マルゲリットと出会ってから、休日はアリーヌ様とマルゲリットと三人でお茶をする事が増えた。
彼女は来年から近衛として仕事を始めるらしく、折角この機会に仲良くなったからと頻繁に会っている。個人的にはマルゲリットとブラッドリー様の恋愛模様を知りたい、という乙女心もあるのだけれど。
最近二人は文通を始めたのだそう。仕事の内容だったり、今読んでいる本の内容だったり……些細な事だけれど伝え合っているようで、「会えない間も手紙を何度も読み返してしまう」と顔を真っ赤にして話す彼女に萌える。
どこぞのロマンス小説よりも甘酸っぱい……そんな話を楽しく聞いていた。
「そう言えば、エメリナ。婚約者候補は見つかった?」
最初は丁寧な話し言葉だったマルゲリットも、今では言葉を崩すほどに仲良くなった。私は少し悩んでから、彼女に話す。
「なかなか見つからないわね……お見合いもないし、お父様もお母様も婚約者については全く何も言わないから、私に任されている感じなのだけれど……」
珍しい親だと思う。マルゲリットみたいに紹介されて婚約者となる家もあるが、まだ多くは家と家の結びつきで婚約を結ぶところも多いのだから。
「来年私も王宮に上がるし、ブラッドリー様も知り合いがいると言っていたので、何かあった時には頼ってくれて良いからね」
「あ、ありがとう……マルゲリット!」
持つべきものは友達ね! そう思って感謝していると、アリーヌ様が何やら考え込んでいる姿があった。私は首を傾げて彼女に声をかける。
「アリーヌ様、どうされました?」
「いえ、何でも……。そう言えばエメリナ。最近ブーロー伯爵令息はどうしたの? 入学から貴女の事を毎日送迎していた彼が、最近顔を見せないじゃない?」
「ああ、エメリナの幼馴染、だったっけ?」
私はマルゲリットの言葉に頷く。
「私もいまいち分からないのですが……以前から何か思い悩む事があったらしくて、送迎時上の空だったのです。結局理由は分からないまま、先週あたりから『ちょっと用事があるから』と……ここ一週間ほど私一人で帰っています」
「だから最後に会った時、『エメリナをよろしくお願いします』と言っていたのね」
アリーヌ様の言葉に同意すると、納得したかのような表情をしていた。その後すぐにニヤリと笑ったアリーヌ様。
「エメリナ、一人で帰るの寂しいんじゃない?」
「そんな事、ありませんよ?」
「本当かな〜?」
「もう、マルゲリットまで!」
皆で笑い合う。まあ強がったけれど、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ……寂しいかもしれない。
にっこりと微笑んだアリーヌ様は、何もかも見抜いているような視線を送っている。一方マルゲリットは、「そうか」と言って納得していた。
アリーヌ様から突っ込まれるのでは、と戦々恐々としていたが、その前にマルゲリットは彼女へ話しかけたのだ。
「ならアリーヌ様の話も聞きたいのだけれど」
「私の話?」
「ああ。この間、男性と二人で出掛けているのを見かけてね」
「ええー! 気になりますー!」
この時マクシムの話はサラリと流れていったが、まさかあんな事があるなんて思わなかったわ。
その日の帰宅後。
「ねえ、エメリナ。明日予定は何もなかったわよね?」
お母様に訊ねられて、私は頷いた。
「ええ。家で過ごすつもりでしたが……」
今日二人と解散した後に購入した小説を読もうかと考えていたので、予定は入れていない。そう言えば、お母様は茶会があると話していたような……。
「エメリナ。直前で悪いのだけれど、貴女も明日の茶会に参加してもらえない?」
「私が参加してもよろしいのですか?」
「ええ。先方から是非に、って言われていてね。サラには伝えてあるから、服装とかは心配しなくていいわ」
「ありがとうございます!」
服を選ぶのが私は一番苦手。幸いサラが明日の用意をしてくれているようなので、私は少々体を磨くだけのようだ。
明日はどんなお茶会になるんだろう? 私ははやる気持ちを抑えて、布団へと入ったのだった。
翌日。
支度を終え、私はお母様に指定された庭のガゼボでサラとティータイムを楽しんでいた。今は春……少々日差しが暑くなり始めたので、初夏に差し掛かる頃、と言ってもいいかもしれない。
そんな時期ではあるが、庭は花が咲き乱れていて見応えがある。花が咲き誇る庭を見ながら、様々な小説のワンシーンを思い出し、私は楽しい時間を過ごしていた。
しばらく経った頃、後ろから誰かの足音が聞こえる。
今私は玄関を背にして庭を楽しんでいたので、後ろからこちらに来る人が誰かは分からない。仲が良い友人であれば、振り向いて声をかけても問題ないのだけれど、初対面の人であれば声をかけられるまで静かに座っているのが礼儀。
私は気が付かない振りをして、庭の花々を楽しんでいた。その時――。
「エメリナ」
その声は私のよく知っている人のものだった。あら、お母様も内緒にしないで教えてくれれば良かったのに……と内心考えながらも、私は椅子から立ち上がり彼の方へと顔を向ける。するとそこにいたのは――。
「マクシム?!」
よく見れば、いつものようなラフな格好ではない。黒地の布に金色の刺繍を施されたコート、コートと同様の刺繍を施されている白のウエストコートに、コートと同じ黒字の布で作られたブリーチズを履いている。そして極め付きは手に大きな花束を持っていた。この服を着ている時は……。
呆然としている私の前に近づくマクシム。そしてある程度近づいたところで、彼の姿が消える。跪いたためだ。
「エメリナ・ルクレール伯爵令嬢。俺と婚約してほしい」
言葉と同時に差し出された手。最初は夢かと思った。だって幼い頃、王子様の話をして「夢見てんな」と悪態をついていたあのマクシムが……まるで小説のヒーローが求婚する時とそっくりの姿で求婚してきたのだから。
私は言葉も出ない。と言うより、声を出したくても喉が詰まって上手く声が出せないと言うのが正しいかな。
何も言えずに口を開けていた私は、マクシムから見て滑稽に見えていただろう。反応がなく固まっている私に、マクシムは立ち上がってから続けて話し出した。
「エメリナが、小説の王子様のような男性と懇意にしているのは知っている。だから俺はエメリナを諦めようと思ったんだ。けど……やっぱりお前を忘れる事なんてできなかった……!」
「え、あの、ちょっと待って?!」
マクシムの独白に私は我に返る。小説の王子様のような
「私、懇意にしている男性なんていないわよ……?」
「いや、いるだろう? 何度か二人で遊びに行っているところを俺は見かけた」
「え……?」
二人で遊びに?
最近はアリーヌ様とマルゲリットの二人で遊ぶ事が多いけれど……え、私のそっくりさんがいるとか?
「マクシム、それ、本当に私だった?」
「……? ああ。エメリナだった。一度目は白い襟の付いた若草色のワンピースで街を歩いていたな。二度目は先週、流行りのカフェでお茶を飲んでいたはずだ。窓際の席で」
一度目、若草色のワンピース……二度目、流行りのカフェ……もしかしてそれって……。
「あ、あのね……マクシム……そのお方は――」
男装の麗人だ、と言いたかったのだが、マクシムの言葉は止まらなかった。
「俺はあんなに格好良くないし、王子然としているわけではない事も理解している。だけど、俺はお前のことが好きなんだ! 今すぐ好きになって欲しいなんて言わない……! ただ俺の方も見て欲しくて――」
「え、私の事が好き?」
マクシムもここまで思いの丈を吐き切って開き直ったのか、狼狽えている私の目を見て「ああ」と頷いている。私の頭は新たな情報でごった返していたが、とにかくまずはマクシムの勘違いを訂正しなければ!
彼には誤解をして欲しくない、そう思った。
「聞いて、マクシム!」
だからだろうか、思わず彼の肩を掴んで眉間に皺を寄せた顔で私は詰め寄っていた。
「あ、ああ……」
彼もその迫力に驚いたのか、目を瞬かせている。
「あのね、その方はマルゲリット・ファイエット
「ファイエット伯爵令嬢……?」
マクシムは瞳を大きく開いている。これだけ令嬢の部分を強調して言っているのだ。大丈夫かと思うが、念を押してもう一度告げる。
「そうよ! ファイエット
「御令嬢……ごれいじょ……は、はぁ〜?!」
私の言葉がやっと理解できたらしく、マクシムは目を剥いて叫んだ。やっとマクシムも事情が呑み込めてきたらしい。呆然としながら立ち竦んでいる。
私はそんな彼を見て、困惑した表情で話しかけた。
「マクシムが何故出掛けた事を知っているのか分からないけれど……一度目はアリーヌ様から『マルゲリットがエスコートの勉強をしたいから協力して欲しい』って言われて、二人で出掛けたの! 二度目はマルゲリットだけでなく、アリーヌ様と三人でカフェにいたはずよ?」
「いや、俺が見かけた時は二人だったけど……」
「一度アリーヌ様が席を立った時があったから、そこを偶然見たのではないかしら?」
確かにマルゲリットは遠くから見たら、男性と見間違えても仕方ないわよね。まるで小説から出てきた王子様のようだもの。
しばらく無言のマクシムだったが、やっと事情を呑み込めたのか……「そうだったのか」と呟く。私が「今度紹介しましょうか?」と話せば、彼は首を振って「大丈夫だ」と答えた。これで勘違いは解消されたようだ。良かった良かった、と私は満足していたのだけれど……マクシムはそうでなかったらしい。
「……で、先程の答えはもらえるのか?」
「えっ?」
先程の答え? なんだろう? と首を傾げていると、彼はひとつため息をついた後、私に一歩近づく。思わず私が何歩か後退りをしたところ、私はガゼボの柱に追い詰められた。
マクシムは私の顔の横にそっと手を置き、顔を近づけてくる。まるで私を逃がさないかのように……。
「俺はお前の事が好きで、結婚したいと思っているんだけど? エメリナはどうなんだ?」
「え、えっと……?」
まるで彼の瞳に絡め取られたかのように、マクシムから視線が逸せない。最初は冗談だろうと思っていた私だったけれど、マクシムの瞳の奥にある熱に気がつく。
初めて見る彼の表情に、私の鼓動は大きな音を立てる。
マクシムは無言で固まっている私から視線を外す事なく、左手で私の髪を一房持ち上げる。そして私を見たまま、髪へと唇を近づけ――。
今まで一度も感じた事のない彼の色気に、私は頭がクラクラした。
これ以上は自分が持たない、そう思った私は、しどろもどろになりながら彼に声をかけた。
「ね、ねえ、マクシム……その……」
好き、という言葉が照れと恥ずかしさから言えなくて口ごもってしまう私。何故好きなのか、いつから好きなのか……聞きたい事はたくさんあるけれど、言葉が続かない。
マクシムは最初俯いて黙りこくってしまった私に首を捻っていたが、何を思ったのか先程まで遊んでいた髪を離した。
そして――。
「この唇を今すぐ奪いたいくらい……俺はエメリナに魅了されているよ」
顎をクイっと上げられた後、マクシムの親指が唇に触れ……輪郭を優しくなぞられる。彼の手も、視線も、まるで恋人にするかのような、優しいものだ。優しく動いていた親指が唇の中心で止まり、離れていく。その指を名残惜しく感じた私は、自然と眉を下げていて……離れていく指を追ってしまう。
その手で再度顎を持ち上げられ、私の視線はマクシムと重なった。そして彼の顔がだんだんと近づき、後少しで唇が重なりそうになるところで――。
「ぼっちゃま、暴走し過ぎです」
そんな声が耳に入ったのと同時に、マクシムの頭でスパーンと小気味良い音が鳴り響いたのであった。
「痛ってぇ〜!」
マクシムは叫びながら頭を抱えて地面に座り込んでいる。私は状況を把握しようと声の方へ顔を向けると、そこにいたのはマクシムの実家――ブーロー伯爵家の筆頭執事であるスミスがいた。手には本らしきものを持っている。
「スミス? どうしてここに?」
彼とは幼い頃からお世話になっているので、私もスミス呼びをさせてもらっている。口をあんぐり開けている私に、彼は普段のように優しく笑いかけてくれた。
「奥様からぼっちゃまが暴走していたら止めるようにとお達しがございまして。ぼっちゃま、求婚を受け入れていない女性にこのような行動をするのは、言語道断でございます……まあ、エメリナ様のお母上様は『別に押し倒してくれて構わないわよ〜!』と仰っていましたが」
「お母様?!」
最後の言葉に驚き思わず声上げてしまった私。一方マクシムは「その通りになったから、何も言えねぇ……」と呟いていた。
しばらくして落ち着いたのか、マクシムが私の前に立つ。
「すまない、エメリナ」
「エメリナ様、この度は大変申し訳ございませんでした」
二人に頭を下げられて、私は慌てた。
「二人とも頭を上げて! 大丈夫よ! 私も嫌じゃなかった……あっ」
顔を上げた二人の顔が目に入る。
スミスは「おっ?」と意外そうな表情を、マクシムは「マジで!?」という期待した表情だ。私は一気に恥ずかしさで顔が熱くなる。
「っっ〜〜〜!! 候補! 婚約者候補からお願いします!」
その言葉を聞いたスミスは目に涙を浮かべ、マクシムは飛び上がるほど喜んでいたのは言うまでもない。
「と言う事がありまして……」
令嬢三人のお茶会で。
告白された翌日、学園でアリーヌ様にぎこちない姿を見られて問い詰められた私は「心の準備をさせてください!」とマクシムの話を避けていた。けれども、今日アリーヌ様に「そろそろ話してもらえるかしら?」と言われて話をしたのだ。
マルゲリットは申し訳なさそうに話を聞いていた。
「いや、すまない……私が勘違いさせてしまったとは……」
「良いのよ、マルゲリット。こうでもしないとブーロー伯爵令息は動かなかったでしょうから」
アリーヌ様は「やっとね」とひとつため息をついた。その言葉を聞いたマルゲリットは、アリーヌ様に話しかけた。
「アリーヌ様、ブーロー伯爵令息がエメリナに好意を抱いている事に気づいていたのか?」
私も婚約を申し込まれるまで、気づかなかったのだけれど……
「勿論よ。あんな分かりやすい男はいないわね。あと、エメリナは耳に入っていないと思うけれど……貴女文官科内では人気があるのよ?」
「えっ?」
現在私とアリーヌ様が所属しているのは、領主科と呼ばれるところ。同じ校舎内に文官科と呼ばれる王宮文官を目指す学級がある。マクシムはちなみにこの文官科に属している。
彼が私に好意を持つ男性を牽制していた、とアリーヌ様が告げると、マルゲリットは納得したようだった。
「おかしいと思っていたんだ。エメリナはルクレール伯爵家の後継で、容姿も可愛らしく……アリーヌ様と懇意にしているだろう? 婚約の申し込みがひっきりなしに届いても良いと思っていたんだ」
「いやいや、マルゲリット。私の家は平凡だし、領地に特色もあまりないし……私も平凡よ?」
そんな婿入りしたがる人あんていないのではないか、と伝えようとした時、アリーヌが口を開いた。
「貴女は自己評価が低いのよ。そもそも貴女だって優秀よ? 成績も上位、品位もあり、容姿も可愛らしい。そして一番は、社交性よ。領主科でも、貴女に好意を抱いている人は多いと思うわ。エメリナは褒めるのが上手だから」
「それに領地の事もそうだ。ルクレール伯爵領は中継地点として人が行き交うのに外せない土地だろう? 伯爵の目先を読む力は目を見張るものがあるとブラッドリーが言っていた」
え、あのいつでものほほんと、のんびりしている父が、ブラッドリー様に一目置かれているなんて知らなかった……。
思わぬ事実に口をあんぐりと開けてしまった私。
「そして一番は貴女、エセリアにも目を掛けられているのよ? 権力のある侯爵家の御令嬢たちと懇意にしているなんて……普通はあり得ないの気づいてる? それに加えて武のファイエット家の御令嬢まで仲が良いじゃない?」
「私がそこに並ぶのは、いささか問題があると思うのだが……」
「何言っているのよ。歴代最年少女性近衛騎士が」
そう言われてみれば、私って凄いのかもしれない。実感は湧かないけど……いや、周囲が凄いだけじゃない?
「まあ、もしブーロー伯爵令息がルクレール伯爵家の婿に合わないと思ったら教えてね? 私もエメリアに合う男性を紹介できそうだし」
「勿論、その時は私にも教えて欲しい。ブラッドリーの伝手も含めて紹介しよう」
片目を瞑るアリーヌ様に、力拳を作るマルゲリット。頼もしい二人の友人に感謝だ。ああ、この話をマクシムが聞いたら、きっと驚くわね。でも心強いわ。
私たちの笑い声は、雲ひとつない空へと響き渡っていた。