倒れていた人物…。気を失っていたから、その人物については分からない。後から倒れていた人物が居たと聞いただけだ。
「誰だったのですか?」
そう聞くと侯爵様が言う。
「それ程知られていない人物です。王都に住んでは居ますが、貴族ではありませんでした。」
貴族では無い…そう言われて考える。私を攫ったあの人物は…身のこなしも話し方も洗練されていたように思う。
「倒れていた者はその場で死んでいるのが確認されています。その者の身体を検査しましたが、身元が分かるような物は持ち合わせていませんでしたが。」
そう言って侯爵様が懐に手を入れる。
「こんな物を持っていました。」
そう言って侯爵様が出したのは真っ赤な雫型の石のついた…ネックレスだろうか。
「この石については、色々と調べさせましたが、何も分かっていません。これを見て、何か思い出せる事はありますか?」
そう聞かれて首を振る。
「分かりません、あの夜、そういった物を見た記憶はありません。」
侯爵様は真っ赤な雫型の石のついたそれを見ながら言う。
「王室の魔法師や魔塔の魔法師たちに聞いても、これの正体は分かっていません。まぁそれも当然と言えば当然でしょう。恐らく呪術に使う物でしょうから。」
呪術に使うもの…。
「これにどんな力があるのか、どんな作用があるのか、何に使う物なのか、呪術師の誰かを捕まえない限り、解明は難しいでしょう。」
侯爵様がそれを懐にしまう。
「侯爵様がそれを持っていても大丈夫なのですか?」
そう聞くと侯爵様が笑う。
「この私に呪術が通用すると思いますか?」
そう言って自身の指に収まっている七色の石の付いた指輪を見せる。
「私には天使の加護の力があります。これがあれば何が来たって問題無いでしょう。」
七色の石はその光を失ってはいない。
「あの夜、私を攫った人物は、それなりの爵位を持っていると思います。」
私がそう言うと侯爵様が私を見る。
「あの話し方、身のこなし方、傍若無人な振る舞いも、普段からそれなりの爵位についていないと身に付かないものです。」
侯爵様はクスっと笑って、私の頬に触れる。
「あんな目に遭ったというのに、あなたという人は…」
侯爵様の指に収まっている指輪が私の頬に触れる。その瞬間、指輪からふわっと光が漏れ出し、その光がひらひらと落ちて、私の左手の甲に着地する。着地した光は私の手の甲に羽のような模様を浮かび上がらせる。
「これは、一体…」
侯爵様がそう言って、私の手の甲を見ている。私にも何が起こっているのか分からない。侯爵様が私を見て聞く。
「何か変化を感じますか?」
そう聞かれて自身の体を見る。
「体が少し軽くなったような気がします…」
そう言って立ち上がってみる。ここまで歩いて来るだけでも、それまでの私であれば、体力を消耗していると自分で分かる程、疲れが出ていたけれど、今はその疲れを感じない。侯爵様が立ち上がり、私を見下ろす。
「これは私の考えですが。そもそもこの指輪の力の持ち主はあなたです。だからもしかしたら力があなたに戻って行くのかもしれません。」
そう言って侯爵様は指輪を外し、私に差し出す。
「触れてみてください。」
そう言われて迷う。
「でももし、私が指輪に触れて、指輪の力が私に戻ってしまったら、侯爵様がお困りになるのでは?」
そう聞くと侯爵様が笑う。
「そんな些末な事はどうでも良いのです。ジャスミン嬢、あなたに力が戻るのであれば、私は何を差し出しても構わない。」
そう言われて恐る恐る、指輪に触れてみる。指輪はほのかに光りはしたけれど、それ以上の変化はなかった。
「指輪を付けてみてください。」
侯爵様にそう言われてその指輪を指に付けてみる。指輪は不思議な程にそのサイズを変え、私の指にぴったりと収まった。けれど、何も変化は起こらない。七色の石はほのかに光を宿しているけれど、さっき溢れ出したような光は現れなかった。
「付けてみてどうですか?」
そう聞かれ、自分の体に何か変化があるか、確かめる。
「特に何も感じません。」
そう言うと侯爵様が考えるように腕を組む。私の左手の甲には羽の模様がまるで金色の刺繍糸で刺繍されたようにその形を保っている。指輪を外し、侯爵様に返す。
「私よりも侯爵様が身に付けていた方が良い気がします…」
ただ何となくそう言っただけだった。確信があった訳では無い。侯爵様が指輪を受け取り、その指に付けるとやはり、指輪はそのサイズを変え、侯爵様の指にぴったりと収まった。光は失われず、ほのかに光っている。それを見てホッとする。
「この指輪はジャスミン嬢、あなたが私の無事を祈り、作り出した物だと、私はそう考えています。」
その仮説に間違いは無いだろうと私も思う。
「恐らくはジャスミン嬢の御母上がジャスミン嬢を隠す為に何らかの封印をしていた筈です、そしてそれがあの時、ジャスミン嬢の強い願いと祈りによって、破られ、指輪と化したのだと。」
母がおまじないと言って私の額に描いた羽と鍵…リシャール家の紋章…。
「幸運を運ぶと言われている天使の加護の力ですが、その力でさえ、万能では無く、そして有限であるとするなら、魔法などもきっとそうでしょう。魔力を持っているからこそ、湧き上がって来る。火や水や風、更にエジットのような伝令やアーレントのような察知、転移、ジャスミン嬢のような保護や制約、治癒…魔法の種類はその人によって様々です。でもどれもが前提としてその量に差があっても魔力を持っているという事。」
侯爵様が手を伸ばし、私の頬に触れる。
「マデリン嬢にはそれがありません。無理やり穴を空け、その中に入れただけの事です。根源までは奪えなかったと考えるのが妥当です。」
侯爵様が私の頬を撫でる。
「ジャスミン嬢の魔法の本質はまさに天使の加護の力。それが一時的、物理的に私に移譲されている今の状態では本質を奪う事までは出来なかったのでしょう。当事者である私たちでさえ、この指輪の事をそれまで重要だと思っていなかったのです。そしてこの事を知る者は私とジャスミン嬢、そしてバーノン、アーレントのみです。」
侯爵様の手が離れる。
「呪術者もそこまでは知らなかったのでしょう。ジャスミン嬢に起こった不幸を考えれば、その可能性に気付いた筈ですが、彼らはそれに気付く事は無かった。だとするなら、これは好機です。」
侯爵様はそう言って、私に微笑む。
「どんな事をしてでも、私はあなたが奪われたものを取り返します。幸運を授けてくれたあなたに報いる、その為に私は今まで力を付けて来たのです。」