私は、仮面の破片を手に、祠の奥へと進んでいた。
草に埋もれた石段、崩れた石畳、夜の帳が降りる中、世界は少しずつ、輪郭を失っていく。
風が止まった。
虫の声も、木々のざわめきも、消えた。
私の足音だけが、乾いた音を立てて、静かな村に響いていた。
◇ ◇ ◇
祠の裏手に、かつて井戸だったものの跡があった。
崩れた縁。黒く開いた穴。そこから、微かに、風とは違う空気が吹き上げていた。
冷たく、重く、腐った花の匂い。
私は、仮面の破片を握りしめた。
そして、井戸の縁に立ち、覗き込んだ。
そのとき――破片が、微かに光った。
◇ ◇ ◇
ぐらり、と景色が歪んだ。
地面が、空が、空気が、ぐにゃりと曲がり、ひっくり返る。
私は咄嗟に目を閉じた。
耳をつんざくような風の音。
誰かの泣き声。
教室でチョークを走らせる音。
すべてが、耳の奥で渦巻いていた。
◇ ◇ ◇
ゆっくりと目を開けると、私は、そこに立っていた。
あの夜の教室に。
◇ ◇ ◇
見覚えのある教壇。
並ぶ机と椅子。
黒板に書かれた白い文字。
『五人、選びなさい』
だが、それだけではなかった。
教室の隅に、子供たちが立っていた。
制服姿の少年少女たち。
皆、顔がぼやけ、表情はなかった。
彼らは一斉に、私を見た。
その瞳に、憎しみも悲しみも、すべてが入り混じっていた。
◇ ◇ ◇
私は、必死に口を開いた。
「私は、違う。誰も選ばない。誰も、異界に送りたくない!」
しかし、子供たちは一歩、また一歩と、私に近づいてきた。
(違う、違う……!)
私は後退りしながら、破片を握り締めた。
そのとき。
教室のドアが、音もなく開いた。
そこに立っていたのは――澪だった。
◇ ◇ ◇
彼女は、白い仮面を手に持っていた。
その仮面は、まるで血で染めたかのように、赤黒く滲んでいた。
澪は、何も言わなかった。
ただ、まっすぐに私を見つめていた。
その目は、冷たく、そしてどこまでも、悲しみに満ちていた。
私は、理解した。
これが、澪の選んだ答えなのだと。
◇ ◇ ◇
教室の中で、誰もが息を潜めて見守っていた。
異界の空気が、ぎしぎしと軋みながら歪んでいく。
そして、澪は、静かに仮面を顔に当てた。
白い仮面が、彼女の顔を覆った瞬間。
澪の身体から、黒い煙のようなものが、ふわりと立ち上った。
それは、異界そのものの呼吸だった。
私は、ぐっと破片を握り締めた。
(私は、戦う。澪を、止める。)
どんなに悲しくても。
どんなに辛くても。
私は、この呪われた異界を、終わらせる。