高等学校の文化祭にブラックシールドが現れた。ただ、その事を理解している者はほんの一握りで、現実が受け入れられない状態で皆、逃げ惑っている。
「チョコ!本当にモンスターがいるのか!?」
「いるにゃ!この下に!」
健太郎は気味が悪いものを踏みつけたように足をバタつかせた。頭上を旋回するヘリコプターは新聞社やテレビ局の報道ヘリだ。スクープを狙い、カメラを構えている。他人事だと思って、腹が立った。
「学校の下に!?」
「そうにゃ!この真下ににゃ!」
ブラックシールドは細かい網目のような物質で出来ている。薄らと外側が見え、手を重ねれば互いの体温を感じる事も出来る。当然、会話も出来るがブラックシールドの外に出る事は叶わない。電波状況も悪く、スマートフォンも使えない。総理大臣の名の元、自衛隊の戦闘機がミサイル攻撃を仕掛けたが、それは霧のように吸い込まれてしまった。
「もうお終いだ、終わった」
「なんで私たちがこんな事になるの!?」
「家に帰りたいよぉ」
生徒たちはその場に崩れ落ちた。このブラックシールドは、日本列島にランダムに現れる。それがたまたま、この高等学校を含む半径約10キロメートルだっただけだ。
「行くにゃ!」
「ど、どこにだよ!」
「モンスターのところにゃ!」
そんな中、過去にブラックシールドでのダンジョンを経験したチョコ(山野辺千代子)と、コンビを組んだ石蕗健太郎がモンスターへ攻撃を仕掛けようとしていた。
「健太郎!用意はいいかにゃ!」
「え、ちょ!ちょっと待て!ここ屋上だぞ!」
チョコは当然とばかりに屋上の柵の上に立ち上がり、膝を曲げ飛び降りる瞬間だ。後をついて来いと言われた健太郎は、眼下の校庭を見下ろし背筋に冷たいものが走った。
「あ!そうだったにゃ!」
チョコはなにかを閃いたようで柵から手を伸ばした。
「掴まるにゃ!」
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
チョコに羽交締めにされ、屋上の柵に立たされた健太郎は、校舎を駆け上がる風を感じた。脚がガクガクと震え、喉仏が上下した。心臓は鷲掴みにされ今にも口から吐き出しそうだった。
「行くにゃ!」
「・・・・!」
目を瞑ろうとした瞬間、健太郎は信じられないものを見た。チョコの背中に、真っ白い羽根が広がり大きく羽ばたいた。風切り羽根の音が健太郎の耳を掠める。その有り得ない感覚に、思わず鳥肌が立った。
「あああああああああああああああ!」
遠くの景色が左右に揺れ、おぼつかない足元に恐怖を感じた。ギュッと目を瞑ると次の瞬間、軽い衝撃を感じた。
「健太郎!ぼんやりするにゃ!行くにゃ!」
「・・・・・」
頬に減り込む細かい砂粒、気が付くとそこは砂煙が挙がるグラウンドだった。健太郎はその中に倒れ込むと、ブラックシールドで薄暗くなった空を仰いだ。
「ま、まじ死ぬかと思った」
健太郎は冷や汗をかき、顎の噛み合わせが落ち着かなかった。
(で、でも!浅葱さんを探すんだろう!?立てよ!なにビビってんだよ!)
気分は満身創痍の健太郎が意を決して立ち上がろうとした時、周囲から悲鳴が上がった。校舎の一部がメリメリと音を立てて盛り上がり、6本の尖った爪が姿を現した。それはグラウンドの砂をいとも簡単に掻き分け、地上の明かりに向かって掘り進んできた。
「も、もぐら!?」
校舎の裏の神社の地下から現れたのは、大型バスサイズのもぐらのモンスターだった。悲鳴を上げた生徒たちは、ブラックシールドの向こう側で待機していた陸上自衛隊へと逃げ惑った。
「チ、チョコ!?」
その皆が見守る中、黒いワンピースドレスを翻したチョコが、サッカーゴールの上からもぐらに飛び移った。そして、ポケットから取り出したトランプカードを、陽の光で暴れるもぐらの目に向かって勢いよく投げた。その一枚が閉じた目を掠り、もぐらは声もなく暴れてグラウンドに転がり出た。
「トランプカード・・・・」
風に舞ったスペードのカードが健太郎の足元に落ちた。チョコは動きを止める事もなく、次々にトランプを放つと街灯の上からもぐらの背中に飛び乗った。編み上げのブーツが泥まみれの毛に沈み、一瞬、チョコは『汚っ!』と嫌そうに顔を顰めた。
「ちょっとー!健太郎ー!なにぼんやりしてるのにゃ!!!」
「アッ・・・」
ハッと生徒たちを見遣ると、誰もが怪訝そうな顔をして健太郎を凝視していた。普段、教室の隅で誰とも連まない健太郎が、派手なアクションを披露する女子と屋上から舞い降りたのだから驚くのも当然だ。健太郎は顔を赤らめた。
(く、くそっ!イメージが)
チョコは使い物にならない健太郎に向かい、油紙で包まれたアイテムを放り投げた。
「健太郎!後で1,500円払いなさいよ!」
健太郎が油紙の紐を解くと、中には青い短剣が3本入っていた。
「一本500円だからね!」
1,500円というと、これは一本、500円の価値があるらしい。チョコはこれで健太郎にも闘いに参加しろと言っているのだ。
「マジかよ!」
「マジよ!あんた、浅葱ちゃんを見つけるんでしょ!?」
「やめろーーーーー!」
これで、健太郎が3-B組の浅葱さんに片想いしている事が全校生徒に大っぴらになった訳だ。健太郎はチョコを恨めしく思った。
(でも!浅葱さんも危険な目に遭っているとしたら!?)
浅葱さんの微笑みや声が過り、健太郎はよろめきながらも立ち上がった。
(で、でも、俺にあんなものが倒せるのか!?)
こうなれは半ばヤケになれとばかりに、健太郎は制服のブレザーに青い短剣を忍ばせてモンスターに向かって突進した。なにも考えられなかった。思考回路は真っ白で、ただ、目の前のモンスターしか見えなかった。頭上では自衛隊機がミサイルを発射しているが、やはりブラックシールドには刃が立たない。
「うおおおおおおお!」
健太郎がモンスターに接近するにつれて、その獣臭さに鼻を摘みたくなった。脚がもつれそうになり脇の下に汗が流れたが、走り出してしまった今、もう後戻りは出来ない。
「健太郎!ブルーソードにゃ!」
(ぶ、ブルーソード!これか!)
健太郎はブルーソードの柄(つか)を両手で力強く握ると、モンスターの体に向かって大きく振りかぶった。
「くそーーーーっ!」
健太郎は歯を食いしばった。肉に減り込む感触に怖気が走った。それは思いの外柔らかく、弧を描いて切り裂く事が出来た。吹き出す腐臭とドス黒い体液、健太郎は思わず後ずさった。モンスターは地面を揺らして爪で反撃して来た。
「うわっ!」
尻餅を付いた健太郎は間一髪のところで、その反撃を避けた。緊張で額に汗をかき、激しい動きに息が荒くなった。目眩を起こしそうになる。平然と闘っているチョコの姿に驚きが隠せない。モンスターが鋭い爪で校舎の残骸を崩し始めた。
「なにしてるにゃ!」
チョコがハートのトランプカードを放ちながら健太郎を叱咤した。
「お、おう!」
モンスターが腹に受けた痛みで暴れ出した。その地響きに、自衛隊員も慄いた。チョコはカードを投げる手を止める事なく攻撃を続けている。モンスターは指が千切れ、ドス黒い体液を振り撒いて転がり回った。柔らかな腹が、健太郎の目の前に迫った。
「もう一度にゃ!今にゃ!」
(浅葱さんのためだ!)
健太郎がもう一撃の刃を振り翳すと、それは腹を切り裂きモンスターは断末魔の咆哮を挙げて体を痙攣させた。そしてゆっくりと動きを止め、息絶えた。
ハァハァ
健太郎はドス黒い体液に塗れた自身の手を呆然と見て、力無くその場に崩れ落ちた。チョコはカードを拾い、体液をハンカチで拭きながら健太郎の隣に立った。
「やれば出来るにゃ」
「お、おぉ」
健太郎が初めてモンスターを倒した高揚感の中、額の汗を拭っているとパラパラと手拍子が上がりそれはやがて拍手となってグラウンドを包んだ。照れ臭さから健太郎が顔を背けた。
「で、このモンスターはなんなんだよ」
「この爪は2000円くらいにゃ」
「あー、なるほど」
「今のは狩りにゃ」
それだけ言うとチョコは踵を返し、表彰台へと上った。そして、置かれていた拡声器のスイッチを押した。
キーーーーン
ハウリング音で誰もが耳を塞いだ。当然、健太郎も耳を塞いだ。
「な、なにをする気だよ」
チョコは大きく息を吸うと声を大にした。
「これから皆さんはダンジョンに参加します!」
生徒や職員たちは顔を見合わせた。『ダンジョンに参加するってなんだよ』『闘うなんて無理だろ』『嫌だ、死にたくない』と動揺が広がった。中には『俺も闘いテェ!』と言う声もあった。すると、全校集会でしか見た事のない恰幅の良い男性が近付いて来た。『この学校の校長の田村と言います』チョコは真面目な顔で前に進み出た。
「ダンジョンとはどういう事でしょうか?」
「このブラックシールドから脱出するには、ダンジョンに参加してレベルを上げないといけないの」
「ダンジョン?」
「このブラックシールド全体がダンジョンなの」
田村は首を傾げた。
「レベルはどうすれば上がりますか?」
「ダンジョンで集めたアイテムを銀行で換金し、レベルを上げて強くなるの。簡単でしょ?」
「あの・・・銀行とは?」
「ん?そのあたりに銀行あるでしょ?」
チョコは周囲を見渡す仕草をして目を細めた。
そしてチョコは、そのレベルに達しなければ、ブラックシールドからの解放はないという過酷な運命を口にした。