教室の空気は、黒く淀んでいた。
仮面をかぶった澪が、異界そのものを背負って立っている。
彼女の周囲には、かつて異界に消えた生徒たちの影が揺れていた。
彼らは皆、無言で、それでも苦しげに、手を伸ばしていた。
◇ ◇ ◇
私は、震える手で仮面の破片を握りしめた。
(終わらせなきゃ)
どれだけ辛くても。
どれだけ悲しくても。
この異界を。
この呪いを。
◇ ◇ ◇
澪が、歩み寄ってくる。
仮面の下から、微かな声が漏れた。
「どうして……どうしてわかってくれないの」
私は、答えた。
「わかってる。だから、終わらせるんだよ」
私は破片を高く掲げ、まっすぐに澪に向かって走った。
澪も、仮面の手を伸ばした。
二人の間に、異界の風が巻き起こる。
黒い霧が渦巻き、悲鳴とも、笑い声ともつかない音が響く。
◇ ◇ ◇
一瞬、時間が止まったようだった。
澪の手が、私の破片に触れた。
その瞬間。
仮面が、ぱきりと音を立てて、ひび割れた。
澪の仮面に、無数の亀裂が走る。
教室の壁が、床が、空が、崩れ始める。
◇ ◇ ◇
「……ごめんね」
澪が、仮面の下から、かすれた声で呟いた。
「本当は、私も、君と同じだった」
崩れていく世界の中で、澪は仮面を外した。
その顔は、あの頃と変わらぬ、静かな微笑みだった。
澪は、そっと手を伸ばしてきた。
私は、その手を、握り返した。
◇ ◇ ◇
異界が、消えていく。
黒い霧も、悲しみも、絶望も。
すべてが、風に溶けていく。
◇ ◇ ◇
気がつくと、私は、廃村の祠の前に立っていた。
朝日が、差し込んでいた。
ポケットに入れていたはずの仮面の破片は、跡形もなく消えていた。
私は、静かに目を閉じた。
「……さようなら、澪」
風が、優しく頬を撫でた。
◇ ◇ ◇
エピローグ
数ヶ月後。
大学院の研究室で、私は新しい論文に取り組んでいた。
都市伝説、異界、儀式。すべてを、静かに記録していく。
それが、ここで失われた存在たちへの、せめてもの祈りだから。
窓の外では、春の風が吹いていた。
ポケットには、何もない。
ただ、心の中にだけ、澪の微笑みが残っていた。