頬を膨らませた。
「チョコ!私はチョコ!チョコレートのチョコだからにゃ!」
「へいへい、チョコね、了解です」
チョコは(年齢不詳、頑として教えなかった)血液型はB型だった。
「O型か!ちょうど良いにゃ!」
「なにがだよ」
「私が怪我した時は頼むにゃ!」
「そういうことかい!!」
健太郎とチョコは手を握った。へっぽこコンビの誕生の瞬間だった。
「おまえの浅葱さんを探すついでに、私の相棒も探すにゃ」
チョコは立ち上がると大きく空を仰いだ。風が吹き、黒いワンピースドレスの裾がめくれた。健太郎の目には、サテンリボンが可愛らしく施された白いパンツが映った。
「ちょ、チョコ」
「なんにゃ」
「それ、見えてるん・・だけど」
チョコは『ああ!』と仁王立ちになり誇らしげに健太郎を見下ろした。
「これはドロワーズにゃ!」
「ドロワーズ?」
「見せても大丈夫な下着にゃ!」
ペロリとワンピースの裾をめくると、チョコは目を細めるとニヤリと笑った。
「な、なんだよ」
「さては、健太郎は童貞だにゃ!」
「う、うるせぇ!」
そして、チョコは和歌山県のとあるブラックシールドから解放された経験があると言った。
「ダンジョンは簡単だったにゃ」
「チョコのレベルは
「・・・・・・・教えないにゃ」
チョコは眉間にしわを寄せて顔を赤らめた。ブラックシールド予報では、和歌山県でのブラックシールドは過去最小で半径2キロメートルと報道されていた。
「ブラックシールドから脱出、出来たんなら家でじっとしてりゃいいじゃねぇか」
「それが駄目なんだよ」
チョコは目を伏せ、悲しげに呟いた。
「大事な相棒がダンジョンに連れて行かれた」
「連れて行かれた!?」
チョコの街にブラックシールドが出現した時、やはり同じように落雷があった。その時、隣にいたはずの相棒が忽然と姿を消してしまったのだという。
「じゃあ、浅葱さんも・・・・ダンジョンに連れて行かれた?」
浅葱さんが微笑んだあの瞬間、健太郎は初めて心がざわつき、ときめいた事を思い出した。あの笑顔を失うなんて、考えられなかった。
「その可能性もあるね」
「どうやったら探し出せるんだ!?」
健太郎がチョコの肩を掴むと、彼女はその手を振り払って厳しい目で睨み付けた。校庭を貫いた穴から黒煙と焦げ臭い臭いが漂い、目がしばしばした。
「その方法を探してるんだよ!」
「そうか、そうだよな、ごめん」
「いいんだ」
足元を見ていたチョコは唇を噛むと、厳しい顔付きで顔を上げた。そして黒いワンピースドレスのポケットをまさぐり、トランプカードを取り出すと素早く扇形に広げて見せた。
「なんだよ、神経衰弱でもするのかよ」
チョコは目を座らせ『なにを言っているんだこいつは』という表情で健太郎を見た。健太郎はその気迫に押され顔を背けた。チョコはクラブの3、4、5。6、7のカードを並べた。
「ストレートフラッシュにゃ」
「・・・・・はぁ」
いきなりのトランプゲームに戸惑った健太郎は頭をボリボリと掻いた。
「これは最強のモンスターを倒す時に使う」
「え!?なに、これ武器なの!?」
健太郎はクラブのストレートフラッシュを手に繁々と眺めた。青空は徐々にブラックシールドに包まれ暗さを増していた。
「そうにゃ、前のダンジョンで手に入れたにゃ」
「ほえ〜、剣とか盾とかじゃないんだ」
「おまえもダンジョンで武器を手に入れるにゃ」
ブラックシールドの向こう側には、警察車両や救急車両が赤色灯を回しているが手出しが出来ない。耳をつんざく轟音と共に、スクランブルで飛び立った航空自衛隊機が周囲を飛び交っている。
「総理大臣の指令待ちか」
「あんなものは役に立たないにゃ」
その時、靴底に振動を感じた。それはガタガタと上下し始め、屋上が抜けるかのような感覚に陥った。
カァカァ カァカァ
学校の裏手にある神社の木立から黒いカラスが一斉に飛び立った。なにかが地面の中を這い回っている。
「来たにゃ!」
「え、なにが!?」
「決まってるにゃ!モンスターにゃ!」
校舎の壁が崩れ始めた。校内放送が流れ、校舎外に退避するようにと呼びかけた。悲鳴があちらこちらこちらから挙がった。