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第2話 ダンジョンの価値

 健太郎は屋上の柵から身を乗り出し、恋しいその人の名前を呼んだ。校庭は慌てふためき、文化祭は阿鼻叫喚の坩堝るつぼとなった。どうやら落雷があった場所に何名かの生徒がいたらしく、教師がその穴の中に向かってなにかを叫んでいる。


「浅葱さん!浅葱さーん!!!」


 すると、健太郎の慌て振りを横目で見た金髪の少女は柵にもたれ掛かり、ツインテールにした黒いリボンをきゅっと結び直した。焦げ臭い風に髪が揺れる。


「その、浅葱さんとはなんにゃ?」

(にゃ?)

「おまえの彼女か?」


 金髪の少女は目を猫の目のよう細めてニヤニヤと笑った。健太郎は首まで真っ赤にしてそれを全否定した。


「ちっ、ちがっ!まだなにも!」

「ふ〜ん」

「なんだよ!ふ〜んって、笑うなよ!」


 その口角はいやらしく上がり、健太郎をじっと見つめた。健太郎は両手で顔を隠すと『あ〜!もう!』と叫んだ。と、そこでハッツと我に帰った。


「あ、浅葱さんは!?」


 健太郎は屋上や階段をくまなく探したが、その儚げな姿を見つけ出す事は出来なかった。階下への階段を足早に駆け降りた。


(くそっ!)


 すると校舎4階の廊下はパニック状態で、闇雲に走り回る男子生徒や、壁際で肩を抱き合いながら泣いている女子生徒の姿があった。色とりどりの紙テープは今となっては足元に絡みつく邪魔なものでしかない。


(浅葱さんはどこに消えたんだ!!!)


 ブラックシールドが現れる直前まで、浅葱さんは健太郎の手が届く距離で微笑んでいたのだ。ところが、稲光と轟音が響いた瞬間、まぼろしのように消えてしまっていた。健太郎は額に汗をかき、階段を駆け上った。


「くそっ!」


 駆け上がる脚が重い。心臓が跳ね、息が上がった。扉を開けると、やはりそこには屋上の剥き出しのコンクリートが広がっているだけだった。


(どういう事なんだ!?)


 健太郎は疲れ果て、冷たいコンクリートにうつ伏せに倒れ込んだ。


(いつも教室の隅で逃げてきた俺が、こんな目に遭うなんて)


 浅葱さんの名前を叫び続けた喉は枯れ、胸に空虚な痛みが広がっていた。すると、カツカツカツとブーツの音が近付いてくる。顔を上げると、逆光に浮かぶ金髪のツインテールが揺れ、チョコが手を差し出していた。「立て、にゃ。まだ終わってないにゃ。」 健太郎は無言でその手を握り、震える足で立ち上がった。


「その浅葱さんは連れて行かれたにゃ」

「どこに!?」

「ダンジョンのてっぺんにゃ」


 ダンジョン。それは普段日常に暮らしていた街が闘いの場となる。チョコは遠くを見るような目で語り始めた。その言葉は重く、それまでの口調とは全く違っていた。


「八百屋のみかんが襲ってくるんだ、信じられるか?」


 突如現れるモンスターを倒しアイテムを手に入れる。それぞれのアイテムには金額が設定されている。チョコはポケットからみかんの皮を取り出した。


「これ、昨日のモンスターから手に入れたやつ。銀行で500円になったけど、こんなんで人の価値を決めるなんて、ふざけてるよな」

「え?」

「手に入れたアイテムを銀行窓口に持ち込めば換金される」


 チョコは吐き捨てるように言った。


「そ、そうなのか」

「ダンジョンの参加者、まぁ、住民にはそれぞれにレベルが設定されている」

「それをクリアすればゲーム終了なのか!?」


 健太郎は、いつもプレイしているゲームを思い出し『なら、簡単じゃねぇか』と安堵の息を吐いた。ところがそれには続きがあった。


「参加者のレベルは、人生の経験値や資産で決まる」

「え!?」


 健太郎は耳を疑った。チョコの面持ちは暗く、碧眼の眼は沈んで見えた。


「参加者には値段が決まっている」

「金でそいつの値段を決めるなんておかしいだろ!」

「このダンジョンではそれが決まりなんだ」


 ダンジョンを達成し、ブラックシールドから解放されるにはそのに見合ったキャッシュを獲得しなければならない。


「・・・・嘘だろ」


 見下ろした校庭では、ブラックシールドから脱出を試みる者もいたが、見えないなにかに阻まれそれはびくともしなかった。その様子を見ていた金髪の少女は大きく息を吸って深く吐くと、健太郎へと向き直った。


「おまえの名前はなんにゃ」


 黒いワンピースドレスを着た金髪少女は健太郎は仰ぎ見た。


「おまえ、弱そうだにゃ。でもでかいにゃ」

「うるせぇ、189センチメートルあるからな」

「でかっつ、で、名前はなんにゃ」


 石蕗健太郎は渋々、その名前と生年月日、血液型を答えた。血液型は、ダンジョンで怪我を負った時の治療に必要だと言った。血液型はO型。


「で、あんたの名前は?」

「山野辺千代子だにゃ」


 それは、金髪とゴシックロリータの黒いワンピースドレスとはかけ離れた渋い名前で、健太郎は思わず吹き出して笑いそうになるのをグッツと堪えた。その表情に気分を害した山野辺千代子は頬を膨らませた。


「チョコ!私はチョコ!チョコレートのチョコだからにゃ!」

「へいへい、チョコね、了解です」


 チョコは(年齢不詳、頑として教えなかった)血液型はB型だった。


「O型か!ちょうど良いにゃ!」

「なにがだよ」

「私が怪我した時は頼むにゃ!」

「そういうことかい!!」


 健太郎とチョコは手を握った。へっぽこコンビの誕生の瞬間だった。


「おまえの浅葱さんを探すついでに、私の相棒も探すにゃ」


 チョコは立ち上がると大きく空を仰いだ。風が吹き、黒いワンピースドレスの裾がめくれた。健太郎の目には、サテンリボンが可愛らしく施された白いパンツが映った。


「ちょ、チョコ」

「なんにゃ」

「それ、見えてるん・・だけど」


 チョコは『ああ!』と仁王立ちになり誇らしげに健太郎を見下ろした。


「これはドロワーズにゃ!」

「ドロワーズ?」

「見せても大丈夫な下着にゃ!」


 ペロリとワンピースの裾をめくると、チョコは目を細めるとニヤリと笑った。


「な、なんだよ」

「さては、健太郎は童貞だにゃ!」

「う、うるせぇ!」


 そして、チョコは和歌山県のとあるブラックシールドから解放された経験があると言った。


「ダンジョンは簡単だったにゃ」

「チョコのレベルはだったんだよ」

「・・・・・・・教えないにゃ」


 チョコは眉間にしわを寄せて顔を赤らめた。ブラックシールド予報では、和歌山県でのブラックシールドは過去最小で半径2キロメートルと報道されていた。


「ブラックシールドから脱出、出来たんなら家でじっとしてりゃいいじゃねぇか」

「それが駄目なんだよ」


 チョコは目を伏せ、悲しげに呟いた。


「大事な相棒がダンジョンに連れて行かれた」

「連れて行かれた!?」


 チョコの街にブラックシールドが出現した時、やはり同じように落雷があった。その時、隣にいたはずの相棒が忽然と姿を消してしまったのだという。


「じゃあ、浅葱さんも・・・・ダンジョンに連れて行かれた?」


 浅葱さんが微笑んだあの瞬間、健太郎は初めて心がざわつき、ときめいた事を思い出した。あの笑顔を失うなんて、考えられなかった。


「その可能性もあるね」

「どうやったら探し出せるんだ!?」


 健太郎がチョコの肩を掴むと、彼女はその手を振り払って厳しい目で睨み付けた。校庭を貫いた穴から黒煙と焦げ臭い臭いが漂い、目がしばしばした。


「その方法を探してるんだよ!」

「そうか、そうだよな、ごめん」

「いいんだ」


 足元を見ていたチョコは唇を噛むと、厳しい顔付きで顔を上げた。そして黒いワンピースドレスのポケットをまさぐり、トランプカードを取り出すと素早く扇形に広げて見せた。


「なんだよ、神経衰弱でもするのかよ」


 チョコは目を座らせ『なにを言っているんだこいつは』という表情で健太郎を見た。健太郎はその気迫に押され顔を背けた。チョコはクラブの3、4、5。6、7のカードを並べた。


「ストレートフラッシュにゃ」

「・・・・・はぁ」


 いきなりのトランプゲームに戸惑った健太郎は頭をボリボリと掻いた。


「これは最強のモンスターを倒す時に使う」

「え!?なに、これ武器なの!?」


 健太郎はクラブのストレートフラッシュを手に繁々と眺めた。青空は徐々にブラックシールドに包まれ暗さを増していた。


「そうにゃ、前のダンジョンで手に入れたにゃ」

「ほえ〜、剣とか盾とかじゃないんだ」

「おまえもダンジョンで武器を手に入れるにゃ」


 ブラックシールドの向こう側には、警察車両や救急車両が赤色灯を回しているが手出しが出来ない。耳をつんざく轟音と共に、スクランブルで飛び立った航空自衛隊機が周囲を飛び交っている。


「総理大臣の指令待ちか」

「あんなものは役に立たないにゃ」


 その時、靴底に振動を感じた。それはガタガタと上下し始め、屋上が抜けるかのような感覚に陥った。


カァカァ カァカァ


 学校の裏手にある神社の木立から黒いカラスが一斉に飛び立った。なにかが地面の中を這い回っている。


「来たにゃ!」

「え、なにが!?」

「決まってるにゃ!モンスターにゃ!」


 校舎の壁が崩れ始めた。校内放送が流れ、校舎外に退避するようにと呼びかけた。悲鳴があちらこちらこちらから挙がった。

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