教室の空気が、凍りついた。
白い仮面をかぶった澪が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
その歩みは、ためらいなく、迷いひとつなかった。
◇ ◇ ◇
私は、破片を握りしめたまま立ち尽くしていた。
澪は、教壇の前に立ち止まった。
そして、静かに仮面を外す。
露わになった顔は、あの頃のまま、穏やかで、優しい澪だった。
ただ――その瞳には、狂おしいほどの悲しみが滲んでいた。
◇ ◇ ◇
「凛」
彼女は、静かに言った。
「君には、わからない。この世界を守るために、どれだけのものを犠牲にしてきたか」
私は、唇を噛んだ。
「犠牲なんて、必要なかった」
「必要だった」
澪はきっぱりと断言した。
「私たちがこうして生きていられるのは、異界があったからだ。誰かが、悲しみや怒りを背負って、閉じ込めてくれたから」
私は、首を振った。
「それは違う。
誰かを犠牲にして成り立つ平和なんて、間違ってる」
「……理想論だね」
澪は、悲しそうに笑った。
「理想だけじゃ、生きていけない。私たちは、悲しみも、絶望も、どうしようもなく積み重ねながら、それでも世界を繋ぎ止めなきゃいけないんだ」
その声は、痛いほどに切実だった。
◇ ◇ ◇
教室の壁が、微かに軋み、歪みはじめる。
異界の構造が、この対決に反応していた。
澪は、手にした仮面を胸に抱きしめた。
「凛。君に、この仮面を継がせるよ」
「……何?」
「君なら、できる。私よりも、もっと強く、異界を守れる」
そう言って、澪は仮面を差し出してきた。
白い仮面。
それは、異界送りの象徴。犠牲の象徴。
私は、ゆっくりと首を振った。
「私は、受け取らない」
澪の手が、微かに震えた。
「……どうして。君も、血を引いているのに」
「だからだよ」
私は、まっすぐに澪を見返した。
「私は、この血を、呪いを、ここで終わらせる」
◇ ◇ ◇
澪は、ふっと息を吐いた。
「そうか」
そして、顔に仮面をかぶった。
教室の空気が、一気に黒く、濁った。
異界そのものが、澪の存在を中心に、蠢きはじめる。
彼女は、もう澪ではなかった。
異界そのもの。
異界教師――新たな仮面の支配者。
◇ ◇ ◇
私は、震える手で破片を掲げた。
異界を終わらせるために。
そして、澪に向かって、歩き出した。